外伝 無垢なる君と拈華の宴 13
「勝負ありだ」
ユーヤが低い声で言い、それを合図に観客の中にいたメイドたちが動く。倉庫の換気窓をすべて開放し、中に籠もっていた熱気が開放される。パルパシア側の使用人たちも動いている。
観客の中には自分の声に違和感を持つものもいただろうか。だが狂騒の中でその戸惑いはかき消される。
まだ虎鏈は起きている事象を把握できていない。手で顔を覆い、うめくように言う。
「ぐ……何をやった、音が、何かおかしい……」
「さあね」
ユーヤは肩をごきりと鳴らして立ち上がる。
「だが理解したはずだ。僕は君たちがやっていたことのすべてを解き明かした。君たちは超能力者なんかじゃない。妙な手品でみんなを騙すのはやめるんだ。今、この場で超力開発団の解散を宣言しろ」
「う、ぐ……」
ユーヤの背後に二人のメイドが控える。
二人のメイドは実のところ、いつでもユーヤをかっさらえるように構えていた。いつ虎鏈が観客をけしかけるか分からない。そして群衆はまだ戸惑いの中にあるが、虎鏈たちへの盲信を捨てていないものもいるだろう。
膠着状態が降りる。誰が何を言い出すか、誰がどう動くかでどのようにも転ぶ賽の目。
だが、それはまったく異なる方向から破られる。
「全員、その場を動くな!」
けたたましく乱入してくるのは武装した集団。ユーヤの目には大時代なものに見える鎧。鞘をかぶせられた槍。全身に赤布が散りばめられた兵士たち。
完全武装している兵士の一団が。倉庫に次々と入ってくる。観客を脇に押しのけている。
「弊具惇と夏順だな! お前たちがそうであることは調べがついている! 我々は見翁皇帝陛下の令を受けし都尉(警察)である! 神妙に縛につけ!」
群衆は強引に外に出されるか、倉庫の隅に押しやられる。けして槍の覆いは外さない。それは官警であっても必要以上にことを荒立てない意志、この世界が平和である表れか。
「……終わりか、相棒」
「そのようだ、ちと読み違えたな」
虎牢と虎鏈は、二人だけで視線を交わす。
「やれやれ、欲張りすぎたか、昨日のうちに国を出ておくべきだったな」
「予想は出来ていたのだがな。シュテンが混乱しているようだし、手入れは数日先になると思っていたが」
ぷっ、と、虎牢が何かを吹き捨てる。石の床でかあんと音を鳴らしてユーヤの足元へ。そして大勢の兵士が2人に槍を向ける。一人はユーヤたちの方へも。
「お前たちは何者か」
「気にするでない、ただの超能力者じゃ」
雨蘭が挑発的に睨みつける。部隊を率いていた男はユーヤたちに怪訝な目を向けるものの、目的以外のことをやらないというプロ意識のためか、意識的に2人を無視する。
「よし、連れて行け。この場で何が行われていたのか知らんが、解散させろ」
「はっ」
「ふむ、どうやら我らの仕事も終わりのようじゃな。ユーヤよ、我らの顔を知ってる役人がいないとも限らん。退散するか」
「ああ、そうだね、桃は念のため病院へ……」
ユーヤは何となく、足元に転がってきた笛を拾い上げる。
3リズルミーキ(約2.99センチ)ほどの笛。奇妙なことには一方に義歯がついている。おそらく歯列にかっちりと噛み合わせることで、口を閉じたままでも吹けるものと推察され。
「君たちは」
ユーヤの顔色が変わる。
兵士たちの方にずかずかと歩み寄り、強引にかき分けて中の虎鏈に呼びかける。
「君たちはこれを、どこで……いや、誰が作ったんだ、これを!」
虎鏈は。
手鎖をかけられ、上着をはぎ取られた男は、ユーヤを胡乱げに振り返る。兵士たちは事態の意味が分からず固まっている。
虎鏈は何も言わない。
その目はユーヤを見たものの、感情の起伏を面倒がるような、濁った視線を返すのみ。
それは隔絶を意味していた。もう私とお前の間に何の交渉もない。何を話す義理もないし、話す必要もないという態度。人間と獣の間にあるような隔絶。
「答えてくれ! これをどこで!」
ようやく、ユーヤを遠ざけようと兵士が腕を伸ばす。ユーヤは抗おうとしたが、藁の人形のように簡単に押しのけられる。
それを見て、虎鏈は薄く笑う。
それはプライドを守るための笑いのようでもあったし、何らかの哀れみが潜む笑いでもあった。砂地獄でもがくアリを眺めるような笑い。
そして虎鏈とユーヤはどんどんと引き離され。
ついに頭を殴られるまで、ユーヤはずっと何かを叫び続けていたーー。
※
虎牢と虎鏈という人物について、その全貌は明らかではない。
