番外編 無月の城と満月の王 6
客間の扉を閉めると、カル・キの耳に己の心音が聞こえてきた。そのことに少し驚く。
動揺を抑えていたつもりだが、やはり、あの場の異常な空気に当てられていたのか。
短く何度か息を吸い、長く吐いて気を落ち着かせる。
「ユーヤ様、肌着をお換えしましょうか。それとも何か召し上がられますか」
「いや、いい」
ユーヤはどさりと腰を下ろす。ベッドのスプリングが強くきしんだ。
「……」
その音で分かった。ユーヤもまた憔悴している。けして顔には出さなかったが、あの戦いはやはり心身をすり減らすものだったのか。
「失礼いたします」
カル・キはその体に覆いかぶさり、ユーヤの胸元に耳を当てる。
「え、ちょっと」
「やはり心音が速い。それに汗もかいておられますね。お召し物を換えます」
着替えの必要を指摘された場合、基本的には主人にすら拒否権はない。それが上級メイドと主人の関係である。
ユーヤは諦めたように服を脱がされ、メイドにされるがままに任せる。立ち上がろうとしたが、その必要もないとばかりのメイドの手業である。何をされたか分からぬうちに下着が換えられた。
「満月王はホールを探してるだろうな。あの広さとものの多さなら、30分じゃ終わらないだろう」
「……?」
ホールを探すということは、やはりホールに何かあるのだろうか。不正の仕掛けが。
頭に浮かんでしまった言葉を慌てて打ち消し、カル・キは深く頭を下げた。
「申し訳ありません。けして疑ったわけではありませんが、あまりにもユーヤ様のお答えが見事だったもので」
「……極まった技術は魔法と見分けがつかないなんて言い回しもあるけど、僕のいた世界に魔法はなかった」
そんなことを話し出す。
「これもまた技術。ある王を切っ掛けとして切り開かれた技術なんだ」
カル・キは重ねて申し訳無さを覚える。
ユーヤは説明の義務を感じているのだろう。己の経験と知識を包み隠さず語る、それが異世界人として呼ばれた自分の義務なのだと。
「双子を確実に見分ける。シンプルだが素晴らしい技だった。これを生み出した女性は、その技でメディアに出て有名になろうとしたが」
言葉には痛みが混ざっている。
振り返りたくないことを振り返り、拾いたくない思い出を拾う。
それもまた、彼の役割。
この世界に呼ばれた理由。
※
ビルに切り取られた夜空に、まばらな星。
七沼遊也という男にまとわりつく泥がある。五体をからめとり、全身に重さを与え、目に見えず香りもない泥。
不幸とか不運という泥。
飛躍を拒み展望を閉ざし、成功とか成就という言葉を遠ざける。暗澹たる運命の流れ。
結論から言えば、石月コガネがテレビに出ることはなかった。
七沼が何かをしたわけではない。七沼は彼女をいくらかの人物に紹介し、石月コガネは己の技術を売り込んだ。テレビマンとして可能な限り彼女に協力した。
だが出演は叶わなかった。プロデューサーの思い描く番組にそぐわなかったとか、他の大きな企画のために収録が流れたとか、理由はいくつかあるが、究極的には運が悪かった、としか言いようがない。
「お母さんが、田舎に帰ってこいって」
そんな話を持ち出されたのは、うだるような熱帯夜のこと。
夜の街にて、自販機の集会所のような一角。
深夜の一時。長時間のバイトを終えた帰りのためか、コーラを飲むコガネは気だるく見えた。
そんな夜にも肩にはオウムを乗せている。鳥は鳥目と言うが見えているのだろうか。コガネの肩にあってきょろきょろと眼球を動かしている。
「私もバイトの掛け持ちとか大変だし、また店長とケンカしちゃったし、今のアパート1DKなのに家賃高いし、友達の結婚式に出なきゃいけないし、なんだか疲れてきたな、って……」
七沼は何となく察していた。彼女は東京に染まりきれなかった。
仕事がうまくこなせない。対人関係でトラブルが多い。意図せぬ出費が多く生活が苦しい。そんな言葉がいつもついて回る日々。テレビに出たいという気持ちが無ければ、東京には来なかっただろう。
「実家におばあちゃんがいるんだけど、病気で立つこともできなくて、私が家にいないのはなぜかって毎日聞いてるらしくて、お母さんも帰ってきてほしいって」
