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外伝 無垢なる君と拈華の宴 7

「皆さま、我らが超力開発団の集会によくぞお越しいただきました」


会場となるのは本来は音楽や演劇のための小ホールであろうか。中には長衣を着た男たちと、やはり薄手でサイドが切れ上がった格好の女性たち、そして老若男女さまざまの観客がいる。


両腕を広げ、歓喜に震えるような声で述べるのは虎鏈フーリェン。髪にキラキラとした棒状の金属を結わえ付けているのは変わらないが、薄暗い会場にてそれはことさらに輝いている。


「紅都ハイフウの歴史とは知の歴史。世界最大の大学はまさに国家の誇り。しかしてそれは完全ではありませんでした。人の持つ奥深さ、外界ではなく内界に目を向けることがなかったからです」


タオの姿が見えねえな」


ルウがつぶやく。ユーヤはそちらには視線を送らずに小さく頷く。先ほどからユーヤも探しているが見つからない。女性スタッフはかなりの数がいるが、タオは裏方なのだろうか。


周囲を見れば、みな両手を組み合わせて祈るような構え。陶酔とか恍惚という言葉が浮かぶ。


雨蘭ウーランはパルパシアの学生風であるため目立つはずだが、誰も彼女の方を見ていない。誰も自分の周りを意識しておらず、壇上だけを見ている。

後ろにいるルウもさすがに不気味なものを覚えるが、まだ具体的に言語化できない様子である。ユーヤの背中に問いかける。


「なあユーヤ、さっき言ってた匂いって何の話だ?」

「……アセトン、という薬品を知ってるかな」


声が異世界の言語に変換されるのを感じる。この世界にもアセトンに該当する薬品があるようだ。


「ああ知ってるよ。溶剤だろ」

「アセトンには独特の匂いがあるけど、人間がこれに似た臭気を発する場合がある。ケトアシドーシス。極めて体調が悪い時などに、身体が糖分を利用できなくなり、脂肪分を分解してエネルギーに変えるしかなくなる。その時にケトン体が生まれ、呼気から体外に排出されるとアセトンに似た匂いがする。腐ったリンゴのような臭いであり、人間のいわゆる「死臭」であるとも言われる」


ルウは周囲の匂いを嗅ぐ。言われてみれば確かにそのような匂いがする。


「ああ確かに……ってことは、すっげー体調の悪い人がいるってことか?」

「……僕のいた土地にも凄腕の手品師がいて、超能力者を名乗ることもあった。そういう人は多くの尊敬を集めるけど、時には宝くじを当ててほしいとか、くしものを探してほしいとか無茶な相談を受けることもあった」


虎鏈フーリェンの演説は続いている。話は抽象的で難解であり、ラウ=カンの古典を広く引用しているためユーヤにも理解できない。それを聞く人々は目を潤ませ、頬を紅潮させながらふらふらと揺れている。


「ある人物は、時として困った相談を受けることがあった。病気を治してほしい、というものだ」

「え……でもただの手品師なんだろ」

「相談に来る人はわらにもすがる思いだから、あまり無下にも扱えなくて苦労したらしいね」

「ん……というかユーヤ、あんた自分の匂いとか言ってたけど」

「徹夜が5日目ぐらいになるとアセトン臭がしてくるんだ。仕事に集中してると食事を抜くことも多くて……」


ルウはあきれかえって口を開ける。ユーヤという男が正体不明なのは最初からだが、いったいどんな仕事をしているのか。

それはともかく、合点がいったようにぽんと手を叩く。


「そっか、じゃあこの場に重病人がいるんだな。病気を治してやるとか言って集会に来させてんのか、わっりー奴らだな」

「いいや」


ユーヤは首を振る。


「最初はそうだと思った。病人を騙して集会に参加させたり、藁にも縋る人々に怪しげなものを売りつけるなら見逃せないと思った。だけど」

「だけど?」

「だけど臭いが強すぎる。これは、もっと・・・最悪な・・・事態が・・・進行してる可能性が……」


「さて、皆さん!」


虎鏈フーリェンの声が一段階高くなる。ユーヤははっと顔を上げる。今の発音は集中していないものの意識を引きつけるような意図を感じた。


「今夜、実はヤン教授はいらしておりません。御親戚に不幸があったとのことです。ヤン教授との実験を心待ちにしておりましたが、今となってはむ無し、今はただお悔やみを述べるばかりです」


音が凪いでいる。

ユーヤは周囲を見る。異常なまでの落ち着きが場を満たしている。ヤン教授が来ないことに誰も落胆していないし、興味もないかに思える。


「ですがご安心ください。ヤン教授の意思を受け継ぎ、公開実験の立ち会いを買ってでた方がおられます。そう、そこに・・・


ざざ、と波が広がる。ユーヤを中心として円形に。


「ほほう、これはこれは」


雨蘭ウーランは扇子を口に当て、その内側でにやりと笑う。パルパシアの双王とはこの世の享楽を味わい尽くす存在。ある種の展開や状況そのものに味を覚える。予想外の展開というのは間違いなく美味のたぐいだろう。


