番外編 無月の城と満月の王 2
※
過日。
高層ビルの谷間にいる。
人工物によって夜が切り取られ、季節の足音は聞こえず、自然の色はどこにもない灰色の街。
七沼遊也という人物は、いつものようにくたびれたTシャツと擦り切れたジーンズ。しかしそんな姿で都会にあっても、不思議と違和感はない。
彼はオープンカフェにいて、電子辞書を片手にメモ帳に鉛筆を走らせている。とあるクイズ番組のための作問作業。彼はちょっとした空き時間であっても仕事から手を離さない。
腕時計を見る。そろそろ時間かと思って腕を下げると、そこに彼女がいた。
「七沼さん、おはよーっ、てもう夜中か、あははは」
やたら元気の良い女性である。アメコミキャラのシャツにデニムのハーフパンツ、黄色のバスケシューズを履いて、白のテンガロンハットをかぶっている。
個性的というよりは奇抜としか言えない格好だが、極め付きには肩の上にオウムを乗せていた。よく育ったキバタン、白い羽に黄色い冠のようなトサカを持つオウムである。
「やーまいったよー、バイトの店長がレジの金盗んだだろ、とか因縁つけてきてさー、ふざけんなって怒鳴って出てきたよー」
「コガネさん、大丈夫なの」
「へーきへーき、盗んでないんだから何も起こんないって」
彼女の名は、石月コガネ。
いくつかのバイト先を渡り歩くフリーターであり、七沼とはとある番組の出場オーディションで知り合った。
「それより勉強してきたんだってば! テストしてよー」
「……分かった、じゃあ」
「あ、そこのお姉さん。私アイスコーヒーとサンドイッチね、あとティラミスも、あっちょっと待って、パンナコッタのほうがいいかな」
いろいと注文している前で、七沼がカバンから解答用紙を抜き出す。
「じゃあいくよ、これに記入して」
「わかった!」
そしてテストが始まる。
「第一問、のび太のクラスメート、源静香、剛田武、骨川スネ夫のうち、一人っ子と思われるのは誰?」
「第二問、ジャイアンリサイタルでよく歌われている「おれはジャイアンさまだ」の歌詞に出てくるひみつ道具を一つ答えよ」
「第三問、ドラえもんの映画の中で興行収入が最も多かったのは――」
ややあって。採点を終えた七沼が赤鉛筆を置く。
「35点、だね……」
「あうう、問題が難しすぎるよお」
20問中7問正解、素人よりはマシという程度だろうか。しかしドラえもんカルトクイズの世界には想像を絶する怪物が何人もいる。このテストなら八割は取ってもらわねば話にならない。
「勉強してくるって言ってたじゃないか」
「いや、したの、したんだよ、マンガ読んだりとか、アニメも見たし、言われた通りメモも取ってるし」
「とにかく、この成績じゃ番組に出すわけにはいかない」
「あうう」
コガネは泣き出しそうな顔になり、サンドイッチをくわえたまま机に顎を付ける。肩のオウムはおとなしい気性なのか、目玉以外は動かさない。
コガネは口の動きだけでパンに挟まったハムと卵を飲み込んだ。
「カルトクイズは無理なのかなあ。ウルトラマンはビデオ揃えるのが大変だし、東京タワーって意外と資料が多くてどこまで読めばいいのかわかんないし」
仕方がないだろう、と七沼も心の中で同意する。しょせん、付け焼き刃の勉強で太刀打ちできる世界ではないのだ。
石月コガネ、この人物のやる気には注目しているが、そもそも勉強に向いてる性格ではないらしい。
「あきらめる?」
「ううん! それはイヤ!」
机に拳を置いて背筋を伸ばす。白のテンガロンハットがゆらゆらと、夜に浮かぶ船のように揺れた。
「何でもするから! カルトクイズがダメなら他のこと紹介してよ、どんな番組でもいいから!」
石月コガネ。
彼女との日々は、七沼にとって苦い記憶。
その快活な様子も、奇抜なファッションも、後になってしまえばすべて虚飾だと感じる。
彼女のことを一言で言うなら、「テレビに出たい人」である。
それなりにルックスは良く、はきはきと明るい受け答えはできる。
個性的なファッションでのキャラ付けにも余念はない。肩のオウムは七沼もやりすぎだとは思ったが、やる気の表れと言えなくもない。
七沼はそんな彼女に注目して、いくつかの素人参加型番組を紹介していた。
コガネを見る。彼女はにこりと笑い返す。前向きな姿勢を見せているのだろう。そのようにまっすぐ見つめて来る目に、七沼は逆らいがたい気持ちになる。
「じゃあ……深夜帯の方で番組の企画があるんだけど、漢字クイズの番組なんだが……」
「か、漢字……や、やってみるよ!」
「予選会の日付がけっこう近いんだ……頑張れる?」
「うん! がんばる!」
「……コガネさん、なぜそんなにテレビに出たいの?」
紹介するのはマイナーな番組が多かった。さほど高額な賞金が出るわけでもない。視聴率も高くはない。
だがコガネは出たがった。七沼に予選会を紹介され、オーディションを受けるも落選が続く、そんな日々が続いていた。
「そりゃ出たいよお、テレビだよテレビ、電波に乗っちゃうんだよ」
「あまり大きな番組じゃないよ。昔は数多くのクイズ番組を渡り歩くマニアも存在したけど、今は……」
「うーん、あらためて言われると難しいけど」
彼女は空を見上げる。
オープンカフェからは都会の夜空が見える。いくつかの一等星は確認できるが、月はない。ビルの影に隠れているのか、それとも新月なのか。
「私、お月さまになりたいんだあ」
「月……?」
「そー、満月。夜に一つだけ浮かんでるお月さま、そんな人になりたいの」
