外伝 無垢なる君と拈華の宴 8
※
「僕よりは若手の俳優に任せた方がいい気がしますが」
「頼むよぉ七ちゃん。役者さん手配するの時間かかりそうだし、七ちゃんならあのミス・エリザベスと気心知れてるでしょう?」
急遽用意された楽屋にて、髪をヘアワックスで固め、簡単な化粧をされているのは七沼遊也。
七沼という人物は基本的には裏方であるが、必要となれば表に出る仕事もこなす。イベントでは前説などもこなしている。
「僕が通訳をやるわけですから、クイズの方はお任せします。何人かのスタッフは段取りを把握してますから」
「オッケー、まあ大丈夫でしょ」
この番組、かつては毎週のように流れていた2時間のオカルト特集であるが、今回はひときわ変わった企画が打ち出されていた。
超能力者がクイズに挑む、というものだ。そのため局のクイズアドバイザーである七沼が参加している。
と言っても早押しや書き問題ではない。超能力者が取り組めるような特異なクイズではあるが。
メイク室の片隅にはミス・エリザベスもいる。やはり一言も喋らず、蝶の仮面も黒マントも脱がない。リップだけ塗り直している。
ディレクターはその姿に興奮する。
どこの馬の骨とも知れない人物が、2時間の生放送で超能力者の春谷、泥川と戦う。傍目から見れば無謀というより無茶である。
だが、七沼の紹介ならば。
どのような無茶振りでも、七沼ならばやってのける。そういう昏い信頼をディレクターは抱いている。
おそらくは七沼もそうだろう。あの黒マントの人物に全幅の信頼を置いている。常識では不可能と思われる要望を実現してくれる存在、それに非現実的な魅力を覚える。
がちゃりと、ドアが半分開いてADが声を投げる。
「本番20分前でーす」
「オッケーすぐ行く。んじゃ七ちゃん。出番は番組後半だからよろしくねえ」
「分かりました」
ディレクターが去り、メイク担当のスタッフも退出して、残されたのは二人。
「クイズの世界に、超能力はあると思う?」
七沼が呼びかける。ミス・エリザベスは顔をわずかに傾け、蝶の仮面が天秤のように揺れる。
「ありますよ」
答える。口は思いのほか大きく開いた。声は軽やかで華やかな響き。濃いルージュを引いてはいるが、彼女はとても若い人物だと分かる。
「でも、どんな超能力も、けしてクイズを超えられません」
※
「精神感応とは人が本来持っている力、我々が成長の中で、常識という毒に触れて失われる力なのです。我々はそれを無垢な存在、赤子に学ぶことができます」
虎鏈の言葉はろうろうと響き、会場の壁に反射して残響を残す。
ユーヤは観客席を見る。みな祈るように両手を組み合わせて仰ぎ見ている。舞台から見ると、その静かな熱狂がひしひしと伝わる。彼らがみな痩せ細って顔色が悪いことも。
「赤子は母親の笑顔を見て笑いを知ると言います。それは精神の伝播。目には見えぬ精神の波動が他者へと伝わるのです。我々は母親から笑いを学び、喜怒哀楽のあらゆる感情を学んだのです」
「それはただの鏡像反応だ、テレパシーでも何でもない」
苦々しくつぶやく。
虎牢と虎鏈を最初に見たとき、ユーヤは彼らを奇術師と感じた。そしてそれ以外の印象も持った。
すなわち扇動家、宗教指導者、独裁者、多くの人間を操ることに長けた人間であると。
ユーヤは経験から知っている。抑揚や話し方、身ぶりに服装まで、彼らのそれはすべて計算されたものだ。
「ユーヤよ、机に引き出し部分がない。やはりタネを変えてきたのう」
「ああ」
「さあ、では優秀なるシュテンの学生に我々の実験を手伝っていただきましょう。まずはこの檻に、机に仕掛けがないか確認していただきたい」
ユーヤと雨蘭は無言で進み出て調べる。この檻は演出のようだが、雨蘭はこんこんと人差し指で弾く。
「ふうむ、芯まで詰まった鉄棒じゃ。特に仕掛けなどは……」
「雨蘭、コインを持ってるか」
「む、持っておるぞ」
短いスカートから革のコインケースを抜き出す。どこかに仕込んでいたらしい。
「では次に目隠しをしましょう。われわれ双方に装着してください」
黒い紅柄の桃が出てくる。捧げ持った盆には黒布で出来た目隠し。ユーヤはそれをよく確認してから、内側にコインを挟み、虎牢と虎鏈それぞれに装着する。
「顔を横に向けてはいけない。貧乏ゆすりのように音を立てる動きをしてはいけない。それと観客の皆さん。大きな音を立てないように」
観客席に向かって言うが、反応は返らない。音を出さない、という指示を実践しているわけではなく、ユーヤのことは石ころ程度にしか認識してないのだ。虎鏈がわずかに笑うような気がした。
「実験を始めましょう。セレノウのユーヤさん、我々に何か質問を」
「分かった」
ユーヤは双方にそっと近づき、机にシールを貼るように言葉を落とす。
