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竜が舞う国4

 外商という商売の形態があることは知識として知っていたが、実際に会うのは初めてだった。隣国でも外商を使うのは富裕層のみで、エレオノーラには縁がない世界だと思っていた。


「どうせドレスはディートリヒが贈るから、今は必要ないわ。身の回りのものを一式……この服なんていいんじゃない? これは……色は似合うけれど、少し幼く見えるわね」


 メイドという職業の他人に風呂の世話をされるという拷問のあと、待っていたのは着せ替え人形になる新手のいじめだった。体のサイズを測られ、カサンドラが選ぶ服を次々と着せられていく。脱いだ服はエレオノーラにはよく分からない基準で二つに仕分けされ、片方は外商が片付け、もう片方は屋敷のどこかへ運ばれていった。


 服が終わってようやく休めると油断していると、今度は貴金属を持った外商が来た。普段使いにできる小ぶりなものをとカサンドラが慣れた様子で注文し、希望に応じた外商が同じく慣れた手つきで持参した商品を並べていく。


 ――私の月収の何ヶ月分かなぁ。


「気にしなくてもいいわ。払うのはディートリヒだから」


 エレオノーラの表情で考えていることを察したカサンドラが、先回りをして言う。


「あいつ、年頃なのに浮いた話どころか、女性男性問わず全く興味がなかったのよ。他の人なら交際費に消えているお金を、ようやく消費するだけだから気にしないで。このまま独りで老いていく気なのかしらと心配していたから、安心したわ」


 まるで婚約者のような扱いだ。エレオノーラは誤解がひどくなる前に否定することにした。


「たぶん、違います。私はディートリヒさんの怪我を治療した縁で、連れてきてもらっただけなんです。住んでいた家が火事になって、それで……同情してくださっただけだと思います」

「同情はしても家に連れてきたのは、あなたしかいないのよ。これ以上は私が言うのは野暮よね。とにかく購入費用のことは心配しないで。着の身着のまま連れてきたんだから、これぐらいはしないと」


 助けた恩にしては受け取りすぎではないかと不安なエレオノーラをよそに、カサンドラは商談を取りまとめた。


「当分の間はこれで生活できそうね。他に要るものは……あら。顔が赤いわよ」


 カサンドラはエレオノーラの頬や額に手をあて、近くにいた使用人に指示をした。


「医者を呼んで。熱があるわ。疲労かしら?」

「すいません。少し休んだら、大丈夫ですから……」


 連日の勤務と慣れないことが続いて、自分で感じている以上に疲れていたのだろう。


「駄目よ。自己判断しないで、きちんと診察してもらいなさい。二人でお出かけしたかったけれど、また今度ね」


 エレオノーラはメイドに連れられて客室に通された。自分の家よりも広い。発熱でぼんやりしてきたエレオノーラを、メイドたちは手早く着せ替え、ベッドに誘導した。


「じきに医者が参りますので、休んでお待ちください」


 何もかも世話になってしまった。


 人の手は借りずに独り立ちしないといけないのに、どんどん深みにはまっていく。ちょっと優しくされただけで体調を崩してしまうなんて、自分が情けなく感じてきた。





「えっなんで私が悪いの?」


 ヨハンナは本気で意味が分からなかった。エレオノーラを追い詰めて、あと少しで始末できたのに、彼女は外国へ逃げてしまったらしい。先輩たちは気持ち悪い羽トカゲが人間に変化して連れ去ったなんてつまらないことを言っているし、なんだか自分の周囲に妖精の魔法がかかっているようだ。


 気絶をして自宅で目を覚ました翌日、出勤したヨハンナを待っていたのは、薬草を故意に毀損したという話だった。


 あれはエレオノーラを追い出すために使っただけなのに、どうしてヨハンナが弁償しなければいけないのだろうか。誰もヨハンナの心を察してエレオノーラを遠ざけておかないから、自分で動くしかなかったのに。


