第九話
「シラナミ――」
ベニクギは動かない。重心すらも崩しはしない。ユーヤとそのメイドを守らねばならぬ立場から、そしてシラナミの手傷のほどを一目で見抜いたからだ。
「殺してはおらぬ、しかし脆いことだ。将軍家指南役といってもこの程度か」
シラナミは白壁の向こう側に落ち、埋のリーダー格らしき人物は壁の上からこちらを見る。
「さて、フツクニのロニか、こんなところで見えるとは奇遇なことだ」
黒装束たちが姿を消している。だがちゃりちゃりと金具が触れ合うような音、草鞋で土の上を歩くような音がゆっくりと動き、場に緊張を与えている。
「この場で命を頂戴しておけば、何かと面倒も無くなるというもの。そうは思わぬか、者ども」
かん、かんと金属質のものを打ち合わせる音がする。囃し立てるとともに、一人一人の動きを掴ませまいとしているのか。
「ユーヤどの、拙者から離れず」
「ベニクギ」
極小の声で話すのもユーヤの職能。眼の前の背中に向かって言う。
「刀を放り投げてくれ」
「な――」
一瞬でも、この緋色の傭兵が動揺を示すのは珍しいこと。あるいは埋に囲まれたときよりも。
「承知」
鞘から刀を抜き放ち、眼の前に投げる。がらんがらんと、夜の静寂をかき乱すほどの凄まじい音が。
一秒ほどの息を呑む気配。そして塀の上に手甲をつけた手がのぞき。
「よせ!!」
鋭い叱責。
そして全ての音が消える。歩く音も、金属の触れ合う音も。
だが明確に聞こえだした音もある。白壁の向こうからのうめき声だ。
「シラナミを……彼を助けないと」
「分かり申した。珠羅の屋敷に運び申す。医師が近くに住んでござるゆえ、すぐに人を遣らねば」
音は増えていくかのようだった。風の音が聞こえる、夜泣き鳥の声も、どこからか蛙の鳴き声も。夜が夜を取り戻していく。
今の数分の場面。最後に場を支配していたのは異世界からの放浪者だった。
ベニクギは感嘆と空恐ろしさの混ざった眼をぎゅっと閉じ、己の刀を拾い上げた。
※
数時間後。
時刻で言えば深夜0時を回った頃か、ユーヤにあてがわれた離れの一つにベニクギが訪ねてくる。メイドのカル・キは当然のように起きていて、ベニクギを迎え入れた。
「医師による処置は終わり申した。命に別状はなく、会話も可能にござる。馬葵散……つまり鎮痛薬がよく効き申した」
「妖精の治療はできるのかな」
「あれもヤオガミの国内では効果が薄いのでござる。それに体への反動も大きい。どうしても急を要するとき以外は避けるべきと医師が」
「わかった」
ベニクギは懐から懐紙を取り出す、いくらかの言葉が書きつけてあった。
「拙者が事情を聞き申した。シラナミはユーヤどのが城を辞して後、奇妙な男たちから試合を挑まれたと」
「奇妙な……」
「雷問の教練場は侍であれば誰でも出入りできる。しかしその者たちはどこか剣呑で目つきに殺気があり、その顔には見覚えがなかった。個室にて試合を受けたが、十到、つまり十問先取で十問を連続で取られて負けたとの話にござる」
「……」
ユーヤの目が細かく左右に震えていた。いくつかのことを同時並列的に考えているようだ。
人より格段に思考力が早いわけではない。考えることが日常であり、考えることの苦痛を甘受できる人間、そんな様子である。
「その者たちはシラナミに向けて、ベニクギ……つまり拙者とどちらが強いかと問うてきた。シラナミはそれはベニクギであると答え、男たちはそうかとだけ呟いて退出したと」
「それで……シラナミはこの絽台を訪ねてきたんだな、ベニクギにそのことを告げようと」
「どういうわけか、今のシラナミはきわめて不安定にござる。刀傷のせいだけではない。言葉があまりにも要領を得ぬ。よほど十到が堪えたのでござろう。必要なことは拙者が聞き出すゆえ、どうか姿をお目にかけるのはご容赦いただきたく」
ベニクギはそっと頭を下げる。それは武士の情けというものだろうか。ユーヤは親指の爪を嚙みつつこう言う。
「シラナミが落とした穂先はどうなったの」
「消えてござった。埋どもに奪われたのでござろう」
ユーヤはそこまで聞いて、思考を整理するかのように畳の目を撫でる。
「おそらく忍者たちの目的は刻刀だ。もちろん刀だけでなく、槍も含まれる」
「なんと……」
「おそらく起きたのはこういうことだ。城の中で、シラナミは正体を隠した忍者たちに勝負を挑まれた。その槍を賭けろとでも言われたんだろう」
「槍を……しかし「鯨波」は白羅院流の至宝。賭け草にできるわけがござらぬ」
「ほんの戯れのつもりで口を滑らせたのか、それとも相手の話術がきわめて達者だったのか……。とにかくシラナミは敗北し、しかし槍を渡すわけにはいかなかった。無理やりにごまかして席を立ち、ベニクギにそのことを伝えようとした」
異様な男たちのことを知らせるためでもあるし、自分の不用意な賭けをごまかすためでもある。複雑な心理が働いてのことだろう。
そう考えるとシラナミの妙な様子も納得できる。彼は精神的に極めて不安定となり、そのために不覚を取った。
「そして槍を奪われた……僕が確かめたかったのは槍が目的かどうかだ。放り投げたベニクギの刀に食指が伸ばされたが、リーダー格の男は鋭く止めた。うかつに目的以外のことをやらない、強力なプロ意識を感じる」
「ユーヤどの、あの寸刻でそこまで……」
「何もかも想像だ、根拠なんか何もない」
ユーヤが考えているのは事態の全容、その裏に潜むもの、それだけではない。
なぜこんなタイミングだったのか、である。
(この世界での忍者の実力は分からないが、武力に加えてクイズの力も備えた実行部隊。おそらく黒幕が持っている中で一番強いカードだ)
(そのカードをなぜ切った? 僕に反応したのか?)
