遠回りな情熱5
晩餐会が始まると、話題は対抗戦がほとんどだった。元教官とは席が隣同士なこともあり、近くの出席者から決勝戦のことを中心に質問を投げかけられる。隠すようなこともなく、よく知る分野の話題なので、受け答えは楽だった。
「腕に赤い布を巻いておられましたね。会場にご家族がいらっしゃったの?」
ローザリンデが話しかけてくると、周囲の出席者も興味深そうに沈黙した。
「……ええ、婚約者が応援に来ておりました」
ディートリヒはあえて嘘をついた。
隣国から連れ帰ったエレンの存在は、いずれ露呈するだろう。親族ではない女性を家に匿っていると、あらぬ疑いをかけられてしまう。自分だけなら構わないが、エレンの名誉が傷つくことは避けたい。
隣国から拾ってきた愛人と噂されるより、婚約者として庇護していると認識されるほうが、世間の目は優しい。もしディートリヒに瑕疵があって離れることになっても、婚約を解消した程度なら、エレンの人生に影響はない。
「まあ。婚約していらしたの? 初耳だわ」
当然ながら、ローザリンデたちは驚いていた。中には、誓約の印で察していたと言わんばかりに、うなずく出席者もいる。
「つい最近、決まったことですし、言いふらすことではありませんので。私も、彼女も、賑やかなのは苦手です」
遠回しにゴシップ記事を狙う記者には言うなと伝えたが、無理だろう。秘密を知る人間が多いほど、公になる確率も上がるものだ。
「月日が経つのは早いですね。覚えていますか? 最初にお会いしたのは、抱卵の儀でしたね」
ディートリヒが竜騎士になるために必要だった、卵を選ぶ儀式だ。見学していたローザリンデに話しかけられた記憶はあるが、あまり覚えていない。集められた卵のうち、どれが自分の相棒になってくれるのか、そればかりが気になっていた。
しかし忘れましたと正直に言うのは躊躇われた。面と向かってお前には興味がないと言っているようなものだ。相手の身分に関係なく、竜騎士なら気分を害することは言うべきではない。
「お会いしたことは覚えております。ですが儀式を前に緊張しておりましたので、己が何を申し上げたのか、記憶が曖昧で……当時の自分が失礼なことを言っていなければ良いのですが」
「失礼だなんて、そんな。崇高な志を胸に儀式へ挑まれる姿は、たいへん立派でした。竜を得たあとも目覚ましい活躍をなさっていると聞いております。再びお会いできる日を待ち望んでおりました」
ローザリンデは薄らと頬を紅潮させ、優しげに微笑んだ。どこか儚げにも見える姿に、ため息をつく者すらいる。計算された不自然さはなく、素直な感情の発露にしか見えない。
その後はローザリンデから話しかけられることはなく、晩餐会は終了した。
怪しまれない程度に急いで帰ろうと画策し、会場の外へ出ると、ローザリンデの付き人から呼び止められた。
「食後の紅茶を共にどうかと、皇女殿下より言付けを預かっております」
付き人の背後を元教官が通った。ちらとディートリヒの顔を見て、何も言わずに厩舎へ向かう。去り際に右肩を払う仕草をしたのは、気をつけろという助言だ。
「光栄ですが、もう夜も遅いので。帰りを待っていてくれている婚約者を、不安にさせたくないのです」
どこで誰が見ているのか分からない。勘違いされたくないと匂わせて、真っ直ぐ厩舎へ向かった。
相棒の竜はディートリヒが厩舎へ入る前から、落ち着きなく待っていた。どうやらディートリヒの気持ちが伝染してしまったらしい。鞍をつけて厩舎から出し、飛翔に最適な広場へ向かう。
「あの、ディートリヒ?」
今度は優しく呼び止められ、ディートリヒは仕方なく竜の背中から降りた。
息を切らせて駆け寄ってきたのは、ローザリンデだ。皇族向けに礼をして、彼女が話しかけてくるのを待つ。
「少しの時間でいいの。先ほどは、あまり時間がとれなかったでしょう? 大会のこととか、あなたが竜騎士としてどう過ごしているのか、聞きたいわ」
「皇女殿下」
「ローザと呼んで」
竜の尾が左右に大きく揺れている。苛立ちを表す動きだ。エレンには決して見せたことがない。竜はローザリンデを快く思っていないようだ。
ディートリヒは視線を足下に落としたまま、感情を極力排した声で答えた。
「私のような若輩者が、皇女殿下のお名前を口にする誉を受けるわけにはまいりません。私個人にお声がけを頂いたことは名誉なことです。ですが御身に降りかかる邪推を避けるためにも、婚約者がいる男をひとときの相手に選ぶのは回避すべきかと進言いたします。どうか御前を去ることをお許しください」
「そんな……」
ローザリンデはなおも引き留めたかったようだが、早く帰りたいと手綱を引っ張る竜を見て黙った。
「また、会えますか」
「時の巡りが重なれば、機会はあるでしょう」
「では楽しみにしております」
ディートリヒは竜の背中に乗った。ローザリンデから離れた竜は、星空へ向かって飛び立つ。早く帰りたいという竜の主張は、速さになって如実に現れた。
厩舎の前に降り立つと、竜は反対方向へ行こうとしていた。来た、と嬉しそうな声が回路を通じてディートリヒに届く。
――来た。エレンが来るよ。会いに行こう。今すぐ!
