まるで夢のような
「事件が起きた経緯はよく分かった。不法入国した魔術師の捕縛、ご苦労だったな」
竜騎士団の団長にルーカスたちと遭遇したときの状況を説明し終えると、相手は休暇中に呼び出して悪かったと言った。
「いえ、彼らのことは俺も気になっていたので」
「ついでに聞きたいんだが、どんな戦いかたをしたら男の魔術師が複数箇所を負傷することになるんだ? しばらく入院させることになったぞ」
「国民へ危害を加えている現場を目撃してしまい、つい力が入りすぎました。決して拷問したわけではありません」
ディートリヒは素直に答えた。
「頭と胴体さえ残っていれば、情報を引き出すには困らないと判断しました。俺としては、あのまま森に埋めて帰ってもよかったのですが」
「心の底から恨んでることは分かったよ。相手の戦意を削ぐための処置だったと言っておいてやる。男の話は終わりだ」
頭痛をこらえるように、団長はこめかみを手でおさえた。
「女魔術師のほうは、お前に会いたがっていたぞ。惹かれあっているだの婚約目前だの寝言をほざいていた」
「俺との関係を匂わせる発言は、全て女の妄想です。あれと添い遂げるぐらいなら死んだほうがましだ」
「……そうだな。お前の表情で分かるわ」
嫌なことを思い出して寒気がする。鳥肌が立った腕をさすっていると、団長に同情された。
「現場に居合わせた警備兵からも、あの女はおかしいって報告が上がってるし、信じるアホはいないだろうよ」
団長は、ここからが本題だがと前置きをした。
「戦争の功績で昇任する話がある」
「そうですか」
「反応が薄いな」
薄いと言われても、特に喜ばしいとは思えない。
「責任と嫉妬が増えるのが面倒です」
「諦めろ。前線で活躍したお前を出世させないと、他の騎士たちにも褒賞が出せないんだよ。出世も連帯責任だ」
そんな責任は初めて聞いた。
自分の出世は頓着していないが、部下たちが功績を評価されないのは困る。仕方がないので、礼は言っておいた。
「ああ、それと。皇都で行われる決勝戦の日程が決まった。確認しておけ」
団長に渡された紙を確認すると、各地方の対抗戦で優勝した者が、今度は皇都で試合を行うと書いてあった。
「観覧には皇族が出席、下品な振る舞いは慎むこと、ですか」
「お前なら礼節は問題ないな。予選を勝ち抜いてきた奴らが相手だ。誰が勝っても不思議じゃない」
「いつも通りにやるだけです。人間関係を考慮しなくてもいいぶん、試合のほうが楽ですね」
「それについては同意する」
団長は残りの休暇を楽しめと言って、会話を終わらせた。
団長室を出たディートリヒは、寄り道せず竜のところへ行き、厩舎から出してやった。帰るぞと声をかけると、竜が嬉しそうに翼を広げて飛び立つ。
屋敷へ帰ってきたとき、マーサがエレンの様子を伝えにきた。
「医者の診断では、怪我は打撲だけ。精神面も安定していると。ただ治療薬の影響か、眠気がある様子です」
「そうか。今は起きているのか?」
「はい。ご自身の部屋におられます」
ひとまず危険な状態ではないと聞いて安堵した。
――もし、ここを出て行きたいと言われたら。
二度も危険にさらされたのだ。ディートリヒから離れたいと思っていても不思議ではない。
頼りないという批判は甘んじて受けようと、ディートリヒはエレンの部屋へ向かった。
***
目が覚めると黒い竜のぬいぐるみと目が合った。枕元に置いていたのに、無意識のうちに抱きしめていたらしい。エレオノーラは起き上がって、窓にかかっている分厚いカーテンを開けた。
外はまだ昼間のようだ。明るい日差しを浴びていると、幸せに浸っている実感があった。
屋敷へ帰ってきたとき、エレオノーラは意識がないままだった。どんな移動手段を使ったのか、ディートリヒは短時間でレイシュタットに到着したらしい。医者の治療を受けている最中に気がついて、状況が飲みこめずに軽く混乱した。エレオノーラから見えるところにベティーナとリタがいなければ、取り乱していたかもしれない。
医者が仕事を終えて帰っていくと、今度はメイド二人が食事に風呂にと熱心に世話をしてくる。以前にも増して過保護になっているようで、少し怖かった。
――あー……落ち着くなぁ。
ここにいたら安心だと思う反面、自堕落な生活に片足を突っ込んでいるのではないかという危機感があった。
せめて身の回りのことぐらいは自分でやろうと、薄い部屋着を着替えることにした。他のカーテンを開けている最中に、リタが入ってくる。
「まあ。お目覚めでしたか」
リタはいつものように微笑んで、着替えですねと行動を先読みしてきた。
「どうして分かったの?」
「先ほど家令のアルバンより、ディートリヒ様がお戻りになると連絡を受けました。きっとエレン様の様子を聞かれるでしょう。もしお目覚めなら、面会を希望されるかもしれません」
「じゃあ、すぐに着替えないと」
ディートリヒに会えると分かったとたん、ずっと感じてきた眠気が薄れてきた。リタが選んでくれた服に袖を通し、髪を整えていると、扉を叩く音がした。
「どうぞ」
ためらいがちに入ってきたのはディートリヒだった。
「何かご要望があれば、お呼びください」
リタはそう言って、部屋から出ていく。
近すぎず遠すぎない微妙な距離で、ディートリヒは立っていた。
「体の調子は?」
「すごく眠い。でも痛みは無くなったよ」
「治療法が合っていたんだろうな」
ルーカスに殴られた頬と腹部には、ガーゼが貼ってある。打撲に効く軟膏を塗っているので、服を汚さないためだ。この軟膏が体温で温められて甘い香りを発し、眠りを誘っていた。
「ディー。近づいても大丈夫だよ」
エレオノーラは自分から近寄った。
「気を遣わせちゃってごめんね。でも平気だから。知らない男の人だったら怖いと思うかもしれないけど」
「……エレンが、それでいいなら」
ようやくディートリヒはソファに座ってくれた。それでもまだ距離を感じるが、立ったままよりはいい。
「家の中ばかりで退屈していないか?」
「実はね、少し飽きてきた」
外へ出たいと言えば、きっと困らせてしまう。ディートリヒだけでなく屋敷にいる使用人たちが、安全に気を配っていることは肌で感じていた。今のエレオノーラは保護される対象になってしまっている。
ディートリヒは暇なら出かけようかと誘ってきた。
「どこへ? 安全の確保とか、大変じゃない?」
「エレンは俺の仕事を忘れたのか? 魔術師の攻撃が届かない距離で、見晴らしがいい場所がある」
「……空?」
「正解」
空を飛びたいから竜に乗せろと言っていたよな、と昔のことを出されて、断るなんてできなかった。