七沼は黙って聞いている。彼女は帰ることが必然であると説明しているようだった。自分へ、あるいは自分たちを囲む自販機へ。
「でも私……帰りたくなくて。田舎はなんにもなくて、毎日同じようなことの繰り返しで、私までそうなってしまいそうで」
それも本心なのだろう。帰りたい気持ちと、東京にいたくない気持ちがせめぎ合っている。
どちらかを選ぶという話では無い。
石月コガネはどちらも選べない。帰ることが必然だといくら自分に言い聞かせても、その選択肢を選ぶ自分が想像できない。
思い描く自分の姿。そこから外れた姿を選べない。それが彼女の苦境だと感じる。
「私、もう少し頑張ってみたくて」
「帰ったほうがいい」
がこん、と自販機の受け口に缶コーヒーが落ちる。七沼はカフェイン中毒者ではあったが、それによって眠気を遠ざけるとか、甘さで疲労回復になるとかを意識することはない。
七沼の顔は石月コガネから背けられ、表情は夜の奥に隠れている。
「七沼さん、でも私」
「テレビに出ることは一種の自己実現かも知れない。でも隠し芸で一度出たからって、それが人生を左右したりしない。テレビに出るための努力に人生の一部をかけてはいけない」
「でも、クイズ王は」
「それは結果だ……。歌でも、スポーツでも、仮装でも何でもそうだけど、基本的にはそれ自体を楽しんでる。テレビに出ることは結果なんだ」
石月コガネは、ただ悲しげな顔をする。
そして闇の中の七沼へと歩み寄り、その胸に額をつける。
「でも七沼さん、言ってくれたよね、君の技はすごいって。きっとテレビに出られるって」
「双子当てでテレビに出て、それで本当に君は誇りを得られるのか」
え、とコガネが己を見上げる。
奇妙な静寂。音の隙間。周囲の自販機のぶうんと唸る音がひときわ高くなる。
石月コガネの目はみるみるうちに円に近づき、息が荒くなっていく。何か破滅的なことが、己に起きるという予感が――。
「あの双子当ては、君の技術じゃないのに」
※
「必ずイカサマが仕掛けてあるはずだ!」
中央ホールにて、すべての調度をひっくり返す勢いで物探しが行われている。メイドたちは困惑の顔を浮かべながらも絵画を外し、絨毯を剥ぎ取って「何か」を探す。具体的に何が仕掛けられているのか、誰もわかっていないが。
問題制作を担当していた三人は満月王の前に並び、何度も質問を受けていた。
「問題を見られてはおらぬな!」
「はい、確かでこざいます。ユーヤ様は試合の直前までホールに籠もっておりました、私どもが問題を作っている書庫には近づいてすら」
「あの異世界人に「様」などつけるな!」
苛立たしく足を踏み鳴らし、何度も確認したことをまた問う。
「どんな小さな事でもいい! あの異世界人がイカサマをしている気配はないか!」
メイドたちは答えられない。しかし抗弁もできず、ただやるかたない眼差しを返すのみ。
「なぜだ……なぜあの男は当てられる……」
あるいは、この場で満月王がすべての問題と答えを確認することも可能であった。
だが悩んだ末にそれは行わない。この肥え太った人物なりのプライドがあったのかもしれぬし、数十問もの問題を記憶しておける自信がなかったこともある。
「あの異世界人は油断なく周りを見ている……。メイドに答えを伝えさせる方法も、おそらく見抜く……」
意識せざるを得ない。己の敗北の可能性を。
「負けたら、やつを元の世界に帰すだと、そんなことは、くそ……」
「ご、ご主人様」
と、メイドの一人が声を上げる。
「何だ」
「か、関係があるかは分かりませんが、鳥かごの位置が変わっています」
「何だと」
動物は満月王にとってコレクション以上の意味を持たない。さして愛でることもないため、檻の位置は意識していなかった。
「鳥かごは入り口から見て右側に集中しておりました。しかし、いくつかの鳥かごが反対側に移されております、大型のオウム類などが」
「む、そういえば確かに、絵画や彫像の配置には変化ないか」
「ございません……なぜか、鳥かごだけが」
ユーヤが動かしたとしか考えられない。
だが何故?
(まんべんなく鳥かごを配置している)
(それは――どこからでも見えるように?)
