離れていても変わらないもの4
遠くに見える魔術師たちの要塞は、監視塔だけの小規模なものだ――そんな情報を信じている者は、この砦にはいない。彼らが地下を掘削して陣地を広げていることは偵察から情報が上がっている。
地中に巣を作る蟻のように、じわじわと緩衝地帯からこちらへ侵略していることも。
ディートリヒが呪いをかけられるきっかけとなった、魔術師たちの怪しい動きとは、地中で魔術を使っている痕跡を発見したからだった。
「偵察の竜が感知した空間は、おおよそ立体図の通り。特に赤で着色したところは、主要通路と思われます。現在、偵察隊は出入り口と換気口の特定を急いでおります」
作戦室の机には、土の魔術で作った塊があった。歪な玉は用途別に敵が作った部屋を表したものだろう。縦横無尽に通路が繋がり、まるで出来損ないのブドウのような有様だった。
「仕事が早いのは結構だが、敵に探知されるなよ。まだ戦争が始まったわけではない。相手に開戦の理由を与えないように」
「了解」
ディートリヒは偵察にあたっている者の名簿に視線を落とした。
「アルマは謹慎が解けたばかりか。功を焦って深入りするなと伝えておけ。単独行動させるなよ? 命令を無視すれば後方で書類整理させるとでも言えば、大人しく従うだろう」
「現段階では従順ですね。さすがに反省しているようです」
「そうでなくては困る。開戦したら偵察から外せ。あれの竜には、別の使い道がある。地下要塞から脱走しようとする敵兵を追跡させろ。軍幹部や貴族なら拘束して連れてこい」
前線に移動して二日、ディートリヒたちは着々と反撃の準備に入っていた。竜の中には地中にいる獲物を探知して捕食する種族がいる。その能力を応用して、魔術師たちが掘削した通路を上空から透視させ、竜騎士が図面や立体にしていた。
急速に地下要塞を広げていた敵は、地上へ繋がる通路を複数箇所に構築している。魔術で隠蔽された出入り口を使えば、こちらの背後に迂回できるだろう。反撃されそうになったら地中へ逃げて守りに徹し、別の出入り口から味方が攻撃。うまく攻撃部隊の統制がとれるなら、竜騎士を戦場で翻弄することも可能だ。
地下通路は竜が侵入できないよう、連続して鋭角に曲がっているところもある。竜の関節は柔らかいほうだが、これでは攻撃しつつ奥まで入っていけない。
――よく研究しているな。
この地下要塞は徹底して竜を侵入させない造りになっている。竜皇国の竜は野生のものに比べると小型とはいえ、攻撃力は変わらない。むしろ人間が竜の弱点を補っているぶん、脅威度は上がっていた。
「竜脈が通っているのは、この大きな部屋の近くです。魔術師たちが現地で魔術を封じた石や魔法薬を製造するために、必要な道具を搬入したという情報もあります。製造に利用できそうな空間は他にもありますが、竜脈から魔力を取り出して使うなら、ここが最も効率がいい」
「地下要塞へ突入するときは、真っ先に制圧しろ。他の竜脈が近い部屋もだ」
廊下が騒がしくなった。扉を叩き、伝令だと声がする。近くにいた者が開けてやると、見張りについていた歩哨が入ってきた。
「報告します。敵が進軍を開始しました。およそ二百、魔術師団の姿は確認できず。装備は正規軍のものではありません」
「農民の寄せ集め、でしょうか」
若い騎士が自信なさげに言った。
「可能性は高いが、いずれにしても我々を緩衝地帯へ誘き寄せる撒き餌だ。下手に食いつくと、後ろから襲われるぞ」
今度は待機している竜から、見つけたと言葉が届いた。他の竜にも伝わっているらしく、騎士たちはそれぞれの竜から届いた言葉に集中する。
「どうやら全ての出入り口を特定したようですね」
斥候隊長が土塊にピンを刺した。先端に黄色い印がついているものは、換気口を示している。出入り口は土の魔術で表され、赤いピンが刺された。
「隊長、皇都から秘匿通信が届きました」