お喋りな相棒が、いつにも増して賑やかだ。
竜が急いで行こうとするものだから、手綱を持つディートリヒは引きずられそうになった。このままの勢いでエレンに飛びついたら、彼女が怪我をしてしまう。
「おい。誇り高い竜は、犬のように戯れついたりしないぞ。落ち着け」
竜は悲しそうに短く鳴いて、速度を落とした。ただし尻尾は期待と喜びで、先端が揺れている。
庭の先からエレンが現れた。驚いた顔の後に、おかえりと言って微笑んでくれる。
「アルバンさんが教えてくれたの。もうすぐ帰ってくるって」
雇っている家令だ。父親の代から勤めていて、なぜか竜が近づいてくるとわかるという特技がある。
「試合、見てたよ。すごかった」
竜が控えめにエレンへ鼻を寄せた。ゴロゴロと鳴く竜を、エレンは優しく撫でる。
「あなたもね。あんなに高く跳躍できるって知らなかった」
「エレンを乗せているときは、落とさないように飛んでいるからな」
「そうだよね。急旋回されたら、きっと振り落とされるわ」
褒められていると感じた竜は、エレンの頬に己の頬をこすりつけた。くすぐったいと笑うエレンが可愛い。
癒される光景を見ていると、今日の疲労が体にのしかかってくるようだった。気が抜けたのだろう。朝からずっと緊張が続いていた。
「ディー? 疲れてる?」
喋らないディートリヒを心配して、エレンがそばに来た。
「ええと……疲れているときは、ハグすると効果的ってベティーナが言っていたんだけど……どうする?」
「あいつは何を教えているんだ……」
褒めると絶対にベティーナは調子に乗るだろう。
エレンは恥ずかしそうに両手を広げた。
触れてもいいと思ってくれている。恋人でなくても抱擁はできる、だから思い上がってはいけないと、冷静な自分が戒めてくる。
竜は空気を読んで、自分から厩舎へ歩いていった。
エレンを抱きしめると、わずかに彼女の体がこわばった。やはり不快だったのかと不安になりかけたが、ためらいがちにディートリヒの背中へ回されたエレンの手が、離れようとする決意を消した。
「ディー」
「ん?」
「優勝おめでとう」
「エレンが応援してくれたおかげだ」
どんな名誉や称賛よりも、彼女がかけてくれる言葉のほうが、一番嬉しい。
ディートリヒと竜について補足(本編に組み込めませんでした)
竜と仲良くなって心で繋がるために、竜騎士見習いは自分の竜が孵化すると話しかけたり歌を歌ってあげます。童話の読み聞かせも効果的。
ある日、話しかけるネタに困ったディートリヒは、エレオノーラとの思い出話を自分の竜に聞かせました。そのため竜はエレオノーラのことを「会ったことはないけれど親しみを感じる人」として刷り込まれてしまいました。最初からエレオノーラに懐いているのは、ディートリヒによる英才教育の賜物です。
西の砦では、ディートリヒと竜は裏でこんな会話をしていました。
「エレンと一緒に帰ることになった」
「本当!? みんなで帰るんだ! 嬉しいね! 僕ね、ちゃんと大人しく飛べるよ! エレンは騎士じゃないから、大切に運んであげないとね! ねえいつ出発するの? 今? 早く帰りたいなぁ!」
「落ち着け」




