冤罪2
「エレオノーラ・キルシュが薬草の密売? 何の冗談ですか、それは」
ようやく王都に帰還したルーカスは、たった今聞いたことが信じられず主任に詰め寄った。
「そう告発されたと聞いている。詳細は警備部が調査中だ」
「彼女はどこです? 俺の助手にするという話は」
「保留だ。潔白だと証明されたら、自宅謹慎を解く」
「あり得ない……」
真面目なエレオノーラが犯罪行為をするなど考えられない。さらに信じられないのは、彼女を弁護する声が聞こえてこないところだ。
主任は相変わらず部下の人間関係には無関心で、同室の仲間は巻き込まれるのを嫌って動こうとしない。彼らにとってエレオノーラは、居ても居なくても問題ない存在ということだ。
――ずっと前から目をつけていたのに。
エレオノーラに調薬を手伝ってもらうと効果が強まることに気がついてから、彼女に興味がわいた。他にもいた助手候補は脱落していったが、彼女だけは常に結果を出してくれる。人付き合いが嫌いなルーカスにも普通に接してくれる、数少ない存在だった。
自分の他には誰も、エレオノーラの能力には気がついていない。プライドだけは高い同僚たちは、自分たちの腕がいいからだと思いこんでいる。その勘違いを利用して彼女を独占しようと思っていた。
理不尽な雑用係から、ルーカスだけの助手へ。業務の負担だけでなく拘束時間も減る。驚くだろうか。それとも喜ぶだろうかと、柄にもなく緊張していた。
主任への根回しは終わって、あとは公表されるのを待つだけだったのに。
――嘘の告発したのは誰だ?
余計なことをしてくれたものだ。
ルーカスはすぐに警備部へ行って、エレオノーラの件を問い合わせた。責任者にはいくつか貸しがある。ちょっと脅せば詳細を喋ってくれた。告発した人間の名前は流石に口を割らなかったが、エレオノーラを犯人とするのは無理があるという分析結果は得られた。
――しかし証拠がないと、密売の疑いは晴らせないな。
どうか間抜けな犯人であってくれと願いながら、警備部の責任者と共に研究所のゴミ捨て場へ向かった。
「こんなところに何の用です?」
ろくに調査をしていない責任者が話しかけてきたが、ルーカスは無視して手袋をはめると、捨てられているゴミを調べた。
「見ろ、横流しされたはずの薬草が見つかったぞ」
しかも一つの紙袋の中に詰められている。中の薬草は保管状況が悪かったせいで、大半が使い物にならなくなっていた。
「売買の受け渡し場所にしているのでは?」
「ここのゴミが回収されたのは今朝。エレオノーラは今、謹慎中で自宅にいるはずだ。居場所が分かる首輪まで付けられているのに、職場に顔を出す馬鹿はいない。それとも警備部では研究所に出入りする人間を掌握していないのか?」
研究所の門前に立っているのは、警備部の人間だ。エレオノーラが謹慎中だという情報は、当然ながら知っているはずだった。
責任者の男は、気分を害した様子で言った。
「しかし、これだけで彼女が関与していないとは言えません」
「それをこれから証明する」
ルーカスは他にも散乱していた紙を拾い、自身が所属する部屋へ戻った。
「あっ先輩、お帰りなさーい」
扉を開けた瞬間に、甘ったるい声をかけられた。媚を売る顔で近づくヨハンナを鬱陶しく思いながらも、主任の居場所を聞いた。
「主任ならこの時間は研究室ですよぉ。それより……今度、私の家に来ませんか? 同窓会をしようって話をしていたんですけど、他の先輩たちも参加することになっちゃって、よかったら」
「悪いが、そんな暇はない」
結婚相手を捕まえるために就職した女の言うことなど聞きたくない。ルーカスはヨハンナを無視して、薬品棚から目当ての小瓶を出した。
主任がいる研究室へ向かうと、研究室の扉は開いていた。中にいた主任に呼びかけ、警備部の責任者と三人で話したいと申し出る。主任は迷いを見せたが、最終的には許可を出した。
「エレオノーラ・キルシュのことか」
「俺には、彼女がやったとは思えませんでした。それから、ゴミ捨て場からこれが」
紙袋に入った薬草を見せると、主任は眉間に皺を寄せた。
「さらに保管されているはずの、騎士団との取引履歴が捨てられていました。作成した薬の帳簿も。保管期限が過ぎていない書類がゴミ捨て場にあるのは、不自然ですよね」
「……そうだな」
「それから、俺がエレオノーラに記入するよう指導した、彼女が任された仕事の履歴も」
これには警備部の責任者が反応を見せた。
ルーカスは気が付かなかったふりをして、小瓶を取り出す。
「知っていますよね、この薬。触れた人間の指紋に反応して光ります。実証実験のために、魔法薬の部署にいる人間には指紋を採取を協力しましたから。だからエレオノーラの指紋も、とうぜんデータが残っている」
さっと手帳に振りかけると、革表紙に指紋が浮かび上がった。
「エレオノーラの持ち物ですから、彼女の指紋は排除」
手帳に手をかざし、薬の効果を操作した。表面の指紋のうち、エレオノーラのものだけが消える。
「俺はずっと手袋をしていたから、指紋は付いていません。で、もう一つの指紋ですが……」
「な、何ですか、その目は」
