近くて、遠い
『そいえば、モールス信号が現れたり消えたりする話ってどうなったの?』
『いい質問ですね! あれも、時間ごとの様子を記録した映像がたくさん手に入ったことでわかりました』
モールス信号は、やはり時間帯によっては壁から消えていた。現れる時間は、午前二時五十三分。まるで透明人間が壁に彫りつけているように、点と線が一つずつ刻まれて出現していくのだ。
直線がぶれていたり震えていたりするのは、土の壁の凹凸のせいだけではないのだろう。
そして午前七時四分になると、拭き取ったように綺麗に消えていた。
『つまり、ステルス・スネークの活動と連動して出没しているってことですね』
『そのせいで、自衛隊の調査では発見できなかったのか』
『はい。自衛隊は文字が消えた後の時間帯で、ダンジョン探索を行っていたので』
ミラーが言っていた。ダンジョンの時は、一定の時点でループする。
これらの事実から、ダンジョンタイムループ説に新たな仮説が生まれた。
ダンジョンのタイムループは、あの蛇が起こしているのではないか、と。
上の階層になるにつれてこちらの世界の時間軸の影響も受ける可能性があるので正確なデータはまだそろっていないが、ダンジョンでループ現象が観測される時間帯が、だいたい午前七時台というのがほぼ確実になっている。ランクC以下の配信者たちが、上の階層の動画データ採取に協力してくれて明らかになったことだ。
『おっと、そろそろですね。みなさん、心の準備はいいですか?』
――来る。蛇が。
『いつでもいけるぜ!』
『緊張してきた』
『やっべトイレ行きそびれた』
『耐えろ! がんばれ!』
穣は、端末を構えて前方を睨みつけた。
『ミノル、カウントダウンに入ります』
「ああ、頼む」
ミネルヴァが、隣に立った。
『テンカウント。ナイン、エイト、セブン――』
豊浦は、こちらの世界の存在。蛇は、ダンジョンという異世界の生き物。
時を繰り返しているこの場所で、蛇もまた同じ行動を何度も取っている。
無駄な希望を持たせるようなことかもしれないけど、とミラーは前置きしていた。
――あの蛇は自身への時間の干渉を無効化でき、且つ逆行させることすらできる存在。その蛇の体内もまた、そうなっているのではないか。
豊浦は、蛇の腹の中で、時を止めたままでいるのではないか。
超音波が有効かはわからない。だが駄目だったとしても、別な何かで試すだけだ。
答えが出るまで、ずっと。
『――ワン、ゼロ』
装置のスイッチを押す。
何も聞こえない。何も見えない。微動だにしないまま、ミノルは前を見据え続ける。
ミネルヴァにも、今日のために新しい機能が付与されている。彼女は今政府管轄の量子コンピューターと接続している。ミネルヴァから送られたデータが、今この瞬間も情報処理され計算が進んでいるはずだ。
『あ、ちょっと画像乱れた……これがステルス・スネークか?』
『俺も乱れてる』
『みんな乱れてるってことは、やっぱいるのか……』
『見えないのに怖い……ジョーさんたち、がんばれ』
画像の乱れの報告は、その後数分続いた。その間は蛇が通過しているとわかるからありがたい。
蛇に、今自分は触れているのだろうか。自分の時も、蛇に食われているのだろうか。
『あ、画像戻った』
『うん、戻ったっぽい。乱れなくなった』
そのコメントで、ミノルは端末を下ろした。
『ご協力ありがとうございました。すごく助かったよ!』
ミネルヴァが視聴者とやりとりしているのを聞きながら、ミノルは装置を片づけ背負い直す。
さっき、一瞬でも近づけていたのだろうか。
本当にそんなに近くにいたのなら、自分がふがいなくて情けなくなる。
助けられない。まだ。
『ジョーさん、友達の手がかり集まるといいな!』
『応援してます! また協力できることあったら遠慮なく言ってください』
無機質な読み上げ音声。だが言葉は温かいものばかりだ。
「……今日は、ありがとうございました。今日の結果は、できる限り報告させていただきます」
ミネルヴァのカメラアイに向かって、穣は深々と頭を下げた。




