番外編 無月の城と満月の王 5
「では勝負を始めます。司会進行は私、メイド長のレピが務めさせていただきます」
それはひときわ背が高く、雪よりも白いエプロンとヘッドドレス、そして綿のように柔らかな白い肌のメイド。カル・キは自分と同じ雪の民ではないかと思ったが、顔立ちは民族の特徴を持っていない。
(……そういえば、どのメイドもそうなので見落としてましたが、一般的な人に比べると肌がとても白い。こんな夜だけの雪山で暮らしているから、でしょうか)
そこではっと気づく。司会をレピというメイドに任せて良いのだろうか。本当に公平が担保されているのか。
だが、自分の主がその可能性を考えないはずもない。ユーヤが何も言わないので、カル・キも黙っている。
「回答はお手元のカードで行ってください。裏返して伏せて、合図と同時に表にしていただきます」
満月王とユーヤはそれぞれテーブルを前にして対峙する。テーブルには金属製のカードが二枚、置かれている。
獣の檻と名画の数々、居並ぶメイド、どことなく浮世離れした光景の中で、勝負の幕はゆるゆると上がる。
「では第一問です」
レピは落ち着きがあるというより、動作が極端に小さい人物だった。口元だけを動かすと、別のメイドが1メーキ四方に引き伸ばしたパネルを大きく掲げる。
映っているのは双王の一人。
赤いビキニの水着で、プールサイドで高くジャンプした一瞬を切り取っている。ウェーブのかかったボリュームのある髪。自信と高慢さを備えた強気な瞳。歯を見せて笑う顔には挑発的な、あるいは挑戦的なものが潜む。満月王ならずとも、心技体すべて一貫性のある双王の完成度を感じずにはいられない。
「おお……これは3年前の「裸足の楽園」、37ページのショットですな。実にお美しい。この世にこれ以上に素晴らしいものがありましょうか……」
(やはり、暗記している)
カル・キはかるくほぞを噛む。出題範囲がこの城にある蔵書であれば、満月王はどれほどこの写真集を見てきたのか。あるいは、人間の尺度を超えるほどの時間を。
「満月王、早くカードを」
ユーヤが言う。刑務所で看守が放つような芯の入った声。発言に緊張感を乗せている。
見ればユーヤはすでにカードを伏せている。いったいいつ伏せたのか、その場の誰も気づかなかった。
「よろしい。迷うまでもありませんが、こちらです」
双方がカードを伏せると、レピが大量にある封筒から「1」と書かれたものを開ける。
中にあった紙には「ユギ」の言葉。
「お二人とも、カードを表に」
カードを開ける。カードの表には女性を抽象的に描いた図案。蒼で描かれており、下には「ユギ」の名が。
「お二人とも、正解でございます」
淡々とした流れである。カル・キは当たり前のように進行している戦いに、わずかに恐ろしさを覚える。
(……今のは確かに、ユギ王女のように見えましたが)
わずかだが、ユギのほうが表情がはっきりしていて笑顔が明るく、王族としての覇気に満ちた印象がある。対してユゼは何かを企むような不敵な顔、妖艶で謎めいた流し目、どこかに残る幼さ、そんな印象である。
だが、写真だけでは自信を持って答えられない。
写真集を暗記している満月王はともかく、ユーヤはどうやって見分けているのか。
「第三問、これは新聞の一面に載ったモノクロ写真になります」
満月王【ユゼ】
ユーヤ【ユゼ】
「答えはユゼ様です。お二人とも正解でございます」
「第七問。ある映画から切り取ったワンショットです」
満月王【ユギ】
ユーヤ【ユギ】
「答えはユギ様です。お二人とも正解」
「ほっほ、なかなかおやりになる」
10 問を終え、満月王は太鼓腹を揺すって笑う。実際には太鼓と言うより、油の詰まった皮袋のような腹だったが。
「ユーヤどの、あなたもかなり双王に通じているようですな。写真集はもちろんですが、映画なども見ておられるのですな」
「別に、一度も見たことはない」
ユーヤは素っ気なく答える。満月王はどうもその手の挑発めいた言動をやり過ごせないらしく、マントの裾を揺すってから顔を赤くする。
「それは、はっは、よろしくないですな。双王の出演した映画は17本ほどありますが、どれも傑作でございますよ。私などはやはりデビュー作の」
