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第五十五話





「ベニクギ、休憩時間はまだ続いてますか」


問われてベニクギは周囲を見る。日の指し方から時刻を測る。


「いえ、30分ほど経過してござる。おそらく終わっているかと」

「そうですか……一瞬の眠りで百年を過ごす、という昔話のようには行きませんね」

「ズシオウ様、お待ちを」


肩をつかむ。


「ズシオウ様、何か着るものを調達して来るでござる」


白装束を脱ぎ捨てたズシオウ、腰帯に襦袢を羽織っただけの姿となっている。さすがに人前に出られる格好ではない。


「ベニクギ、あなたのさらしを貸してください、今は一刻の猶予もないんです」

「し、しかし」


「いけません」 


びくりと身を固める。岩に根を張った松のような力強い声だ。

呼びとめたのは40半ばの女性。竹と雁を描いた暗色の着物は裾が非常に長い、引きずりと言われる由緒正しい着物である。

螺鈿のかんざしで結い上げるのは日座髷ひくらまげ、身分の高い女性であると分かる。奥殿の女性、それも高位の存在に間違いない。


「白桜の城でそのような着乱れた姿、許されるものではありません」

「いえ、これは事情があって、今はそれどころでは」

「そちらのあなたも何ですか。そのような華美な色の着流しは城詰めにそぐいません」

「せ、拙者でござるか」


彼女はベニクギを知らないようだ。

奥殿では生活の全てをほんの数部屋で完結させ、俗世間とまったく関わりを持たない女性が存在するという。


確かにベニクギの着物は城詰めの色とは言えない。己は城に属さないロニであると示す色である。

無視して先に行くべきなのだが、その女性の高貴さ、場の重心を占めるような威圧感に二の句が継げない。


「誰かここへ」


ぱんと手を叩く。すると廊下の奥から若い女性が出てくる。御中楼おちゅうろうと呼ばれる高位の側室の世話係である。


「こちらの方に着物を用意してください。どこかから清潔なものを調達してくるといいでしょう」

「はい」


姿を消す。廊下の闇に溶け込むように消えたのだ。

ベニクギはその事象で気づく。あれもまたウズミ。クロキバたちとは里が違うはずだが、花に埋もれる狼、奥殿に属するウズミである。


「唇が荒れていますね」


女性は着物の隠しから貝殻を出す。中身は紅を混ぜた植物性の脂である。それをさっと塗る。ほのかに赤く血色の香る色となる。


「お持ちしました」


御中楼が戻ってくるまで1分も経っていないが、桐箱に入った新品の着物を持っている。


「剣術場より拝借した稽古着です。着付けてさしあげます」

「お、お願いします」


ズシオウはされるがままになる。てきぱきと襦袢を脱がせ、腰帯まで新しいものに取り替える。


「よろしい、これで良いでしょう」

「ご、ご迷惑おかけしました……」


小ざっぱりした服に着替えると、さすがに半裸で会場に駆けつけようとしたのはやり過ぎだったと思えてくる。


とはいえ急がねばならぬのは変わらない。ズシオウは深々と頭を下げた。


「おそらく名のある御目見おめみえの方とお見受けします。このような見すぼらしき者に手を差し伸べていただき感謝に絶えません。本来なら重々にお礼を申し上げたいところですが、今は火急を要する最中ゆえ、これにて失礼することをお許しください」

「分かりました。城詰めたるもの、どのような時でも身だしなみを忘れぬように」

「はい!」


ズシオウはまた廊下を駆け出す。ベニクギも一礼してその後を追った。


「騒々しい二人ですね」


その女性は二人の去っていく先を見つめ、ついと視線をそらす。


「少し疲れました。雷問とやら見学しようと思っていましたが、やはり奥殿に戻ります」

「はい」


着物の裾を引きずり、重厚なれどあくまでも優雅に歩を進める。町人とは隔絶した美しさと気品、独特の人間的な凄み。


その女性は、少し歩いてから一度だけ振り返る。

おそらくは俗世に目を向けようとすること、それ自体が極端に珍しい女性ではあったけれど。


「……いえ、そんなはずはありません」


その目にはなぜか、少しの困惑が浮かんでいた。


「あの子はまだ、とおにも満たぬ、はず……」





「では、次が300問目である」



ユーヤ62点 お手つき誤答90


クロキバ:90点 お手つき誤答57



(……誇るがいいセレノウのユーヤ、あのクロキバを相手によくここまで戦った)