責任者は分かりやすく動揺していた。ルーカスは自白しやすいよう、背中を押してやることにした。
「この手帳を、エレオノーラが捨てるなんてあり得ない。自身が潔白だと証明できる、唯一の品です。では何故、彼女は手放したのでしょうね? 俺は警備部の人間に、証拠として提出したのだと思っているのですが」
「そのような報告は、受けていない」
「では研究所にいる全員の指紋を採取しようか。手始めに、あんたから」
責任者は項垂れて、仕方ないだろうとつぶやいた。
「証拠になりそうなものは、全て破棄しろと命令されたんだ。上位貴族に逆らえるか? 数代前に王族が降嫁した家の、お嬢さんに」
「だが証拠を故意に破棄するのは問題がある」
ようやく主任が口を出してきた。
「薬草の横流しをしているという疑惑があったが、明確な証拠はなく、彼女は潔白だったと報告するしかあるまい」
「しかし……」
「証拠物品の破棄で、あんたを訴えてもいいんだぞ。もし例の貴族令嬢が騒いできたら、俺が紙袋に付いている指紋を採取したと言え。この件に関わっているとバレたくなければ、黙っていろと」
犯人を野放しにすることになるが、この国でまともに生きたければ、王侯貴族を敵に回さないほうがいい。むしろ恩を売って、利用するぐらい強かでないと出世など望めなかった。
子爵家の愛人の子であるルーカスには、嫌になるほど見てきた光景だ。
「で、その犯罪を唆してきたお嬢さんというのは――」
ルーカスが該当する女性の名前を告げると、責任者は無言でうなずいた。
* * *
――ちょっと、私は無関係だって言いなさいよ!
研究室の会話を盗み聞きしていたヨハンナは、警備の責任者へ向かって悪態をついた。大好きなルーカスが帰ってきて最高に嬉しい気分だったのに、頼りない責任者のせいで台無しだ。
――せっかく、あの子を追い出せると思ったのにっ。
ずっとエレオノーラが嫌いだった。魔術こそ使えないものの学生時代から成績優秀で、平民なのに目立っていた。就職してからだって、ルーカスのような将来有望な魔術師から気にかけてもらっている。
エレオノーラはずるい。
下手くそな魔術しか使えないくせに、皆が優秀だと誉めている。同室の先輩たちだって、陰ではエレオノーラがいてくれて良かった、頼りになる後輩だと言う。
主任が彼女をルーカスの助手にすると言っているのを聞いて、追い出さないといけないと思った。
よく保管庫に出入りしているから、薬草に何かあれば彼女が疑われる。薬草の密売は大罪だ。彼女がやったと言えば騒ぎになるだろう。薬草を研究所の外へ持ち出すことはできなかったから、ゴミ袋に入れて捨てたのに。ルーカスが見つけて拾ってしまった。
――エレオノーラなんかに先輩は渡さないんだからね。
最初は爵位の力があれば、ルーカスだって言うことを聞いてくれると思っていた。子爵家の、それも愛人の子という身分のくせに、いつも不機嫌そうにしていてヨハンナの願いを叶えてくれない。そんな気高い猫のような先輩を本気にさせたいと思うようになった。
氷のような心を溶かして、自分だけを求めるようにしたい。弄んで、振り回して、追いかけられるようになったら、あっさりと捨てる。自分に依存して縋ってくるルーカスなんて想像できないから、きっと現実になったら楽しいだろう。
もしかしたら他にもたくさんいる候補者の中から、ヨハンナが本気で恋をする人へ昇格してくれるかもしれない。
振り向いてくれないのは、エレオノーラがいるせい。きっと彼女がヨハンナの悪口を吹聴しているのだろう。ルーカスは研究一筋で、ちょっと世間に疎いところがある。毎日のように顔を合わせている相手から、ことあるごとに言われて信じてしまったに違いない。
ヨハンナはそっと研究室から離れた。エレオノーラの謹慎が解ける前に、決着をつけないといけない。
――どうせ警備部は私を捕まえるなんて、できないもん。
ヨハンナの父親に逆らえず、言いなりになるしかない人々は、使用人と同じだ。好きなときに命令して、便利に使ってあげないといけない。彼らは高貴な人に仕えるために生まれてきたのだから、ヨハンナを満足させるのが仕事だ。
紙袋はエレオノーラに捨てておいてと頼まれた、そう答えればいい。中身は見ていない、大切な友達からのお願いだからやっただけ。
完璧な計画に、ヨハンナは微笑んだ。
――でもどうしよう。エレオノーラちゃんは絶対に嘘の証言なんてしないよね。
ふと、証言できないようにすればいいと囁く声があった。
「もしエレオノーラちゃんが悪い人で、私が自首するように勧めたら……」
きっと反対してくる。二人で言い合ううちに、相手が激昂して攻撃してきた。自分は身を守るために応戦をするだろう。その結果、逃げられないと悟った相手は自宅に立て篭もる。
――弱ぁいエレオノーラちゃんでも、火をつけるぐらいの魔術は使えるよねっ。私を攻撃してきたけど、間違えて自分の家に火をつけちゃったことにしようかな。ドジなエレオノーラちゃん。
ヨハンナは自分で導いた答えに満足した。
――なんだ、最初から全部、燃やせばよかった。燃やした薬草の匂いが嫌いだからって、怠けちゃいけないよね。