プロローグ
「時間がない。今すぐ選んでほしい。俺と一緒に帰国するか、この国に留まって逃亡生活をするのか」
夜の森の中で、暗闇と同じ髪色をした彼は言った。金色の瞳には怒りが見てとれる。エレオノーラに向けられたものではないと知りつつも、気迫に圧倒されて思わず後ろへさがった。
非日常な出来事が続いたせいか、この光景は悪い夢の一部ではないかと錯覚してしまいそうだった。だが手首の痛みが、これは現実だとうるさいほど叫んでくる。
「逃亡……」
「非常に腹立たしいが、あいつらの追跡魔術は優秀だぞ。すぐに捕まって牢獄へ入れられるだろうな。なんの後ろ盾もない魔術師がどのような扱いを受けるのか、知らないはずはないだろう?」
次世代に優秀な魔術師を輩出するため、魔力が高い者は積極的に婚姻するよう推奨されている。それは犯罪者であっても同じだ。獄中から出られないまま、強制的に誰かと子孫を残すようお膳立てさせられる。
どうすると再度尋ねられ、エレオノーラはようやく決断した。
「……一緒に行きます」
答えた途端に、彼は冷たく近寄りがたい無表情から、柔らかい笑顔になった。先ほどまで、複数人の魔術師を相手に戦っていた姿とは別人だ。整った顔立ちのせいか親しみやすいとは言えないが、最初の頼もしくて怖い印象を変えるには十分だった。
彼はエレオノーラの背中を優しく押し、待機している竜のところへ導いた。
「帰国したら、さっそく政府に問い合わせよう。まだ死亡と断定されていないから、戸籍は残っているはずだ」
「そ、そうね。あとは就職先が見つかればいいけど」
「就職? 就きたい職業があるのか?」
「まだ無いけど、働かないと生活できないし」
「俺のところへ来ればいい」
断言した彼は、エレオノーラを竜の背中に乗せた。二人で騎乗するためとはいえ、横から抱きしめられるような姿勢になって落ち着かない。
「生活面で苦労はさせない。さすがに王族のような贅沢は厳しいが、それなりに俸給はもらっている。お前一人ぐらい、余裕で養える」
「ま、待って。性急すぎて、理解が追いつかないからっ」
彼は心から不思議そうに、何を言っているんだと首を傾げた。
「エレンは俺の呪いを解いて、助けてくれた。お前が通りがかってくれなかったら、あのまま衰弱して死んでいたんだぞ。その命の恩人が困っているのに、何もせず放り出すようなことはしない」
「それは主任たちから逃がしてくれるだけで十分だから」
そう言うと、彼は鼻で笑って不敵な表情を浮かべた。
「あの程度のことで恩を返したと思うな。俺はずっとエレンを探していたんだ。たった数分で終わるわけがない」
竜が翼を広げた。森の中を助走して、飛ぶための準備に入る。
――なんでこうなっちゃったんだろう。それにこの人が私をずっと探していたって、どういうこと?
慣れない上昇に悲鳴をあげると、エレオノーラを抱きしめる力が強くなった。知らない人のはずなのに、なぜか近くにいることが懐かしい。
混乱と先が見えない展開で泣きそうになり、エレオノーラは彼の上着を握った。