まるで夢のような2
エレオノーラの体調を考慮して、出かけるのは翌日以降になった。だが雨が降ったら中止になってしまう。この時期はあまり降らないとベティーナは言うけれど、低い確率が当たることもある。
子供の頃を思い出して、窓に晴れを願う模様を描いておいた。指でなぞっただけなので見えないけれど、気分は落ち着いた。
「ディーに知られたら、子供っぽいって思われるかな?」
黒い竜のぬいぐるみを枕元に置いて、ベッドの中で翌日になるのを待った。眠れないと思っていたのに、いつの間にか翌朝になっていたのは驚いた。治療薬の催眠効果がいい仕事をしてくれたのだろう。
外出は気温が高い昼からだ。とはいえ上空は風が強いので、厚手の服に着替えないといけない。
着替えているときに頬のガーゼを取ると、殴られたあとがほとんど目立たなくなっていた。もっと時間がかかると予想していたのに、わずか二日で治るなんて驚きだ。
「すごい薬なんだね。もう見えなくなってる」
腹部はまだ少し痛みが残るものの、動かせないほどではない。
「それはよろしゅうございました。ディートリヒ様が伝手を頼りに、お取り寄せになったと聞いております」
「普通に買える薬じゃないってことだよね? どんな薬草を使ってるんだろう」
隣国の研究所では、ここまで高性能な薬は作っていなかった。エレオノーラが知らない希少な素材が使われていそうだ。
冗談で、宝石よりも高そうと言うと、リタは微笑むだけで答えなかった。
「リタさん?」
「末端価格ですと、おそらくドレス二着分になるかと。ディートリヒ様のお気持ちです」
ドレス一着がいくらするのか知らないが、絶対に安くないと思う。そんなものを惜しげもなく使われると、エレオノーラの金銭感覚が壊れてしまいそうだ。
「……これからは、あまり怪我をしないようにしないと」
「身辺警護でしたら、お任せください。エレン様でしたら心配ないと思われますが、ディートリヒ様の名前を出されても、知らない人にはお気をつけくださいね」
「分かった。一人で行動しないようにする」
コートを持ってサロンへ行くと、ディートリヒが新聞を読んで待っていた。すぐにエレオノーラが入ってきたことに気づいて、読むのを止めた。
「準備できたのか。その服装も可愛いな」
あまりにも自然に言うものだから、理解するまで時間差があった。
どう返すのが正解なのか迷っている間に、ディートリヒはエレオノーラにコートを着せて、上機嫌で厩舎へ連れていく。厩舎の前にいた竜も落ち着きなくうろついていたが、エレオノーラたちの姿が見えると嬉しそうに擦り寄ってきた。
いつにも増してゴロゴロと甘えてくる音が大きい。なでてやると、竜はキュゥと可愛い声で鳴いた。
ディートリヒは竜の背中にエレオノーラを乗せ、町を上空から見下ろせるところまで飛翔させた。目的地へ移動するときよりも高い。他の竜が飛んでいるところまで、よく見える。
ときおり空中で旋回して下を見ている騎士は、巡察をしているそうだ。町に異変が起きていないか見て回り、非常時は上から降りてくる。竜同士は離れていても言葉を伝えられるので、他の竜騎士への連絡手段にもなっていた。
「まだ町の案内をしていなかったな」
時計塔のような特徴的な建物を目印に、一通り説明が続く。祭りの時に苦労して歩いていた道も、今日は落ち着いているようだ。
旋回していた竜が郊外へ向かって飛んでいく。目的地と思われる先では、馬車が轍にはまって動けないでいた。馬と人力だけでは困難な問題も、後ろから竜が馬車を押して脱出に成功した。
これがディートリヒたち竜騎士の日常なのだろう。
「寒くないか?」
「うん。平気」
風は冷たいけれど、日差しは暖かかった。それに二人でくっついていると温かい。
「まだお礼を言ってなかったよね。助けてくれてありがとう」
「いいんだ。言われることはしていない」
「早く来てくれたのに?」
「怖い思いをさせた」
「あなたのせいじゃないよ」
ディートリヒの肩に頭を預けた。誰も見ていない、邪魔をしてこないところで彼を独り占めするのは贅沢だ。
「誘拐されたとき、早く言えば良かったって後悔したの。私もね、ディーが好きだよ。将来のこととか、まだ全然考えられないけど、ずっと一緒にいられたら幸せだろうなって思ってる」
ディートリヒはエレオノーラの頭に頬を押しつけるように乗せた。エレオノーラを支えている左手に力が込められる。
「その気持ちがあるだけでいい。障害は全て俺が取り除く」
「ディーだけが苦労するのは嫌だな。笑えないよ」
「俺が苦労と思っていないから、問題ない」
「ダメ」
エレオノーラは迷わず言った。
「良いことも悪いことも、好きな人のことはなんでも知っておきたいの。あなただって、私が隠し事ばかりしていたら嫌じゃない?」
「嫌ではないが、心配になる」
「そういうこと」
竜が郊外へ向かって滑空し始めた。先ほど馬車が立ち往生していたところとは、別の方向だ。
到着したのは高台にある草原だった。遠くに町が見えるだけで、建物は何もない。
「ここは?」
ディートリヒは竜の手綱や鞍を外していく。
「たまには竜を自然の中で走らせてやらないと、ストレスで体調不良になるんだ。ここなら誰にも迷惑をかけない」
鱗がはげたり、酷いときは自分の尻尾に噛みついてしまうそうだ。
自由になった竜は嬉しそうに走っていく。草原に寝転がったり、土の匂いを嗅いだりと忙しい。
「エレン」
肩に手がかかる。
顔の距離が近い。
反射的に目を閉じると、額に柔らかいものが当たった。
ディートリヒはエレオノーラを抱きしめて、あやすように背中を軽く叩いた。顔を見なくても、楽しんでいるのは笑い声でわかる。
「……私のこと、子供だと思ってない?」
「少しだけ」
恥ずかしさと悔しさから、エレオノーラは自分からキスをした。唇を押しつけるだけで情緒も何もないが、ディートリヒの驚いた顔が見られたから満足だ。ただ、離れようとしたらディートリヒに反撃されたのは予想外だった。
しばらく触れあった後は、無言で抱き合っていた。
「エレン、愛してる」
「夢じゃないよね?」
「これが夢だったら、一生、目覚めなくてもいいな」
そうだねと同意して、エレオノーラは目を閉じて幸せに浸っていた。
ようやくここまで進んだよ……という気分です。
最後に一つイベントやって、完結にしようと思います。




