外伝 無垢なる君と拈華の宴 10
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過日。
アパートの一室。そこは過去の集積、思い出の牢獄、切り取られた昏い幻想。
積み上がった無数の段ボール。中身はクイズに関する資料、書籍に雑誌、アマチュアの例会についての記録、そんなものに囲まれて生きている。
部屋は七沼という人間の生き方そのもの、あらゆる場所に仕事を、クイズにまつわるものをはめ込んで、自由なスペースのすべてを埋めようとする。自分の形状を自分で定義しようとする。
かろうじて台所の周囲と寝室だけは整頓されており、ものの隙間に座椅子を置いている。七沼の向かいに座る人物は、セーラー服の女子高生。
「クイズの世界は、変わっていくと思います」
膝に毛布を乗せている。暖房はあるが、彼女は不自然な暖気を好まなかった。互いに部屋の対角線上にいて、彼女の視線はいつも真っ直ぐに己を見ている。
「通信機器……携帯電話の普及だね」
「はい、『ミラクル列島縦断クイズ』も、いつまで続けられるでしょうか」
「会場で携帯電話を使う人はいないだろう。周りの目もあるし」
「今はそうでも、将来は違います。例えば骨伝導スピーカーを使えば周りに音を聞かれずにメッセージを受け取れます。コンタクトレンズに液晶を埋め込んだり、脳波を直接やりとりする技術もいつかは実現するでしょう」
「SF的だ……確かにそういう技術のニュースもあるけど、一般に普及するのはまだずっと先のことだよ」
「そうでしょうか」
彼女は、棚黒葛は吐息を漏らす。未来について語るとき、彼女はいつも熱っぽく、うるんだ目になる。
「もし、先進的な技術が生まれたなら、それを悪用する人も現れるでしょう。七沼さんがクイズを守りたいなら、警戒すべきはそんな突出した人々、傍目には超能力者のように見える人々ですよ」
「超能力者……」
「ええ、感覚器官を機械に置き換える、脳にチップを埋め込む、そうして人生というレースで有利に立とうとする人がきっと現れます。人間の持つ力を、本来の輝きを守りたいなら、ずるは排除しなくてはいけませんね」
それは棚黒葛の予言のようでもあったし、その後の人生で見聞きしたことを、彼女との思い出に当てはめているだけにも思える。
彼女はいつも遠くを見ていた。遠い未来を夢見て、そこに彼女が立っていないことを憂いていた。未来の世界には自分の居場所はないと感じているようだった。
ふと時計を見る。もう0時を回っている。
「そろそろ休んだほうがいい。明日も学校あるんだろう」
「だめですよ、今日も、練習しないと」
「あの練習……正直なところ僕にできる気がしない。生まれ持っての感性というか、天才性がないと……」
「七沼さん。できると思うことが大切なんです」
「あれに何の意味があるんだ? 予断を挟んではいけないとは言うけど、何の役に立つか理解しておくことも……」
「さあ、練習しましょう」
足先が、棚黒葛の足の指が、七沼のズボンの裾を掴んでいる。
首筋に噛みつかれた気分になる。逆らいがたく避けがたく、逃げることもできない心境。
棚黒葛とは何者なのか。なぜあれだけの力を持ち、どこでどのように生きてきたのか。
出会ってきたクイズ王たちは皆そうだった。誰しも特別で、唐突で、世界に生まれた特異点のような人々。
アパートの一室で、闇に向かい合う。
彼女は自分に何を与えようとしているのか。なぜ与えてくれるのか。
自分はけして、彼女の高みへは昇れないのに。
「いつか、きっと意味を持ちますよ。七沼さん……」
※
セレノウのユーヤが動かせる金銭がいくらあるのか、正直なところユーヤにも分かっていない。生活の世話はメイドに任せているし、特段、高価な買い物をすることもない。
ただ一つ知っているのは、セレノウが小国であり、20億ディスケットという額を右から左に動かせる国ではないこと。
そして世界一の富裕国とも言われるパルパシアの双王、ふだん持ち歩いている宝石だけで数十億は下らない。
「ユゼさま、恩を売るチャンス」
背後で三つ編みのメイドがささやく。
「の、のーお、ユーヤ。か、貸してやってもよいぞおー、20億ぐらいぃー」
やまびこのような声で言う。
「……い、いや、パルパシアからそんな大金を借りるわけには……」
ユーヤという人間は基本的には冷静であり、たくさんのことに気を配れる人間ではある。
だがしかし、ことクイズ関係となると見境が無くなり、無茶をやらかす確率が跳ね上がる。生死の境をさ迷ったことも少なくない。
なので賭け金を倍額でどうだと言ったことも、つまりは場の勢いというやつである。
「ユゼ様」
メイドのささやき。ユーヤにも聞こえているが、それは半ば聞かせてもいる。
「別に貸さなくていいんです。あれを買いましょう。ラウ=カンの若奥様にあげてた『なんでも言うこと聞く券』ってやつ」
