外伝 無垢なる君と拈華の宴 12
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地下歓楽街、游星郭とは地の底に溜まった輝ける泥。観光地であり食と興行の街、遺跡でもあり最新の文化の街でもある。
昼夜を問わず大勢がごった返す街でもあるが、その人の流れが淀んできている。
南の片隅、ある一箇所に人が集中し、何事かと遠巻きに野次馬が集まっている。その頭上を妖精の光が浮遊する。
人だかりの前の方は固着した静寂に満たされている。ぐっと固唾をのんで何かを見守る気配。それがただならぬ空気となって広がる。
次から次と、人が厚みを増していく。何も見えはしないのに。
それもまたクイズの魔力か。
それとも、勝負が放つ香気というものか。
【硬いもの】
そのお題に、ガラスの向こうの四人が静寂に沈む。
「硬いものか……石とか鉄とか」
「動物もあるんじゃないか、ヨロイガメとかズショウイルカとか」
「精神感応で当てるんだからな……少し変わった答えが選ばれるかも」
「いや、5歳の子供でも分かる言葉というルールが……」
観客席から散発的に声が上がる。
先ほどの超能力実験の時は無かった事態である。あの時は皆、岩のように押し黙っていた。今は勝負について語らずにいられない空気が流れている。
(ものの本によれば……洗脳状態にある人を解き放つには、何か別のものに熱中させるべきとも言われますね)
観客席の端、群衆に埋没している上級メイド、モンティーナはそう思考する。
(一つのものに依存している人間はそれへの執着を捨てられない。別の何かに熱中することで自分を客観視する機会が生まれる……)
(ユーヤ様、まさかこの場の人々の洗脳を解くためにこれを……考え過ぎでしょうか)
四人の答えが示される。
虎牢【ダイヤモンド】
虎鏈【金剛石、ダイヤモンド】
雨蘭【水晶】
ユーヤ【水晶】
おお、とさざ波のような歓声。それを虎鏈はひそかに睨みつける。
(騒ぐんじゃない……お前たちは静かに見ていればいいんだ)
(何も問題はない……我々の精神感応は問題なく行えている。5問だけの勝負だ、全問正解してしまえば負けはない……)
続いての問題。ガラス越しの黒板。
【カラスの巣に翡翠の卵があった、何個あった?】
カラスの巣で翡翠の卵を見つける、とはラウ=カンに伝わることわざであり、不意にもたらされた幸運、または貧乏人の家にも一つぐらい価値のあるものが眠っている、ということを意味する。
質問の内容としては「好きな数字は?」と言っているのと大差ない。出題を任された人物は問題が思い浮かばずに焦っていたが、誰もそれは気にしない。
(くだらない……だがそのシンプルな問題が好都合だ)
虎鏈は信号を待つ。虎牢と無言のままで向き合い、神経を集中させる。
(2……3……4……)
そこで、ぴくりと瞳孔を震わせる。
(反応が弱い……ちゃんと吹いたのか。4でいいのか。言葉でも送れ)
虎鏈が動かないのは信号が届いていない合図。虎牢はそれに気づいて信号を送り直す。次は言葉で。
(し、足……片方……? 違う、ちゃんと送るんだ)
文章になっていない。そして反応があまりにも弱い。ほとんど動いていない。
観客席のざわめきが意識される。時間をかけすぎている。
(くっ……4、だな、書くしかない)
黒板を示す。
虎牢【3】
虎鏈【4】
雨蘭【7】
ユーヤ【7】
「……っ!」
がん、と黒板で机を打ちつける。
そして瞬時に感情を抑える。動揺するのは絶対にまずいと分かっている。
(なぜだ……なぜ信号が届かない)
(虎牢の側に何かが……いや、やつは吹いている)
(笛の)
(笛の音が、届いていない)
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映画館の一室。
寝台のような座席に横座りで向き合う。ユーヤが語ったのは超能力のトリックについて。
「彼らのトリックの核心とは、共鳴現象だ」
「共鳴じゃと?」
「この世界は音響を考慮した建物もあるし……きっと知られているはず。ある特定の音に反応して、金属板やガラスなどが振動する現象」
「うむ知っておる。物体はそれぞれ固有の振動数に反応するのじゃな」
