竜が舞う国3
遠く眼下に町が見えてきたころ、群れになって飛んでいる竜が順番に鳴いた。最初にディートリヒの竜が、続いてクルトと続き、最後にもう一度ディートリヒの竜だ。
「町にいる仲間から魔獣と間違われないように、知らせるんだよ。事前に連絡はしているんだが、改めて着陸許可をもらわないと町の中へ入れない」
面倒だとディートリヒは言うが、町の検問で順番待ちをしなくてもいいのは便利だとエレオノーラは思う。
頻繁に出張していた主任やルーカスは、王都を出入りするために許可証を申請するだけでも面倒なのに、検問では荷物の検査もあるとよくぼやいていた。エレオノーラは魔力を調べに来た検査官と一緒に王都へ入り、学院も王都の中で全て完結していたので、手続きの煩雑さは噂でしか聞いたことがない。
「でも歌ってるみたいで面白いわ」
「俺も竜騎士になる前は、そう思ってた」
ディートリヒの竜は大きくて怖い見た目に反して、好奇心旺盛な甘えん坊らしい。繋がった回路から頻繁に話しかけてくるそうだ。
「クルト、先に司令部へ行け。後から合流する」
「おい、そんな勝手に――」
ディートリヒは苦情を察して竜を旋回させ、群れから離れた。広い邸宅が並ぶ区画へ向かい、一軒の屋敷の上で高度を落とし、よく手入れされた庭へ降り立った。
「誰かと思えば、行方不明になっていた愚弟じゃないの」
屋敷からディートリヒとよく似た黒髪の女性が出てきた。年齢不詳で気品ある振る舞いは、どう見ても平民には見えない。だが上流階級出身だったヨハンナのような、計算して行動している不自然さはなかった。
ディートリヒと似たような黒い制服を着ているということは、彼女も竜騎士か、関連のある職業だと思われる。
――愚弟?
ディートリヒの手を借りて竜から降りたエレオノーラは、突然現れた家族に困惑していた。
「一応、俺の姉だ」
「まあ。一応だなんて、失礼な弟だこと」
「なぜこの別邸にいるのか、お聞きしてもよろしいか」
「騎士団から、行方不明だったあなたが見つかったと聞いたから、心配して来てあげたのよ。お母様も様子を聞きたがっていたし。相変わらず冷たいわね」
いつものことだけど――彼女は呆れたように言った。
「それで、そちらの女性は?」
口元は笑っているが、目元は全く笑っていない。ディートリヒは姉からの圧力にはまるで動じずに、簡単にエレオノーラを紹介した。
「ローデンヴァルト工房の、お嬢さん? 驚いた。本当に見つけてくるなんて……」
不思議と、本物かどうかは聞かれなかった。姉はエレオノーラに微笑みかけ、カサンドラと名乗った。
「覚えているかしら? あなたのお父さんは、私たちの父親が使う鞍を作ってくれていたのよ。あんなことになって、残念だわ」
「思い出話は後にしてくれ。ちょうどいい、俺は職場へ戻るから、彼女に必要なものを揃えてやってくれないか」
「ええ、きっとそう言うだろうと思っていたわ。だってどう見ても普段着ですもの。どんな経緯で攫ってきたのよ」
「誘拐ではなくて、救出だ」
「はいはい、どうせクルト君に迷惑をかけているんでしょう? さっさと行ってあげなさい」
「エレン。すぐに戻る予定だから、それまで我慢して姉の相手をしてやってくれ。不愉快ならはっきり言ってもいいから」
ディートリヒのあんまりな言葉に、カサンドラはあなたの言葉が一番の不愉快よと返した。さらに名残惜しそうにエレオノーラの手を握るディートリヒを引き剥がして鞍に乗せると、竜の尻尾の付け根を叩いて飛び立たせた。
「しばらく帰ってこなくても結構よ。私たちは仲良くやっておきますから」
「い、行ってらっしゃい……?」
優雅な見た目からは想像できないカサンドラの勢いに流され、エレオノーラはディートリヒに手を振った。ディートリヒはまだ行きたくなさそうだったが、竜がカサンドラの迫力に負け、急いで飛んで行った。
裏切り者、と竜に叫ぶディートリヒの声が聞こえたような気がしたが、きっと幻聴だろう。
「ごめんなさいね、見苦しいところを見せてしまって」
「いえ……私は大丈夫です」
先ほどの気迫が嘘のように、カサンドラは上品に笑っている。
「さあ、まずは旅の疲れを落としましょうか」
「あ、あの」
エレオノーラは疑問も持たずに屋敷内へ連れて行こうとしたカサンドラを止めた。
「何も、聞かないんですか? 私が、ディートリヒ、さんが探している人じゃないかもしれないのに」
カサンドラは予想外の質問で呆気に取られたようだが、すぐに元通りの笑顔になった。
「あなたは間違いなくディートリヒが探していた人よ。あなたのお母様そっくりなんですもの。それにね、あんなに執心していた弟が、間違えるなんて考えられないわ」
