外伝 無垢なる君と拈華の宴 2
パルパシアの双王。
それは放蕩をきわめる遊び人。暗闘うごめく双子都市を牛耳る怪物。才気にあふれるクイズ戦士。しかしユーヤは思うことがある。この双子の脅威となる部分はそんなところではなく、単純に恐ろしいまでの豪運なのではないか、と。
行き当たりばったりに動いていても、結果が駆け足でやってきてひざまずく。ユーヤのような全精力を振り絞って生きている人間からすると太刀打ちできない部分である。
それはさておき、陸に問いかけてみる。
「桃の居場所? さー? 今はサークル活動やってねえからわかんねえや」
「陸よ、「悪問」の猫はどうしたのじゃ?」
「ああ、大学の自治について朱角典の偉いさんと話し合うことになっててよ。猫は生徒代表の一人として出席すんだよ。それで死ぬほど忙しいらしいぜ、頑張るよなあいつも」
「そこまで他人事のように言えるの凄いのう」
ユーヤの見立てでは、陸もまた大学生らしいというべきか、己の興味だけに生きている部分がある。他のぎらぎらした学生に比べると将来の展望に乏しいようにも見えるが、彼が生み出した独自のクイズがあり、その興行をやりながら大陸を回りたいとも言っていた。優秀な人材が集まるシュテンにおいては、やはり異端なのだろう。
「桃の下宿先ならすぐそこだけど、見てくか?」
「ほう下宿か。よし行こう。ユーヤも興味津々じゃと言うておる」
その発言には特に誰も突っ込まなかった。
※
着いた先は二階建てのアパートのような建物。かなり年季が入っており、黴なのか汚れなのか、全体的に黒くくすんでいる。間口は広く作られており、高齢の女性が玄関先を掃いていた。
ユーヤは玄関の周囲を眺める。他の学生寮はどこも看板が出ていたが、ここにはない。
「ここは寮なの?」
「養老院だよ。桃は住み込みで働いてるんだ。シュテンだと寮に入るのもけっこう金かかるんで、バイト先に下宿してる学生もいるんだよ」
建物に入ってみれば、確かに高齢の男女がいる。廊下にあるベンチに座って編み物をしていたり、食堂らしきスペースで世間話をしていたりである。
裏の方には芝生の庭があり、木製のスティックで楕円形の木片を転がす遊びをしていた。
「シュテンの内部にこんな施設が……」
「別に城壁の中がぜんぶシュテンってわけじゃねえぞ。城壁は旧市街を巻き込んで直線で建てられてるからな。先日の大学封鎖の時は、年寄りは最初に外に出されたからここは無人だったんだ」
「そうか旧市街か、そういえば歓楽街なんかもあったね。夜のお店っぽいのが」
「いや、あそこは法学部と経済学部の間だけど」
「……」
「安ばあちゃん。桃は戻ってるかな」
陸が話しかける人物もまたかなりの高齢だった。ユーヤの見たところでは90に迫るかも知れない。綿のように白い髪をひっつめにしており、しわに覆われた口元をもごもごと動かす。腕には軟玉なのか、白い玉でできた腕輪をつけていた。
「ああ桃かい。さっき出かけたかねえ。まだいたかねえ。部屋で待ってたらどうかねえ」
「そっか、じゃあ行ってみるか」
陸はごく自然に廊下を進み、一番奥の扉を開ける。鍵などはかかっていない。というより、ユーヤがちらりと見たところでは鍵はない。
中は十畳ほどのひろびろとした部屋。片隅に寝具が畳まれていて、膝の高さの文机には本が山積みになっている。それはさすがに「悪書」ではなく授業関係の本のようだ。
それ以外には衣装箪笥と本棚、鏡台のそばには化粧品の入った籠。部屋の主が女性であることを示すのはその化粧品ぐらいである。木の壁にはポスターのひとつもなく、きわめて質素な暮らしぶりに思えた。
「シンプルな部屋だな……引っ越してきたばかりみたいだ」
「この部屋でサークルの打ち合わせとかもするけどよ、いっつもこんなもんだぜ。あいつ地味な暮らしが好きなのかな」
「ふむ、これは練香じゃな」
雨蘭ことユゼが、平たい容器に入った化粧品を手に取っている。中身は朱肉のようなのっぺりとした赤である。
「ちょっと、勝手に人のものに」
「この玄妙な香り。希少な素材による赤練り。とても学生の持ち物とは思えんのう」
「え……?」
鼻の下をさっと通すように動かす。それは羊羹のような半練り状になっており、表面に指の跡があった。そして、この世の終わりのように赤い。
「練り物になってる香水か……」
「そうじゃ。これはパルパシアのサマンストラ産。若々しく純朴な初香のあとに香るのは妖艶な第二香。危険さと謎めいた気配。仙女の水浴びを盗み見るような調香。間違いなく勝負用のやつじゃ」
