外伝 無垢なる君と拈華の宴 5
場所を移し、料理屋の二階へ。
一階にはボックス席が多く、そこは大入り満員である。二階も壁が薄いのか、それとも賑わっているのか、周囲からがやがやと話し声が聞こえる。それにかぶさるようにラジオからの音声が流れている。若いタレントの甲高いトークが流れている。いわく、シュネスで遺跡を活用した大規模なテーマパークができる予定だとか、パルパシアで盗難美術品の多くが発見されたとか。
着座したあたりでユーヤが突っ込む。
「あの、別に移動しなくてよかったんじゃないか?」
「なんでじゃ?」
注文方法は独特である。テーブルに木製のボールとメモ用紙があり、雨蘭はメニュー表を見ながら用紙に番号を書く。料理名でもいいのだとか。
そして木製のボールをぱかりと開き、中にメモを入れてから廊下に放り投げる。廊下には傾斜がついているのか、ボールがひとりでに転がっていき、廊下の突き当たりにある穴に飲み込まれる。どうやら一階へ落ちているようだ。
そしてその注文方法を誰も面白がらないし、変わったものとする素振りもない。陸もメニューを見ながら言う。
「なんだよユーヤ。観たい映画でもあったのか?」
「いやないけど」
公開実験とやらの映像は見たので、とりあえず料理屋に移動して昼食を食べながら検討。
言葉にすると違和感はないが、ユーヤの思っていた流れから段取りをいくつか引っこ抜いてるような気もする。ともかくユーヤは自分の役目を果たすべきと考える。
「えーとだな……僕のいた土地でも精神感応というのは奇術の演目の一つだった。最初は読心術、観客や助手の考えを読むという技術だったのが、やがて精神感応という言葉が生まれた。心霊術などと並んで、奇術と超能力の垣根が曖昧なものの一つだった」
言葉としては古くは「思考の伝達(Thought Transference)」と呼ばれ、もう少し時代が下ると「二者間の精神感応(Two Persons Telepathy)」などと呼ばれた。そのあたりの説明は省いて続ける。
「トリックとしては、何らかの手段を使って情報を送る、とことん単純に言うとそれだけだ。何気ない会話に暗号を仕込む手法をヴァーバル・コード。言葉を使わずにちょっとした動きだけで伝えるものをサイレント・コードという」
「あの、ユーヤ、さん、何か注文しないと」
「あのね桃、いま君がメインで関係することの話だからね?」
言われて桃は小首をかしげる。ちなみに四人がけの個室席でユーヤと桃が隣り合っており、ユーヤの向かいに雨蘭がいる。
「? ええと、ちゃんと、聞いてますよ。それより注文を」
「何でも適当に頼んでくれ……まあつまり、紫晶精のわずかな振動でも、情報を送ることは可能という話だ」
「でも、あの、二人……少し考えてる素振りはありましたけど、10秒もなかったはずですよ」
「あらかじめ虎牢と虎鏈の間で取り決めておけばいい。たとえば七人の書家から一人を選択させるような問題があったが、何らかの規則性によって順番に並べられるはずだ。紫晶精を押した回数で意思の疎通ができる」
「ユーヤよ、丸いものはという問いで太陽というのもあったが、それはどうなんじゃ?」
「あらかじめ共通のコードを用意しておく。たとえば地水火風という4つの言葉を共有しておき、ボタンを3回押せば火になる。火と丸いもので太陽となる」
実際はもっとずっと複雑であり、かつシンプルなコードで整理される、とユーヤはまとめる。
料理が届く。最初に来たのは陸だった。熱く熱された石板と、白く濁った液体。陸がその液体を石板にかけると、じゅうじゅうと焼けるとともにコッペパンのようにぶくぶくと膨らむ、陸は大きめのヘラで押さえつけながら焼く。
「すごいなそれ……パンケーキみたいだけど、玉ねぎみたいな野菜の香りもする」
「なあユーヤ。じゃあ最初にやってた予言はどうなるんだ? なんかどうにでもなるみたいなこと言ってたろ?」
「ああ……あれはもっと単純だ。紙をすり替えてるだけだよ。手品師が何か小さいものを持ち、それが観客から完全に隠れる瞬間があった場合、すり替えられてると見るべきなんだ」
「すり替え? 予言の紙をってことか?」
陸は斜め上に視線を投げて思い出そうとする。ぼうっとしている印象もある彼だが、舞台での流れはすべて覚えている。
まず箱を全員の目に確認させ、糊でがちがちに固まったそれをナイフでこじ開けた。そして中から新聞紙をつまみ上げて広げ、次に予言の紙を。
