遠回りな情熱
エレオノーラはディートリヒの行動力を甘くみていた。先日、付与の魔術に適性があると分かったので、どこかで学べるだろうかと軽い気持ちで相談をした。そうしたら、数日も経たないうちに教師を紹介されたのだ。
「あなたがエレオノーラさん? フリーダよ。よろしくね」
優しげな雰囲気の女性は、子供たちに魔術を教えているそうだ。どこかの学校に所属しているのではなく、私塾で教鞭をとっているらしい。授業がある時間でなければ自由がきくということで、エレオノーラの教師役を引き受けてくれたと語る。
なぜ短時間で教師を見つけてきたのかと思ってディートリヒを見つめると、従姉妹だと簡単に説明された。
「他に女の教師を知らない。従姉妹なら性格も知っているし、教育実績もある。適任だ」
「ねえ、ディートリヒ君。自分以外の男と二人きりにさせたくなかったって正直に言ってもいいのよ? カサンドラから聞いたときは嘘でしょって思ったけど、あなた、重症ね」
ディートリヒは嫌そうに、あらぬ方向を見た。
「何が悪い。初対面の男と二人きりにされるのは嫌だと、常々言っていたのはフリーダだろう」
「もう。それはお見合いの話だからね? まあいいわ、そういうことにしておきましょう」
フリーダはさっそく始めましょうかと言って、エレオノーラを授業に誘った。教室は屋敷の応接室だ。学校のように机は必要ないらしい。
仕事へ行くディートリヒは残念そうに応接室を出て行った。職場へ行きたくない気持ちは、エレオノーラもよく理解できる。ただ、行ってらっしゃいと声をかけると、幸せそうに微笑んでいたから、おそらく大丈夫だろう。
本当にきついときは、無表情のまま顔が動かないものだ。
フリーダの授業は、今までエレオノーラが受けたものとはまるで違っていた。まず雑談から入ってエレオノーラがやりたいことを探し、基礎を教えるというものだった。
「魔力の分析結果はディートリヒから教えてもらったわ。この数値なら、理論上は付与職向きね」
「理論上、ですか?」
「魔術は本人の意思も反映されるのよ。いくら適性があっても、やりたくないと思っていたら、実力の半分ほどしか出せないの」
職人になりたいなら、自分の感情を制御することも大切だ。エレオノーラが火系統の魔術を使えなかったのは、過去のことが影響していたのだろう。原因だった過去を思い出した今は扱えるような気がするが、あまり使ってみたいとは思えない。
付与の方法は対象物に正しい手順で魔術を刻むだけという、単純な方法だった。だが構造が単純なほど付与した術者の力量が現れやすい。
「あとは練習を繰り返して体で覚えるしかないわ。練習用の素材を持ってきたから、最初はこれを使って。無くなったら、ディートリヒ君に言えば解決してくれるわよ」
「ありがとうございました」
フリーダが用意してくれた素材は、布や革の端切れが多かった。
「流通しているお守りは布製が多いし、革に付与できるようになれば就職先も広がるわ。竜騎士の装具はね、分業で製作しているところが多いのよ。サンタヴィルでは一人の職人が請け負うこともあったようだけど」
分業にしているのは、関わる工程を少なくして技術の習熟を短くする目的のほかに、戦争などで技術が断絶してしまうことを防止するためだという。一人が欠けても同じ工程に関わっている別の誰かが引き継ぐことで、産業全体が沈まないようにしている。サンタヴィルの悲劇から得た教訓でもあるそうだ。
「もし付与職を探したいなら、まず試験を受けないとね。一定以上の腕前だという証明があれば、就職で有利になるから」
二週間後に練習をした成果を見せてねと言って、フリーダは帰っていった。
授業の内容を思い出しながら練習をしていると、父親が仕事をしていた光景を思い出した。あの時は何をしているのか分からない作業が多かった。けれど知識を得た今では、守護の力を付与していたのかと納得した。
作業中に舞う金色の光が好きだった。自分もやりたいと言っては、父親を困らせていたように思う。
繰り返し作った守護の付与は、どれも不十分だった。作り慣れていないこともあるが、決定的な何かが足りない。父親に憧れて作るだけでは駄目らしい。
集中していると、時間が経つのを忘れてしまう。何度かマーサ達に言われて休憩をしたが、ディートリヒが帰ってくるまで止めなかった。
「エレン。やりたいことが見つかったのはいいが、もう少し休憩しながら進めたほうがいい」
応接室に積まれた不出来な加護を見たディートリヒは、エレオノーラがずっと練習していたのを見抜いていた。呆れというよりも悲しげに失敗作とエレオノーラを交互に見て言った。
「納得できるものができたら、休もうと思ってたの」