(僕はこの国でまだほとんど行動してない。やったことと言えばクマザネ氏に会ったぐらい。となればやはり、すべての背後にいるのはクマザネ氏なのか?)
ベニクギの刀に反応したことからも、刻刀を集めることが目的の一つなのは明らかだ。それは軍事力強化の話とも合致する。
「……急がねばならないね。明日また城に行ってみよう」
「承知いたしてござる。では拙者が同行いたそう。ユーヤどのを守る戦力が必要で……」
「いかん」
戸が開け放たれる。振り向けば白い立ち姿。
髪も口ひげも、灰をまぶしたように白く染まりかけている人物。かつては長身で精悍な人物だった名残もある。ユーヤは直感で分かった。その人物がベニクギとよく似ていると。
「父上」
「ベニクギ、お前はクマザネ様より謹慎を仰せつかった身であろう。厄介事に関わるなどまかりならぬ」
声が嗄れている。ベニクギの父親ならまだ50にすら届いてない可能性もあるが、ユーヤには70を超えてるようにも見えた。着ている薄手の寝間着は皺が寄って、裾から覗くスネは骨と皮ばかりに細い。
「父上、これはヤオガミ全体の将来に関わる事態にござる。拙者はロニとして行動せねばならぬ」
「ならん。珠羅は争いごととは無縁の家系。そこから謹慎者を出したというだけで身が狭まる思い、この上それも破るというのか」
「ベニクギ、この方は」
「拙者の父君、ベニヅキにござる」
「拙者、か。この家でまでそんな武士の真似事のような口ぶりをやるのか」
ベニヅキは戸口の外に立ったまま、敷居に足を置いていない。それはこの二人の距離を思わせた。ベニクギがいかにこの家と距離を取っていたかの現れ。
身につけるもののすべて、話す言葉のすべてでこの家と離れようとしていたと察せられる。
「父上」
もう一度、今度は丹田に気を張って言う。二人の間に緋色の幕が引かれるかのようだ。
「拙者はロニを名乗った。ヤオガミで並ぶもののない唯一無二の称号にござる。もはや拙者の生き様は拙者だけのものであり、それはヤオガミに捧げられたるもの。珠羅の家がいかに大店でも、拙者の背負いたるロニの称号とは天秤にかけられぬ」
「お前とてクマザネどのより禄を受けた身であろう。そのクマザネ殿より受けた謹慎を破るのか」
「拙者はクマザネどのとすら対等。俸禄はあくまで拙者の実力の対価にござる。此度の謹慎とてあくまで自分に課したもの。必要とあらば破ることも辞さぬ。すべてはヤオガミの安寧のため」
火花が散り、畳に焦げ跡が走るような気配。
だがやはりロニの称号は絶対のものなのか、押されているのはベニヅキだと思われた。どんな言葉でもベニクギはもはや揺らがない、その予感が明白だった。
「……」
ユーヤは。
この偏屈そうな、人よりもずっと暗澹たる世界を見てきたような男は、目をそっと伏せていた。
その顔はどんな表情を浮かべるのか、どんな感情が内在するのか。もしベニクギが父親との議論に没頭していなければ、この異世界人の放つ気配に気づいただろうか。
「クイズで決めればいい」
彼が言う。その言葉は不思議な存在感を持っており、やり過ごされることがない。
「クイズだと……失礼だが、あなたは何者か」
「セレノウのユーヤ。僕がクイズを仕切る。公平な戦いだ。あなたが勝てばベニクギは謹慎を続ける。ベニクギが勝てば自由にする。この家にベニクギを留めるにはクイズしかない。受けるか」
「ユーヤどの……?」
「ベニクギ、家と禍根を残したまま大業に取り組むのは良くない。君が真のロニなら立場を利用するな。すべての困難を実力で打ち破る、それがロニであるべきだ」
ベニクギはユーヤの言葉を受け。まだわずかに悩む素振りを見せたものの、最後にはぎゅっと唇を噛んで答える。
「分かり申した、どんな勝負であろうと逃げはせぬ、それが拙者の称号なれば」
「……私も承知した。それで、どんなクイズを行うのだ」
ベニヅキも勝負に同意する。それはやはり商売人の計算高さというべきか、ベニクギを家に留める手段が勝負しかないと、すぐさま判断したように思えた。
「カル・キ、確か藍映精を持ってたね、出してくれ」