「そんなことより問題がぬるいんじゃないのか」
満月王の言葉を断ち切るように言う。言われたレピは表情を崩さず答える。
「問題は徐々に難易度が上がるように、100問ほどご用意しています。申し上げにくいのですが、これほど鮮やかなお答えがあるとは思っておりませんでした」
「11問目から40問目までは飛ばしていい、41問目から出してくれ。満月王も異存はないな」
「……無論です」
ユーヤは場を緊張感で満たそうとしているようだった。パーティの余興のようなクイズなのに、つばを飲み込むのもためらうほどの静寂が降りている。
周りの猛獣も、極彩色の鳥も、鳴き声ひとつあげずに勝負の様子を見ている。
「41 問目はこちらです」
言葉を受けて、メイドの一人が提示するパネル。
それはモノクロ写真。ライブシーンのようだった。観客席に向けて銃の形の指を向ける双王、それを背後から写した図。
「むっ……」
かたん。
満月王が悩む素振りを見せた瞬間、ユーヤがカードを置く。
今のはカル・キにも分かった。ことさらに大きな音を立てて置いたのだ。
「ぬっ……」
「どうした満月王、分からないのか」
「わ、分かりますとも、これは……」
(ライブ映像の切り取り……だが、モノクロに加工されている)
(これは二年前のワールドツアー、ハイアードキールのヴァッサール宮での公演。ライブ映画では27分50秒のあたり)
(た、たしかこの時、観客席に指を向けたのは)
かたん。
「封筒を開封いたします。正解はユギ様です。カードを表に」
満月王【ユギ】
ユーヤ【ユギ】
「ぐっ……」
(なぜ当てられる)
(なぜ、この問題を一瞬で)
「休まずどんどん行こう、メイドさん、次の問題を」
そして。
「58問目……双方とも正解です。では次の問題……」
「う、うう……」
満月王が、初めてはっきりと苦しさを見せる。
問題には対応できている。記憶の箱を漁り、頭に詰め込んでいる情報を総動員して答えている。
だが、セレノウのユーヤは。
この得体の知れない不気味な男は、何の苦も無く答えている。どれほど問題を重ねても、この男が揺らぐ気配が見えない。
その脅威はカル・キも感じている。何か、人間の理解が及ばぬほどの戦いが行われている、と。
59問目、なんとお面を被っている。猿を模したと思われる、顔をすべて隠す面だ。
かたん。
間髪を入れず金属板を置くユーヤ。満月王がだんと足を踏み鳴らす。
「なっ……なぜだ! なぜ答えられる! お前がこれを知っているわけがない!」
「知っているとも。双王とは一緒に旅をしている仲だ」
「そうではない! この写真が載っている「つぶつぶがたり」はラジオ番組の会報だ。この城でも私の部屋に一部あるだけだ、なぜ……」
「知識で応えようとするから見えない」
ユーヤはあらぬ方を見て、肩から力を抜きつつ言う。
「双子だから同じ顔に決まっている。浅はかな理解だ。この世にはそんな理解が満ちている。朝は毎日違うのに、雨は降るごとに違うのに、誰もが朝は朝、雨は雨と一元的な理解をする。この世に同じ名前のものはあっても、同じものは一つもないのに」
「私が双王を見ていないと言うのか!」
「満月王、あなたは勝負の場にやたらと自信満々で現れたな」
ぐ、と息をつまらせる。その頬がぷっくりと膨らんだように見えた。
「あの時の顔は知っている。クイズ大会の前に十分に知識を詰め込んできた者の顔だ。時間をいじったな?」
「な、何を」
「おそらく数千時間、城の蔵書を復習したな。この城の蔵書から出題される以上、すべて暗記し直せば負けるはずがないと結論を出したな。それが雑な理解だと言っている。写真は加工できることを分かっていない。一枚の写真からは無数の問題が発生する。そしてどれほどの量を詰め込んでも、99.9%以上が無駄になる。どんな精神性を持っていても、大半が無駄になる作業に無限の時間はかけられない」
「ば、馬鹿な、ではお前はどうやって当てるというのだ。いかに異世界人とはいえ……」
「僕のことを知ってるのか。それなら分かるはずだろう。僕がこれまでどれだけのものを破壊してきたか」
破壊、という言葉が質量を持って場に残るかのようだった。ユーヤは机の端を掴んで言う。