あの異世界人は、想像を超えてくる。
もし、鳥かごを動かしたことに意味があるなら。
「まさか……」
※
「鳥だ」
七沼は、己の胸元、怯えるような驚くような、こわばった目を向けるコガネに言葉を落とす。
「鳥が双子を見分けている」
「な、何を……」
石月コガネはぐっと息を飲み込む。少しでも動けば、己の器から何かがこぼれ落ちそうだった。
「何を言ってるの……七沼さん」
「鳥は人間の数倍の視力を持っている。イヌワシなどは人間の8倍の視細胞を持ち、また人間の赤、緑、青の視細胞に加えて、紫外線を見ることのできる四番目の視細胞を持っている」
「う……」
足に力が入らない。周囲の自販機が数十メートルも遠ざかる感覚。よろめくように後じさる。
「まだ論文にもなっていない話だが、レントゲン写真を鳥類に観察させ、人間では見つけることが困難なミリ単位の病変を見つけようという話もある。ならば双子を見分けることも可能なのではないか。人間では絶対に気づかない肌の凹凸を見抜き、人間には見分けられない肌の色を見分けられるのではないか、そう考えた人物がいた」
「やめて……やめてよ、七沼さん、どうして」
「それが君だ。だがこれは、人間がやるよりインパクトがあるとも言える」
石月コガネは肩のオウムをさっと手で隠す。まさか奪われるわけもないが、本能的な動きだった。
「調教するのも並大抵の苦労じゃなかったはずだ。立派なことだ。そのオウムを売り込めばいいじゃないか」
「駄目なの!」
空気を引き裂く叫び。自販機の谷間から漏れ出て街に拡散していく、遠くにいたカップルは振り返らない。彼女の叫びは、かろうじて七沼だけに届く。
「この子じゃだめ、私が出たいの。私が注目を浴びたいの」
「……テレビに出ることが一種の自己実現、名誉欲を満たす行動なら、君だって有名になれる。科学者だって注目するだろう。お金だってきっと手に入る。何が不満なんだ」
「そうじゃない。私は」
真上を見る。つられて七沼も見れば、街の灯にあぶられた空にはいくつかの一等星が見えるのみ。
今日は新月だろうか。その思考になぜか既視感を覚える。
「私は月になりたいんです。唯一無二、誰もできない技を持った人になりたい。本当にはできなくてもいい、私にしかできないと信じてくれる人がいればいいの」
「月……」
「この子ができる技なら、きっと他の鳥だってできる。七沼さんの言うように大型の猛禽類はもっと目がいい。そのうち一般的な技になって、きっと私のことなんて忘れてしまう」
白い体に王冠のような黄色のトサカ。オウムは己の話をしているとは分からないだろう。肩の上にて身をゆすり、エサをねだるように主人の耳を甘く噛む。
「世界で誰もやったことのない事象だ。世界初という名誉では不満なのか」
「この子の付き人になれっていうの!」
声が東京の街に吸い込まれていく。石月コガネがどれほど叫んでも、東京の夜の重みがその声を押しつぶす。
七沼は石月コガネという人物の必死さを意識する。
個性的な格好をして、快活に溌剌に、常に笑っていなければ世間に埋没してしまう。彼女の立ちふるまいのすべてが、自分で自分を忘れないようにする足掻きのように思えた。
「この子が注目されたら、私はきっとみじめになるだけ。同じような技ができる鳥もたくさん出てくる。私を見てくれなくなる。私はただの星の一つになる」
石月コガネは震える腕で七沼にしがみつき、潤んだ目を向ける。
「七沼さん、助けてよ。私を助けて」
それは懇願でもあり、恫喝のようでもあった。
彼女は波間に浮かぶ板切れのように七沼を掴む。もし振りほどけば、己は海の底に沈んでいくと脅している。
だが、七沼は何もできない。
そこから先は一言も交わされなかった。石月コガネの腕をほどき、缶コーヒーの空き缶をゴミ箱に投げ捨て、何かを言っているコガネを後にしてその場を去る。
自分は石月コガネを見捨てたのか。
そうは思えなかった。何者かになろうとあがいている人間、何者にもなれずに東京を去っていく人間、そんなものは星の数ほどいる。
そして、それらの人々もまた、去っていった先で何者かになるのだ。石月コガネには帰る家もあり、求めてくれる家族もいる。たとえ東京を去っても、社会の中で居場所を見つけるだろう。
石月コガネという人物の話は、ここで終わっている、彼女は東京を出たのか、田舎に帰ったのか、結婚はしたのだろうか。何も知らない。七沼遊也とすれ違った女性の、物悲しい物語。
だが。
この物語には、もう一つの悲劇が隠れている。
七沼は夜の底で立ち止まり、星を見上げた。
本当に救いようがないのは自分のほうだ。
そんなことを思う。
石月コガネには、最後まで言えなかった。
七沼遊也の身に起きていたことを、人生の大いなる皮肉を――。