背後に控えていたメイドは、衣装入れの行李の中からそれを取り出す。
「勝負は、何ができるかクイズ」
「……それは? 何でござるか?」
「今からベニフデさんを起こして協力してもらう。僕がすべて交渉するが、僕たちに夜食を作って欲しいと頼み、その様子を撮影させてもらう。そして映像をこの離れで再生し、何ができるかを早押しで答える」
「ふむ……それはユーヤさんの土地のクイズか。似たようなクイズはヤオガミでも行われているが……」
ベニクギとベニヅキ、この父娘はそのクイズについて思考を巡らすようだった。すでに推理は始まっているはずだが、どんな思考が展開されるのか、もちろんユーヤには分からない。
(……この離れは厨房から遠い、200メーキ以上離れている。いかにロニでも煮炊きの音など聞こえるわけがない、風向きから考えて匂いも届かぬはず)
(……使用人はどちらかといえば父上の方に従っている。しかしユーヤどのの仕切りならば使用人を通じて父上に答えが伝わるなどありえぬこと。洞察においても拙者のほうが優れているはず)
「受けよう」
「承知いたしてござる」
「では、二人は勝負が始まるまでここにいてもらう。他の使用人と接触することは許されない。別々の部屋にいてもいいが、この離れはメイドに見張っててもらう。頼めるか」
「分かりました。メイドの職責に否やはなく、でございます」
そして準備は迅速に行われる。
離れの建物の中で父と娘は居場所を分けられ、メイドが外から様子を見張る。
他の使用人たちは勝負のことだけは告げられたものの、離れた建物に集められて様子を見守る。
「準備は整った」
ユーヤが告げる。
舞台となるのは庭園の中央。人工的な川に囲まれた円形の島。使用人たちは遠眼鏡を使ってその様子を見ている。
「旦那様とお嬢様が勝負だって?」
「何やら重要なことを決めるらしいが……」
「しかしお嬢様はロニだぞ、クイズでも並ぶもののない実力のはずだが……」
「いや、旦那様だってこの国で指折りの大店を預かる身だ。この勝負分からんぞ……」
「ベニクギ、お前が負ければ家で謹慎を続ける、けして約束を違えるな」
「父上、あなたこそ改めて約束するでござる。拙者が勝てば自由に動かせていただく」
二人は2メーキほどの距離を取り、視線をぶつけ合うかに思えた。
「ベニクギ、なぜそこまで反発する。私はお前のことを思って……」
「拙者はすべてのことを実力で勝ち取ってきた。自らの主君も己で決めた。あなたに決められることなど何もないでござる」
そして視線を、黒い着物の異世界人に。
「そうでござろうユーヤどの。あなたも勝負事の世界に生きるなら分かるはず。自分の生き方を自分で決められてこそ一人前にござる」
「……」
ユーヤは。
この不気味な印象の異世界人は、己の頭部がおそろしく重いかのように、ゆっくりと視線を向ける。
「……クイズができれば、何でも自由になるのが当たり前なのか?」
「……? ユーヤどの?」
「僕の出会ってきた人たちは、そうじゃなかった。誰よりも優れたクイズ王でも、みな自分の人生に翻弄されていた。生き方を見つけられなくてあがいていた。卓越した力を得るほどに、まっとうな社会から遠ざかっていくかのようだった」
「……」
「君はどっちかな、ベニクギ。あまりに強すぎる剣の腕、クイズの実力、それを持っていながら社会とうまく付き合えるのか。なぜ君は僕に味方するんだ、なぜ黒幕の側にいない。君は本当に事態に関わるべきなのか」
「ユーヤどの……」
「分からないんだ……僕にも分からない。だから証明してくれ。運命すらも、人の世のしがらみすらも打破するクイズ王が存在しうると」
ベニクギは、その異世界人に何を見たのか。この偏屈で付き合いづらい側面のある人物の奥に、どこまで深い闇を見たのか。
「……約束いたす。拙者は必ず勝利する。ユーヤどの、あなたの見てきたものが世界のすべてではないと証明してみせる」
「そうか……」
そして勝負が始まる。
人の運命すら左右する、狂乱にて深淵なるクイズの宴が。