第六十話 エピローグ2
その人物は、黄金の川からすくい取ったような輝かしい髪。
白磁のようなミルクのような、わずかに温もりを留める肌。
そして海よりも深い藍色の瞳。
「エイルマイル!」
布団をはねのけて立ち上がり、その途端に少しふらつく。それをエイルマイルの腕が支える。
「はい、お迎えにあがりました、ユーヤ様」
「久しぶり……本当に久しぶりだ。何年も会ってなかったような気分だ。ラウ=カンで君の載った新聞を見たよ。旅の途中も君のことを伝え聞いた。でもセレノウの事はほとんど情報が流れてこなくて……」
「ユーヤ様……」
互いに相手の実在を確かめるような抱擁。短くさりげないものだったが、何百もの言葉を交わすような感覚がある。彼女は確かにエイルマイルであり、この場に存在しているのだと。
「でも、どうして僕がヤオガミにいると」
「私が定期的に鳩を飛ばしておりました」
後ろの方でカル・キが手を挙げる。ユーヤは片時もエイルマイルから目をそらさない。
セレノウの第二王女、最初に出会った頃は可憐な花のような少女であったのに、その姿には王族としてのカリスマが宿ろうとしていた。眼の光は複雑な輝きを宿し、同時にいくつもの感情を表現するような笑み。それらが彼女の美しさを底上げしている。
「カル・キの言う通り、メイドから情報を受けておりました。パルパシアの魔女騒ぎのことも、シュネスでのカイネル先王との戦いのことも、ラウ=カンでのシュテン大学封鎖の一件も報告を受けております」
エイルマイルはユーヤをまっすぐに見つめる。その目には王族としての威厳の奥に、純粋な喜びや憧憬が潜んでいた。
ユーヤに会えて彼女も嬉しいのだと、そう察せられることを気恥ずかしくも思う。
「ユーヤ様、ようやく準備が整いました。式を挙げましょう」
「式?」
「はい、結婚式です」
枕を挟む程度の距離。彼女の小さな手が、ユーヤの二の腕をぎゅっと握る。
「銀弓都セレノウリフにて準備を進めております。婚礼の儀は華やかに、奥ゆかしく、セレノウの古典に則った荘厳なものとなりましょう。ユーヤ様がセレノウの王室に入り、国民にそのお姿を見ていただく大事な機会となります」
「結婚式、か、そうか、そうだな……」
「ちょっと待った!」
その二人の間に強引に割り込み、無理やり引き剥がす人物。
言わずと知れたパルパシア第二王女、ユゼである。
「っと……ユゼ王女、どうされましたか?」
「エイルマイルどの、ユーヤは我がパルパシアに連れて行く。我ら双王とともに双子都市にて快楽の日々を過ごすのじゃ」
エイルマイルはその言葉を受け止め。
特に動揺するでも戸惑うでもなく、片頬に指をあてて微笑む。
「あら、そう仰られましても、私とユーヤ様はすでに婚姻を結んだ関係ですので」
「ハイアードの役場に書類を出しただけじゃろ、そんなもの国境をまたげば無効じゃ。セレノウ王室の人間と、異世界人であるユーヤはどちらもハイアードキールの市民ではない。婚姻が成立してるかも怪しいもんじゃ。だいたいあれはハイアードの王子のたくらみを阻止するための窮余の一策、結婚とゆーものはもっとこう……あ、愛とか、そういうのがあるべきじゃろ」
エイルマイルは薄く笑う。
「ユゼ王女は、ユーヤ様と相思相愛だと仰るのですか?」
「やがてそうなる」
「なるの?」
ユーヤがぽつねんとツッコむが、二人ともそれには反応しない。
「ヤオガミには埋という諜報機関があったが……」
ふと、ユゼは話題を大きく飛ばす。
「我がパルパシアも各国へ諜報を出しておる。セレノウは閉鎖的な国ゆえ情報は少ないが、それでも色々と耳に入って来ておるぞ」
「……」
ユーヤはついと視線を送る。エイルマイルがポーカーフェイスに切り替えたことが分かった。
「私は、けしてユーヤ様を厄介ごとに巻き込もうとはしておりません。国内の混乱は収まっており、王室入りの準備は十分に整っております。だからこそお迎えに上がったのです」
「そうじゃろうとも。ユーヤを道具のように使う魂胆が見えたなら、無理矢理にでも攫っていくところじゃ。これはエイルマイルどのの認識とは関係ない。一種の運命論じゃ。ユーヤがセレノウに渡れば、必ずやクイズでの戦いに巻き込まれる。我のカンがそう告げておる」
「ユゼ王女、憶測だけでそんなこと言うのは良くないですよ?」
「ズシオウよ、おぬしはセレノウという国を知らぬから……」
「……。ユーヤ様」
エイルマイルは、そこで感情を奥に隠した目をユーヤに向ける。
「ユーヤ様は、どうお考えですか。私とともに、セレノウへ行っていただけますか」
「僕は、そのために喚ばれた」
周りの人間は、固唾を呑んで見守っている。
