西の都の受験生たち
デニスは初めて彼女に会ったとき、夢でも見ているのかと思った。
由緒ある家の出身なのだろうか。服装だけでなく立ち姿に品がある。絹糸のような金色の髪に、澄んだ赤い瞳。少女の面影を残した顔は、デニスが今まで出会った誰よりも綺麗だった。
「みんな、今まで勉強してきた通りにやれば合格できるからね」
試験会場の近くで、フリーダ先生が受験生たちを前に喋っているが、デニスの耳には入ってこなかった。
彼女は試験を前に緊張しているのか、物憂げな表情をしている。どうして沈んでいる顔ですら魅力的なんだと、デニスは悩んだ。
助けてあげたい気持ちと、自分の存在を認知してほしいという思いが混ざって、胸のあたりが苦しくなってきた。
「エレオノーラさんは今回が初めての試験だけど、今の実力なら十分に通用するから。自信を持って」
フリーダ先生が彼女を勇気づけている。できることなら、その役目は自分が代わりにやりたい。
近づきたいのにきっかけを見つけられない。いっそ思いきって話しかけてみようかと悶々としていると、フリーダ先生がデニスを呼んだ。
「デニス君とエレオノーラさんは同じ等級の資格試験ね。迷うことはないと思うけれど、デニス君は一緒に行ってあげてくれる?」
「お、俺?」
思わぬ幸運がやってきた。デニスは去年、初級を受けて合格している。今年は就職に必要な最低ランクの中級を受ける予定だ。だから会場内の大まかな配置や、試験の流れは知っている。
デニスはフリーダ先生に感謝した。エレオノーラに頼れるところを見せる絶好の機会をもたらしてくれた。
一緒に来ていた同級生は、羨ましそうにデニスを小突いてきた。いつもならやり返すが、今日は寛大な心で許してやった。
「あの……デニス君? よろしくね」
「あ、うん。こちらこそ……」
恥ずかしそうに微笑まれて、デニスは柄にもなく頬が赤くなった。彼女の笑顔が初対面の人間に対する挨拶なのは理解しているが、自分だけに向けられた特別な感情に思えてならない。
――いや、勘違いは駄目だ。ここで距離感を誤ったら、嫌われてしまう。
自分に気があると思いこんで行動するのは危険だ。デニスは己を戒めた。彼女は素敵な人だから、きっと良い悪いに関係なく人が集まってくるだろう。そういった災難には敏感になっているに違いない。
下心を丸出しにするなんて、もってのほか。まずは無害な知り合いから友人へなれるよう、心を開いてもらうことから始めないといけない。修復不可能な仲になってからでは遅いのだ。
「えっと、じゃあ行こうか。最初は筆記だから、席の確認もしておきたいし」
「そうね。出題範囲の見直しもしておかないと」
デニスが誘うと、エレオノーラは特に嫌がる様子もなくついてきた。
――エレオノーラって名前なのか。
彼女に似合った、いい名前だと思う。仲良くなったら愛称で呼んだりするのだろうか。その場合はエレンかなと勝手に妄想が膨らんでいく。
――……いや、試験に集中しないと。
フリーダ先生は教育熱心だから、資格試験に落ちると合格するまで復習をさせてくれる。何度も何度も練習問題を解いてげっそりしている同級生を見て、同じ境遇にはなりたくないと友人たちと語ったものだ。
「エレオノーラさんは、どこの席?」
勇気を出して無難そうなことを尋ねると、エレオノーラは受験票を見せながら五十番だと教えてくれた。
「デニス君は?」
小首を傾げる仕草が可愛い。
「四十九番。だから、たぶん隣の席」
「そっか。近いね」
「うん」
なんだかいい雰囲気だと感じてしまったのは、きっと気のせいではないとデニスは思った。少なくともデニスの見た目では嫌悪されてはいない。会話をするという仲良くなるための基本は乗り越えられた。
筆記試験の会場では、デニスの予想通り隣の席だった。だがカンニング防止のために距離は離れている。それでも近くにエレオノーラがいるというだけで、試験へのやる気が出てきた。
――理想は二人一緒に合格することだよな。
中級では筆記よりも実技のほうが得点が高い。とはいえ筆記で無様な点数しか取れなければ、不合格になってしまう。絶対に落とすわけにはいかなかった。
エレオノーラは持参したノートを見ながら、出題範囲を確認しているようだ。うっかり気を抜くと、彼女に見惚れてしまいそうになる。