ラウ=カンが突き止めたのは、彼らが過去に存在した詐欺師と同一人物であるという事。
彼らには定まった顔も名前もなく、あらゆる国で、あらゆる手法の犯罪を行ってきた、そう推測されている。
彼らはこれから調べを受けるだろう。判明している罪状だけでも数十年は牢に繋がれる。それ以上の罪を明らかにし、裁くことが出来るか、それはもはやユーヤの関与する事象ではない。
ただ、噂だけが残る。
虎牢と虎鏈は詐欺師であった。
彼らを打ち倒したのは、本当の超能力者であった、とーー。
※
「ユーヤよ、まだ見ておるのか」
白波が舷側に当たり、泡となって砕けていく。
紅都ハイフウの港を出て30ダムミーキあまり。これより大陸の文化圏を離れ、航路が確立するより以前は帰らずの海であった海域に漕ぎ出す頃。
ユーヤは船べりにいて、ずっと笛を見ていた。
黒く艶のある金属。ユーヤにはそれが何なのか分からない。何らかの軽金属であるはずだが、どのような合金なのか判断できない。
シュテンの学者ですら判らなかった。森羅万象に通じると思える女性、今のラウ=カンの元首ですらも。
「この金属の笛は……非常に高度な技術で作られている」
全体が黒く、リード部分の反対側が義歯になっている。おそらく虎牢の歯を一本取り去り、そこにきっちりと嵌めることで口腔内で笛を吹くことができるのか。
磁器のように滑らかな手触り。かなり硬度もありそうだ。歯列に合致させるように加工することも簡単ではないだろう。
そして犬笛としての加工精度。十分な音量を出せて、唾液で濡れていてもリードが震えるように工夫されている。
これは鍛冶屋が金床で作ったものではない。もっとずっと洗練された技術が関わっている。
懐中時計が普及している文明レベルなら不可能ではないのだろうか。ユーヤの直感では、それよりさらに一段階進んだものに見える。肌感覚としては、ユーヤの知る現代技術の産物のようにも。
「ユーヤよ。実は出港の直前に情報が入ってのう。虎牢と虎鏈たちが超能力者として興行を起こす前に、どの国にいたかが分かったぞ」
「うむ、ラウ=カンの裏社会からの情報なのじゃが……」
ユーヤは双王の顔を見て。
その瞳の中に、わずかに言いにくいような気配を感じ取ってから、口を開く。
「大陸の北方の角……。職人と歴史の国。胡蝶国セレノウ」
「うむ……その通り」
それは、神秘の国。
世界で最も美しい国。卓抜なる人々の住まう国。閉鎖的であり古風な気質の残る国。王家と人々の距離が遠く、独自の社会観を築いてきた国。
ユーヤが知識として知るのはそのぐらいである。ほとんど何も知らないに等しい。セレノウの王女と結婚しているというのに。
「じゃが、セレノウで何をしておったのかは分からんかった」
「裏社会というものは国境をまたいで情報をやりとりしておるのじゃが、セレノウだけは例外的にまったく情報が入らぬ。あの国には裏社会というものが無いとも言われておる」
「あの国には伝説の名工とか、神業の職人とか呼ばれる人間が多いのじゃ。その笛もセレノウの名工が作ったものじゃろうな」
自分は、いつかその国に行けるだろうか。
自分の妻と再会できるだろうか。
セレノウという国は自分を迎えてくれるだろうか。
何も分からない。未来はあまりにも無垢である。
「どうする? セレノウに人をやって調べさせることもできるが」
「いや、いいんだ」
指を弾く。数秒後に、波間に水音ひとつ。
「超力開発団はもう解散するだろう。桃も助けられたし、事後処理もラウ=カンに預けることができた。僕たちはヤオガミのことを考えよう」
「そうか……」
ユーヤは探偵でもなければ警察でもない。
自分はただ、クイズに仕えていればいい。
超力開発団の一件について、自分のやるべきことは終わったと感じていた。
「それにしてもセレノウか、工業力ではハイアードに及ばぬと言われておるが、職人の一点ものとなると常識を超えてくるところがあるのう」
「うむ、妙な手品で悪さをする者が現れるかも知れぬ。パルパシアとしても気をつけねばな」
ユーヤもうなずく。
「そうだね……特に、あの連中は危険だった。彼らが使った手品とか洗脳の手法は、なるべく隠蔽しておきたいな」
「そうじゃな、まあ虎鏈が自分から吐くとも思えぬし、把握しておるのは我とユーヤだけじゃ。黙っておれば大丈夫じゃろう」
高度な技術を持つ人間は、時としてそれを悪用する。