それというのもユゼ王女の気配のためだ。仁王立ちする姿にはくだけた気配がない。彼女が本気であり、ユーヤが決断を迫られていると理解させられる。
「セレノウの鏡を守るという、当初の目的は達したけど、まだこの世界には不安要素が残ってる。それを調べないといけない。セレノウでエイルマイルの姉と、セレノウの国王陛下にも会っておきたいし」
「ユーヤよ」
特に声を張り上げるでもないのに、ユゼの声量は凄まじい。胃の底から反響させながら上がってくるような声。
「それがお主の生き方か? お主の真実の姿なのか? よく考えよ。この世界には価値のあるものが山ほどある。パルパシアには美食もあれば、絵画や舞踏、映劇に服飾、ラジオ局や映画館も充実しておる。お主が捧げるものは本当にクイズだけか? よく考えるのじゃ」
ユーヤは。
ユゼ王女のその言葉が、なぜか心の奥に響くような気がした。
(……真実)
一瞬、ユーヤの意識は肉体を離れ、過去へと迷い込むような気がする。
思い出すのは、最初に出会ったクイズ王。
どこの誰とも分からない。
どこへ行ってしまったのかも分からない。
思い出すのは早押しの技量だけ。
(僕は……彼女を実在のものとして、とどめようと)
(彼女は少年期の幻なんかではない、現実の存在だったのだと……)
(そうだ、あの時……)
七沼少年は、彼女をクイズイベントに連れ出した。
そのとき、対戦相手のクイズ王は、「考えて押してない」ように見えて、そして彼女は会場から消えた。
あれは、対戦相手の不正に気づいて戦えなくなったのか。
それとも、対戦相手が「消える手」に近い技を使っていて。
唯一無二の技だと思っていた彼女のプライドが砕かれ、その場にいられなくなったのか。
ふと、そんなことを思い出す。
脈絡のない思い出の浮上、それが何故か愉快だった。
生きる道を決めた決定的な存在さえ、実際はどうだったのか分からない。
大いなる人生のいたずら。複雑怪奇な運命の皮肉なのか。
(そう……この世において何一つ、確実にそうだと言えるものはない)
それでいい、と、今はそう思える。
どれほど追求しても、真実など分からない。
仮に幻だったとしても、七沼という男の記憶には残っている。
すべては曖昧で、揺れ動き、確定したと思ったものにもさらに奥がある。
それが本質なのか。
真実とは到達するものではなく、永遠に追い続けるものなのか。
「わかったよ」
そう答える。
しばらくは、誰もその言葉の意味が分からない。
ややあって、ズシオウが飛び上がらんばかりに驚いた。
「ゆ、ユーヤさん! まさかパルパシアに行くのですか!?」
「いいや、ここは二人の決闘で決めよう」
そして、エイルマイルの肩にそっと手を乗せる。
「ごめんよエイルマイル。確かに約束はしたけれど、ユゼも僕を求めてくれている。早いもの勝ちとはしたくない」
「……いえ、早いもの勝ちとは思っておりません。ただ少し、意外だったもので」
「クイズだけが僕の生き方とは限らない。考えてみればその通りだ。もしユゼが勝ったなら、僕は本当にクイズを捨てるかもしれない。やっと捨てられるかも知れないんだ。人生でこんな気分になったのは初めてだ。だからエイルマイル、君には真剣勝負に挑んでほしい。君が勝てば、僕はもう少しだけクイズとともに生きる。その人生だって嫌いじゃない。君とユゼに、運命を委ねてみたいんだ」
「ユーヤ様……」
エイルマイルは。
そのユーヤの様子に、柔和に微笑んでみせる。すべてを受け入れるような慈愛の笑み。
「私は嬉しく思います。ユーヤ様は旅の中で多くのものに出会ったのですね。それがユーヤ様の視野を広げてくれた。ユーヤ様は、きっとより一層大きくなられたのですね……」
「ええい、事あるごとに抱きつくでない!」
がん、とユーヤを蹴り剥がすのは蒼のタイトワンピース、ユギ王女。
双子は互いに背中を合わせ、羽扇子を左右対称に構える。
「エイルマイルどの! ユーヤの身柄はクイズに託された!」「ならば今現在はユーヤは誰のものでもないわけじゃ!」「過度のお触りは禁止とさせてもらおうぞ!」
「……仕方ありませんね」
双王は何やら自分のほうに風が吹いてきたと感じたのか、鼻息が荒くなってくる。
「それでユーヤよ! どんなクイズで勝負するのじゃ!」「イントロでも歌詞埋めでも音感クイズでも何でもよいぞ!」
「堂々と得意なもんばかり上げるんじゃない」
ユーヤはつらつらとクイズを思い浮かべる。
しかし、エイルマイルと双王となると何で競うべきだろうか。王道の早押しクイズでもいいが、何か違う気がする。
と、そこへ羽虫のように飛来する、小悪魔的な発想。
「……あ」
「? ユーヤ様、どうされました?」