ユーヤはといえばポーカーフェイスの構えになっている。自分のことなどとっくに露見している、その可能性を考慮しないほど楽天家ではない。


「さあ壇上へどうぞ。セレノウのユーヤさん、そしてパルパシアからの留学生、雨蘭ウーランさん」


すべての人間が左右に分かれ、海が割れるような眺めとなる。


ルウ、ここにいてくれ、何か起きたら大声を出すんだ」

「だ、大丈夫なのかよ。なんかこれ、普通じゃないぞ」

「大丈夫だ。彼らは意味もなく乱暴したりしない」


言葉に根拠はない。だがそれを発言すべきと感じた。周囲の観客に言っている部分もある。


歩く。左右の人々はみな笑っている。嘲りではなく朗らかな、生まれたての赤子を見るような笑いである。一人の例外もなく同じ笑いが、左右に。


「見たところ前に立って喋っておるのは虎鏈フーリェンじゃな。あやつがリーダーということかの」

「まだ断言できない。マジックの世界では一見して助手に見える方が本当のマジシャンで、司会進行をするほうが助手ということもある」

「ふむ、確かにそんな話を聞いたこともあるのう」


壇上へ。

虎鏈フーリェンという人物はユーヤよりだいぶ背が高く、顔立ちもよく体もよく鍛えてある。けして若くはないようだが、若々しい印象を出す訓練を積んでいると感じる。

虎牢フーロウは脇に控えている。彼の表情にも立ち姿にも何の情報もない。意図的に自身を隠蔽している。


「さあセレノウのユーヤさん。我々の公開実験に立ち会いいただけること、まことに感謝しております。シュテンの智者たちに認められてこそ我々の実験は完全なものとなることでしょう。さて……」


そこで虎鏈フーリェンは声をひそめる。観客席には届かない声になるが、それを誰も気にしていない。


「いかがでしょう。あなたが負ければヤン教授は名誉に傷が入るかも知れない。しかしセレノウのユーヤ、あなた自身はそこまで損をするとも思えない。これはいささか不公平ですね。我々は超力開発団の名誉を賭けているというのに」

「どうしろと言うんだ」

「10億ディスケットでいかがでしょう」


ちょっとした打ち合わせを交わすような声音で言う。観客はみな笑っており、壇上のそんなやりとりとは無縁な存在に思える。


「そんな大金は非常識だ」

「そうでしょうか? では勝負を拒みますか? そちらの方がパルパシア王家であることを明かせば、この場を有耶無耶にできるかも知れませんね」

「……」


ユーヤたちはポーカーフェイスを崩さない。虎鏈フーリェンをずっと観察しているが、内面の感情はうかがえない。ユーヤはこれほど自己の隠蔽が徹底された人間をそうは知らない。かのハイアードの王子ですらまだ感情の動きは見えた。王子がとても露悪的な性格だったためではあるが。


「……断る、と言ったら?」


ユーヤの周囲数メートルに無音が落ちる。


事態が傾斜していると感じる。

虎牢フーロウ虎鏈フーリェンはユーヤの予想よりもかなり早い段階で動いていた。10億ディスケットの賭けはいかにも唐突に思えるが、それはユーヤたちが事態の速度に遅れているためだ。虎鏈フーリェンたちは、ユーヤに勝負を受けさせる手段を持っていると見るべきか。


虎鏈フーリェンは口の端だけで笑う。笑いがこぼれたというより、ユーヤに何かを理解させるための笑いに思えた。


「そうですね」


また声を高めて言う。


「あなたはヤン教授の代理ではありますが、あなたが勝ってもヤン教授の名誉が守られるだけで、あなた自身に利がない。これは不公平というものでしょう」


ぱん、ぱんと手を叩く。


すると歩み出てくるのは、盆を捧げ持った女性。


「……!」


着ているのは紅柄ファンガン。真紅で縁取るような黒の紅柄ファンガンであり、体の側面は肩から膝まで露出している。


曲線で満たされた身体、桜の蕾のような口元と後頭部で結い上げられた黒髪。ほっそりとした柳腰ながらも腰から下のラインは広大、前から見れば紅柄ファンガンの左右に白い脚が覗く。


シュテンの学生であり「三悪」の一人、タオ


最初の一瞬、タオが最初から裏切っていた可能性が頭をよぎった。

だがタオの目はどこも見ておらず、その顔には何の感情も浮かんでいない。タオのような若い人間がここまで感情を消すことはできない、とユーヤは経験的に知っている。彼女の思考は空白の状態にあり、目の乾きによってまばたきをする以外に何もできなくなっている。


