二人だけの秘密
エレンと黒トカゲの話
珍しい羽トカゲを拾ってから数日後、エレオノーラは魔術師が利用できる図書館で本を借りた。爬虫類系魔獣の生態を扱った図鑑には、羽トカゲが主食にしているものの一覧が書いてある。
一通り読み終えたエレオノーラは、図鑑をのぞきこんでいる黒トカゲに話しかけた。
「トカゲさん、人間の食べ物を与えてごめんね」
言われたことが理解できないのか、黒トカゲはエレオノーラを見つめて首を傾げた。
「トカゲさんの主食って、バッタとかコオロギだったんだね。あとは幼虫?」
羽トカゲは草むらに生息している。餌があるから草むらにいるのだ。そこで見つかる虫を与えなければ、黒トカゲが死んでしまうかもしれない。
せっかく助けたのに、自分のせいで黒トカゲが死ぬなんて辛い。
エレオノーラは窓の外を見た。太陽はもう沈みかけている。小さな照明の魔術ならエレオノーラでも使えるから、虫を探すのは困らないだろう。
「待ってて。トカゲさんの餌を探してくるから」
黒トカゲの動きが止まった。
「それとも一緒に行く? 怪我しているから、自分で虫を捕まえるのは難しいかな。私が捕まえて、トカゲさんにあげるね」
黒トカゲは勢いよく頭を振った。そんなに嬉しいのだろうか。やはり人間の食べ物では満足していなかったのだ。
「他にも果物とかを食べるみたいだね」
イスから立ちあがろうとしたエレオノーラは、黒トカゲに袖を引っ張られた。まるで行くなと言わんばかりに、四つの足で懸命に踏ん張っている。
黒トカゲから嫌だと拒否をする感情が流れてきた。それも強烈に。
「……虫は嫌い?」
人間のようにうなずいている。
「そっか。じゃあ……とりあえずご飯を作るね」
気のせいか、黒トカゲは安心したように見えた。くわえていたエレオノーラの袖を離し、ぐったりと机に伏せる。
色だけではなく食の好みも変わっているなと思いつつ、店で買ってきた生肉を切り分けた。試しに、焼いた肉と生肉を皿に乗せ、黒トカゲにどちらが好みが尋ねてみる。
黒トカゲは迷うことなく焼いた肉の前に座った。
「香辛料はどうする?」
そちらも用意してみると、香辛料を振りかけた肉の前に移動した。
――大丈夫なのかな? 作るのは楽でいいけど。
他にも色々と試したところ、黒トカゲは調理済みのものを好むことがわかった。人間と全く変わらない。しかも黒トカゲのものを取り分けて目の前においても、エレオノーラが席についてからでないと食べようとしなかった。
先に食べていてもいいよと声をかけても、興味なさそうに体を丸めて伏せている。食事のあとは口の周りについてしまったソースを気にしていたりと、身だしなみにも気を遣っているようだった。濡れた布巾で拭ってやると、落ち着かないのか尻尾の先を揺らしているのが可愛い。
――珍しい色だし、もしかしたら羽トカゲとは違う爬虫類系の魔獣なのかも。形で判断したのは失敗したわ。
黒トカゲから流れてくるのは恥ずかしいや照れくさいといった感情だ。面白くなってきたエレオノーラは、しばらく黒トカゲを追いかけて遊ぶことにした。
***
エレンが虫を捕まえてくると言ったときは、どうしようかと思った。
一部の昆虫は食用になるし、貴重な栄養として食事に取り入れている民族がいるということも知っている。だが自分が食すとなると話が違う。
食用ですらない、そのあたりで跳ねている虫なのだ。しかも生きたまま食えと。
絶望しか感じなかった。
立ちあがろうとしたエレンを、ディートリヒは必死で止めた。自分の健康を気遣ってくれるのは嬉しいが、呪いで姿を変えられただけなので、食事は人間と同じものでないと困る。
