間話 西の都の使用人たち
主人であるディートリヒが女性を屋敷へ招待した――未だかつて遭遇したことのない出来事に、屋敷の使用人たちは驚きを隠せなかった。
その日、ディートリヒに集められたマーサたちには、おおむねの予想がついていた。主人は意味もないことをする性格ではない。きっと前触れもなく連れてきたエレオノーラに関することを話すのだろうと。
むしろエレオノーラのことでないほうが驚きだ。父親を亡くして以来、あまり感情を表に出さなくなったディートリヒが、女性と楽しそうに談笑している姿など初めて見た。亡くなった先代のころからメイドとして仕えていたマーサは、ディートリヒ様にも心を動かされる人がいたのですねと、たいへん驚愕――微笑ましく思ったものだ。
嵐の前触れかもしれないと思ったことは、胸の内に秘めておいた。優秀な使用人とは、いついかなる時でも冷静さを失わず、失言を口にしないのだ。
「まず、体調不良の客人に的確な看病をしてくれたことに礼を言う」
使用人が注目する中で、ディートリヒが口を開いた。
「エレンには長期滞在をしてもらう予定で、ここへ連れてきた。そこで、彼女に専属でつく者を決めたいのだが」
マーサの隣で、ベティーナとリタがいち早く手を挙げた。
「はい! 私、やりたいです!」
「同じく。ベティーナ一人だけでは不備もあるでしょう。ぜひ私にも」
「一応、聞いておこう。志望動機は?」
ディートリヒの表情は険しい。迂闊なことを言えば、その場でクビを言い渡しそうな雰囲気だ。だがベティーナは怯むことなく、生来の無邪気さで答えた。
「治療薬を使うと、副作用で本性が出るって言うじゃないですか。お客様は一日中、穏やかだったので、とても楽しく看病ができました。そんな性格の人なら、今後もうまくやっていけるんじゃないかなと思って」
「補足いたしますと、私たちメイドをとても気遣ってくださるかたでした。他人に世話をされることに不慣れな様子も、たいへん可愛らしく……末長くお仕えできれば幸いです」
リタもまた、臆せず自分の意見を述べていく。この屋敷で働いている者は、ディートリヒの無愛想さには慣れきっている。表情が動かないだけで待遇は悪くない。与えられた仕事を真面目にこなしていれば、相応に評価してくれるので、むしろ自分の考えは表に出すほうが有利だった。
ディートリヒは二人の志望動機を吟味したのち、任せるとだけ言った。
「マーサ、二人の監督を」
「かしこまりました」
了承しながら、マーサには懸念していることがあった。
ディートリヒはどう見ても本気のようだが、肝心のエレオノーラはどう思っているのだろうか。断片的に仕入れた情報によると、彼女はディートリヒの昔馴染みで、隣国にいたところを保護されたらしい。
職場の待遇が悪く、殺されかけたので逃げてきた。ならばディートリヒのことを慕ってついてきたわけではない。
――きっかけがあれば、すぐに離れる程度の関係ということね。
エレオノーラが屋敷に来た当初は、よほどのことがあったのか弱りきっていた。無理強いをせず手厚く保護をしたディートリヒのことは、主として誇らしいと思う。だが守るだけでは駄目なのだ。積極的に働きかけていかないと、二人の関係は変化しない。
マーサの心配をよそに、ディートリヒは庭師となにやら話しこんでいる。
「もどかしいわ」
「とりあえずお客様に、主が優良物件だと吹き込んでおきます?」
ベティーナが好奇心を抑えきれない顔で囁いた。
「いいえ、ベティ。あのお客様は条件だけで相手を決めるような性格じゃないわよ」
リタも乗ってきた。真面目なメイドの態度は崩していないが、やはり興味があることは隠せていない。
「お二人だけの時間を過ごせるように、主の帰宅時間に合わせてエレオノーラ様を誘導しないと」
「さっさとくっつけばいいのに。お客様だって主のことを遠からず想ってる感じだしさ」
「あれはまだ無自覚の範囲内ね。下手に突くと自分の殻に閉じこもってしまうわ」
「優しく油断させて本音を引き出す作戦だね? 主を誘惑させるのは合法?」
「合法よ。上手くいくとは限らないけれど」
二人の会話が怪しくなってきた。マーサはやんわりと止めた。
「あなたたち、それは無理よ。ディートリヒ様は色々と拗らせすぎているけれど、紳士であることに変わりはないわ。お客様の魅力を引き出したところで、好感度が増すだけ。たとえ不届者に薬を盛られたとしても、精神力で抑えてしまうでしょうね」
「つまり亀みたいな速さで仲が進行する様子を見守れってことですね。拷問ですかマーサさん」
「せめて主が積極的であれば、こんなに悶々としなくても良かったのに……ためらっている間に、別の誰かに奪われたら、どうするつもりなのでしょうか」
「お前たちは何の話をしているんだ」
いつから近くにいたのか、ディートリヒが盛り上がるマーサたちを訝しんでいた。
「ディートリヒ様が懸念するようなことはありません」
「本当に?」
心の内を見透かすような視線に、隠し事が苦手なベティーナがうつむいた。疑ってくれと言わんばかりの態度だ。
「ベティーナ、正直に話せ」
「えっと……」
主が奥手すぎて見ているとイラついてます、などと言えない。主に対して本音を素直にぶちまけるようではメイド失格。優れた使用人とは、いかなる状況にも対処できるよう、常に複数の腹案をもっておくもの。そうマーサは二人に教育をしてきた。
この日のベティーナは、とっておきの逃げ道を用意していた。
「あの、ディートリヒ様とお客様の結婚式はいつですか?」
集まった使用人たちは、頬を紅潮させて言葉に詰まるという、非常に珍しいディートリヒの姿を見た。
なお、集会はディートリヒが挙動不審で去っていったので、なし崩し的に解散となった。