「いや、予言の紙は指でつまむように持ってたぞ。すり替えられねえよ」
「違う、すり替えたのは一緒に入れていた新聞紙の方だ」
「あ」
予言の後半。記憶の中でその新聞紙にはモヤがかかっている。興味が予言の紙の方に流れたからだ。あの新聞紙はどこに行っただろうか。誰かに渡したのか、それともポケットに入れたのか。
「舞台の上なんだから日付なんか確認できない。まったく別の箱に、封印したものと似たような見た目の新聞紙を入れておけばいいんだ。観客に見せた後でもいくらでもすり替えがきく」
実際にはユーヤの語ったことは手法の一つに過ぎない。だが一つでもトリックの道筋が示されてしまえば、あの超力開発団というものの神秘性は薄らぐように思われた。あの二人の技を直接見れば、もっと色々気づくこともあるだろう。
(……そんなに甘くはない気もするが)
精神感応実験。
確かに手の込んだ手法だったが、絶対に誰にも分からないとまでは言えない。机の引き出し部分が板で封じられてるとはいえ、ブラックボックスな部分があるのはショーとして完全性を欠いている。最初から引き出しのないタイプの机を使うべきなのだ。
(つまり、わざと隙を残している……? 虎牢と虎鏈は、見破られることも計算に入れていた可能性がある、のかも)
(仮に楊教授に何らかの矛盾のない説明をされた場合、より高度なトリックを用いてもう一度実験を行う。これならばより完全な勝利となり、超力開発団の名声は高まる……)
「……それで桃。楊教授との公開対決の日はいつなんだ?」
「それが、その」
桃は、両の人さし指をもつれさせて答える。
「今日、なんです」
「何だって、今日……」
「ユーヤよ、おぬしの鍋を置くからコップどけて」
「あのいま大事な話が、って鍋!?」
※
「FBI?」
ディレクターは数秒固まる。それがどの放送局なのか思い出そうとしたためだ。だが心当たりがないので、映画で見る方のFBIが思い浮かぶ。
「FBIってあの、アメリカの?」
「はい、アメリカではFBIなどが犯罪事件の捜査に超能力を活用しています。その関係者です」
七沼が呼んだ人物は女性のようだが、大きめのマントで全身をすっぽりと包み、アゲハ蝶を模した仮面で顔を隠している。口元の紫がかったルージュは年齢を隠蔽する効果があり、人種なども分からない。
そして一言も話さない。そのアルカイックな笑みは冷たくて皮肉げ。確かに只者ではない雰囲気はある。
「彼女は日本人ですが、ここではアメリカ人。名前は仮にエリザベスとしましょう。ミス・エリザベスはハーバードで物理学と精神医学を学び、民間人でありながらFBIの依頼で超能力者の鑑定に当たっています。超能力者とされる人々が本物なのかマジシャンなのかを見分ける、そういう仕事を頼まれる人物です」
つまり、そのような設定ということか、とディレクターを含めたスタッフは何となく諒解する。
アメリカが超能力を犯罪捜査に活用している、という都市伝説は古くは1970年代から存在する。FBI超能力捜査官、という言葉がお題目として打ち出され、ブームとなる時代からは少し外れているが、ディレクターもオカルト番組を手がけるだけあって、設定自体に異論はないことを目で示す。
「でも七ちゃん、彼女って英語とか喋れるの?」
「身分がバレては困るので顔も声も隠している、という体裁にしましょう。通訳を横につけて、彼女の囁きを翻訳して伝えている、という演出もいいかも知れません」
「なるほど、いけるかも」
ディレクターの男はあっさりと受け入れる。
もちろんこれはオカルト番組であるが、もうしばらく時代が下り、バラエティ番組であっても厳正なファクトが要求される時代になってしまえば、このような大胆な虚構を打ち出すことは出来なかったかも知れない。
時代の勢いというもの。
オカルトや超科学がテレビで真面目に取り上げられ、日本人の多くがその真偽について議論し、そこに夢とか希望を見いだしていた夢なりし時代。
裏の裏まで知っているテレビマンですら、どこかに本物がいるのではないかと漠然と信じていた時代。
超能力者の二人と、それを打ち破るべくアメリカから来日した専門家。言ってみればディレクターも周りのスタッフも、その設定にそれなりに熱くなっていたと言えるのだ。
七沼はADの一人に視線を向ける。
