呪われた竜騎士2
どれほど眠っていたのか、ディートリヒは恐怖の感情を察知して目が覚めた。自分が抱いている感情ではなく、弱く繋がっている通路を伝って流れてくる。
彼女だ。
敵襲でもあったのかと急いで体を起こしたが、辺りは静かなままだ。彼女はベッドの上にいる。ただ何かに耐えるように小さくなり、毛布にくるまっていた。
彼女のところへ飛んでいくと、眠った顔が見えた。悪夢でも見ているのか、怖いと思う気持ちが大きくなっていく。距離が近くなるほど見えない繋がりが強化されて、彼女が夢で見ている光景が脳裏に浮かんできた。
街並みが炎で焼け落ち、空には飛ぶ竜の姿があった。ディートリヒもよく知っている時計台が、半壊した姿になっていた。
戦禍に巻き込まれている町は、ディートリヒの思い出の場所でもある。
――エレン?
目の前でうなされている女性と、探している少女は同じ髪色で虹彩も同じ色だ。顔立ちは成長して印象が変わっているものの、どことなく面影がある。
夢の中に出てくる町は、二人で遊んだことがある場所。
名前を呼ぶと、見えている景色が揺らいだ。いつの間にか手を引かれて、明るい路地を走っている。きっと彼女の視点だろう。彼女の手を握っている少年が振り返ると、幼い自分の顔をしていた。
やはり最初に感じた印象は、間違いではなかった。彼女こそ、ディートリヒが探していた少女だ。
ようやく再会した喜びは長く続かず、どうして彼女――エレンが敵国にいるのかという疑問が現れた。戦争から逃げるうちに、国境を越えてしまったのだろうか。あの町は当時、最も国境に近いところにあった。さらに魔術師の格好をしていた理由も謎だ。
呪いを解くことに加えて、エレンの過去が知りたくなった。当時、隣国に親戚や知り合いがいたということは聞いていない。幸せに暮らしているならいいが、あまり顔色が良くないのが気になる。
魔術で繋がっているところから、彼女へ癒しの力を流した。自分の体を回復させるために溜めていた魔力だったが、エレンが穏やかに眠れるなら惜しくない。むしろ眠ったまま起きなくなるような、最悪のことを避けたかった。
翌日、エレンはディートリヒが目の前にいるにも関わらず、普通に着替えようとし始めた。やはりただの羽トカゲだと思っているらしい。急いで反対方向を向き、異性の着替えを覗く事故を阻止した。
これで人間の姿に戻っても、のぞきだの変態だの罵られずに済む。絶対に見ていないが、もし誤解されたときは全力で謝罪するしかない。
仕事へ行くとエレンが言うので、ローブについているフードに隠れてついていくことにした。職場へ行けば、彼女がこの国で魔術師をしている理由が明らかになるだろう。
諜報活動は専門外だが、できないことはない。羽トカゲはそこらで見かける弱い魔獣だ。一匹ぐらい建物の中にいたところで、魔術師たちの警戒網には引っかからないと断言できる。
ただし、猫がいたら全力で逃げようと思う。あの愛くるしい狩人に襲われる経験は、一度でいい。
エレンのフードに隠れたまま周囲の声を聞いていたところ、職場は魔術に関する研究所だと判明した。同時に、彼女の待遇が良くないということも。
奴隷契約でもされたのだろうか。
同僚だという脳内に花が咲いている女はエレンに仕事を押し付けてくるし、先輩たちはエレンを便利な使用人扱いしている。主任と呼ばれている責任者は、他人に興味がなさすぎるのか、事なかれ主義なのか。エレンが雑用と称して奴らの仕事を押し付けられているのに、なんの手立てもしない。
成果物が期日通りに出てくるなら、あとはどうでもいいのだろうか。自分とは方針が合わない男だ。
釈然としないものを抱えながらエレンと一緒に入ったのは、薬草などを管理している保管庫だった。よほど貴重な材料を置いているのか、管理人がそばについている。エレンたちが棚の一つに注目している隙に、そっとローブから抜け出す。淡い期待をして探索していると、目当ての薬草が入った引き出しを見つけた。
体全体を使って引き出しを開け、少量を口にくわえた。急いでエレンのところへ戻ると、保管庫の外へ向かって歩いているところだった。
管理人は棚の鍵を閉めている最中で、こちらに気づいていない。エレンは足元に寄ってきたディートリヒに驚いていたが、管理人に見つからないうちにフードの中へ隠してくれた。
すっかり定位置と化したフードの中で、ディートリヒは薬草を咀嚼していた。苦いが、飲み込めないほどではない。この薬草自体に呪いを解く効果はないが、予想が正しければ、かけられた呪いを弱めてくれる。
竜騎士は竜と絆で結ばれているせいか、呪いへの耐性が高い。それなのにディートリヒは羽トカゲに変えられてしまった。もう一つの衰弱する呪いで、耐性と竜との繋がりを弱めて、効果が出るように細工していると思われる。
――この呪いを作った奴は、かなり陰湿だな。
絶対に竜騎士を殺すという意思が感じられる。
薬草は徐々に体へ浸透していた。今すぐに解呪するのは無理だが、自分の体に力が戻ってくる感覚がしている。
ふと頃合いをみて相棒の竜を呼んで、彼女を国へ連れて帰ろうかと考えた。
ここにいる魔術師たちは、彼女のことを誤解している。決して魔術が使えない役立たずではない。この国に合わないだけで、適切な指導があればいくらでも活躍できる。
それに彼女が調薬の手伝いをすると、出来上がった魔法薬の効果が強くなるようだ。無自覚のうちに薬草へ流れた魔力が、相乗効果をもたらしている。使役の魔術で繋がったディートリヒには、彼女の魔力が見えていた。
だから悲しまないでほしい――そうエレンに伝えたかったのに、自分の口から出たのは、なんとも情けない鳴き声だけだった。
* * *
エレンが休日に街へ連れ出してくれた。敵国の王都を見るのは初めてだ。
途中までは興味深く見物していた。そこそこ活気があり、物流も滞っていない。こんなトカゲの姿でなければ、エレンと並んで歩けたのに残念だ。
浮かれていた気持ちは、エレンが職場の人間と遭遇したことで消えた。
ルーカスという名前らしい。
彼の姿には見覚えがあった。間違いなく、呪いをかけてきた張本人だ。森の中でも正確にディートリヒの位置を捕捉し、攻撃してきた。ディートリヒが近くにいることに気がつかない無能さは笑えるが、同時にトカゲの姿では何もできないことに気がつく。種類は違うが、無能さは一緒だ。
エレンから、嫌だという感情が流れてきた。ルーカスは高慢できつい言い方しかできないのだから、無理もない。
ルーカスがエレンを気に入っていることは、すぐに分かった。
だがなぜルーカスは気に入っている相手に、あんなにも横柄な態度になれるのだろうかと不思議だ。エレンを助手に指名して独占欲を満たしているつもりのようだが、肝心のエレンは落ち込んで悩んでしまっている。
早く呪いが解けてほしい。
エレンが嫌なことから逃げられるように。
彼女のことを何も理解しようとしない奴らに、潰される前に。
――一度は遅れをとったが、次は絶対に俺が勝つからな。
ディートリヒはルーカスがいる方向へ宣言した。