遠回りな情熱4
「教え子に負けたことよりも、誓約の印を巻いて出てきたことに驚いたね、俺は」
決勝の対戦相手だった元教官は、そう言ってディートリヒの肩を叩いた。
試合のあと、晩餐会の会場へ移動したディートリヒは、そこで元教官に会った。決勝戦で敗れて二位となった者も、健闘を讃えるという名目で招待されているそうだ。
晩餐会は迎賓館で行われることとなった。豊富な湧き水を使った人工の滝や、季節の移ろいを感じられる皇国式の庭園で有名な場所だと聞いている。迎賓館までは竜に騎乗して来てもいいと許可が出たので、帰りのことも考えて乗ってきた。
どうせ地上は馬車で混む。空から移動したほうが早い。
出席する竜騎士たちはディートリヒと同じことを考えていたようで、用意されていた厩舎はすぐに埋まっていった。ディートリヒの竜は優勝したことにご満悦だったので、近くに元教官の竜がいても喧嘩を売るようなことはしない。預かっていてくれる厩舎係に迷惑をかけることもなさそうだ。
「竜騎士になることしか考えてなかった奴が、変わるもんなんだな」
厩舎から迎賓館内の会場までは、元教官と行くことにした。ディートリヒに竜騎士の基礎を教えてくれた相手だ。階級こそ近づいたものの、精神面ではまだ追いついていないと感じてしまう。
「俺自身は今も昔も変わってませんよ。生活に変化があっただけです」
「浮いた話が全くなくて有名だったお前が気にかけているのは誰だって、噂が飛び交っているぞ」
「九割が根拠のない憶測です。目が合ったとか、会話しているのを見たというような、日常生活から派生した妄想でしかありません」
「辛辣だな。まあ異論はないが」
会場へ入る直前、元教官はディートリヒを止めた。
「じゃあお前がローザリンデ様の婚約者候補だなんて噂は、記者どもの憶測という認識でいいか?」
「もちろん。なぜそのような話が出回っているのか理解に苦しみますが」
「赤は竜皇国では特別な意味を持つ」
「俺が皇女殿下に名を覚えてもらうために、印をつけて出場したと考える人がいるということですか。それこそ、馬鹿馬鹿しい妄想です。俺が勝利を捧げた人は、赤い瞳の女性ですよ。緑瞳の皇女殿下ではない」
初代皇帝が従えていた竜が赤い目をしていたことに由来して、皇室を表す隠語として赤色を使うことがある。ゴシップを好む記者や民衆はディートリヒが直接的な表現を避けたと想像しているようだが、間違っている上に迷惑だった。
「ほう。ローザリンデ様は白薔薇に例えられるほどの美女らしいが、興味は無さそうだな」
なんと答えるのか分かっているくせに、元教官はわざと聞いてからかってくる。
「ええ、そうですね。皇族への敬意は持っていますが、それ以外の感情はありません。一度しか話したことがない相手を、どう好きになれというのやら」
「その一度で恋に落ちる人間もいるってことだ。一目惚れとも言う」
「俺が最も理解できない感情の一つですね。性格は顔に現れると言いますが、外見だけでは分からないことのほうが多いというのに」
自分が他人から好かれやすい顔立ちだという自覚はある。下心を持って近づいてくる人と多く接してきたせいか、顔を褒められても嬉しくない。また面倒なのが来たと思ってしまう。
他人が恋に落ちるきっかけを非難するつもりはない。それぞれ幸せになればいいと考えているし、理由はなんであれ大切な人がいるのは喜ばしいことだ。ただ自分を巻き込まないでくれというだけだった。
「考え方は人それぞれだ。ところでディートリヒ、お前にとって人間の顔とは何だ?」
「個体を識別するものの一つと思っております」
簡潔に答えると、元教官は生ぬるい目で微笑んだ。
「それ、赤い瞳の彼女も知ってるのか?」
「知らないでしょうね。まあ、エレンの顔は識別部位という範疇を超えて、崇拝の域に到達しているので。少々、意味が違ってきますが」
「可哀想に。くっそ面倒な男に目ぇつけられたな」
少し失礼ではないかとディートリヒは思ったが、己の性格は聖人のように清廉潔癖とは言えないので、甘んじて受け入れることにした。
「冗談はともかく、立ち回りには気をつけろ。こんな時期にわざわざ皇族が出てきたんだ。単なる祝賀だけが目的とは思えん」
「……西側の国境で魔術師たちが暗躍しているようです。それが理由でしょうか」
「皇帝の影響力を強めて竜騎士団をまとめたいなら、皇女ではなく皇子が向いているんだがな。従えている竜が初代と同じ、赤目で白い鱗だ。皇女だと国外への対処というより、国内に向けた好感度稼ぎに出てくることが多い」
「戦いとは別の方向で影響力を与えたいということですか。確かに、迂闊なことは言えませんね」
皇族が動くときは、新聞のネタを探して記者もついて回る。国内の治安維持に一役買っている竜騎士は、良い印象を崩さないよう教育されていた。その模範となるべき幹部の自分たちが、醜態を晒すわけにはいかない。
晩餐会の席につき、早く終わってくれと思いながら待った。出席者が次々と会場に入り、最後に皇女のローザリンデがディートリヒの近くに座った。
白薔薇のようと例えられるだけあって、華やかさと清楚な雰囲気を併せ持った女性だ。愛称は艶やかな銀髪から付けられており、緑色の瞳は宝石のようだと賞賛されている。
ローザリンデがディートリヒを見つけて微笑みかけてきた。ディートリヒは礼儀として、軽く会釈をしておいた。