「おお」
「い、いや、それは」
今は別に前後不覚になっていない。だから双王に「なんでも言うこと聞く券」を売るのが危険なことは分かる。
というよりラウ=カンの彼女に渡したことも、半分以上は場の勢いである。ノリで生きていると言われても否定しにくい。
ではそのラウ=カンの彼女に借りるのはどうか。
ユーヤはラウ=カンという国を左右する問題を解決したばかり。20億ぐらいの恩は売っているだろう。
だが、彼女は皇帝が失踪した朱角典城において、実権を握るために文官とバチバチにやり合っている最中である。国庫に手を突っ込むような真似はさせられない。
他の国の王族や有力者など借りる当てはなくもないが、あと2時間しかない現状では不可能である。
つまり、ユゼに借りるしかない。それが大岩のように背中にのしかかる。
「ゆ、ユーヤよ、どーせ賭けには勝つんじゃろ。ほんの少しの間、賭けの見せ金として借りるぐらいどってことなかろう。我らパルパシアもお主にはさんざん世話になっておるし、え、遠慮せずに借りるがよいぞ」
具体的に貸すとどうなるのか、ユゼは今ひとつ考えきれていない。ただ部屋の外周に潜んでいるパルパシアの使用人たち、みな良からぬことをたくらむ目でこちらを見ている。
ユーヤはどうにか策を絞ろうとしている。虎に食い殺されそうな男が、知恵を絞って逃れようとする昔話のような。
「……」
その様子を見ていて、ふと、ユギ王女に物悲しい気分が宿る。
「……のうユーヤよ。おぬしは勢いで突き進むことがあるが、なぜあの虎どもにそんなにムキになるのじゃ?」
「ムキに……なってるかな」
「あやつらが市民を洗脳していると言うなら官警に任せればよかろう。なぜユーヤが骨を折らねばならぬ」
ユーヤの目がミリ単位で泳ぐのを、王女の瞳がとらえる。
「官警では、彼らを逮捕できるか分からないし」
「いいや、おぬしは分かっておる。20億の賭けというのがそもそもの証拠じゃ」
彼らがユゼを王族であると見抜いたとして、それを詐欺にかけようとしたり、イカサマのある対決で勝負したいなどとは、どう見ても無理無体な話というもの。
ユゼも口に出してみて理解できた。すなわち、あの超力開発団というものは限界に来ているのだ。
「今わかった。あの二人、虎牢と虎鏈は超力開発団を捨てる気なのじゃ」
背後のメイドたちがどよめく。
「稼げるだけ稼いで、またどこかの土地を流れて新しい詐欺でも行う。あの二人はそういう人間じゃ。いわば人生を超克しておる人間。かなりタチが悪いのう」
「そう……かも知れないね」
ユーヤもそれは感じていた。あの二人は特定のイデオロギーを持たない、組織に執着しない人物。
確かに卓越した力と知識を持っている。それを駆使して、詐欺をしながら旅を続けるような生粋の犯罪者。人生というレースにおいてずるをすることを厭わず、他者を出し抜きながら気ままに生きている。
そこまではっきりと言語化できていたわけではないが、あの二人を見逃せないと感じていたのは事実である。
どうしても、手の届くうちに捕まえる必要がある。
逃してしまえば部屋のどこかにいる毒虫のように、世界に不安と禍根を残すだろう。
「……僕が、なぜ彼らと戦うかの理由だが」
「うむ」
「好きだから、かな」
間。
言葉が、ユゼ王女の左耳から右耳を突き抜けて、頭骨の中にあった楽器をちりんと鳴らす。
「す、すひっ」
「初めて出会ったとき、その可憐な姿に一目惚れしたんだ。それはとても無垢で純粋で、僕は一目で惹きつけられた。愛しくてたまらなくて、この世のすべての憂いから守ってあげたいと思えた。だからこうして戦っている」
言葉がユーヤという人物の中で循環し、ユーヤの血肉となる。己で己を奮い立たせる。それは一種の修羅ではあるが、ユーヤはそのように生きている。
「だから僕が戦う。僕が守る。そう決めているんだ」
「ひ、惹かれたというのはその、クイズでか」
「そうだ。クイズこそ僕が守るべきもの。お節介かもしれないけれど、僕はクイズを守るために戦っているから」
(た、桃にそこまで惚れておったとは)
(あ、あのシュテンでの戦いでは我のほうが活躍したのに)
(やはり尻か、尻なのか)
(そーいえばパルパシアでもそうじゃった。我ら双王の異母姉、尻のでかい画商に妙に執着を)
むろん。そんなはずは無い。
完全にボタンが掛け違えられているが、互いにそれに気づくこともなく進行している。果たしてユーヤは何に対して一目惚れと言っているのか、それは誰も問いたださないまま話が進む。
「売れるものがある」
そしてそのまま次の段階へと話が転がる。覚悟の決まった目をしたユーヤが、目に意思の炎を燃やして言う。
「売れるもの……というと」
「発明品だ。僕の世界にある発明のアイデアを売る」
かつて、ある人物はユーヤは価値の塊であると言った。
彼の知るあらゆる技術、小咄や昔話、ものの形状、料理について、それらすべてがこの世界にとって莫大な価値になり得ると。