「そこの人、春谷と泥川の過去の番組テープあるでしょう? 彼女に見せてあげてください。彼女なら見るだけでトリックを推測できます」
「わ、わかりました、いくつか用意してきます」
そして七沼とディレクターは移動。
モニターと機材の並ぶ主調整室へ。壁一面を埋めるモニター群はリハーサルの様子を映し出している。ディレクターは技術畑の人間を集め、突貫工事でミス・エリザベスのプロモーションビデオを作る。
「それで彼女、ほんとは何者なの?」
「皆さんに一番通りがいい言葉で言うと、名探偵というやつです」
ディレクターの男は目を見張る。この風采の上がらない人物はろくに飲みごとにも参加しないが、奇妙なコネクションを山ほど持っている。大使館職員であったり、省庁の役人であったり、大企業の取締役、伝統工芸の職人や京都の名刹の僧侶まで。
それらの電話番号が七沼の持つ閻魔帳にずらりと並んでおり、七沼は必要に応じて彼らに電話をかけ、クイズの裏取りをするという。けして友人関係ではないらしいが、どうやって作り上げた閻魔帳なのか想像もつかない。
「はー、黒マントに蝶の仮面、正体がまさかの名探偵かあ、本当にいるんだねえ」
「そういう属性を持っているだけです。彼女自身に何者かと聞けば、クイズ戦士と答えるでしょう」
七沼の言葉は指向性を欠いていた。誰でもなく、自分の中の感情をこぼすように言う。
「クイズの世界に生きている修羅の人です。だからどんな問題にも立ち向かえます」
「クイズ戦士……って、そんな凄いの? 名探偵みたいなことできるの?」
「ええ」
調整室に並ぶモニターの一つ、ミス・エリザベスは小さなモニターでマジックを見ている。そして手元にあるメモ帳に細かい文字をさらさらと書き付ける。
「こういう話があります。世の中で新しい技術が開発された時、それを科学者に次いで二番目に知るのはマジシャンであると」
「ああ、なんか聞いたことあるねえ。犯罪組織だとか傭兵だって言う人もいるよね」
「僕は、二番目に知るのはクイズ戦士だと思っているんです。彼らはあらゆるものに触れ、世の中の動きを知り、生まれるであろうものを予想できる。そして、それをクイズ以外の何にも役立てようとしない」
「な、なんか凄いねえ」
「この世のすべてを知ってやろうという傲慢さ。この世に解けない問題などないという不遜さ。それは勇気とも言えるでしょうか。だからこそ未知の問題に踏み込める。どんな問題でも解決できる。クイズ戦士とは知の番人なんです。だから名探偵と同じことができる」
「はあ、なるほどねえ」
相槌を打つものの、ディレクターは話についていけなくなっていた。
ともかく七沼は頼みごとを果たし、番組は無事に収録できそうだと感じる。
いや、無事に、でなくともいい。
そんな言葉が浮かび、浮かんでしまうとそれは軽い含み笑いに変わった。
小月教授の欠席、そんなトラブルを乗り越えたというのに、平穏無事な収録など望んで何がテレビマンかと、そういう気概がこの人物にはあった。なればこそ七沼という奇妙な男を扱えるという自負もある。
理解する必要はない。自分はこの男の使い方だけ知っていればいいのだ。七沼とディレクターの距離感はいつもその程度であり、あるいは七沼と七沼以外のすべての距離感もそれに等しかった。
ADの男がばんと扉を開け、機材でいっぱいの主調整室にまろび入る。
「七沼さん! あの人すごいっすよ! どんなマジック見せても次から次とトリック当ててます!」
「当ててないよ。マジシャンが見せる現象を説明できる手法を一つ提示しただけだ。実際はまるで違うトリックかもしれない」
「それでも凄いんですよ! どう凄いって言ったらいいのか、誰も気づかないようなことまで見てるし、物理学とか薬品にも詳しいし」
七沼は、なぜそんな人材を呼べるのだろう、とディレクターは思う。
七沼自身はそこまでクイズが強かったわけではないようだが、やはり彼もまた何らかの異能。多くのクイズ王に出会うことが宿命となるような、そんな異能を持つのか。
それ以上に深入りすべきでないと感じた。まだ熱く語ろうとしているADをどやしつけ、プロモーションビデオの仕上げを言いつけて調整室を出る。
「……ご苦労さん七ちゃん。あとは俺たちが番組回しゃあいいだけだね」
ただでは終わるまい、そういう確信がある。
果たしてどのような波乱が巻き起こるのか。笑みと震えが同時にこぼれるような、そんな引きつった顔も、また。
実に心地よかった。