「毛の長い動物といえば何だ、一つ書いてくれ」
二つの檻を出入りして、両方に。
(ふうむ、ここまでは何のトリックも見当たらぬ……)
雨蘭は会場の音に耳をそばだてる。
(妙な音を出している者もおらぬ……この二人も合図らしきものなど何も……)
二人はしばらく固まっている。手を膝から離すこともない。暗黒と沈黙の世界で、脳から念波を飛ばすかに見える。
二人はほぼ同時に書き始め、同時に黒板を伏せる。
「さあセレノウのユーヤさん。我々に何と質問されましたか」
「毛の長い動物と言えば、だ」
虎牢【震貂】
虎鏈【震貂】
二つの黒板が同時に立ち上がり、次の瞬間、高波のような歓声が来る。
その声には一種の強迫性があった。檻の中の二人を讃えると同時に、超能力を信じぬやからを厳しく糾弾するような響きが混ざっている。
「見ての通り同じ答えです。もちろん我々にはその事は分かっておりました。精神感応にて深く通じ合っていたのですから」
「1問だけでは終わらないんだろ」
「ええ、実験は繰り返すことで精度を増し、精神の高みへと昇っていくのです。どうぞ次のご質問を」
再び、痛いほどの静寂が降りる。観客が一斉に黙ったためだ。歓声と沈黙、その変化があまりに唐突なために脳が酩酊を起こすような気がする。
ユーヤはまた檻の中に入り、二人の近くに言葉をこぼす。
(ううむ……分からぬ。この二人、何をやっておる)
(息をするリズムかとも思った。だが二人は5メーキは離れておる。この我であっても息の音は聞こえぬ)
(先ほどのユーヤの質問は割にシンプルじゃった。震貂という答えも何らかの事前の打ち合わせで説明できなくもないが……)
ユーヤからの質問を受け、二人はまたしばし固まる。
(これじゃ、この考えるような時間)
(この時に情報をやり取りしておるのは間違いない、しかしどうやって)
そして二人同時に手を動かし、黒板に言葉を刻む。
「さあセレノウのユーヤさん。我々への質問は何でしたか」
「大陸の7カ国のうち3つ、だ」
だん、と黒板の側面を叩きつけるように立てる。
虎牢【セレノウ、フォゾス、ハイアード】
虎鏈【セレノウ、フォゾス、ハイアード】
再びの歓声。完全な沈黙から爆発のような叫び、声がユーヤたちの鼓膜に突き刺さる。
「どうやら明らかになってきたようです。我々の超能力は」
「馬鹿馬鹿しい」
突如、ユーヤの存在感が肥大する。
声に最大限の重みを乗せて、場の全員に向けて述べる。
「まったくもって下らない。何が超能力だ、こんな茶番に付き合わされるとは」
「おや、これほど明確な成功を前に、そのように仰られるのは何とも……勇気のあるお言葉ですね」
「何よりこの舞台だ」
だん、と床を踏み鳴らす。
「気づかないとでも思っているのか? あらゆる場所に人が隠れている。君たちのちょっとした体重のかけ方を暗号として受け取り、情報をやりとりしている。僕の口の動きを盗み見ている視線も感じる」
「……」
息を呑むのは雨蘭。
彼女も舞台の周辺に気を張っていたが、どこにも人が隠れている気配はない。舞台の床が不自然にきしんだり、体を揺らして体重をかけている様子もない。ユーヤは明らかに間違ったトリックを言及している。
客席にざわめきが生まれる。しかしそれはトリックの有無に関するものではなく、適当なことを言うなという非難めいた声である。ユーヤは最大限に自信ありげに話しているが、観客はそもそもトリックなど頭から考えてもいない。もし床板を剥がして、そこから人がぞろぞろ出てきたとしても同じように非難しただろう。
虎鏈はゆっくりと目隠しを外す。何とか感情を出すまいとしているが、目の端がこわばっている。
「これはこれは、いくら楊教授の代理とは言え、確たる証拠もなしにそのような」
「場所を移してもらう」
ユーヤはほとんど相手を無視して話している。虎鏈もさすがに苛立たしさを見せる。
「場所を、ですか」
「この地下街には他にもいくつかの小屋がある。ごく狭く、石造りで、窓を封印することができ、下が土の場所が望ましい。そこでもう一度実験をしてもらう」
「そのようなこと……会場を手配する手間もありますし、この場の皆さんが参加できる広さでなければ……」
「賭けを倍額にしよう。そして賭けの方法も変更する。同じ実験を僕と雨蘭でも行う」
「……? 同じ、実験を?」
「なぜこのような提案をするのか」
ユーヤが、岩を床にぶつけるような声を。
「それは! 僕たちこそが超能力者だからだ!」
空隙。
波のような非難の声に、ふいにぽっかりと空白の時間が。
「何と……おっしゃいましたか?」
「僕と雨蘭は精神感応能力を持っている。だが精神感応というのは簡単な能力じゃない。訓練を積んだ僕たちであっても百パーセントとは行かないんだ。僕は正直なところ期待していた。精神感応に目覚めた人間が他にもいたのだと嬉しかった。だが、君たちはあまりにも当たりすぎる。百パーセントというのは不自然なんだ」
