外伝 無垢なる君と拈華の宴 4
「小月教授が来れなくなったって!?」
「はい、いま連絡があって、身内が危篤だとかで……」
「3時間後に収録開始なんだぞ! 公開対決なのにどーすんだよ馬鹿!」
広大なスタジオにどよめきが伝播していく。
メインのセットではリハーサル中であった。惑星や銀河をかたどった模型が宙に浮かび、全身が銀色の宇宙人であったり、天井に届くような毛むくじゃらの怪物が配置されている。背景中央にはピラミッドの上に目が乗っている絵、プロビデンスの目と呼ばれるものも描かれている。
左手にはまた別のセットがある。箱型の小部屋が二つ。全体が白く塗られていて棺のようにも見える。ドライアイスを焚いていたので足元に白い煙が這っているが、もうもうと湧き上がる白煙は幽玄さというより、どことなく祭りの賑やかさを思わせる。
「どうしましょう。公開対決はカットできないですよね」
「生放送でできるわけねーだろ! どーすんだよ春谷と泥川はこっち向かってんだぞ!」
春谷と泥川とはいわゆる超能力者であり、出自は異なるものの透視能力や予知能力によってメディアに注目されてきた。そして1年ほど前、二人が組むことでより大きな力が出せると喧伝し始め、現在では二人一組での活動が主になっている。
時代の勢いというのもあるのか、本当の政府関係機関や大学でも研究対象となっている二人である。超能力者を学者が本気で研究する、果たしてどこまで本気だったのか、この時代の温度や湿度というものは、後の時代にはもう思い出せないものの一つである。
怒鳴り続けているディレクターはスタジオの中を歩き回り、配線を管理するスタッフ、いわゆるカメ足の頭をメガホンではたく。
後ろをついて歩くのはAD、慣れているのか落ち着いた顔で、ディレクターの激昂の隙間を突くように発言する。
「対決相手が小月教授ってことはシークレットだったんですから、別に誰でもいいんじゃないですか? 今から都内の大学に電話して、誰かに来てもらいましょうよ」
「今からだあ? おいおい小月の野郎はW大教授なんだぞ。そんなすぐ代役見つかるかよ」
それに超能力を見破らなきゃいけねーんだぞ、とハリボテの宇宙人の頭をはたく。
「別に見破らなくてもいいんでしょ? 負けたっていいじゃないですか。それはそれで超能力者すごいなあとなるだけで」
「バッカお前そりゃ大学教授に恥かかせるってことだろうが! 大学ってところはそういうの気にするんだよ! お呼びする教授に迷惑かかったら今後のコネクションに影響すんだよ」
「うーん、じゃあ教授じゃなくても、超能力者と対決したがってる人とかいないですかね……タレントとかで」
「おーい七ちゃん」
と、ずっと歩き回っていたディレクターは手を振って呼ばわる。闇雲に歩いていたのではなく、その人物を探していたのだとADは気づく。
「はい」
陰気な人物である。
よれよれになって首周りが拡大しているシャツと、ぼさぼさで目にかかっている髪。ジーンズに腐りかけのような印象があるのは、彼の放つ湿度のためだろうか。なぜか着るものすべてが生乾きのような印象を受ける。
「わりーね、リハ中だった?」
「いえ別に」
「急にごめんねえ、あのさあ頼んでるクイズのやつだけどね。小月教授が逃げやがってさあ。春谷と泥川の2人と対決させる人がいないんだよお。七ちゃん大学教授とかに知り合いいるよね。誰か呼べないかなあ」
ディレクターは荒々しさの抜けた脱力した喋り方になる。背後のADは経験的に知っていた。話しているくたびれた男は一見するとだらしない格好だが、周囲の人間に軽んじられることがない。くだけた話し方はディレクターにとっての敬語なのだ。この陰鬱な男を認めているがゆえの態度である。
「お付き合いのある方はいますが、大学教授は超能力の専門家じゃないですよ」
男の名は、七沼遊也。
彼を表現する言葉はさまざまである。クイズアドバイザー、仕事人、正体不明、便利屋、偏執狂、どんな無茶振りでも言える男、この世のものではないような男ーー。
「そうかあ、誰か心当たりない? 春谷と泥川に勝てそうな人」
「勝つだけなら」
「呼べないことも、ないんですけど」
※
「ともかく、その映像というのを観たいんだが」
とユーヤが提案する。
その15分後。ユーヤたち四人は映画館にいた。歩いていける距離にあるのだ。
「映画館で見るのか……?」
「そうですね、レンタルシアターがあるんです」