「なぜって、貴重な薬草だったんだぞ。それを適当に扱ってゴミとして捨てるなんて。半分以上は保管状況が悪すぎて、薬草として使えなくなった」

「そんなの、また買えばいいじゃないですか」


 ヨハンナを叱るルーカスなんて嫌いだ。


「買えばって……いくらすると思っているんだ。その辺の小石じゃないんだぞ」


 お金にうるさいルーカスも嫌いだ。こんな調子では、結婚しても買い物をするたびに小言を言われてしまう。金銭価値観が合わない人だと事前に露呈してくれて助かった。


 ルーカスはヨハンナが付き合う候補者として失格だ。


「それに買おうと思っても、市場には滅多に出てこない。ようやく見つけて購入した素材だったのに」

「ええっあの汚い草とか枝が?」


 ルーカスは険しい顔でヨハンナを睨んだが、何も言わずにため息をついただけだった。


「俺には君のほうが信じられない。その程度の知識で、なぜ研究所に就職できたんだ」


 そう言われても、ヨハンナは用意された就職先のリストから、面白そうなところを選んだだけだ。勉強と研究しか興味がないルーカスごときに言われたくない。


「そんなことより、主任の研究室に呼び出された理由を知りたいんですけど? どうして主任がいないんですか」

「主任は君の父親を出迎えに行ったよ」

「パパが来てるの?」


 驚いた。忙しい父親が来てくれたということは、ヨハンナを助けるためだろう。いつもヨハンナが困っていたら、人を使って面倒な障害を取り除いてくれた。


 研究室の扉が開いた。主任とヨハンナの父親が入ってくる。期待して待っていたヨハンナは、父親が難しい顔のままだと気がついた。ヨハンナを見ても笑ってくれない。


「パパ……?」

「概要は聞いた。困ったことをしてくれたものだな。今回ばかりはお前を庇ってやることはできない」

「え?」

「母親にばかり教育を任せていた私も悪いが、ここまで愚かだったとは」

「彼女が就職する前にお話しした通り、研究所は託児所ではありません」


 主任が父親に何かを言っている。


「薬草の廃棄までは研究所内の問題として処理できますが、住宅街に火をつけたことは、もう我々の手に負える範囲を超えている。目撃者も複数おります」

「わ、私じゃない。私のせいじゃないっ」


 エレオノーラがいなければ、ヨハンナは何もしなかった。全て彼女のせいだ。こんなにも暗い気持ちにさせたのはエレオノーラなのに、ヨハンナが罰を受けるのはおかしいはずだった。


 今までは。


「きっかけが何であれ、放火は重罪。彼女が魔術を使用した痕跡も、複数箇所に残っている。いくら高位貴族のご令嬢とはいえ、あれだけ証拠が残っていては、言い逃れはできない」

「娘は退職させる。これで研究所は守れるかね?」

「所長とお話しなされば、おそらく。幸か不幸か、ご令嬢が関わった研究内容は世間に公表しても支障のない分野ですので」

「献金を増やせ、か。まあ政治生命が絶たれることに比べれば安いだろうな。娘のことで追及されるだろうが、激戦地送りにすれば釣り合いは取れる」


 ヨハンナが関われないところで、勝手に自分の将来が決められていく。どうしてとつぶやくと、父親は冷たい声で告げた。


「いま決めなさい。前線で戦うか、後方で支援するか。仮にも研究員だったのだから、回復薬ぐらいは作れるだろう?」

「残念ながら」


 ルーカスが首を横に振った。


「お嬢さんは何かと理由をつけて仕事を休んでおられました。その証拠に、ゴミと薬草の区別がつかないようです」

「どうしてそんなこと言うの? それにパパ、前線って何よ。私に何をさせる気?」

「戦うことでしか能力を示せないなら、前線で敵を倒してこいという意味だ。炎の魔術だけは得意だろう? トカゲ使いどもを一匹でも多く殺してきたら、王都に戻ることを許す」

