無力の正義
「助けられるかもしれない命を助けようとすることが、税金の無駄遣いですか? なら税金は、なんのために使えば有益なんですか? 裏金だのキックバックだの新人へのお小遣いだのという名目なら無駄じゃないのですか?」
「な、何もそんなことは……」
「国民が騒ぐ? そうでしょうね。かつてそうやって、自分が一生懸命生きてきた人生を自己責任だの努力不足だのと切り捨て、大勢の人間が人生を狂わされ命を絶った人すらいましたよ。何百人もね。自分たちが安全圏にいるから、安全圏を守りたいからと言う理由で、助けを求めて伸ばされた手を無視したんですよ。人の尊厳を踏みにじってね」
上杉は穏やかに微笑んでいたが、穣は息を殺して身動きすらしなかった。できなかった。
「豊浦さんの自己責任ですか? 彼は仲間を助けようとして災難に遭った。それが自己責任ですか? なら仲間を見捨てて真っ先に逃げるのが最適解でしたか? そうしたら今度は非情だと責めるのでしょう。どうやったってあなた方のような人間は他人を否定するんですよね。本当にあきれ果てます。そうして自分を正当化し、他人の優位に立とうとするんです。あなた方――国には本当にうんざりします」
笑みを貼り付けたまま、上杉は言った。静かに。
「もし豊浦さんを見捨てるのを国の最終決定とするなら、それでもいいでしょう。私は抗議の意思表明として、その瞬間からグソール燃料の製造を停止します」
「な――っ!?」
杉田が腰を上げた。
「何を考えているんです! グソール燃料は主要輸出品でもあるんですよ!」
「ええ、だからです。それくらいの価値あるものでなければ、交渉材料にはならないでしょう」
他の政府関係者たちは、無言で目を見交わしている。フレイザー社の面々は、石のように動かない。
穣は、ただ自失していた。
「正義がなくても、力を持つ者は己の正しさを押しつけてくる。無力な正義は踏みにじられるしかない。私はそれを痛いほど知っている。だから、力を持った今存分に振るいたいんですよ。力を持っているくせに何もしてくれなかった奴らに、同じ目を見せてやるためにね」
上杉はもう、笑っていなかった。どんな感情も、その顔からは読み取れない。
「改めて要求します。豊浦誠二曹を、政府の全力を以て救出してください。人一人の命を助けるために使う金が、無駄なわけがありません。国民が何か言うなら、私の脅しを伝えてあげてください。それでも騒ぐなら、直接黙らせましょう」
杉田は、椅子にへたり込んだ。防衛政策局長が、宙に視線を彷徨わせる。
穣は、肩にぬくもりを感じてびくりと振り返った。ミラーの手がそこに触れていた。
「困りましたね」
重苦しい空気を割ったのは、館野のため息交じりの言葉だった。
「そんなことになったら、間違いなくパニックになりますね。わかりました、その要求を持ち帰りましょう」
「か、監理官!?」
「防衛省でも、持ち帰って会議にかけます」
館野、防衛政策局長と町田がそろって立ち上がった。
「財務省もその方向で動くことで、方針を固めておいてください。細かいことは次回詰めていきましょう」
まさに、鶴の一声だった。
そこで、この緊急会議は解散となった。