「ズシオウ……ちょっと会場を借りられるかな、時間がかかる勝負だから、あまり人目につかない、そう、隈実衆の里あたりで」
「はい、よろしいですよ」
ユーヤはにやりと笑う。そのような何かを企む笑いが自分から出たことにも驚いた。
「では二人にはとっておきのクイズで競ってもらう。これもある意味では究極のクイズ、心技体のすべてが問われる大いなる祭典だ」
「はい……どのようなクイズでも、お受けいたします」
「ふ、このユゼにできない事などない、どんなクイズでも受けてやろうぞ」
ユーヤは満足げにうなずき、そして一瞬、己の運命に思いを馳せる。
クイズを捨てるかもしれない。
その初めての想像が、今だけは心地よかった。
「そのクイズとは……」
※
旧街道を歩く。
山あいを縫って進む旧街道は人通りの絶えて久しく、飛脚や商人などはみな新道を選ぶ。道は左右に丈高い草が茂っており、左右には杉の巨木が視界深度の果てまで続く。
三度笠を被って進むのは三人。
男女の二人が先導、最後の人物は手と足に鎖をかけられていた。満足に歩幅は取れないながら、淀みなく歩く。
「なー師匠、まだ遠いのかな」
「700里の彼方よ、まだまだじゃなあ」
先に立って歩くのはツチガマとタケゾウ。ツチガマはいつもの緑の裳裾であり、タケゾウも変わらず胴丸鎧を服の代わりにしている。それに加えて脚絆と、イノシシ皮の合羽という装いである。
手鎖をかけられた人物も同様の旅姿。その人物は口一つきかず、ずっとついて歩いている。
クロキバは、辺鎖州の牢へ幽閉となった。
なぜ白桜城の牢ではなく、ヤオガミの南端ともいうべき辺鎖州なのか。重役たちがクロキバを恐れたこともあるし、何者かがクロキバを奪還にくる可能性を考慮したこともある。
任を任されたツチガマとタケゾウは、真夜中にフツクニを出て、陸路にてクロキバを護送していた。
「でもこの鎖は目立つんじゃねえかな、宿とか泊まれるかな」
「は、宿になぞ泊まらぬわ。日がもう少し登れば街道も外れる。山道をひたすら南へ歩くのよ」
「うげー」
タケゾウは背後を見る。クロキバはうつむいたままで、妙な様子はない。足取りは幽鬼のようで、意識らしきものも見えない。
「船とか使おうぜ師匠、なあクロキバ、あんたもそう思うだろ」
「話しかけても無駄よ、神に精神を焼かれたのよ、もはや何も考えられぬ抜け殻に過ぎんわ」
「へえ……」
旧街道では滅多に人とすれ違うことはなく、もし向こうから人が来た場合でも、1ダムミーキの距離で必ずツチガマが気づき、街道を外れてやり過ごした。それほどに隠密の旅である。
「なんかかわいそうだよな。心を焼かれたってんならもう無害じゃねえのか? 無理に遠くに連れてかなくたって」
「お偉方はそうもいかんのじゃろお、それにこやつはフツクニの裏のことも知っておるからのお」
「私は」
銀閃。
話そうとしたクロキバの首に刀が添えられる。炎の刃紋を備えた長刃。いつ抜いたのか、タケゾウの目でも見えなかった。
「なんじゃあ、口がきけたんかい。尋問にも緘黙だったと聞いておるがのお」
「申し訳ありません。かろうじて思考が可能になったのは、ほんの小半時ほど前なのです」
刀は岩に固定してるかのように動かない。妙な動きをすれば斬ると、五歳の子供でも分かるほどの殺気を放つ。
「私の記憶は水につけた紙のよう。己がクロキバだったことは覚えておりますが、どこで何をしてきたかはおぼろげです。余計な情報を誰かに渡すことは、もう無いでしょう」
「安心せえと言いたいんかのお。罪を減じられるとでも思うておるか」
「いえ、幽閉は甘んじて受けましょう」
クロキバは、そう言ってわずかに笑うかに見えた。
砂のような石くれのような、乾ききって意味の薄い笑い。
「私はもう、この世界に興味がない。私に宿っていた、あの御方の意識は消えてしまった。そして全てが、あの御方の言っていた通りになっていく」
ツチガマが、ふと眉根を動かす。前後数百メーキに人がいないことを音で感じとり、刀で首の皮を撫でる。
「どういう意味かのお」
「私が思い出せることは多くありません。その中で今なお、わずかに形をとどめるのは言葉だけ。あの御方、ハイアードの異能の王子から受けた言葉のみです」
クロキバは上を見上げ、吐息を漏らす。
そこには熱い感情が込められていた。性別不明な人物であるが、タケゾウはその吐息を女性らしいと感じた。
「あの御方は言っておりました。妖精とは何か、妖精が人に与えるものとは何か、そして我々は何を失うのか」
「……先を言うがええよ」
「我々です」
クロキバは言う。
「神が死に絶えれば、我々のような異能が生まれなくなる」




