遠回りな情熱2
円形の闘技場には大勢の観客が集まっていた。どこを見ても人ばかりで、あまりの多さに酔ってしまいそうだ。客席への入り口付近には、集まった客を狙った飲食物の屋台まである。どこからともなく甘い香りや香ばしい煙が漂ってきていた。
上空を見上げると、色とりどりの竜が旋回している。対抗戦に参戦するほか、会場の警備のために飛んでいるのだろう。警備と分かりやすいよう、騎士と竜は黄色のスカーフを巻いていた。
時おり、屋根がない闘技場を竜騎士たちが上から出入りしている。警備とは違う竜騎士は、おそらく出場する選手だ。混んでいる地上を使わなくてもいいので、羨ましい。
「……かなり大きな大会なんですね」
エレオノーラは思わず、隣にいたカサンドラの袖を掴んだ。油断をすると迷子になってしまいそうだ。絶対に知り合いを見失うわけにはいかない。
カサンドラは圧倒されているエレオノーラを見て、微笑ましそうに笑った。
「そうよ。西方地区の代表を決める大会ですもの。竜騎士が人気なのは、こうやって一般人も観戦できるような娯楽を提供している面もあるからよ」
「竜騎士って人気だけど、普段の生活も清廉さを求められるんだよ。モテるのはいいけど、面倒なことも多くてね」
クルトが制服の襟に触れながらぼやいた。エレオノーラの周囲には、他にも数名の竜騎士がいる。観戦どころか竜皇国にも不慣れなエレオノーラのために、案内兼護衛をしてくれるそうだ。
一般人のエレオノーラに護衛が必要なのかとディートリヒに問いかけたところ、会場では毎年のようにスリや置き引きなどの軽犯罪が発生していると言っていた。また屋台の中には無許可で高額の商品を売りつけるところもある。初めて行くエレオノーラが被害に遭わないよう、知り合いと一緒に行動したほうがいいと助言をもらった。
――会場へ来て理解できたわ。ここを一人で歩き回るなんて無理。
まだエレオノーラの顔見知りは数人しかおらず、しかも連絡を取る方法すら知らない。エレオノーラは、助言をするだけでなくカサンドラたちに手回しをしてくれたディートリヒに感謝していた。
「人が多くてお祭りみたい……こんな賑やかなところに来るなんて、何年ぶりかなぁ」
「隣国にも大きな祭りはあるわよね? この時期だと首都の花祭りとか、皇国でも有名よ」
不思議そうにカサンドラが言った。
「学生のときは勉強で忙しくて、参加したことがないんです。就職してからだと、祭りの時はいつも職場の留守番を命じられていましたから。参加した先輩たちが楽しそうに話していたから、いつか参加できるといいなって思っていたんですけど……」
「待って。それは不意打ちよ。ハンカチ出すから待って」
カサンドラは反対方向を向いて、上着のポケットを探した。クルトは目頭を押さえて下を向いている。他の騎士たちも、それぞれ暗い表情で佇んでいた。
失敗した。楽しい観戦の直前に、エレオノーラの過去を話すべきではなかった。仕事の内容ばかりで特に盛り上がりそうな話題がない。面白くない話で白けてしまったのだろう。
――当然よね。祭りに参加したことがない私の話なんて、聞くだけ無駄だわ。
エレオノーラは慌てて利点を探して言った。
「でも悪いことばかりじゃなかったんですよ。先輩たちがいないと、仕事が減ってゆっくりできましたから。お祭りの前日にお菓子を買っておいて、こっそり食べたり。いつもは忙しくて、お茶の時間なんてないんです。だから特別な日って感じで――カサンドラさん?」
無言で抱きつかれた。子供をあやすように頭を撫でられて、くすぐったい気持ちになってくる。
「対抗戦だけじゃなくて、他にも祭りはたくさんあるわ。弟の都合が悪いときは、いつでも言って。案内するから」
「あ、ありがとうございます」
自分が催し物に誘われるなんて、新鮮な体験だ。皇国にはどんな祭りがあるのか、待ち遠しくなってきた。
「俺、隊長の気持ちがちょっと理解できた気がする」
クルトは苦笑してから、そろそろ行きますかと促した。
「席は確保してあるから焦らなくてもいいんですが、途中の通路が混む前に移動しましょう」
「そうね。ところで、どこの席?」
「うちの部隊が関係者用に購入しているところです。個室に近い形状で、警備しやすいのが利点かと」
「襲撃経路が想定しやすいのはいいわね」
二人は歩きながら打ち合わせを始めたが、エレオノーラは周囲を見物するのが忙しくてあまり聞いていなかった。はぐれないようカサンドラと手を繋いで歩いていると、友達ができたようで心が踊る。