騎士の訓練では十分に食事が摂れないことを想定したものがあるが、野ウサギや蛇などの野生動物、もしくは野草といった食材になるものを選んで採取している。さすがにバッタやコオロギを食べることはない。好き嫌いの範疇を超えている。
全力で抵抗した結果、エレンは本気で嫌がっていることを察して諦めてくれた。
彼女はディートリヒのことを珍しい羽トカゲだと思っている。悪気はないのだ。悪意のない行動がこれほど恐ろしいとは考えたことがなかった。言葉が通じないことが事態を悪化させている。
どうにか意思の疎通を図ろうと試行錯誤している間に、エレンは夕食を作ってくれた。彼女が席につくのを待ち、一緒に食べ始める。先に食べていてもいいとエレンは言うが、そこは譲れなかった。
「トカゲさん、美味しい? 足りなかったら教えてね」
小皿に取り分けられた普通の食事が、とても豪華なものに感じる。エレンが用意してくれたというだけで特別なのだが、昆虫食を回避できた後はことさら輝いているように見えた。
ただ、食後に甲斐甲斐しく口元を拭かれるのは慣れない。羞恥で死にそうになる。
「――ということを思い出した」
資格試験のあと、エレオノーラたちは町の広場まで来ていた。時刻は昼に差し掛かっている。ディートリヒから、どこかで昼食でも一緒にどうかと誘われ、手頃な店を探している最中だ。
どこからか肉を焼く香ばしい香りが漂ってくるなと思っていると、ディートリヒが羽トカゲにされていた時のことを語った。
「もしかして、この匂いで思い出したの?」
「ああ」
「私もね、同じことを考えていたの」
我慢できずに笑うと、ディートリヒも愉快そうに微笑んだ。
「抵抗しなければ、生きた虫を口へ突っ込まれていただろうな」
「ごめん、私が笑ったら駄目だよね。あの時のディーは必死だったもんね」
「真剣に考えてくれた結果だろう? 黒い羽トカゲが俺だとは知らなかったんだから」
二人で相談して、近くの飲食店に入った。混雑していたが、運よく二人がけの席が空いて案内された。
ディートリヒの顔を見た女性従業員が、ことさら愛想よく注文を取りにくる。他の女性客もチラチラと盗み見ては、連れと談笑していた。
――対抗戦で有名になったから? それとも。
ディートリヒの顔は、ずっと見ていても飽きない。造形が優れているというのもあるが、好ましく思っている相手だからだ。
自分が好きなものが他人も好きだと嬉しい。ディートリヒが他人から好かれているのはいいことだ。そのはずなのに、知らない人がディートリヒのことを恋をする目で見ているのは、面白くないと思ってしまう。
自分が心の狭い人間だと気がついた。
まだディートリヒに返事をしていない。資格試験が終わってからと決めていたが、人が多いところでは言い出しにくい。
「エレン?」
黙ったまま見つめるエレオノーラを不審に思ったのか、ディートリヒが名前を呼んだ。
「えっと……トカゲのときって味覚は変化してた?」
「少し鈍感になっていた気がする。人間の歯とは違うから食べにくかったな。小さく切り分けてくれて助かった」
「自分の力で空を飛ぶって、どんな感じ?」
「走っている時と同じで、ずっと飛んでいると疲れる」
「動きはトカゲっぽくて違和感なかったよね」
「体が変化してすぐは、違和感しかなくて苦労したよ。竜の動きを参考にして、徐々に慣れていった」
唐突な質問にも、ディートリヒは嫌がらずに答えてくれた。エレオノーラに聞きたいことがあるはずなのに、強要せずにずっと待つのだろう。
「次の質問は?」
優しさに甘えてしまいそうになるけれど、近いうちに自分から答えよう――エレオノーラは勇気が欲しいと切に思った。
焼肉を食べるトカゲって消化器官とか大丈夫なん? という今更すぎる自分の疑問に答えるべく書いた短編でした。
自給自足ですね。はい。