受け取った紙には、隣国が宣戦布告をしたと書かれている。進軍とほぼ同時に送りつけ、正当性を示しつつ奇襲を成功させたい狙いのようだ。
「司令部からは制圧せよと命令が」
「では、こちらも動くか」
作戦室にいる全員が、ディートリヒの言葉で静かになった。
「換気口から魔術師どもを煙で燻せ。喉を潰して詠唱できなくしろ。魔術を使う予兆を見つけたら、全力で叩け。もし何らかの魔術をかけられたら、すぐ後方へ下がってこい」
今回の進軍では、呪いをかけてくるだろう。あれは発動までに時間差があるから、撤退するまで効果が現れないはずだ。
「地上部隊は近くの出入り口を塞ぎながら進軍。岩や土、木材、使えるものはなんでも使え。一つを見逃せば、蟻のようにたかってくるぞ」
いかに強さを誇る竜といえど、囲まれて攻撃されると厳しい。敵は必ず竜の足や翼を狙ってくる。絶対に背後を取られるわけにはいかなかった。
「投降してくる者は捕虜にして構わんが、武装解除は念入りにしろ。魔術師の中には詠唱なしに魔術を発動させる者がいる。訓練通り、拘束する時は二人以上でやれ。ああ、それと――」
ディートリヒは注目している部下たちに見回した。
「捕虜の扱いは平等にな。階級や爵位には配慮するな。全て我が国の平民と同じように扱え」
「後から苦情を言われませんかね?」
寒気でも感じるのか、クルトは腕をさすっている。
「苦情を言われたら、嘘つきどもが多くて本当の身分が分からなかったとでも言っておけ。丁重に扱われた平民が、祖国へ帰って特権階級に何を感じるのかなど、俺たちの知ったことか。捕虜を真っ当に扱っただけで革命が起きると思うか? 違うな。積もり積もった不満が、戦争をきっかけに表へ出ただけだ」
隣国では平民の多くが貧しい。魔術によって発展してきた歴史から、魔術が使えない者は差別を受けやすい。特権階級からの差別もあり、身分が低いほど国への不満は多かった。そんな彼らが捕虜とはいえ丁重に扱われたら、何かしら思うところはあるだろう。
隣国が荒れようと、ディートリヒには関係ない。終戦後の話し合いは皇都の役人の仕事だ。西端にいる自分たちは、攻めてきたから反撃しただけ。皇国を守るのが竜騎士の仕事なのだから、隣国の治安にまで気にかけてやる義理などないのだ。
回路から竜へ、行くぞと呼びかける。屋上で待機している竜たちへ伝染して、空へ向かって咆哮が響いた。
「出撃だ。サンタヴィルの悲劇を繰り返すな。俺たちが防波堤とならねば、皇国全土が戦禍に飲みこまれると思え」
部下たちはそれぞれ了承して持ち場へ去っていく。
「クルト」
同期の副官を呼ぶと、すぐに返事が返ってきた。
「もし俺がやりすぎていると感じたら言ってくれ」
「恨んでいる割には人道的だと思うよ」
「それならいい」
屋上へ出ると、あたりは夕暮れ時の赤い光に染まっていた。
ディートリヒを発見した竜が、急かすように床を爪で引っ掻いた。
胸のあたりを押さえると、エレンが作ってくれた守護の力を感じる。
「生きて帰らないとな」
そう言って竜の首を叩く。相棒は、当然だとでも言うように、短く吠えた。
***
ついに攻撃が始まった。敵は地下要塞への侵入を試みているのか、断続的に大きな破壊音が響いてくる。突破されて蹂躙されるのも、時間の問題だろう。
ルーカスは身の回りのものを詰めたカバンをベッドの下から引っ張り出した。
辺りには薄らと煙が漂い始めている。敵が魔術師を潰すために、催涙効果のある薬草を燃やして燻そうとしているのだろう。
慌ただしく廊下を走る音がして、乱暴に扉が開いた。
「うえぇ……先輩、なんか喉が痛いんですけど」
濁声になったヨハンナが涙目で入ってきた。いつもなら媚びるような声音がルーカスをイラつかせるが、別人のように変化した今は笑ってしまいそうになる。
「早く扉を閉めろ。他の奴らが勘付いたらどうする」
仏頂面で笑いをこらえたルーカスは、乱暴にヨハンナを押しのけて扉を閉めた。