席へ向かう途中で、エレオノーラはクルトからいくつか注意点を聞いていた。
もしはぐれたら、その場を動かずに待つこと。絶対に一人で行動しないこと。トイレはカサンドラか女性の騎士に同行してもらうことだった。
「もしお嬢さんに何かあったら、俺たちが隊長に殺される。だから窮屈かもしれないが、約束してくれないか」
さすがに殺されるというのは誇張表現だと思ったが、クルトたちに迷惑をかけたくなかったので同意した。それにトイレの帰り道に迷子になるのは恥ずかしすぎる。
闘技場の門をくぐり、観客席があるというところまで階段を登っていく。降りてくる人とすれ違うには、体を横にしなければ通れないほどの幅しかない。物語に出てくる、城の隠し通路のようだ。もしくは賢者が隠れ住む塔のほうが似ているだろうかと、楽しい想像が浮かんでくる。
狭い階段や廊下に比べて、観客席があるところは空間に余裕を持たせて作られていた。出入り口の反対側は、場内が一望できるように、ほとんど壁がない。簡素な手すりを乗り越えたら、下の客席へ落ちてしまいそうだ。
場内は四つに区切られ、それぞれの場所で試合が行われていた。部門が分かれていて、新人だけの組や部隊からの選抜など種類が多い。ディートリヒは部隊長が参加する組だ。
「まだ少し時間がありそうね」
カサンドラの言葉通り、黒い竜はいない。
それぞれの竜の口や足には、袋状の覆いが付けられている。ディートリヒの職場で見たものと同じだ。カサンドラは試合だから互いの竜が傷つかないように覆っていると教えてくれた。
騎士が持っている武器も木製だ。本気で戦っているのに恐ろしいと感じないのは、実際の戦闘と違うところが多いせいだろう。
「試合を見るのは初めてよね?」
「はい。鎧をつけていない人たちは、審判で合ってますか?」
「ええ。いざという時に仲裁しないといけないから、彼らも竜に騎乗しているのよ」
他にも試合には規則があった。
四角く区切られたところから、竜の体が半分以上出た状態で仕掛けた攻撃は無効。飛翔してもいいが、闘技場の外壁より高く飛ぶと失格。騎乗している人間が落ちたら負け。竜が行動不能になっても負けになるなど、他にも細かい規則が多くて、一度で全ては覚えきれない。
「飛んでいる高さから落ちたら、大怪我になりませんか?」
「自分の身を守るために、一部の魔術を使用することは認められているわ。それに審判が浮遊魔術で致命傷は避けてくれるのよ。痛いことに変わりはないけど」
死なないだけで怪我はする。エレオノーラにはそう言っているように聞こえた。魔術師同士の試合でも、怪我人は出ていたけれど死人はいなかった。同じように死なないための対策が他にもあるのだろう。
竜騎士たちの試合を観戦しながら、カサンドラやクルトが解説をしてくれたので、次第にどこに注目すればいいのかを理解できるようになってきた。面白いことに、竜の制御も試合の判定に関係してくるらしい。
「時間内に決着がつかずに判定までもつれこんだ試合で、興奮した竜を大人しくさせられずに負ける人は多いのよ。実際の戦場では竜の統制がとれていないと、味方に被害が及ぶからね。だから試合でも重視されているわけ」
いくら騎士と回路が繋がっているとはいえ、竜は個別の生き物だ。力も人間より遥かに強く、本気で暴れられると手がつけられない。だから竜の制御は重要だった。
「もうすぐ隊長の出番ですよ」
クルトが入場口を指差した。
黒い竜を連れたディートリヒが場内へ入ってくる。座席からは遠いのであまり顔は見えなかったが、全体の雰囲気は間違いない。
すっかり見慣れてきた制服の左腕には、赤い布のようなものが巻かれている。木製の槍にも、同色の布が石突に巻いてあった。
「……あいつ、本気で勝ちにいく気だわ」
「なあ、お嬢さん。今日の朝、ディートリヒに何か言った?」
カサンドラもクルトも生暖かい目でエレンを振り返った。
「えっと……観客席から応援するね、って」
「それだけで殺る気になれるのか、あいつは」
これまでにも布を巻いた騎士は出場していた。だがディートリヒが出てきたときだけ、観客の中に困惑や歓喜の声が広がっていく。
「あの布は、どんな意味があるんですか?」
クルトはどこか羨ましそうに見下ろして言った。
「一種の決意だよ。優勝するぞって意味。もうすぐ始まるから、しっかり観戦してやってくれ」