ざわめき。
タライにいっぱいの豆をかき回すような音。観客が、初めてユーヤの言葉に影響されている。何が起きているのか困惑している。
「だから公平な場所で君たちに見せてやろう。本物の超能力というものを」
「ああ、つまり」
虎鏈が声に存在感を乗せて言う。場が混沌に落ちかける中、何とか己の流れを取り戻そうとしていると分かる。
「場所を変えれば、今度こそ納得していただける、と考えてよろしいか」
「そうだ、これ以上のやり直しは絶対に求めない」
「……そこまで大言壮語を並べて、もし負けたならどうなるか分かっているのか。賭けの倍額と言ったが、そうなると20億。だがそれだけでは済まない。この場の皆があなたを放置しないぞ。暴動にでもなれば、私ですら抑えきれないだろう」
虎鏈の声に怒気が混ざっている。これも今まで無かったことだ。
一見するとユーヤがペースを握ったかに見えるが、雨蘭は気が気ではない。虎鏈は動揺してはいるが、場所を移すことにためらいがないのだ。
彼らがトリックを使っていることは間違いないが、それは場所を選ぶものではないのでは、あるいは持ち運びが可能なのではないか。そう考えてしまう。
「そちらもこのイベントの段取りがあるだろう。勝負は3時間後にしよう」
「……分かりました。では3時間後に」
人が割れる。左右から槍のような視線が飛ぶ中をユーヤが歩く。雨蘭はあわててついていく。
多少の戸惑いは混ざっているが、やはりユーヤたちへの敵意も強くなっている。いつ石が飛んできても不思議ではない。
途中で固まってる陸を連れて外へ。
「……ユ、ユーヤよ、あそこまで言うということは、もうトリックは見えておるのじゃな」
その問いは、確認というより安堵を得たいという意図が混ざっていた。あの二人の使っていたトリックを、ろうろうと説明してくれるはずだと。
だが。
「……彼らは、本当の超能力者かも知れない」
「……は?」
目が点になる。
「少なくとも簡単なトリックじゃない。可能性としては浮かぶ。だがそれは、おそらく指摘できるようなトリックじゃないんだ。彼らを負かすには、超能力で上回るしかない」
「ちょ、な、何を言っておるのじゃ。超能力でって、我はそんなもの」
「大丈夫だ」
ユーヤの言葉は時としてとりとめがなく、唐突で曖昧で、彼以外には意味がつかめないことも多い。
だが彼が何かを断言する時、そこには強い柱がある。言葉を支える強い信念のような物を持っている。
「どのような超能力も、けしてクイズを超えられないから」
※
「どんな超能力も、けしてクイズを超えられません」
ミス・エリザベスはそう言う。断定的な言い方には七沼への愛嬌のようなものが潜んでいた。彼と何かを共有できることが楽しい、という空気をにじませる。
「それは……どういう意味かな」
「人の心がすみずみまで読めるとか、問題用紙の裏側を透視できるとか、そんな超能力があったとしても、ルール次第で無効化できます。本当に強いクイズ王なら、必ず超能力者にも勝てます」
なるほど、とユーヤは思う。
彼女はまるで気後れしていない。相手が仮に本物の超能力者であっても、臆さず戦うだろう。
彼女に相談を持ちかけたとき、彼女は勝てると言った。
だが、仮に春谷と泥川の超能力にトリックがあったとして、それが番組内で糾弾できるものとは限らないのだ。いっさい証拠が残らず、立証もほぼ不可能なトリックもあるだろう。
だから、クイズで上回ればいい。
この番組ならば、彼女ならば。
あのクイズならば、それが可能かもしれない。
七沼もやはり人に惹かれていた。あのディレクターが七沼を信頼するのと同じく、七沼は目の前の人物に心酔している。彼女ならば、どんな相手でも勝ってのけると。
「ところで……言われた通り紹介したけど、なんでエリザベスなの?」
「え?」
マントを肩から下ろす。
現れたのは黒のセーラー服。墨のように黒い中に流れ落ちる白いスカーフ。どんな色を挟むこともできない厳格さ。
小首をかしげる顔にはほのかな笑み。笑いのような悲しみのような、一秒ごとに移り変わる表情は彼女の難解さのためか、あるいは少女というものと七沼との隔たりのためか。
「かわいくないですか……?」
「そうかな……」
その少女が何者であったのか。
正確に答えることはこの世の誰にもできない。
クイズ戦士であり、五感を極めた人物であり、人生の困難なることに迷い、七沼と互いに惹かれ合うようで、それでいて永遠に距離の縮まらなかった人物。
棚黒葛について、確かに言えることはただ一つ。
彼女ができると言ったなら、それは必ず実現するということーー。