ユーヤも空を見ようとしたが、星が少しぶれて見える。仕事のしすぎで慢性的な疲れ目なのだ。
世界には、月のような人間はいるのだろうか。
世界的な歌姫。時代を代表するような俳優。あるいは長者番付のトップをひた走る漫画家。
石月コガネの目標がそれだとしたら、無謀としか言いようがない。
視線を前に戻す。石月コガネは空に手を伸ばしていた。
顎を高くそらし、細い腕をまっすぐに伸ばす。指に絆創膏が貼られている、バイト先での傷だろうか。
また空を見る。
月はどこにも見えなかった。
※
「月を食べた……」
「左様、信じるか信じないか、それは勝手にすればよいでしょう」
満月王は腕を軽く突き出す。するとメイドによって白い手袋がはめられた、その手で本を慎重に開く。
「おお……見るだけで目が潰れそうですな。何という若々しい生命の輝き。みずみずしい果実のような、至高の酒を封じたワインボトルのような……」
感慨深げにそう言って、ほとんど無いに等しい首を回してユーヤを見る。
「勝負は双王カルトクイズ、というのはいかがでしょう。この城には双王に関連する書籍が山のようにありますが、出題範囲はその書籍から、ということにしましょう」
「カルトクイズ……」
「そんな、それはあまりにも満月王に有利ではありませんか」
カル・キが言う。満月王はメイドの方は見ず、贅肉に潰れて細い目をさらに細める。
「ご安心を、月がないということは、月の満ち欠けも無いということ。この城では時間の歩みは意味を持たぬのです。ユーヤどの、あなたが納得するまで何十時間でも、何万時間でも勉強し続ければいい」
「……」
ユーヤは何も言わない。言葉を放つことに慎重になっているように見える。
満月王はそんな様子にやや不満なのか、声を高くして言葉を重ねる。
「ユーヤどのは年も取らなければ、もといた場所での時間の経過もない。ほんのうたた寝の間の夢のようなものです。ここはそのような城なのですよ」
ユーヤは長テーブルに置かれた写真集に目を落とす。本を片手で立ててから全体をしならせ、ページをぱらぱらと落としていく。水着のグラビアのようだ。記憶にある双王よりわずかに若い。
「勝負を承諾いただけますかな。まあ、承諾されないというならそれも已むなし。ただし、この城からは二度と」
「なぜ双王にこだわるんだ」
満月王の言葉にねじ込むように言う。
「それはもちろん、双王が誰よりも美しいからです」
陶然とした目で言う。気のせいか、双王について語るうちに肌色の頭部から油が吹き出すかに見える。
「生まれ持った美しさだけではない。世界の中心であると自負するようなプライドの高さ。権謀術数渦巻くパルパシアを牛耳る手腕。服飾に作詞にと多方面で見せる才覚。何もかも素晴らしい……」
ユーヤは満月王の暑苦しい語りを聞き、ぽつねんとつぶやく。
「それで?」
「……。それで、とは?」
「美しくて頭がいい、多方面への才能がある、そのぐらい僕も知ってる。それがどうしたんだ? そんなことで特別な人間だと思うのか」
満月王の顔にさっと朱色が宿る。皮膚が剥がれたかと思うほど、一瞬で赤く染まった。
満月王は、ユーヤの言葉を挑発だと判断する。
しかし受け流せなかった。奥歯をぎしりと噛んで言う。
「言葉には重々気をつけられるがよろしい……私へならばまだしも、双王のことを侮辱するような言葉は」
「この世に本当に優れた人間はただ一人だけ、誰でもそんな錯覚を抱く時期はあるさ。でもそんなことは無いんだよ。双王は星ではあっても月ではない。同じように輝かしい人間はそれこそ星の数ほどいる」
「そんなことはない!」
土の中から響くようなだみ声。満月王は腕をわななかせる。純粋な激昂でもあり、怒ることは己の義務であると思い込むようでもある。
「セレノウのユーヤ。お前は、双王の魅力を解さないからそのようなことを」
「あなたは魅力が分かるのか? 双王のことをよく見ていると?」
「む……無論だ」
はっと、満月王が声を引く。ユーヤが己から何かを釣り出そうとしていると察したのか。
ユーヤはそっぽを向いて言う。
「どちらにしても、双王について争うのにカルトクイズというのも芸がないな。双王は双王だけで完璧な存在なんだろう? 他人が双王について書いた本を出題範囲にするのは、あまり面白くない」
「……? では、どうしろと言われるのか」
「簡単だ、どちらが双王についてよく知っているか、双王のことをよく見ているか、それを競い合うのに最適なクイズがある。勝負と言うならそれで決めよう」
「む、ぐ……」
満月王は、数秒の逡巡を見せる。
カル・キの見立てでは、満月王はユーヤと勝負をして、あっさりと勝つ以外の展開など考えていなかったのだろう。カルトクイズが仮に公平だとしても、おそらく満月王はこの城にある本の一字一句まで暗記している。だから物理的に負けはない、そう考えていたのか。
(では、そんな満月王と戦うためのクイズとは……?)
「そ、そのクイズとは、何だというのか」
満月王は脂汗を流しつつ、呻くように言う。明らかに人智を超えた存在と思われる満月王ですら、この異世界人を扱いかねるのか。油断ならないものを感じるのか。
「そのクイズとは」
ユーヤの脳裏に去来するのは、都会の隙間にいた彼女。
特別なものを持たず、どこにも行けず、星屑の一つにもなれなかった彼女。
彼女はいつも手を伸ばしていた。
夜空のどこかにあるはずの、月に手を伸ばしていたのだ。
「ユギか、ユゼかクイズ」




