思い出の在り処3
ディートリヒが予想した通り、サンタヴィルの生存者だと証明して戸籍を復活させるのは時間がかかった。幸いだったのは、話を持ちかけたのが社会的に信頼されている竜騎士だったことと、ディートリヒが付き添ってくれたことだ。自分一人では担当者の質問に答えるどころか、行政に届け出ることすら思いつかなかった。
担当者は年配の男性職員だった。戦争から何年も経って現れたエレオノーラのことを、胡散臭そうに見ていた。逆の立場なら、自分も疑っただろう。特に記憶がないという自己申告は怪しすぎる。
エレオノーラをサンタヴィルの住人だったと証明できたのは、父親が職人をしていたおかげだった。
竜の装具を作るには手先の技術はもちろん、装具に簡単な守護の魔術をかける伝統があった。父親が作った鞍だと、エレオノーラが装飾だと思っていた縁のところがそれにあたる。
許可なく装具に魔術をかけるのは違法なので、職人ギルドでは魔力の特徴を記録して管理していた。そのさい、登録した職人専用の紋章が付与される。魔力は血縁者で似た特徴が出やすいため、エレオノーラの魔力を調べれば、ある程度の親子関係が証明される次第だ。
エレオノーラは最後の書類に自分の名前を記入した。集中していないと、長い間使っていたキルシュと書いてしまいそうだ。ローデンヴァルトと何度も念じながら、正確に綴ってゆく。
ディートリヒがいてくれて助かった。自分の本当の姓が違うなんて、想像すらしたことがない。危うく不正に戸籍を得ようとする犯罪者になるところだった。
全ての手続きが終わって、国民の義務を聞き終わるころには、情報の洪水に溺れそうになっていた。
「覚えることが多すぎて忘れそう……税金を納めるのは隣の国と同じだから分かるけど」
「まずは自分に関することから覚え始めて、徐々に範囲を広げればいい。試験とは違う」
それもそうかと思ったエレオノーラだったが、試験で思い出したことがあった。
「法律……覚え直さないといけないよね。この国では何が違法なのか、全く知らないよ」
特に魔術に関することは押さえておきたい。
「町の中で使用が許されてる魔術とか、あとはこの国独自の竜に関することとか。飛行を妨げてしまった時の罰則は? 就職する前に勉強から始めないと駄目だよね?」
隣国には竜を使役する魔術師はいなかった。子供が経験則で覚えて行くようなことも、エレオノーラは知らない。捕まってから、実は違法だったなんて事態になりたくなかった。
「エレン、落ち着け。法律書なら家にある。急いで覚えることも大切だが、まずはこの国に慣れるところから始めたらどうだ?」
「慣れる……」
「文字を追って知ることも重要だが、日々の生活で理解できることもある。焦っても良い結果になるとは思えない」
知っていることが増えれば職を選ぶ幅が広がると諭されて、自分が焦っていたと気づかされた。
「昼からは、魔力を調べてくれるんだよね?」
「検査官と医師が担当してくれる。医師は姉からの依頼だ。診察というよりも、話をする程度だから気負わなくてもいい」
戦いへ赴くことで心に傷を負った騎士のために、常駐している医師がいるそうだ。エレオノーラが過去を思い出すきっかけとなってくれるかもしれない。その過程で辛い現実と向き合うことになっても、医師の助けがあれば心の状態を崩さずにいられる方法も教えてもらえる。
屋敷へ戻って昼食をとったあと、制服に着替えたディートリヒと竜に乗って騎士団が駐屯している地区を訪れた。検査官と医師が待っている医務室へ行くと、まず測定器の前へと案内された。
検査官が指示をした通りに魔力を流したり、測定器に触れてみたが、どのような結果が出たのかは不明だ。検査官はほとんど無言で用紙に数値を記入するのみで、良し悪しすら言わない。
最後の検査を終えると、ようやく結果を教えてくれた。
「まだ傾向が見えた程度ですが、付与に適性がありそうな波形をしていますね。これから詳細に分析をしますけど、予想を大きく外れることはないでしょう」
「父親と同じだな」
職人だった父親は、鞍に守護の魔術を付与していた。エレオノーラも正しく練習をすれば、同じことができるようになるかもしれない。