竜騎士の勘は当たるのよ――カサンドラはそう言って、エレオノーラの腕をとった。
「さあ、行きましょうか」
「い、行くってどこへ……?」
「決まってるじゃない。まずお風呂で疲れを癒して、買い物よ。着替えとか日用品とか、色々と揃えないと」
「色々と」
「任せて。あなたを素敵な淑女に変えてあげるから」
エレオノーラは、なんとなく嫌な予感がした。
* * *
呪いの影響が残っていないか検査を終えたディートリヒは、所属する竜騎士団の団長に詳細な経緯を報告していた。初老の域に差し掛かった団長は最後まで聞き終えると、厄介だなと感想を漏らす。
「呪いに耐性があるはずの竜騎士にも効果がある、か。奴らが量産していなければいいが」
「まだ実験段階のようでしたので、量産化に成功するにはまだ時間があります。幸い、呪いを受けたことで解呪に必要な手順と道具は判明しました。もし魔術師と衝突するようなことがあっても、呪いで足を引っ張られる事態は避けられるかと」
「隊長である君が呪われたのは災難だったが、彼らの情報を得られたのは大きいな」
団長は机に伏せていた紙片を取り、裏面をディートリヒに見せた。
「ところで、皇都経由で隣国から苦情が来ているぞ。この国の竜騎士が隣国で暴行事件を起こし、エレオノーラ・キルシュなる民間人を誘拐したそうだが?」
意外と仕事が早いな――ディートリヒは内心で評価した。
「誤解があるようですね。俺は緩衝地帯の巡回警備中に魔術師どもの襲撃を受けました。追撃を避けて怪我を癒すために竜脈で移動したところ、王都に迷い込んでしまった。そこでエレオノーラ・ローデンヴァルトという民間人に出会いました。彼女と交流するうちにサンタヴィルの生き残りと判明したので、共に脱出してきた次第です」
サンタヴィルはエレオノーラが生まれ育った町の名前だ。隣国の侵攻により町の大半が失われ、現在もあまり復興が進んでいない。
エレオノーラの本当の姓はローデンヴァルトだ。隣国でキルシュ姓を使っていたのは、おそらく本人が自分の姓を覚えておらず、孤児院でつけられたのだろう。
「そのような説明で彼らが納得すると思うか」
「納得していただく他ありません。現時点での記録では、俺は隣国に入国していないことになっていますし、彼らは俺に呪いをかけていない。お互い不問にするのが落とし所かと」
「相手は民間人の送還を求めているが」
「彼女は隣国へ行く気はないようですね」
エレオノーラが働いていた環境と冤罪で追い出されたことを軽く説明すると、団長は腕を組んで黙ってしまった。ついでに彼女の自宅は放火されてしまったと付け足したところ、無言で止められた。
「お前、俺が不憫な話に弱いと知ってて言ってるだろ」
「俺はこの国の人間が隣国で奴隷にされようとしているのを阻止したいだけです」
「分かった、分かったから。上には該当する女性はいないと返答しておいてやる。その代わり、保護した民間人は必要な手続きを受けさせろ。戦争の行方不明者はまだ戸籍を消されていないはずだ」
「感謝します」
団長を味方につけたディートリヒは、早く家に帰りたいと思いつつ部屋を後にした。
自らが率いる部隊の本部がある建物まで戻ったとき、部下の一人が入口で待っていた。
「隊長」
肩のあたりで赤毛を切りそろえた女性騎士は、ディートリヒを見つけると駆け寄ってきた。
「隣国から民間人を連れてきたというのは本当ですか?」
「事実だ。それが何か」
「なぜ両国間の緊張が高まっているときに、そのような危険なことを? そもそも、その民間人は信用できるのですか」
真面目なアルマらしい質問だ。
「彼女はサンタヴィルの生き残りで、俺が発見したときは生命の危機が迫っていた。だから保護をした。少々、変則的になったが」
「少々? 誘拐に近い形で連行するなんて、懲戒処分を受ける可能性もあったんですよ。しかも女性……彼女を生き残りと信じた根拠は何ですか。本人の証言だけではありませんよね?」
呪いで羽トカゲに変えられて、使い魔契約を結んだ副作用で記憶をのぞいてしまった――そんな理由を正直に話せるわけがなかった。さらに呪いのことはまだ秘匿されている。同じ部隊の人間といえど、喋るわけにはいかない。
「昔の知り合いだった。これ以上はまだ明らかにできない。彼女の身元は俺が保証する」
「そんな……」
ディートリヒは納得がいかないアルマを残して、自分の執務室へ向かった。
早く業務を片付けてエレンが待つ家に帰りたい。きっと知らない場所へ連れてこられて、不安に思っていることだろう。姉がついているから危険なことはないと思うが、やはり自分が近くで守りたかった。