「時間を決めて、強制的に休ませたほうがいいな。マーサ、俺がいない間は頼んだ」
「かしこまりました」
マーサは使用人らしい微笑でうなずいた。
「でも明日からは、あまり練習出来そうにないわ」
「なぜ?」
「先生からもらった素材が、もうあまり無いの」
「この端切れか」
ディートリヒは付与してある布を一枚、山の中から拾い上げた。失敗作ばかりなので、あまり見ないでほしい。
「定着させる加工はしていないのか。これなら俺でも付与を外せるが、やろうか?」
「いいの?」
フリーダが言っていた解決とは、端切れを元通りの状態に戻すということだったのだろう。
エレオノーラが見ている前で、ディートリヒは失敗作の山に手を乗せた。ふわりと金色の粒子が昇る。付与した力が解けていく。エレオノーラの一日の成果は、数秒で跡形もなく消えてしまった。
「こんなにすぐに消せるんだ……」
「簡単な付与なら竜騎士も使う。悪意ある付与を発見したときに、自分たちで消すこともあるからな」
付与をしたものは、消えにくいように加工して完成となる。熟練者になると、加工されたものですら短時間で簡単に消してしまえるそうだ。
「ありがとう。これで明日からも練習できるわ」
「俺は厳しいからな。しっかり休憩しないと、付与を消さないぞ」
「休めだなんて、今までで一番厳しい先生ね」
休憩している暇があったら一つでも多く魔術を覚えろと言っていた、学院の教師とは正反対だ。付与を消してもらえないと練習ができないので、ここは素直に従うしかない。
明日からは休憩しつつ練習すると約束をすると、ディートリヒは疑わしそうにしていた。
「信じてくれないの?」
「エレンのことは無条件で全面的に信じたいが、寝る前にもやりそうだな、と」
「駄目?」
「駄目だ。マーサ、明日の朝までこれを厳重に保管するぞ」
そう言い切ったディートリヒは、端切れを集めて残酷なことを言った。さらに同意したマーサが、どこからともなく持ってきたカゴに端切れを詰めて、どこかへ持ち去ってしまった。
「ベティーナ、リタ。エレンが寝る前に不審なことをしないか、見張りを頼む。読書で夜更かしをしようと企んでいたら、遠慮なく本を取り上げて寝かしつけろ。必要なら魔術封じの結界を使用しても構わん」
「了解でーす」
「合法の範囲内で、最高の眠りをお届けいたします」
マーサと入れ替わりでやってきた二人のメイドが、やけに楽しそうにしていた。
この二人はエレオノーラが風邪で寝込んでいたときあたりから、なにかと身の回りのことを率先して世話をしてくる。言葉巧みにエレオノーラを甘やかしてくる、注意人物だ。彼女たちの言いなりになっていると、自堕落な人間になってしまいそうで怖い。
「そんな……寝る前の楽しみを奪う気なの!? 趣味ができたと思ったのに!」
マーサを追いかけようとしたエレオノーラは、扉のところでディートリヒに捕まった。背中が堅い壁に当たった。逃げられないようにだろう。ディートリヒは片手でエレオノーラの手を掴み、もう片方の手は肘まで壁につけて立ち塞がった。
「……今日はもう止めておけ。いくら魔力が豊富でも、常に消費し続けている状態が体にいいわけがない」
まるで口説くような距離と声音で、エレオノーラを諭してくる。心配する気持ちからの行為だとエレオノーラは解釈しようとしたが、心のどこかでは違うと思いたがっている。
「わ、分かった……今日は大人しく寝る」
エレオノーラが諦めたことで安心したディートリヒは、表情を和らげた。そっとエレオノーラの手を離し、愛おしいものを見るように微笑んだ。
目を合わせていられなくなったエレオノーラは、右下の絨毯へ視線を落とした。不自然すぎるだろうかと不安が過ぎる。心拍数が多いのは緊張しているせい。緊張は至近距離にディートリヒがいるせいだ。
頭の中を言い訳じみた言葉がぐるぐると回っている。
ディートリヒが離れた。追い詰められる前よりも距離が開いている。
「……エレン、もうすぐ竜騎士の対抗戦があるが、観に来るか? それなりに盛り上がるから、退屈はしないはず」
急に話題が変わった。何かを誤魔化すような不自然さだったが、エレオノーラも先ほどの気まずさから逃げたくて追求しなかった。
「ディーは出場するの?」
「面倒なことに、部隊長は強制参加だ」
「じゃあ行く。応援するからね」
「ん。全力で戦ってくる」
嬉しそうに微笑むディートリヒを見ていると、エレオノーラも嬉しくなってくる。
魔術師同士の訓練試合なら、隣国にいたときに何度も観戦している。おそらく試合形式に大きな違いはないだろう。
ディートリヒの職場の一角で開催されるのだと思っていたエレオノーラは、後日に予想を裏切られるとは思いもしなかった。




