思い出の在り処4
竜が騒いでいた。異変が起きている、原因は不明と要領を得ないことを伝えてくる。ディートリヒの竜が遭遇したことではなく、別の竜が主人から受け取った感情を元に、知らせてきたようだ。
場所はどこだと聞き返したが、他の竜を経由しているためか、ぼんやりとした風景しか見えなかった。判明したのは、どこかの建物内であることだけだ。
ディートリヒは机の上に広げていた報告書を片付けた。
仔竜ならともかく、大人の竜が仕事の邪魔をするために騒ぐことなどない。彼らが主人から受け取った感情を共有することは珍しく、第三者の手を借りなければ解決しないと判断したようだ。
ひとまず誰が騒ぎの中心にいるのかと尋ねると、竜はしばらく沈黙したのちにエレンとだけつぶやいた。
「隊長、困ったことになった」
開け放した執務室の入り口から、クルトが入ってきた。走ってきたらしく、肩で息をしている。
「場所は医務室か」
「その反対側だ。よく分かったな」
「エレンの名を聞いた」
ディートリヒは傍に置いていた剣を掴み、急いで執務室を出た。
「経緯はまだ分からんが、アルマがエレオノーラ嬢にちょっかいをかけたらしい。どうやらアルマが思っていた以上に刺激が強かったらしくて、拒否反応をおこして魔術の渦に閉じこもった」
医務室が近づいてきた。肌を刺すような、魔力のうねりがある。
廊下の端が凍りついて、白く濁った色をしていた。
目的の扉は外れて廊下に落ちている。その近くに怪我をしたアルマがいた。強張った表情をして、中へ入ろうとしていたが、吹き荒れる風で近づけないようだ。
騒ぎを聞きつけて他の騎士たちも集まっていたが、被害を抑える結界を使うことで精一杯だった。
アルマはディートリヒに気がつくと、立ち上がってうつむいた。
「隊長……すいません、私……」
「何をした」
「私……先入観で彼女のことを疑ってしまって、それで」
「自白の魔術でも使ったか。それとも記憶をのぞいたか?」
「両方、です」
――最悪だ。
潜入捜査の訓練を受けた者ならともかく、ただの一般人には負荷がかかりすぎる。ましてやエレンには心に見えない傷がある。耐えられなくて蓋をした記憶を無理にこじ開けられたらどうなるか。予想がつかない。
「すいません。軽率でした。彼女を落ち着かせようとしたんですが、中へ入れなくて」
「言い訳は後で聞く。中にいるのか?」
アルマは弱々しく肯定した。
室内で渦巻いているのは、風と雪のようだ。エレンは魔術があまり得意ではない。それなのに大規模な力が動いているのは、彼女が精神的に追い詰められているからだろう。自らを脅かす脅威から逃れようと、限界を考慮せずに放出しているだけだ。
こんな力の使いかたをして、無事でいられるわけがない。
――火は苦手と言っていたな。
ディートリヒは手に持っていた剣を、クルトに押し付けるようにして渡した。
「行ってくる。持っていてくれ」
「お、おい。行ってくるって、この中を?」
室内へ入ると、風の勢いが強まった。雪で前が見えにくいが、中央に人がうずくまっているのが見えた。
「エレン」
「来ないで」
エレンは両手で耳をおさえて、ぼんやりと遠くを見ていた。
「やだ……みんながいない……燃やさないで。殺さないで。生きてるよね……?」
雪の塊が肩に当たった。エレンに近づくほど、風の中に氷が混ざっている。
「エレン」
呼びかけると、エレンはディートリヒの足元を見た。
「嫌っ来ないで!」
風が止んで、冷気が床に集まってくる。急いでエレンがいるところへ走ると、後ろの床から氷の槍が突き出てきた。
泣いて叫ぶエレンを抱きしめて、魔術が使いにくいように周囲をディートリヒ自身の魔力で乱した。尖った氷が体に降ってきても、捕まえたエレンは離さなかった。
「エレン。大丈夫、敵はいない」
「いない……?」
「ああ。約束通り、エレンを守りに来た」
エレンが落ち着くように背中を撫でてやると、服の胸元を掴まれた。誰も入れないように部屋全体に結界をはり、泣いている彼女の邪魔になりそうなものは排除して待った。
服の表面に白い霜がつく。じわじわと体温が奪われていくが、エレンを刺激しないように何もしなかった。
「ディー、ごめんね。約束、守れなかった。覚えててくれたのに、私だけ忘れてたなんて」
思い出したのは、怖い記憶だけではなかったようだ。
ディートリヒはエレンの頭に頬を寄せて、優しく、しっかりと抱きしめ直した。
「いいんだ。エレンが忘れても、俺が覚えている」
「それじゃ意味ないの」
エレンは力尽きたのか、気を失ってしまった。感情で魔術を行使した反動だ。ディートリヒは頬に残っていた涙の跡を手で拭った。
結界を解除すると、周囲にざわめきが戻ってきた。ディートリヒはエレンを抱き上げてクルトを呼んだ。
「すぐに戻る。部屋の現状復帰と、アルマを隔離しておけ」
「了解」
「ジーク。悪いが、俺の竜を飛べるように準備しておいてくれ」
目が合った部下に命じると、すぐに了承して厩舎へ向かった。
アルマは黙って俯いている。
しばらく時間をおいてからでないと、アルマには向き合えそうになかった。部下が勝手なことをしてエレンを追い詰めた憤りは、自分がそばにいれば防げたと気づいて後悔に変わる。
エレンを守るどころか、危険な目に遭わせてしまった。
竜が待つ厩舎へ向かう間、ディートリヒはエレンにかける言葉を探していた。