「そんな、酷いよ」

「酷い? これでも温情だ。それとも次世代の魔術師を産む道具にされたいのか? 無能がこの国ではどのような扱いを受けているのか、知らないわけではあるまい」


 ヨハンナが泣いても、父親は処罰を取り消してくれなかった。所長のところへ行くと言って、さっさと部屋を出て行こうとする。


「念の為にこれをつけておく。荷物をまとめて家に帰ってきなさい。具体的な話は、それからだ」


 手首に魔術を封じる腕輪がつけられた。腕輪はヨハンナの魔力を吸収して、体の中へ入っていく。異物が入ってくる気持ち悪さに叫んで剥がそうとしたが、腕輪の侵入は止まらず、完全に見えなくなった。


 白くなめらかな肌に、ヨハンナが知らない模様が浮かび上がった。魔術を使おうとしても、模様が赤く変色するだけで何も出てこない。


「なんでこんなことするの? 私は悪くないよ。だって、誰もあの不愉快な平民を排除してくれなかったんだから、自分でやるしかないじゃない! パパだってやってることなのに!」

「私がやっているのは政治の駆け引きだ。お前は、ただ自分が気に入らないという理由だけで行動している。しかも放火で無関係な住民にも被害を与えている。謝罪だけでは彼らの怒りは治らない。目に見える形で罪を償わなければ」


 父親はもうヨハンナを見ようとしなかった。


 ――捨てられたの? 私が?


「連れ去られた所員は、どの程度まで研究所に貢献していた?」

「特にめぼしい活躍はなく、仕事も他の所員の補佐ばかりで――」


 声が遠ざかっていく。


 ふらふらと部屋を出たヨハンナは、先輩たちがいる隣室に入った。みなヨハンナが入ってきた途端に会話をやめ、手元の仕事に没頭し始める。


「ねえ、先輩」

「ご、ごめん。今日中に作らないといけない薬があって……月見茸ってどこの保管庫だったっけ? 下準備からやるなんて久しぶりだから、失敗しそうなんだよ」

「誰よ、使ったカップを置きっぱなしにしてるのは。ちょっとエレオノーラ……は、もういないんだっけ……」

「他の部署が貸し出した資料を返してくれって言ってきてるんだけど、どこに置いた?」


 いつもこんなに慌ただしくない。談笑しながら仕事をして、帰るだけだった。


 ――変わったことなんて、何もないのに?


 エレオノーラがいないことぐらいだ。彼女がやっていたことを自分たちがやらないといけなくなっただけ。


 ――それだけで、こんなに忙しくなるの?


 きっと今日だけだ。そうでないと、エレオノーラを追い出したのが間違いだったことになる。彼女は役立たずで意地悪だから、最後の最後で皆を混乱させるような仕掛けをしていったのだろう。ヨハンナはそう思った。


「ねえ、先輩。助けてほしいの」


 腕の中に入り込んだ腕輪を取ってもらおうと、近くにいた先輩に話しかけた。彼女はびくりと肩を震わせて振り返ると、無理よと首を振る。


「む、無理。私にはどうにもできないわ」

「どうして? いつも助けてくれたじゃない」

「だって、それ、その腕輪。ヨハンナのお父様が決めたことでしょう? 男爵家の私が逆らえるわけないもの」

「先輩のこと、黙ってるから!」

「黙っててもバレるわよ。それより早く帰ったほうがいいよ。あなたのお父様より遅く家に到着したら、もっと罰が重くなるかもしれないし」


 誰も相手をしてくれない。あんなに仲良くしていたのに、目をそらして話しかけられるのを避けている。


「どうして」


 なぜヨハンナは自分がこんな目に遭うのか理解できなかった。


 ――エレオノーラちゃんのせい?


 あの女に関わったから、こんなにも苦しいのだろう。あの女がいたから、ヨハンナは居場所を失った。

 あの女さえいなければ、今もヨハンナは輝いた毎日を過ごしていたのに。


 どこにいるのかと、ふと思った。

 彼女こそ、罪を償わなければいけない。

 ヨハンナを悲しませたのだから。


 探しだして、罪を認めさせないと、ヨハンナが悪いことになってしまう。

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