「勝負って何だ?」
きょとんとしている陸は放っておいて、雨蘭はてきぱきと部屋を調べている。どこから取り出したのか薄手の絹の手袋をしている。なぜ手袋をしているのか判然としない。
「ほほう下着もなかなか洗練されたデザイン。パルパシア産の絹製じゃがデザインはハイアードのトップブランド。一着でうん万ディスケットするのう」
「雨蘭、勝手に変なとこ開けない。今は桃を待ってるだけなんだから」
「行き先ならもう分かっておる。これじゃ」
と、放り投げるのは一枚の紙片。それは王族が階段をゆっくり降りてくるかのように、空気の上を滑ってユーヤの前に来る。
描かれているのは二人の男性。学朱服ではなく灰色の前合わせの長衣。裾がすとんと落ちており、2人の背の高さが強調されている。
銀写精を使った写真のようだ。何かのイベントの広告らしく、右下に今日の日付がある。二人の名前と思わしきものも。
「虎牢と虎鏈? どこかで聞いたような……」
「昔そういう映画があったのじゃ。猛獣使いにさらわれた母親を探すために、虎の兄弟がシュネスの砂漠を横断する映画じゃな。ユーヤには分からぬかも知れぬが、あまり人間らしい名前ではない。偽名と言うか芸名じゃろう」
名前の実在性というものは長い時間の中で体得する感覚であり、放浪者であるユーヤには分からない領域の一つである。例えば剛田武や源静香は実際にいるかも知れないが、骨川スネ夫は絶対にいないと断言できるだろう。虎牢と虎鏈という名前にも現実離れした、芸名くさい響きがあるのだろうか。
「その二人は何者なんだ?」
その問いには陸が答える。
「知らないのか? ここ数年ぐらいで有名になってきたやつらで、超能力者だよ」
ふと、時間が止まる。
ユーヤの目から感情とか思考が抜け落ちて点になる。思考の止まった表情なので、向けられる陸にもリアクションはない。
「……超能力者?」
「ん? あれだよ、念じるだけでものを浮かせたり、未来を予知したりする」
「いやでも、それは……」
数秒たっぷり考えてから、ぽんと手を打つ。
「そうか超能力者か……いるよな、そりゃそうか」
「なんなんだこの人」
「あー……ユーヤは田舎の生まれじゃから世事に疎いのじゃ」
ユゼが適当にごまかす。
「超能力者を知らねえなんてあるのか? セレノウのユーヤ、あんたクイズ戦士だろ」
「いや、ごめん。僕のいた土地にもいたよ……ちょっと、懐かしい響きだったから思い出すのが遅れただけだ」
「ふうん。まあその二人は有名というか、すげーんだってよ。まず透視能力だろ」
陸は両手で眼鏡を作ってみせる。それが透視能力のジェスチャーらしい。
「どんな分厚い封筒でも簡単に中身を見抜く」
「ほうほう、透視というと、あのエロいやつじゃな」
「それに念動力だ。念じるだけでものを動かす」
「念動力というと、あのエロいやつじゃな」
「それに一番すげーのが精神感応なんだってよ。離れていても互いの考えてることがわかるんだってさ」
「精神感応……僕のいた土地ではテレパシーとか遠隔精神反応とか呼ばれてたね。こっちにも同じ考え方が……」
「精神感応というと、あのエロいやつじゃな」
「誰か雨蘭の口を縫い合わす糸とか持ってない?」
ぱしん、と扇子を閉じるユゼ。
「ま、要するに奇術師じゃろ。その二人はちと知らぬが、パルパシアには掃いて捨てるほどおるぞ。テントやら演芸場やらで超能力のショーを披露する興行師じゃ。つまりデートの行き先がそれというわけじゃな」
「デートなら邪魔しちゃ悪いな、帰ろうか」
「何を言う! 面白くなってきたところではないか。あの桃がどんな男とデートしとるのか気にならんのか! しかもたっかい練香までつけて!」
「いやまったく全然……」
改めて紙片を見る。
髪を金と銀に染めた若い二人組である。金髪の方は髪に金属の棒のような飾り物をつけており、銀髪のほうは白い歯を見せて笑っている。あまり似てないから兄弟ではないのだろうか。ユーヤの見たところでは芸人にも見えるし、それ以外のものにも。
「超能力……」
見ておくべきだろうか、と考える。
ユーヤは職業柄、数多くのマジシャンを見てきている。この世界の奇術であるとかマジックのレベルを知っておくことは意味があるように思えた。単純に興味がなくもない。
「……行ってもいいけど、桃がほんとにデート中だったら絶対に邪魔しない。気付かれないようにする。守れるか?」
「うむ守る。陸も来るじゃろ」
「まあ暇だしいいけど」