確かに藍映精を観るにはそれなりの広さを確保するべきなのだが、ユーヤは事態の連続性というものを少し見失いかける。レンガ造りの重厚な建物は多くのポスターで飾られ、赤い絨毯が敷かれたロビーに売店が並ぶ眺め。家族連れや腕を組んだ恋人たち。つい先ほどまで深刻な話をしていた気がするのだが、いきなり華やいだ空気に放り込まれるこの感覚、この世界に独特のものである。
「この映画館はなかなか設備がよいのう。シアターは7つあって売店も充実しておる」
雨蘭は早くも大きめのポップコーンを買っている。
「おお、見ろユーヤよ、ハイレンフェルの「女優の森14」じゃ。二度と脱がないと言っておったハイレンフェルがまた脱ぐんじゃぞ」
「分かんないよ」
と、その美女の裸体が大型犬で隠れている看板と、ロビーを走り回っている子どもたちを見て、え、と固まる。
「もしかして……アダルトな映画が普通の映画館でかかるのか?」
「専門の映画館もあるが、大きな映画館では普通にかかるぞ。シュネスとかはそのへん厳しいがの。ユーヤの国ではかからんのか?」
「というより……ピンク映画が劇場でかかることはほとんどなくなったような」
「? じゃあ大人は休日をどう過ごすんじゃ?」
問われて、ユーヤはなぜか簡単にやり過ごせずに硬直する。
「……えーっと、それはその……本を読んだり、外食したり、ギャンブルしたり。ピンクな映画は、まあ、家で見たり」
「なんじゃ不健全じゃのう」
「どうなんだろう……そうなのかな。僕たちは何かを失ってしまったのか……?」
「お二人ともどうしたんですか? 受付できましたよ」
レンタルシアターは2時間で2000ディスケットだと言う。桃に案内されて入るのは半球形の空間。サイコロ型のクッションと肘置きのついた椅子が部屋の隅に置かれており、寝転ぶなり座るなり、立っているなり好きな姿勢で鑑賞できるようだ。
「シュネスハプトの映画館に行ったこともあるけど、ハイフウの方が設備がいいな……」
「うむ、お国柄じゃ。あの国は寝転んで見ることはマナー違反とされておるし、売店でもビスケットと飴しか売ってはならん。ジュースもいろいろうるさくてのう。砂糖を加えてはいかんとか、果物の絵をポスターに使えるのは果汁100%のものだけとか」
「……どこも考えることは同じだな」
四人とも座りはしない。場の中央に台座があり、桃がそこに妖精を置けば、おもむろに額の目が開く。
風景が塗り替わると、そこには二つの箱型の小部屋。
ホールのような屋内空間だが、窓のほとんどに暗幕が下ろされており薄暗い。周囲にはあの袖と裾の長い衣服を着た男たちと、濃いめの化粧をした女性たち。
そして学生らしき学朱服の集団、すべて合わせて15人ほど。
彼らは楽器を演奏している。湾曲した金属製の笛、片手で振る手持ちの鳴子のようなもの、アコーディオンによく似たものも。まったく協調性のない音が雨の日の森のように入り乱れている。
「これが超力開発団の精神感応実験です。音楽を鳴らしているのは音で何かを伝えるのを防ぐためです。この時は楊教授の教え子の皆さんも楽器を鳴らしました」
よく見れば学生の中に桃自身もいる。金属製のバチのようなものを左右に3本ずつ持ち、さまざまな組み合わせで打ち鳴らす楽器のようだ。紫晶精の早押しボタンを何度も叩いてる男もいた。楽器ができないらしい。
そして、なぜか大ぶりの斧を構えたスタッフもいる。
「彼は何なの」
「実験終了後。仕込みがないか確かめるために、使用したものすべてをコナゴナにしたんです。その役目の人です」
「コナゴナにね……」
前面の開いた箱型の小部屋が間隔を開けて設置され、中には虎牢と虎鏈の二人。二人とも執務机のようなしっかりとした机に座っている。ユーヤは近づいて机を確認するが、引き出しのあるべき空間が板で塞がれていた。釘の頭がいくつかはみ出しており、あまり丁寧な仕事ではない。
前方にはカードの束を持ったスタッフと、それに並ぶように高齢の男性。
灰色の髪は長く、冠のような髪留めで頭の上で縛っている。その長衣は学朱服に似ているが、襟元だけに落ち着いた暗めの赤が使われている。彼が楊教授だという。
特に合図などはなく、カード束を持った人物がぬるりと始める。
「では最初の質問です。丸いものと言えば」
虎牢と虎鏈の手元には黒板がある。二人はチョークを握った手を黒板に置き、しばし硬直する。両のひじを机に立てて組み合わせ、集中する様子。
やがて、かりかりと乾いた音を立てて記す。
虎牢【太陽】
虎鏈【陽帝】
どちらも太陽のこと。つまり成功のようだ。
「なんじゃこれは、質問しておるのは超力なんとかのスタッフではないか。あらかじめ打ち合わせしとけばよいことじゃろ」