盆の上には一束の紙幣。虎鏈フーリェンはことさらに大げさな声で言う。


「賞金をお出ししましょう。我々に勝利することができたなら百万ディスケット、いかがですか」


むろん、百万ディスケットなどこの場に何の意味も持たない。観客席から拍手が投げかけられるが、それがどういう意味合いの拍手なのかは曖昧である。混沌の時間の中で混沌のままに事態が進行している。


「暗示をかけられておるな。ユーヤよ、へたに呼びかけるでないぞ」


雨蘭ウーランが袖をつかみながら言う。


「分かっている」

「分かっておらぬから言っておる、熱くなるな」

「む……ごめん」


タオの着ている紅柄ファンガン。ユーヤは何度か見ている。露出こそ多い服だが、それは時として王族の高貴さを、イベンターの華やかさを演出するための服でもあった。


その黒の紅柄ファンガンは違う。肩や腹部の布が薄くなっており、体の凹凸に吸い付くような曲線である。側面の開いた部分に渡される紐は細く、首周りは大きく、脚の間に垂れる布は大ぶりなレースで装飾されている。

明らかに若い女性が着る服ではない。この世界の習俗を見てきたユーヤにはそれが分かってしまう。


そして理解する。自分たちの事が露呈していた理由。暗示にかけられたタオから聞き出したのか。


(……タオは、雨蘭ウーランがパルパシアの双王の片割れ、ユゼであることに気づいていたフシがある。だが、僕のことはどのぐらい知っているのか……)


「さて改めてセレノウのユーヤ、そして雨蘭ウーラン。公開実験、いえ公開対決というべきでしょうか。お受けいただけますか」

「受けよう」


ユーヤの職能というべきか、激する感情はどうにか顔の奥に引っ込めている。だがそれでも、怒りで朱に染まった頬だけはなかなか冷めない。


「その代わり勝負の結果にかかわらず、終わったならタオを解放すると約束しろ」

「いいでしょう」

「もし彼女をこれ以上はずかしめるなら、いかなる手段を用いても君たちを破滅させる。これはハッタリじゃない」

「ええ、私としてもシュテンの優秀な学生に恥をかかせるなど本意ではありません。勝負が終わればすみやかに解放しましょう」


(……あまりにも手際が良すぎる)


自分がどこか高をくくっていたことは認めざるを得ないが、虎鏈フーリェンたちの行動の速さは驚愕というにも生ぬるい。


ユーヤは押さえつけてはいるが戦慄していた。自分はネズミ捕りのカゴに捕らわれたネズミかも知れない。鉄の檻の中で胸を張り、まだ勝負は分からないと偉ぶる愚か者かも知れないと。


雨蘭ウーランはもう少し前向きな気分になっていた。ゆるやかに表情を変える。沼地の蛇のような粘っこい目つきに、毒を持つ花のような凄絶な笑いに。


「ふ、面白いのう。我を挑発する者などなかなかお目にかかれぬわ」

「挑発などとんでもない。我々の間にはまだ意見の隔たりがありますが、いずれは埋まるものと思っていますよ。我々の超能力実験はいつも成功し、超能力がもたらす未来に多くの方が賛同している。そして我々はここまで大きくなった」


(賛同だと)


ユーヤの嗅いだ匂い。ケトン体の生み出すアセトン臭。


ユーヤはそれを自分の匂いと表現した。徹夜が続き、絶食を続けている人間が放つことがあるからだ。


そして、洗脳の手法の一つに絶食がある。


タンパク質を与えず、糖分を与えず、食事の量を減らしていくことで人間から思考力を奪い、暗示にかかりやすい状態に変える。


本来、催眠暗示に必要なものは信頼関係と言われる。相手を信頼していなければなかなか暗示にかかるものではない。


健康状態に問題がなく、潜入調査をしていたタオをこれほど深い暗示にかけるのは、ユーヤの知識では説明できない。信じがたい技量としか言いようがない。


虎牢フーロウ虎鏈フーリェン、この二人の恐ろしさは奇術なんかじゃない。おそろしく洗練された洗脳術だ)


「これもまた精神感応ですよ」


ごく小さなつぶやき、しかし大きな山について語るかのように、最大限の自信と自負を乗せた言葉。


「精神感応とは心の垣根を超える力。他者を意のままにするなど前段階に過ぎないのです。最終的には世界に他人とか他者というものは無くなり、全員が一つの思考、一つの記憶を共有するのですよ」

「馬鹿げたことを……」


「さあ! 長らくお待たせいたしました! それでは本日の実験を執り行いましょう。人の持つ可能性の象徴、我々がたどり着き、やがてすべての人がたどり着く新時代の力、精神感応を!」


そしてわらわらと人が現れ、組み立てられるのは二つの檻。鉄柱で組まれた檻が二つ。その中に黒板の置かれた机が一つずつ。


引き出しの部分がないシンプルな机。二つの檻に入る虎牢フーロウ虎鏈フーリェン



観客席からの数千の視線は、もはやユーヤたちなど見ていなかった。

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千年に一人の美尻が洗脳済! これはノクターン案件か
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