検査官はディートリヒの言葉に頷いた。
「ほとんどの人は、親子で似た特性になります。もしお嬢さんのご両親が付与の魔術を扱う職に就いておられるなら、今後の参考にするといいでしょう」
測定器を片付けた検査官は、記入済みの用紙を持って去っていった。
「エレン。俺は仕事を片付けてくるから、医師の面談が終わったら医務室で待っていてくれ。どうしても外せない用事が終わり次第、家まで送る」
「うん」
仕事を途中で抜け出して大丈夫なのかと思ったが、ディートリヒがいないと屋敷への帰り道が分からない。仕事が終わるまで、どこかで待っていることも考えたが、部外者がいると都合が悪いこともあるだろう。
ディートリヒは医師にエレオノーラのことを頼んでから、医務室を出ていった。
「じゃあ、こっちも始めましょうか。座ってね」
小さな個室へ通されたエレオノーラは、医師と向かい合って座った。
医師はフィーネと名乗った。おっとりした喋りかたをする女性だ。仕事の内容が心に深く関わることなので、彼女のような柔らかい雰囲気の人が向いているのだろう。
「心は目に見えないからこそ、扱いが難しいの。何度か通ってもらうことになるわ。でもね、まずはそんな面倒なこととか考えずに、楽しくお喋りすることから始めましょうか」
患者から聞いたことは絶対に外部へ漏らさない、フィーネを信用してもいいと思うまでは喋らなくても構わないと言われて、緊張が少しほぐれた。
最初は軽い世間話から。フィーネが自らのことを話しているのを聞くうちに、エレオノーラも自分の過去を話してみようかという気になってきた。忘れてしまったことを思い出したいけれど、辛いことはなるべく忘れたままでいたい。そんなわがままなことでさえ、フィーネは真剣に聞いて親身になってくれた。
「今日はこれぐらいにしておこうね」
気がつけば長い時間が経過していた。体感では短く感じる。
「別の仕事で行かなきゃいけないところがあるの。あなたはここで迎えが来るまで待っていてね」
一人で残されたエレオノーラは、窓から空を飛ぶ竜を見ていた。訓練の最中なのか、空中で止まっている一頭に別の竜が攻撃を仕掛けている。使っているのは本物の槍ではなく、木製だ。竜の口や足先にもお互いを傷つけないよう、覆いがついていた。
――本当に、知らないことばかりだわ。
目にするもの全てが新鮮で興味深い。きっと隣にディートリヒやカサンドラがいたら、質問攻めにしてしまうだろう。
「あなたがエレオノーラさん?」
医務室の扉が開いて、女性の竜騎士が入ってきた。肩まである赤毛が印象的だ。真面目そうで、堅苦しい印象を受ける。
「少しだけ聞きたいことがあるの。いい?」
「でも……」
ディートリヒから医務室で待っていてくれと言われている。
「向かいの部屋なら問題ないでしょう?」
彼女はエレオノーラの答えを聞かずに出て行ってしまう。
入り口を開けておけば、ディートリヒが来ても分かるだろう。そう考えたエレオノーラは、彼女のあとをついて行った。
廊下で待っていた彼女は、先にエレオノーラを中へ通し、扉を閉めてしまった。
「あの」
「あなたは何者なの?」
背中を扉につけたまま、彼女が尋ねてくる。
「サンタヴィルの生き残りとか名乗って、いまさら出てきたけれど。敵国で何をしていた? 隊長を騙して入国してきた目的は?」
「目的……?」
自分がちゃんと過去を覚えていたら、ディートリヒを騙していないと自信を持って答えられる。隣国で関わっていたのは魔法薬の開発や製造だ。いつも下準備や雑用ばかりしていて、エレオノーラが中心となって作ったものはない。だが自分が関係している作業の延長線上に、この国の人たちが傷ついているのではないかと思うことがある。
エレオノーラは答えられなかった。彼女の、敵を見る視線が心の深いところを刺激している。
――逃げないと。
「答えられないということは、やましいことがあるのね? 今、この場で明らかにしなさい」
何かの魔術が体に絡みつく。
古い記憶が蘇ってくる。
みんな焼けて消えてしまった。
炎が迫ってくる。
逃げないといけない。
家が燃えると、怖い人たちが来る。