「この双子クイズは素晴らしいジャンルになるかと思われた。だが結果としては壊れてしまった。どんな難問でも百発百中で当てる人間が現れたんだ。しかも傍で見ている人間にはなぜ当てられるのかさっぱり分からない。競技としては成立しなかったんだ」
「百発百中だと……一体どうやって」
「メイドさん、問題を一気に飛ばす。81問目から出題を」
言われて、この雪山のように落ち着いたメイドは初めて顔を曇らせる。
「ユーヤ様より渡されたメモに沿って作成しましたが、81問目から先は、とても勝負に耐える難易度とは」
「構わない、やってくれ、満月王も承知だな」
「す、好きにするがいい……」
(まさか、メイドたちがこの異世界人と内通を、答えを教えて……)
(いや、こいつらは私を裏切れないはず……)
「81問目はこちらです」
それは空撮である。どこかの公園のようで、人垣が円を描く中に頭頂部だけが見える人物が。
かたん。
「なっ……!」
ユーヤが回答している。中央の点が問題となる人物かどうかも分からないのに。
レピもさすがに目に動揺を見せた。寒さに凍えるように唇を震わせて言う。
「こ、この、中央にいる人物が問題でございます」
写真の解像度は高く、よく見ればつむじの位置ぐらいは分かる。つま先もわずかに見えている。
これで双王を判別する。
その事実にカル・キの背骨に戦慄が走る。常軌を逸した事態が進行している。
「あ、主さま、お答えを」
「待て!!」
瞬間、満月王が二倍に膨らんだように見えた。ごう、と吹きすさぶ暴風に似た声。何人かのメイドが反射的にしゃがみ込む。
「回答はする……これはユゼ王女だ。映画「稲妻は海に落ちる」の冒頭部分だ、どうせお前も当たっているのだろうが……」
居並ぶメイドにするどく眼光を走らせる。口から火でも吐きそうな面相になっており、目は左右が別々に動くような奇妙な挙動を見せる。
「アズマ、オンティロ、バル―、我が問いに答えよ! お前たちはそこにいる異世界人と内通し、問題とその答えを教えたか!」
即座に三人が立ち上がる。腕が痙攣しており、首が座っていないかのように頭をぐるぐると回す。目は白目をむいて、誰かにこじ開けられるように口を開け、舌が引きずり出されるような錯覚が。
「教えておりません」
三人がほぼ同時に答える。満月王は他のメイドたちにも声を飛ばす。
「我が問いに答えよ! この中に異世界人と内通し、何かをたくらんだ者はいるか!」
「わ、私が」
一人のメイドが立ち上がり、ユーヤは苦々しい目でそちらを見る。
「貴様か!」
「問題制作の三人に接触し、ユーヤ様に答えを教えると持ちかけました。し、しかし、ユーヤ様はお断りなされました。その後は接触しておりません」
「ぐ……」
「もういいだろう」
ユーヤはことさら酷薄な目を向ける。見下げ果てたとかあきれ果てたとか、そのような感情をたくみに声に乗せる。
「僕が不正をしてるとか、メイドと内通しているとか、その雑な理解は見るに耐えない」
「だ、黙れ! 万全を期しているだけのことだ!」
「まあいい。疑いが晴れたなら勝負を続けよう」
「ま、待て……少し熱が入りすぎた。休憩を入れたい」
「休憩か、それもいいが」
ユーヤは壁の方を見る。無造作に置かれた猛獣の檻や鳥かご、その向こうにある名画。そして壁の向こうにあるはずの吹雪を。
「あまり時間を置かない方がいいんじゃないのか。僕のことを誰かが探さないとも限らない」
「はっ……この城に誰も来れるはずが」
「そうか? 雪山を歩いている時に、こんなものが落ちてたんだがな」
はらはらと、いつの間にか指でつまんでいたそれを落とす。
それは何かの毛のようだ。短くて淡い灰色。かさかさに乾いている。
それは効果覿面だったようだ。満月王は目が縦長になるほど顔をひきつらせ、肩の中に首を埋没させる。
「あ、ありえない、そんなことが、あるはずが」
「休憩は30分もあれば十分だろう。その後は勝負がつくまでノンストップだ。カル・キ、僕たちの部屋に戻ろう」
カル・キは理解が追いつかないが、この勝負をユーヤが掌握しつつあることは分かる。
あの体毛のようなもの。夜の雪山であんなものが見つけられるはずもない。
十本ほどまつげを引き抜いた右目を指で撫でつつ、カル・キはユーヤの後を追った。




