駆け引き
コミカライズ配信記念SSその1
「エレン。そろそろ休憩しようか」
ディートリヒはサロンにいたエレオノーラに声をかけた。
付与魔術の練習をしていたエレオノーラの周囲に、光る粒子が舞っている。中断された魔術の名残りだろう。エレオノーラは魔術書を片手に、困ったように微笑んだ。
「この魔術を成功させてからじゃ駄目かな?」
「駄目だ」
ディートリヒは笑って即答した。
予想通り、エレオノーラは休憩することを渋っている。ディートリヒは魔術書を強制的に閉じ、エレオノーラから取り上げた。
エレオノーラは毎日のように竜皇国のことを勉強し、付与魔術の訓練をしている。勉強熱心なところは美徳だと思うが、もっと自分の体を労ってほしかった。
――隣国では、役立たずと判断された魔術師の扱いが酷いらしいが。
エレオノーラは無能の烙印を押されないよう、必死で学んできた過去がある。だがここは竜皇国だ。無能だと一方的に決めつけて、罰を与える者などいない。エレオノーラが働き始めた店の経営者も、技術の習得を急がせることはしなかった。
ディートリヒは経営者から、エレオノーラが付与をした道具は評判がいいと聞いている。実際に使ってみた防壁の護符も質が良く、店にとって欠かせない人材になりつつあるようだ。
「エレンは放置しておくと際限なくやるからな。時間を決めて休憩するように言っただろう?」
「でもね、途中で止めるのは落ち着かない気持ちになるの。だからもう少しだけ。ね?」
ほんの少しの不安を滲ませた表情で、エレオノーラが見上げてくる。立っていれば身長差でそうなるのだが、巧妙にねだっているようにしか見えない。
ディートリヒは許可をしてしまいそうな己の弱さを戒めた。いくら愛するエレオノーラといえど、健康を損なう行為など許してはいけない。
それに、竜騎士はハニートラップに引っかからないよう、あらゆる誘惑に耐性がある。竜の卵を孵化させ、士官学校で厳しい教育と訓練に耐えた竜騎士は、この程度の誘惑に引っかからないのだ。
「駄目?」
「駄目だ」
エレオノーラは切ない顔でディートリヒを見上げている。
竜騎士はこの程度の誘惑には引っかからないのだ。たとえ庇護欲をそそられる仕草で名前を呼ばれたとしても、許可をした後に輝くような笑顔が待っているとしても、己を曲げてはいけない。
「あと一回だけでいいの。お願い」
竜騎士はこの程度の誘惑には強い。
「……一回だけだぞ」
――これは国益を損なう類の誘惑ではない。恋人の願いを叶えるのだ。自分は魅了されて意のままに動かされたのではない。だからこの行為は竜騎士の在り方に反していないと言えるだろう。
ディートリヒは都合よく解釈して、魔術書をエレオノーラに返した。