「……というか、おぬしは気にならんのか? 同じサークルの女じゃろ。知らん誰かとデートしとって何も思わんのか? さっきから平然と桃の部屋におるけど深呼吸とかせんのか? そこに布団もあるぞ?」
「なんだよ、別にただのサークル仲間だろ」
雨蘭はその様子をまじまじと見る。嘘はついていない。
「なぜじゃ……? なぜあの尻に興味を持たんのじゃ……? いちおう男じゃろおぬし」
「いや俺は田舎に許婚いるから、恋愛とかそういうの駄目なんだよ」
がく、とアゴを落とす勢いでずっこける雨蘭。
「ああなるほど、なーるーほーど。そーゆーやつじゃおぬしは。ぜんぜん勉強してないよーとか言いつつ教科書丸暗記しとるタイプじゃ。なにごとにも興味がなさそーに見えて実はもう全部持っとるやつじゃ」
「な、なんだよ」
「どうせ田舎の実家とか金持ちなんじゃろ! そんで家業なんか継がなくてもいいからシュテンに行って好きに学んでこいとか言われとるんじゃろ! そんでもってどーせ許婚とかもクッッッソ可愛いんじゃろ!」
脇にいたユーヤを肘で突く。
「のうユーヤ! どー思うこいつ! あの猫と桃に囲まれていながらラブコメから「いち抜けた」しおったぞ! そんなこと許されんじゃろ! ユーヤもそう思うじゃろ!?」
「…………いやまあ、それは、個人の、事情というか」
「思う、と」
「待ってちょっと待って」
※
それからしばし。
向かうのはシュテンの大門を出てしばらく歩いたところだという。
紅都ハイフウは朱色の都。どこを歩いても壁と言わず柱と言わず、瓦と言わず赤で染まっているが、シュテンの城壁を越えた瞬間。わずかに朱の色が変化すると感じる。
学生らしく若々しい赤から、落ち着いた市民の街としての赤に。同じ赤であるのに市街地の赤は目にきつい印象がない。緑の森を歩くような落ち着いた気分になれるのは不思議なことだった。あるいはユーヤも、この数日で赤色に関するチャンネルが開いたものか。
歩くこと20分あまり、到着したのは立方体の建物である。石造りの頑健とした印象であり、通路から見ると天井がタヌキの腹のようにぽっこりと膨れて見える。一見して音楽堂か演劇のための建物か、ともかく音響を意識した造りだと見て取れた。
正面には人だかりができており、長衣の男たちが受付をしているようだ。スタッフらしき人々はみな袖と裾がたっぷりした衣服であり、外であるだけに土がつくことを心配してしまう。
「入場料は一人500ディスケットか。ユーヤ、現金は持っておるか?」
と、脇にいた男を見れば。彼は奇妙に視線を彷徨わせている。落ち着きなく首を動かして、幽霊に囁かれている人のようだ。
「どうしたんじゃ?」
「……この匂い」
匂い、と言われて雨蘭も鼻をひくつかせる。
だが人が多すぎるのと、雨蘭自身もたっぷりと香水をつけてるだけに分かりにくい。
「何の匂いじゃ? 変な匂いでもするのか?」
「いや、変な匂いというか、この匂いは僕の匂い……」
列はどんどんと進んでいき、やがて三人ともが建物に吸い込まれていく。
椅子などはなく、すべて立ち見である。ユーヤもさほど上背があるわけではないが、前は比較的見やすい。前の方に背の高い人間がいないようだ。
妖精の明かりはなく、採光窓は半分ほど閉じられているので薄暗い。やがて舞台の中央に金髪の人物が出てきた。特に前触れなどもなく、いきなり始まるようだ。
「皆様、紅都ハイフウ大難のおり、よくぞお越しいただきました」
遅れて銀髪の男も出てくる。やはり兄弟などではないようだが、どちらも布地がたっぷりある長衣を着ているために雰囲気が似ている。金髪の男は神妙で穏やかな話し方である。
「悲しきことです。実現を願わぬ予言ほど的中してしまうもの。我々は20日前にすでにこの事態を予知しておりました」
おお、と声が上がる。
「箱を」
助手らしき少年が舞台袖から出てくる。持っているのは木製の小箱である。表面がてかてかと光っているのは、樹脂のようなもので固めてあるからか。
「ご覧のとおり、この箱は20日前に皆様の前で封印したものです。特別な糊で封印されており、糊を剥がさないかぎり開けることは出来ません」
金髪の男は大きめのナイフを使い、箱の隙間に刃先をねじ込む。ぐいぐいと扉をこじ開けるように刃を動かし、固化した糊がばりばりと剥がれる。
中には二つの紙。一つは新聞紙であり一つは上質紙の紙片。
「……」
それを後方から眺めるユーヤ。陸もユゼも、舞台の上に気を取られてユーヤは見ていない。
もし、その顔を見たならば。
ひどく乾いた、砂漠の枯れ井戸のような目を見ただろうかーー。