雨蘭はポップコーンを持ちつつ歩き回る。実験中の二人はけして若くはない、それなりに年を重ねているが、その自信に満ちた表情のせいで老けた印象を遠ざけている。その目を正面からのぞき込む。
「書き方を変えておるところがわざとらしい。それにこの二人、こういう自信たっぷりな顔は詐欺師のそれじゃ」
「ええ、ですので楊教授も……」
「待て、質問はこちらからする。それと君は二人に見えない位置に立ってくれ」
と、教授はカード束を持っていた男をブースの後ろに追いやる。映像を見ている桃が補足する。
「事後的ですが、楊教授と私たちで床や壁も調べましたが、何もなかったんです」
「ふむ、なるほどのう」
「質問だ、道祖七画聖のうち一人を挙げてくれ」
チョークの走る音。
虎牢【ガユンロウ】
虎鏈【ガユンロウ】
「……次の質問だ」
教授は懐から巻物を出し、二つのブースに近づく。それはあらかじめ書き記していたもののようで、角度的に周囲の楽団から完全に隠れている。これならば質問を把握できるのはブースの二人のみであり、第三者を通じて情報をやり取りできない。
『赤い建物と聞いて連想するものは何だ、ただしラウ=カン以外の国の建物に限る』
と書かれている。二人はまたしばらく沈黙。そしてほぼ同時に動き出す。
虎牢【ショーエル古灯台】
虎鏈【セレノウのショーエル古灯台】
質問は続く。二人は何事もなく同じ答えを書き続けている。ユーヤは虎鏈の方の机に近づき、まじまじと観察する。机に肘を立てる動作のほかには大きく動かない。雨蘭と陸の二人はあちこち歩き回って、スタッフの一人一人を観察している。
「その黒板はやめて、こちらの帳面に書いてくれ。鉛筆もこれを使ってくれ」
実験中の二人はごく自然に受け入れる。次の質問に対してまた停止、熟考するような様子、そして手を動かす。
「柔らかい鉛筆のようだな。音はほとんどしない」
「うむ、チョークが黒板を引っかく音で隣の回答を推測していると考えたようじゃが、それは的外れじゃのう。どの問題もほとんど同時に書き始めておった」
同時に書き始めたのは楊教授にも見えていたはずだ。おそらくかなり追い詰められている、とユーヤは察する。ユーヤはあまり楊教授を見ない。彼を分析してもあまり意味がないし、高齢の教授が超能力者に追い詰められている様はあまり見たくなかった。
カード束を持っていたスタッフがやってくる。
「楊教授。そろそろ終了の時刻ですが」
「……分かった。だが結論はまだ出ていないぞ、我々で机と床を調べさせてもらう、あの箱のような仕切りも」
「もういい、止めてくれ」
桃が妖精に歩み寄り、額の目をふさぐ。そして風景はシアターの内部に戻る。
「うーむ見事なもんじゃの。まるで分からん。もしかしてこの2人、ガチの超能」
「妖精だ」
ユーヤが言う。その目は剣呑な光をたたえている。糾弾者であると同時に糾弾される者のような、重々しい苦悩が表情の奥にある。
「おそらく虎牢の方。机の中に早押しボタンの妖精、紫晶精が仕込んである。実験の開始前に呼び出して、机の中に入れてから板で封印したんだ。天板に開いた小さな穴から、針のようなものを差し込んでボタンを押している。すべて袖の中で完結しており、覗き込んでも見えない」
「妖精……ですか?」
桃がほっそりとした首をかしげる。
「しかし、このあと何も仕込んでないという証明のために机が破壊されたんです。妖精などどこにも」
「紫晶精は1時間ほどで妖精の世界に帰る」
「あっ……」
「虎鏈の机の中には蛇の木板が仕込んであり、ボタンが押されると打ち上がる。木板が打ち上がる振動を手のひらで感じる。あの三次元映像は直接触ることができないから、物体の振動を見極めるのは難しい。仮に目視できたとしても、あの楽団の音楽のためだと思ってしまう。そして最後に机をコナゴナにしてしまえば、すべての証拠は消える」
桃は感嘆の顔になるが、驚くというより、いっそ怪訝さすら混ざった顔であった。
「す、すごいですユーヤさん。一度見ただけで」
「逆算だ。あの大げさな楽団とか大ぶりな斧とか、すべて意味があると考えれば隠蔽したいものも分かる」
「ちょっと待つのじゃユーヤ。紫晶精を使って振動を起こせたとして、それがどう回答に結びつくのじゃ? そんな振動では文章など送れんじゃろ」
「可能だ。ごくわずかな情報で同じ答えを引き出す、これをサイレント・コードといって」
目の奥に走る、わずかな痛み。
「僕が、ずっと戦ってきたものの一つだ」