「ここから、どうやって外へ出るんですか。戦争が始まる前に逃げようって言ったのに」
「戦争で混乱しているときのほうが、地下要塞を出やすいんだよ。しばらく黙っててくれ」
ルーカスはポケットから羊皮紙を出した。広げると赤いインクで描かれた図形が現れる。本来ならルーカスだけの魔力では発動できないが、この部屋の近くには魔力の川が流れていた。そこから魔力を引き出せば、理論上は魔術を際限なく使える。
「わぁ。それ、転移の魔術ですよねっ? 私が使ってみてもいいですか?」
「枯れた声で使えるわけがないだろうが。黙って見てろ」
むくれたヨハンナはバッグを胸の前で抱きしめた。改めて、世の中にはこんな仕草に惹かれる男がいるのだと思うと頭痛がしてくる。
――荷物は一つだけか。ヨハンナのことだから、もっと多いと思っていたが……勘当されたらしいし、最低限の物しか与えられなかったのかもな。
ルーカスにはどうでもいいことだ。むしろ好き勝手にやっていたヨハンナが落ちぶれて、せいせいしたとすら思う。
図形に触れて、均等に魔力を行き渡らせていく。徐々に魔力の濃度を濃くしていかないと、魔術が発動しない。気分屋でムラがあるヨハンナには向いていない。
あと少しで転移できる段階まで進んだとき、扉が開いて煙が大量に入ってきた。
「なにを、やっているんですか……ルーカスさん」
研究所から連れてきた助手だ。苦しげに咳をしながら、ルーカスたちを睨みつけた。
「それ、転移の魔術ですよね? みんなが戦っているときに、逃げる気ですか」
「違うよぉ。私たちはね、大切なお仕事があるの」
ヨハンナがルーカスと助手の間に立った。
「仕事……?」
「だから、邪魔しないでよね!」
炎が助手を襲った。悲鳴をあげる暇すらなく、ヨハンナが出した魔術で焼かれて息絶えた。
扉のところには、人の形をした黒い炭が立っている。
「先輩、邪魔者は排除してあげましたよ。役に立つでしょう?」
まるで雑草を刈り取ったかのように、ヨハンナが微笑んだ。
顔見知りだったのに。同じ部屋で働いていたから、ヨハンナも知っているはずだ。たとえ挨拶しかしない仲だったとしても、たまには談笑する機会だってあっただろう。
ルーカスは答えずに、転移の魔術を発動させた。
冷たい夜風が吹いている。煙の臭いがしない。地下要塞の外へ脱出できたらしい。
「ここ、どこです?」
「戦場の北にある渓谷だ」
「ケイコク……」
地面に簡単な地図を描いて教えてやると、ヨハンナは遠いなあと文句を言った。
「ここから歩いて国境を越えるぞ」
「えー……どうして転移で越えなかったんですか?」
「戦争をやっているのに、普通に国境を越えられるわけがないだろう。すぐに見つかって殺される」
「面倒ですよねー。戦争してなかったら、すぐに国境を越えてエレオノーラちゃんを探しに行けたのに。早く会いたいなあ」
ヨハンナは口元だけ笑っている。
――この女、正気じゃないな。
顔見知りを焼き殺したことといい、少しずつ歪んできている。人を殺すことに、なんの躊躇いもなかった。今も後悔している様子はない。
気は重いが、もう戻れない。
ヨハンナを利用して、エレオノーラを見つけだす。その後にヨハンナがトカゲ使いに捕まろうが、殺されようが関係ない。
「先輩、帰りはどうするんです?」
「転移を使う」
「それって国境も越えるやつですか?」
「ああ」
使うのは、もちろんルーカスとエレオノーラだけだ。
「すごーい! 用意してたんだぁ。また歩いて越えるのかなって思ってました」
「この国には長居したくないからな。ただ、図形はこれから構築する予定だ」
本当はいつでも使えるように、上着の内側に隠している。
ヨハンナに殺されて奪われないように、有るものを無いと言わなければいけない。彼女は目的を達成したら、ルーカスを見捨てて逃げるだろう。
ここから先は、いかにヨハンナを騙して、出し抜けるかにかかっている。




