第1章:地獄の底で咲いた一輪の花
土と血の匂いが鼻を突く。
石と骨が入り混じった、這い出ることすら難しい深い穴の底。冷たい湿気に満ちたその場所で、俺__ノア・シュタインは生き延びていた。
「……ははっ」
声が漏れる。笑っていた。
自嘲とも、怒りともつかない奇妙な笑みだった。
右足が骨折していた。
左腕は剣の破片が突き刺さったまま、まともに動かない。
食料もない、水もない、助けもない。
それでも俺は、生きていた。
(この程度で死ねるなら、それはそれでよかった)
だが、死ぬことすら許されなかった。
穴の底には、かすかに淡い光が差していた。
壁面に、苔のようなものが生えている。それは、微かに青白く光りながら、胞子を放っていた。
「……お前、か」
手を伸ばす。
指先が震える。空腹と痛み、そして孤独に蝕まれた体。
だが、俺の中で何かが目を覚まそうとしていた。
《_個体名ノア・シュタイン、生命維持のため、固有スキルを強制覚醒します》
耳元で、誰かの声が響いたような気がした。
同時に、頭の奥が焼けるような感覚に襲われた。視界が歪み、世界がねじれた。
《固有スキル『菌糸操作』が覚醒しました》
《副次スキル『胞子感染』『精神リンク』『繁殖拡張』を取得しました》
「ぐっ、ぐぅぅうううぅうぁああああああ!!!
__っは……!」
まるで全身に電流が走るような感覚。心臓が激しく鼓動を打つ。
同時に、俺の背中から無数の糸のようなものが生え始めた。
それは青白く光り、地面に広がっていく。
胞子が辺りに舞い、空気を満たしていく。
苔のような存在は、元々俺のスキルに反応して繁殖していたのだろう。
だが今、それは明確に“命令”を待っていた。
これは…支配スキルか?
まだ効果はよくわからないが菌類限定の能力だろうか。
だとしても胞子には毒、食用、繁殖力バケモノ級、etc…
種類は多岐に渡り絶大な力になる。
「……お前らが俺を捨てたこと、死ぬほど後悔させてやるよ」
**
そして数日後。
傷を癒やし、スキルを研究し、周囲の魔物を洗脳して操ることで脱出手段を確保した俺は、ようやく地上に這い上がった。
そして、そのとき俺が出会ったのは、運命の少女_ミリィだった。
**
「う、うう……たす、けて……」
草むらの陰に、小さな影がうずくまっていた。
年の頃は十六、七歳だろうか。
金色の髪は汚れて乱れ、細い手足には切り傷が絶えない。布のように薄いワンピースは破れ、ほとんど裸同然。
(……囮か? いや)
近づくと、少女の周囲には低級魔物、スティングホーネットが群れていた。
「……こいつら、俺の“菌糸”で……」
指を鳴らすと、空気中の胞子が光を放つ。
「俺の胞子を吸い込んだな?お前らは既に俺の支配下だ」
《命令:駆除》
即座に、魔物たちは少女に背を向け、互いに襲い合いはじめた。
その様子を、少女は目を見開いて見ていた。
「……え、あなた……?」
「もう大丈夫だ」
俺はゆっくりと膝をつき、彼女に外套をかける。
少女は震えながら、俺の顔を見上げた。
名前くらいは言わないと怯えられるだろうか。
「俺はノア。……通りすがりの、ただの役立たずだ」
「ううん……そんな人が、私を助けてくれるわけないよ……」
そう呟いたとき、彼女の瞳から涙が一筋、頬を伝った。
「ありがとう……助けてくれて……わたし、ずっと、死んじゃうかと……」
少女は俺の胸に縋りついた。その身体は、熱かった。
**
彼女の名前はミリィ・カーベル。
貴族の娘だったが、辺境に売られ、奴隷として魔物の実験体にされていたという。
「……あの人たち、言ってたの。もし魔物の胞子に感染したら終わりって……でも、あなたは……」
ミリィは、俺の菌糸に感染していた。
だが、彼女は俺に従うどころか、心から信頼を寄せてくれていた。
《感染レベル:安定。精神リンク正常。信頼度:上昇中》
それは、洗脳ではなかった。
“絆”だった。
俺の“菌糸操作”は、相手の恐怖やトラウマに寄り添い、深く融合していく特性を持っていた。
勘違いされては困るが感染=奴隷ではない。
ミリィは、俺の最初の【仲間】になった。
**
彼女は誰よりも優しく、健気だった。
夜、焚き火の前で互いの境遇を語り合った後、ミリィは恥ずかしそうに俺の手を握った。
「……ノアさん。私、ずっと……誰かに必要とされたかった。今は、あなたのために……生きてるって思えるの」
__こんな俺にも、大切な人が、居場所ができたんだ。
そして、俺の“家族”は、これから増えていく。