譲れないもの4
決勝戦の参戦者は夜会の主役として招待されていた。会場となったのは、皇都にある歌劇場だ。長い歴史を誇り、数々の公演が行われていた劇場内部は、この日のために貸切になっている。一階の客席は全て取り払われ、舞踏会場へと変身していた。
ディートリヒは好奇心旺盛な招待客や記者に囲まれながら、早く終われとだけ考えていた。制服で参加できるのは楽でいいが、それ以外が苦痛すぎる。気持ちはエレンが待つ本邸に向いていたが、これも仕事と割り切って我慢するしかない。
「正式に婚約なさったようですね。おめでとうございます。あの、お相手は?」
皇都に本社がある、どこかの新聞記者たちが出会い頭に質問をぶつけてきた。まだ若い男女だ。先輩の記者から行ってこいとけしかけられたのか、ずいぶんと度胸があるらしい。
「公表した覚えはありませんが、どこからその話を?」
余計なことを書かれないよう感情を排除して答えたつもりだったが、彼らには威圧的に映ったらしい。女のほうは気圧されて笑顔が引きつった。
「すいません。情報提供者を保護するために、その手の質問には答えられない決まりで……」
「ではこちらも答える義務はないな。正式に取材の申し込みがあったわけではないのだから」
立ち去ろうとしたディートリヒだったが、彼らに釘を刺すために振り返った。
「相手はサンタヴィル出身の女性だ。これ以上の情報は要らないだろう?」
ローザリンデはサンタヴィルへ行ったことがない。また生まれも皇都なので、事実を捻じ曲げて記事にするのは不可能だ。
さらにサンタヴィル出身だと言っておけば、エレンに接触しようとする記者に、戦禍で負った心の傷をえぐられたと騒いで手を引かせる手段がとれる。あまり使いたくないが私生活を詳細な記事にされるよりはいい。戦争被害者に記者がしつこく付き纏い、問題になった事件があったので、新聞社はサンタヴィル関連には慎重になっていた。
どこか静かなところで時間を潰せないかと逃げ道を探していると、ローザリンデの代理人と名乗る女が来た。
「ローザリンデ様よりワインのお誘いです」
「お受けする理由がない」
ディートリヒは簡潔に断った。だが代理人は困り果てた顔で食い下がってくる。
「そこをなんとか……お願いできないでしょうか」
「特に交流があったわけでもない相手と、なぜ二人きりで会う必要が?」
「お願いします。来ていただけないと、叱責されてしまいます。前回も失敗してしまって、あとがないんです」
レイシュタットで行われた晩餐会のことだろう。そういえば代理人の顔に見覚えがある。
代理人を助ける義理などないが、泣きそうな表情ですがってくるのが面倒だ。まるでディートリヒがいじめているようで罪悪感がある。劇場内をうろついている記者に嗅ぎつけられて、痛くない腹を探られたくない。
「同行してもいいが、条件がある」
ディートリヒは仕方なく誘いを受けた。
「室内なら扉は開放したままで。それから、俺は仕事で皇女にお会いするだけで、私用ではない。二人きりにならないよう、第三者の同行を希望する。これらの条件を飲んでいただけるなら、お会いしましょう」
「……お待ちください。確認してまいります」
代理人は一旦その場を立ち去り、すぐに戻ってきた。
「ローザリンデ様より、構わないというお返事をいただきました。どうぞ、こちらへ」
こちらが出した条件を全て受け入れているように思われたが、第三者として指名されたのはローザリンデが選んだ者だった。先ほどディートリヒを囲んでいた記者の一人だ。年配の男で、返答に困る質問ばかりしてきたから、よく覚えている。
ローザリンデが待っているのは、劇場内にあるサロンだった。ホールから吹き抜けの中央階段を上がり、廊下を進んだ先に近衛兵が守る扉があった。
近衛兵の中に見知った顔を見つけると同時に、相手もディートリヒに気がついたようだ。片手を軽く上げて挨拶をしてきた。
「香水店の情報、助かった」
そう言うと、相手はにやりと笑った。ディートリヒと同じ時期に竜騎士となった同期だ。士官学校を経て近衛隊に配属されている。彼の竜はおそらく上空を旋回して警備にあたっているのだろう。
「役に立って良かった。いきなり連絡が来るから驚いたぞ」
すでに結婚して家族がいる同期なら、女性向けの店も知っているのではないかと思って手紙を書いたのは正解だった。エレンに喜んでもらえたし、指輪を購入する時間を稼ぐことができた。
「西方へ来るときは言ってくれ。家族向けの店なら情報提供できる」
「おう。その時がきたら頼む」
同期は親しみやすい表情を消して、声を潜めた。
「安全上の問題で、手持ちの武器等はこちらで預かる。持っていたら全て出してくれ」
ディートリヒは護身用に持っていたナイフを同期に渡した。同期が受け取ると、次に手紙を渡す。
「俺に何かあったら、これを実家へ届けてくれ」
「……分かった」
同期は特に内容を聞くことなく、上着にある内ポケットの中へ手紙を入れた。
記者も同様に検査を受け、準備が整った。代理人が中にいるローザリンデへ呼びかけ、扉を開ける。
ローザリンデはディートリヒが入ってくると、こぼれるような笑顔を見せた。
「お呼びですか」
ソファから立ち上がったローザリンデから、十歩ほど離れた位置に立って問いかけた。上官へ報告するときよりも遠い距離だ。もしローザリンデが倒れてきても、接触することはないだろう。
「来てくれてありがとう。さあ、座って」
「仕事中ですので」
「仕事?」
「決勝戦は竜騎士に与えられた、模擬訓練の一種です。制服を着用して参加している夜会も、業務の一環と言えるでしょう」
「真面目なのね」
ローザリンデは苦笑していた。
「まあいいわ。あなたのやり方に合わせましょう」
開け放たれた扉が閉まる様子はない。一応はディートリヒに配慮してくれているようだ。あとは同行してきた記者が、余計なことを記事にしないよう、言動に注意しなければいけない。
「優勝おめでとう。あなたの活躍が国全体に良き影響を与えていることを嬉しく思います」
「ありがとうございます」
ローザリンデの表情に翳りができた。
「……喜ばしいことがある一方で、いま国民の間には、不安定な情勢への不安が広がっています。隣国が報復してくるのではないかと」
「そうなれば、また迎え撃つまでです。しかし数年は戦争を仕掛けてくる余力はないでしょう。杞憂です」
「それはあなたが現場を知っているからだわ」
そうよねと同意を求められたが、答えない。
「大半の国民は詳しい情報を得られる立場ではありません。不安を消してしまえるような、強く明るい話題が必要なのです」
「それは自分の役目ではありませんね」
「いいえ、あなたにしかできません」
ローザリンデはこちらへ向かって右手を差し伸べた。
「私と共に国民の希望になりませんか? あなたは救国の英雄として広く名が知られるようになりました。皇女である私との縁を望む声が上がっているのです」
つまりエレンとの婚約を白紙にして、ローザリンデを妻にしろと言いたいらしい。