「問題、上水じょうすい井水いすい/」


ぴんぽん


「セレノウのユーヤ!」

「かっ……釜通水かまどおしのみず

「……不正解だ、正解は盤水ばんすい上地じょうち


「こりゃあ、お手つき百回で決着かねえ」

「ああ、勘でけっこう稼ぐかと思ったが、思いのほか偶然に当たるってことは少ないな」

「よほど負けたくねえんだろうな……気持ちは伝わるけどよ」


日は中天を超え、強い日差しを閲兵広場に落としている。観客たちもさすがに長時間の観戦で疲れたのか、客席を降りて屋台で水を貰っているものや、打ち掛けを日よけにして気だるく構える者もいる。


「しかしなんでこんなルールなんだろうな。もう3時間もやってるぜ」

「そりゃおめえ、二人にしか分からねえ勝負の深みってのがあるのさ」

「あれだっけ、カルタで言う字切れが起きるとか……」

「クロキバの押しはどんどん早くなってる気がするぜ、きっと贅月の問題が減って、早押しポイントが早まってるんだろうな」


それを超えるとなれば、もはや非常識なほどの勘押ししかない。

しかし、勘はけして勝利に結びつかない。それがクイズ界の絶対の法則。


「もう良いでしょう。セレノウのユーヤ」


クロキバが、見下ろすように言う。事実、もはやユーヤはまともに立っていられなかった。石でも背負うかのように体勢を低くしている。


「90を超えるお手つき、もはやクイズへの冒涜です。試合時間が無駄に長くなっているだけでしょう」

「……」


ユーヤは。

この異世界人は、前だけを見ている。


その世界からもはやクロキバすらいないかのように。


「聞いているのですか」

「次の問題だ」


声はトウドウへと投げられたものだ。


「次の問題を読むんだ!」

「わ、わかった、では第301問……」


(まだだ)


(まだ至っていない)


(必ず実在するはずなんだ)


ユーヤは勝負を続けながら、これまでの出題すべてを暗記し、膨大な量の情報を処理しながら。


ただ、ずっと探していた。


あの技を、究極の早押しを。


(至らねばならない、早押しの極地に)


(彼女のたどり着いた世界に)


ユーヤが提案した、この100マル100バツというルール。その意図するところは戦略性でもなければ、罠を仕掛けたわけでもない。


目指すところはただ一つ、勝負の中で真理を見つけること。


考える時間が、ひらめきを生む勝利の熱が、これまで出会ってきた王のすべてを振り返る機会が必要だった。そのための100マル100バツ。


それでも至れないのか。


そもそもそんな技術は実在するのか。


ユーヤは一人戦っている。

答えがあるかどうかも分からぬ式に挑み続けている。精神の極限で。


「ち、始末におえない」


「問題、ハヤブサの鳴き声を笛/に」


ぴんぽん


「クロキバ」

「薬指と小指」

「正解だ、ポイントを」


「……」


ユーヤは、ふと顔を上げる。


何か、違和感が。


「次の問題だ。問題、黄色と緑を混ぜると黒になるが、同/様に」


ぴんぽん


「セレノウのユーヤ」

「……灰色転化」

「正解だ、ポイントを」


(――あの人物!)


それは客席の一角、稽古着のような白い袴を着た人物がいる。見た目は良家の若侍といった様子。若々しさが炎となって吹き上がるような顔立ち、頬と唇は林檎色をしており、指先は細く繊細さを感じさせる。目は才気に溢れる輝き、大きく丸い瞳で試合を見ている。