では発明品もそうであろうか。これまで、ユーヤはそのような情報をあまり語ってこなかった。売却するとまで言い出したのは初めてのことだ。
「僕の知る発明品は、シンプルな発想ながら莫大な金銭を生み出す可能性がある。それをパルパシアに売る」
言われているユゼ王女は、扇子の握りにぎゅっと爪を立てる。
「……く、クイズじゃ」
「え?」
「そのような知識、ただ買い取るのは面白うない! クイズ仕立てにして我に出題してみよ!」
背後の使用人集団はと言うと、すっかり観客の側に回っている。使用人たちは双王に振り回される人々であり、実のところは割と純粋な愛好者でもあった。
「クイズか……わかった」
ユーヤはすぐさまクイズを編む。そのように即興でゲームを作り上げるのも彼の職能の一つである。企画会議ではホワイトボードが黒くなるまでアイデアを出すことが常だった。
「では、こういうクイズはどうだ。僕が5枚のイラストを描いてみせる。僕のいた世界で生まれた発明品だ。ユゼには5枚のイラストから一つを選んでもらう、選んだものを進呈するから20億を貸してくれ」
「わ、わかった、それで勝負しようぞ」
ユゼ王女の目は血走っているが、ユーヤは己で考えたクイズのことで頭が一杯だった。
「よし、じゃあ時間もないことだし手早くやろう。パルパシアのメイドさん、すまないが書くものを持ってないかな」
「かしこまりました」
三つ編みのメイドが筆記具を渡してくれる。ユーヤは寝台のようになっている座席に腰掛け、5枚の紙を並べた。それは以下のものになる。
・風船のような袋に虫取り網に似た器具がついたもの。
・円形の扇のようなもの。
・長さが半分しかないサンダル。
・長い棒の先に座椅子のような器具がついたもの。
・半分に割れたスプーン、持ち手がピンセットのようになっている。
「……ふむ、この5枚か」
ユゼは少し目をまたたき、同じく座席に横座りして顔を近づける。
「……のうユーヤ、これってもうすでに5つの発明品を知ってしもうたことにならんか?」
「この簡単な絵だと素材も分からないし、用途も分からないだろ。どれも実在の発明品だけど、この世界だとほとんど意味を持たないものもある。選んだものについては後で説明するよ」
「ふむ、つまりこの中に「当たり」があるということじゃな」
ユゼはまじまじと見下ろす。簡略化して描かれているが、線に雑な印象はない。
「ユーヤよ、ここは我の実力を見せてやろうぞ、しっかりと見ておくが良い」
「わかった」
実のところ、ユーヤの仕込んだのは「はずれ」である。5枚の中に「はずれ」を一つ混ぜてある。
「はずれ」とは風船に網のついた器具、いわゆる「糸くずネット」である。洗濯機に浮かべ、衣類から出る細かなゴミを集めるものだ。
6000万個を売り上げたともいわれる発明界隈の王であり、一般の主婦の発明としても知られる。だが、この世界の洗濯事情はよく知らないが、まさか電気洗濯機はないだろう。浮いた網でゴミを集めるという発想が応用できそうなぐらいか。
「これじゃ」
ユゼが選ぶのは、糸くずネット。
「……理由を聞いてもいいかな」
「これが最も複雑な形状だからじゃ。高いコストをかけておるものほど利ざやが大きいのは常識というもの」
「確かに、それがこの中で最も売れた商品だ、でも……この世界にはない道具に付属する発明品だから、あまり売れないかもね」
「いいや、これが「当たり」じゃ」
自信を持って言う。
「もう少し言うならこれは持ち手がついておらぬ、持って使うものではなくどこかに設置しておくものじゃ。風船と網では耐久性があまり良くない、一定期間で買い替える必要があると見た」
「おお……」
「この世界にない道具の付属品と言うたが、ユーヤが完全に無駄なものを選択肢に入れるとも思えん。この発明品の発想は必ず役に立つ」
いくぶん落ち着きを取り戻し、扇子を大きく広げて言う。
「使い方と素材については後日、紙にまとめるが良いぞ。それとその発明品はもうパルパシアのものじゃ。よその国に教えるでないぞ」
「わかった」
ユーヤは心底感心した様子で、反り返るユゼを見あげる。
「さすがだな……これは「はずれ」のつもりだったんだけど、ユゼの意見を聞いてると、これこそが「当たり」に思えてきたよ」
「ふふん、クイズの正答誤答すら変える、それが双王とゆーもんじゃ、尊敬したか」
「ああ」
糸くずネット、ささいな発明ではある。
しかし間違いなく新しいもの、異世界からもたらされたもの。与えてしまったことへの不安が、これからも心のどこかに残る気がした。
ずるを排除するのが使命なら、今の自分はそれに当たるだろうか。
ユーヤは胸の痛みを覚える。
ユーヤだけが検察官であり、ユーヤだけが被告人、ユーヤだけが裁判官。
常に自分自身すら裁き続けている。世界のために。
そして、クイズのために。