その見張り役となる人間が、必要とされることもある。
思い出すのは黒衣のクイズ王。
彼女もまた世界の見張り役だった。技術を悪用させぬよう、隠蔽し続けてきた。
(……だけど、生まれてしまった技術を無かったことにはできない。いつかは、世界が新しい技術に順応しなくては)
隠蔽と公知、排除と順応。
新しいものに対して世界はどちらの態度を選ぶのか、どちらが正しいのか。
ユーヤはどちらを選ぶべきなのか。
それはまだ、答えの出せない問題である。
「……ま、一件落着、なのかな」
そういえば、という顔をするユーヤ。
「ところでユゼ。桃をパルパシアに招くんじゃなかったっけ、その話はどうなったの」
「うむ、まあ、いちおう話はしたのじゃが、あやつが活動しておるのは禁書管理地じゃからな……そこは大火の影響を受けておらぬし、今はシュテンにいたいと言っておった」
「そうなのか」
「き、気になるのかの、やはり、ほ、惚れておったのか?」
「え? 別に……」
…………。
……。
白い空気が流れる。
ユゼはユーヤの反応に一瞬戸惑うものの。
ほんの数秒で、眉間に険しいシワが寄る。
「どうしたの、ユ」
「ちょっと待て!!」
扇子で口元を隠し、猛烈なスピードで頭を回転させる。
そして、ちーんという音が全員に聞こえた気がした。
「ユーヤよ、もしかして好きと言うておったのはアベッククイズのことか?」
「ああ、そうだね、あれこそは純粋さの極み。あのクイズは無垢なんだ。無垢で愛らしくて、鉄火場のようなクイズの駆け引きと無縁な恋人たちの戯れ、だから守りたいと」
どこおん、と足を踏まれる。
「痛ったあ!」
「いいかげんにせえよユーヤよ! ユギよ! こんなやつ放っておいて下でワインでも飲むぞ!」
「う、うむ、どしたんじゃユゼよ……」
そして双王は船内に去り。
船はヤオガミへの航路をひた走り。
ユーヤはまだしばらく、悶絶しているようだった。
※
さらに、数週間の後。
「おーい桃」
シュテン大学内、白納区の禁書管理地。
ある建物では本が腐葉土のように積み重なっている。そこに入ってくるのは陸である。
中にいた桃は今日も本を読んでいた。きわどい姿の女性たちが載っている写真集のようだ。
「どうしたの陸」
「これ知ってるか、そこの購買で買ったんだけどよ、ほら新柳騒録の今週号」
それはいわゆるゴシップ紙であり、ラウ=カンにおけるあらゆる噂を収集している。扱うネタはオカルトから芸能人のスキャンダルまで幅広い。
「今週号はまだ読んでないな、何か載ってるの」
「こないだの超力開発団の事件だよ。特に手品のタネについてすげー細かく載ってんだよ。ユーヤと雨蘭の名前は出てねえけど、それ以外はほとんど全部だ」
ページを開いてみせる。予言、透視、念動力、そして精神感応について大きく紙面を割いて解説している。紫晶精を使う手法、特殊な犬笛を使う手法、解説は大量の図解を駆使している。
そして超力開発団の洗脳の手法。食事を制限させて判断力を奪う方法まで記されている。
「すっげー詳しいんだよ。ヘリウムで精神感応が妨害されたことまで書いてある。これって超力開発団の内部の人間が寄稿したんじゃねえか? みんな暗示にかかってたって言うし、恨みを持つやつもいたんだろうなあ」
「そうかもねえ」
「あ、もしかしてセレノウのユーヤかもな。あいつ超能力のタネとか見破ってたみたいだし」
「それはないよ。ユーヤさんはあまりトリックについて語りたくなかったみたい。新しい手品でクイズの世界が壊れることが怖いんだと思う」
「そーかー、あ、ちょっと猫にも見せてくるわ」
陸は建物を出ていき、桃は壁の一点に視線を向ける。どこも見てはおらず、ただ己の言葉だけを噛み締めるような一瞬。
「……知識は、公知され、共有されるべきですよね」
それがどのようなものでも。世界に生まれた新しいものならば。
共有し、咀嚼し、やがては血肉にしていく。それもまた人の強さ。
「悪書」の桃。
すべてを文章にまとめ、雑誌に送りつけた彼女は、本の海にて独白した。
「それが、世界を守るってことでしょう? ユーヤさん……」
(完)
これにて完結となります。
短い間でしたが、外伝にお付き合いいただきありがとうございました。
今年は完結作に外伝をつけていこうと思っていますので、また別の外伝もお読みいただければ幸いです。
クイズ王本編の続編もいつか始めたいのですけどね……気長にお待ちください。
ではまたどこかで。