「そうだ。おそらく虎牢の側が笛を仕込んでいる。口腔内に隠せるほどの笛で、人間の可聴域を超えている犬笛のようなものだ。わずかに口をすぼめて音を出しているが、藍映精の映像は隙間からその奥を見ることができないからね、笛そのものは見えない」
「犬笛……獣にしか聞こえぬという笛じゃな。たしかフォゾスの狩猟民族が使うことがあるとか……」
ユーヤは双王の反応にいくぶんほっとする。共鳴現象や犬笛についてはこの世界にもある知識だった。あの超力開発団は、この世界で未発見の技術を使うわけではない。かなり高度ではあるが、既存の技術の組み合わせに過ぎなかった。
「じゃがユーヤよ、犬笛に反応するような振動板はどこにあるのじゃ」
「虎鏈の髪飾りだ」
彼は金属の棒のような髪飾りをつけていた。顔の前に垂れており、額に触れる位置に。
「あれは笛の振動数に合わせて作られている。虎牢が合図を送ると、ごく僅かに振動して虎鏈にそれが伝わる。その長さと回数が信号となるんだ」
ユゼ王女は扇子を口に当てる。これは言葉で言うほど簡単な技術ではない。
難易度としては圧倒的に虎鏈の方が難しい。あるかなしかの振動を皮膚で感じ取り、文章に解読する必要がある。
「なるほど、分かったぞ、同じ振動数の笛を使って妨害するのじゃな」
「……まず笛があって。それに反応する棒を作るというなら可能だ。何百本もの棒を用意して反応するものを探せばいい。だが棒の長さから逆算して笛を作ることは不可能だ」
口腔内で吹くこともそれなりの練習が必要だろう。そして口腔内に隠しているのなら、いざとなれば飲み込んでしまえばいい。やはりあの公開実験には一分の隙もない。見破れたとしてもそれを白日の元に晒すのは不可能なのだ。
「では……どうやって妨害するのじゃ?」
「強引な方法はいくつかあるけど……ただ勝てばいいわけじゃない。できる限りスマートに勝たなくては。そのためには、あれが必要なんだが……」
「あれ……とは」
「音を」
ユーヤは、この世界の文明レベルをかなり高いと見ている。
だがそれでも電磁気学は発達していないし、電波なども知られていない。だから、その物質があるかどうかは賭けになってしまう。
その物質が純粋に抽出されたのは、ユーヤの世界では1908年のことである。それを分離するためには高度な科学技術と、大がかりな設備が必要となる。科学水準で言えば、この世界はまだ到達していない。
だが、この世界にある特別な要素。
妖精の力があればーー。
「音を、狂わせる毒だよ」
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(なぜ届かない)
【金持ちの家にありそうなものと言えば】
出題者はお題を提示している。虎牢が信号を送っている気配もある。
だが、髪飾りがまったく動かない。
誰かの妨害という言葉が頭をよぎる。
背後の桃とかいう娘を疑ったが、まだ暗示にかかったままである。ではユーヤという人物の背後にいる男か。彼は金属の缶のようなものを腰に当てて座り込んでいる。
(あの金属の缶に意味が……? いや、何もしている気配はない)
(では、この格子とガラスの仕切りか)
(あるいはこの倉庫、それとも他に何か)
答えが、提示される。
雨蘭【階段】
ユーヤ【階段】
虎鏈たちは答えを提示できない。脂汗を浮かべて黒板を伏せるしかない。
「お、おい、どうされたんだ」
「今回は目隠しもないのに……」
「もしかして……本物の超能力者に気圧されて」
「おい、滅多なこと……」
「しかし一体、何が起きて……」
(全てだ)
ユーヤはそれを昏く認識する。
この密閉に近い空間。背後にいる立会人。そして意図的に音を出したら負けというルール。すべてごく自然に決まったことのようで、ユーヤがそれとなく誘導していたもの。
そのすべては、ある一つの仕掛けを実現させるために存在している。
それは陸の背中にあるもの。金属の缶から少しずつ放出され、空気に数パーセントだけ混ざるもの。
(カギとなる妖精は、氷晶精)
(世界最大の大学にて研究され、高位のものならマイナス200度以上を実現する妖精。それによって空気から、あるいは天然ガスから分離される気体)
その凝固点は絶対零度に肉薄するマイナス272.2度。