凄いと言われたい一心で挑んだ筆記は、我ながらよく書けたと思う。自己採点では合格の範囲内だ。
「エレオノーラさん、どうだった?」
デニスは試験のあとに話しかける絶好の機会を見逃さなかった。エレオノーラの存在に気がついた他の男たちが羨ましそうに見ているのを感じながら、わずかばかりの優越感に浸る。
「解答欄は全部埋めたわ。時間が足りなくて半分しか見直しはできなかったけど」
「筆記の点数が悪くても、実技が良ければ合格するよ」
「試験官の前で付与するのよね?」
「そう。五人ずつ一つの部屋に呼ばれて、番号通りに。エレオノーラさんは五十番だから、俺たちを見て参考にするといいよ」
「そうなんだ。お手本にさせてもらうね」
喜んでもらえた。頭の中に花が咲いたような気分だ。今なら何を言われても怒らない自信がある。
番号を呼ばれるまで、二人で当たり障りのない話をして過ごした。親の影響で付与職を目指していると聞いた時は、自分と同じだと盛り上がった。
エレオノーラと楽しい時間を過ごしたおかげか、その後の実技では緊張していない。自分でもいい出来だったと思う。
試験の結果は後日、フリーダ先生のところに通知される。それまでは勉強や付与の練習に使っていた時間を、遊びに回してもいいだろう。
「デニス君、色々教えてくれてありがとう」
「どういたしまして」
エレオノーラは、このあと暇だろうか。デニスは他のフリーダ先生の生徒たちと、試験後の打ち上げに行くことになっている。もし時間に余裕があるなら、彼女も誘いたい。
――それとも二人で……いや、さすがに難易度が高いぞ。絶対に警戒される。
最初から攻めすぎる男は嫌われる。集団での遊びから初めて、徐々に人数を減らしていくのがいい。
「あのさ」
「あっ! 二人とも、終わったの?」
デニスが勇気を出して声をかけようとしたとき、フリーダ先生に見つかった。会場の外で手を振っている。隣には長身の男がいた。
――あれ? あの人、たしか……。
武人特有の体格と、ほぼ無表情の整った顔。さらに黒髪と金色の瞳という組み合わせは、対抗戦の会場で目にしたことがある。
名前を思い出しているうちに、エレオノーラは男のもとへ駆け寄っていた。
「ディー。迎えに来てくれたの?」
「ああ。試験会場まで送迎できなかったから、そのお詫びを兼ねて」
「気にしなくてもいいのに。今日は早朝から仕事だったんでしょ? 抜け出してきてもいいの?」
「ようやく戦後の事務処理が片付いた。しばらく休暇だ」
エレオノーラが輝くような笑顔になった。デニスと話していたときのような、控えめな微笑みとは全く違う。心から嬉しいと見て分かる顔だ。
男のほうも、エレオノーラが近づくと表情を和らげた。羨ましいことに、さりげなく手を握っている。
「資格試験お疲れさま。あとは結果を待つだけね。ディートリヒ君が迎えに来てくれたことだし、二人で帰るといいわ」
空気を読んだフリーダ先生が、エレオノーラを男に託した。
仲睦まじく帰っていく二人の背中から、デニスは目をそらした。感情が出てこない。始まってもいない何かが終わった。
心にあるのは、悲しいとか虚しいなんてものではなく、無だ。
「デニス君は試験、どうだった? 君、すごく頑張ってたよね」
「燃え尽きたような気がします」
「えっ。大丈夫? 今年はそんなに難しかった?」
「先生、さっきの男の人は知り合いですか?」
「ディートリヒ君? そうよ、従兄弟なの」
「イトコ……ええと、エレオノーラさんは」
「ディートリヒ君の彼女だって聞いてるわ」
「なるほど」
何がなるほどなのか、自分でも分からなかった。
――たぶん、エレオノーラさんは勉強に疲れた俺が見た白昼夢だ。
そういうことにしておこう。デニスは都合よく忘れようと務めた。
なお、資格試験には合格した。過去に資格試験を受けた者の中で、最も点数が高かったそうだが、失恋したデニスにはどうでも良かった。
主要人物以外から見たエレンって書いてないよね?と気がついたので書いてみました。
ディートリヒ視点で描写すると、たぶんデニス君の倍は賛美が続くでしょうね。
この短編のためだけに出てきたデニス君ですが、この経験(悔しさ)をバネにして、きっと優秀な付与職人として活躍してくれることでしょう。