その人物は手を中空に構えている。眼の前に架空のボタンを置き、それ目掛けて押してやろうとする構え。


「問題、多くの馬を密集して飼育することを」


手が。


馬邑ばゆうというが、この馬邑とは現/在の」


ぴんぽん


「クロキバ! 答えを」

獣積じゅうせき係数」

「正解だ、ポイントを」


電流が走る。

血管に熱湯が注がれるような高揚。あの人物は、確かに使った。


しかし、あれは誰なのか。


あのあたりにはズシオウが座っていたはずだが、ベニクギともども姿が見えない。


今はそのことよりも、あの人物の手。


脳内でストロボが光る。今の一瞬を数十枚に分割した画像がスパークする。


例えるならば、時間航行機タイムマシン


もし未来人がタイムマシンで現在に訪れたなら、それは、そのことだけで科学者に無数のヒントを与えるだろう。


実在する、それ自体が最大のヒント。


想定していた複数の可能性が消去され、思考が先鋭化され、更に詳細に動作を思い出す。


もう一度。


もう一度見せてほしい、あの技を。


その視線を受ける人物は。


(ユーヤさん……)


手を高く構え、眼の前にある架空のボタンを狙いすます。

ベニクギは背後に、観客席の後ろに控えている。彼女が横にいては、自分が何者なのかと困惑してしまうだろう。


(見てくださいユーヤさん。あなたなら見れば掴めるはず。私の腕を、全身を見てください)


問題が読まれる。音節の一つ一つを体が感じる。

ズシオウの主観で手はゆっくりと動く。鳥の羽ばたきのように。布が空気をはらんで落ちるように。


(「消える手」とは二つの技の複合。その一つは)


ユーヤの意識が同調するのが分かる。彼は自分に気づいている。その全身全霊に同調しようとしている。


(――無段階加速)





「無段階加速、でござるか?」

「そうです」


貴人用の回廊にて、速歩きを続けながらズシオウが言う。


「「消える手」とは手が消えるほど高速というわけではありません。二つの技術の複合により手の動きが認識を外れるという現象なのです」

「そ、それは一体」

「手をこのように高く構えます」


肩からまっすぐ平行に伸ばすような構え、想定としての早押しボタンは30リズルミーキほども下にある。


「問題を聞きながら、手をゆっくりと下げていきます。そして確定ポイントに至った瞬間、一気に押し下げてボタンを打つのです」

「な、なぜそのような? 確定ポイントで押すならばボタンに手を密着させれば良いはず」

「問題文の要旨となるポイントは複数あります、手を動かすべきポイントは一つではない・・・・・・


ズシオウの手の動き。確かに残像が残らない。

より正確に言えば残像が長く尾を引いて弧月を描いている。


「例えば名数問題。赤、青、黄色のどれかを選ぶ問題ならば、「赤、あ」とか「青、き」が確定ポイントですが、1つ目が読み終わった段階で手が加速を始めるのです。あるいは加速するポイントは無数にある。確定ポイントの前に腕が十分な加速を得ている。1秒の何分の1という時間の中で、腕が無段階に加速するのです」

「――あ」


そこで、ベニクギにも閃きが降りる。それは剣の奥義にもある概念。

人間が力を込める場合、静止した状態からの急加速は負荷が大きく、最大速度に達するまでに時間・・がかかる・・・・


そのため、ある流派においては剣を常に動かし続ける。立ち位置を変えながら変幻自在に刀が舞い、相手に隙が生まれた一瞬に剣に加速をかける。


流々るると呼ばれるこの概念、しかし理論として残るのみで、実現できた剣士はいないと言われる。相手と対峙しながら構えを変え続けるというのは、とうてい実戦的とは言えないからだ。


「そ、そのような概念が、雷問に」


己の不明を恥じる。

やはり知剣合一。剣とクイズは互いに結び合っているのか。


いや、それだけではない。

ズシオウの腕は鳥の羽ばたき、問題文を聞く耳は鼠の繊細さ。この世のあらゆる事象が、あらゆるものに連結しているのだ。


「ユーヤさんなら理解できるはず。贅月も十分に検討しています。無段階加速の概念は見れば伝わるはず」


そして、と、緊張を含ませた一拍を挟む。


「もう一つです」


ズシオウは目に力を込める。

想念の果て、無限とも思える思索の果てに行き着いた概念。確かにこれが「消える手」なのだと確信を得た。


しかし、これは。


あまりにも。


「もう一つの技術、これが本当に人間業ではない……でも、あるいは」


ユーヤならば。



クイズにすべてを捧げてきた男ならば――。



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