二酸化炭素が、酸素が、窒素が凍りつく世界においても気体として存在し、極低温環境から回収できる可能性のあるもの。
その気体の名は、ヘリウム。
ヘリウムは通常の大気よりも密度が高く、大気に混ざることで音の伝わりが良くなり、人間の耳には音が甲高くなったように聞こえる。いわゆるヘリウムボイスが起きる原因である。
これが、犬笛から放たれる音を変化させ、厳密に調整されている共鳴現象を阻害する。
そのような策が成功裏に進行している中で、雨蘭は。
暗闘と策謀を好むはずのパルパシアの王は、愕然としている虎鏈たちを見ようともしない。本来なら冷笑を送りそうな状況であるのに。
目隠しのない実験のため、余計な動きが出来ないのは当然のことである。
だが、それ以外にも。
双王をよく知るものにしか分からないほど、今の雨蘭は真剣であった。全身全霊を、ある一つの行為に傾けている。
(ユーヤよ、これは)
そして短く、悪態をつく。
(やはり、人間業ではないぞ)
※
「もう一度だ」
2人の間には蓋つきの箱。綿を詰めた木箱の中にあるのは懐中時計。ムーブメントの音は箱の中で消費し尽くされ、外に漏れない。
しばらく見つめ合って、そしてユーヤが箱を開く。
「何秒?」
「い、、1分4秒じゃ」
「よし、正解だ」
さすがは双王というべきか、一分程度ではほとんど誤差が出なくなった。ユーヤが何週間もかかった精度に数十分で到達している。
「うむ……まあ何秒経過したかぐらいは数えられるが、なんじゃったっけ、その」
「変数だ、 これから本番の練習に入るから、もう一度説明しておこう」
二人は薄暗い映写室で向かい合う。寝台のような座席には懐中時計の他に、文字が大量に書かれた紙もある。ユーヤが急ぎ用意したものだ。
それは羅針盤によく似ていた。大きな円が大量の小部屋で区切られ、それぞれの部屋に断片的な文字が入っている。
「僕の知るクイズ王は、アベッククイズで百発百中を出す手段を追求した。その中の一つが、共通の変数を持つことだ。つまり、双方が参考にできるものがあればいい。例えばその日が晴れているなら、「好きな天気は」と聞かれて両方が「晴れ」と答える。雨ならば「雨」と答える。これは天候を変数と捉えてるわけだ」
「うむ……そこまでは分かるのじゃが」
「これと同じことを文字を散りばめたボードで行う。ボードには2、3文字の言葉が散りばめられていて、たとえば「かい」という文字を参照する場合、食べ物なら「貝類」、家の中にあるものなら「階段」と答えられるんだ」
「そ、そこまでは分かるんじゃ。分かるんじゃが、その先、我らが参照するというものが」
「体内時計だ」
ユーヤはボードの中央に懐中時計を置く。その秒針の動く先に指を置き、針の動きに合わせてゆっくりと動かす。
「双方がこのボードを記憶し、互いに共通の時間感覚を持つ。頭の中で常に秒針を動かし続ける。そして狙うべき文字に差し掛かった瞬間、阿吽の呼吸で黒板を持つ。秒針は頭の中で常に動き続けて止まることがない。これを繰り返すんだ」
「そ、そのような長時間、体内時計でカウントするなど正気の沙汰ではないぞ」
「秒針が、目指すワードに差し掛かる瞬間に黒板を持つ」
がば、と黒板を持つしぐさをする。
「これをカウントの基準にするんだ。基本は僕に合わせてくれ、常に微調整を続ける」
「う、うう」
「双王なら」
ユーヤは、声に鉄の芯を持たせて言う。
「ユゼ、君ならできる。この神業でさえも成し遂げるはずだ。君は誰よりも才能にあふれた、感覚を極めし王なのだから」
※
(にわ、さか、てり、こん……)
ワードは比較的。アベッククイズに対応しやすい二文字だという。それが60種類。頭の中で秒針の先にある。
【屋根の素材と言えば】
そしてボードの中から答えに使えそうな言葉を探し、それがどの位置にあるかを考える。すべては脳内でのカウントを続けながら。並列のタスクとして行われる。
(きわ、ねな、いて、とか、はら……!)
黒板を持つ。ユーヤとの阿吽の呼吸。ユーヤが自分に合わせているのか、雨蘭がユーヤの動きを読んでいるのか、もう分からない。
雨蘭【藁】
ユーヤ【藁】
それは5問目の正解であったが。
雨蘭はもはや。何問目かも分かっていなかった。




