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第五十三話






城内は騒然としている。


普段は私語を慎まねばならないが、誰もそれどころではないようだ。布袋から漏れてくる水のように勝負の話が交わされている。


ベニクギはどこか休めるところを探すが、城内は普段より人の往来が激しく、どこへ行ったものかと悩ましく思う。


「ズシオウ様の私室はかなり上でござるな……」

「私はどこでも構いません、少し、座りたくて……」


背後のズシオウを見れば、よろめいて壁に手をついたところだった。


「ズシオウ様!」

「大丈夫です……たぶん、勝負の熱気にあてられただけです……」


ベニクギが体を支える、熱はない。しかし筋肉に力が入っていない。


(これは……風邪をお召しになったでござるか? 朝にはそんな兆候は無かったでござるが)


脱水だろうか。それとも人に酔ったというやつか。もし病気なら医師に見せるべきか。


「大丈夫です……本当に大丈夫」

「ズシオウ様、失礼」


その体を抱えあげる。

普段はゆったりとした白装束で隠されているが、抱えてみればその線の細さが意識される。同時に、幼年期から成長期へと差し掛かる時期の、骨が太くなってくる印象もある。


「階段を登っていては時間がかかる……」


ふと、思い当たる場所があった。 

ベニクギは音も立てずに廊下を掛け、一階の奥、白桜の城の重心とも言える中央付近に。


その広間の中心にズシオウを寝かせ、途中で調達した濡れ布巾を額に当てる。


「ふ、う……」


やはり熱はなく、汗もかいていない。脈を取ってみるが、おかしなところもない。


「これは……まさか毒物? しかし、拙者がすべて毒見したはず」

「大丈夫、です」


ズシオウは何度目かの言葉を繰り返す。


「病気ではないと思います……。ただ、なぜか、体が重くて」

「……疲れたのでござろう。もうしばらく休んでまだ思わしくなければ医者を呼ぶでござる」


ズシオウは仰向けになったままで目を動かす。広々とした空間に目を向ける。


「ここは……蛇畳へびだたみの間」


円形に並ぶ九十六枚の衾に、九十六の動物画。遊大陸ゆうたいりく動彩図どうさいずという巨匠の傑作である。

畳はすべて特注の多角形、渦を描くように敷かれている。斬新なようでもあり、古式ゆかしいようでもある独特の世界観を感じる。


「ご容赦を、急ぎお連れできる場所で、人の気配が遠い場所はここかと」

「構いません……」


この広間は白無粧がみそぎの儀式を行い、元服を迎えるための場所である。かの御前試合では開放されたが、本来はめったに人の立ち入らない場所であった。


「少し落ち着きました……きっと、ここが神聖な場所だからですね」


幾分はにかんで言う。


ベニクギも、確かにここは静謐な場所だと感じる。ふすまで隔てられただけなのに外の音がまったく聞こえない。


「知ってますかベニクギ、渦巻きとは永遠の象徴であり、神に近づくという願いがあるそうです」

「はい……渦壺かか墳墓ふんぼなどでござるな。渦巻きは閉じていない輪、永遠の広がりとか永遠の収縮を意味するという」

「はい……シュネスにもありますね、廻牢エンロ型墳墓というものです。この蛇畳の間は幼年期の私が埋葬され、新たな人間として生まれる場所です。不完全なものが、死を経ることで完全なものになる……ラウ=カンにも似たような考え方があるそうですね……」


あまり歓迎できない話題だと感じる。ベニクギはズシオウの足元にまわってふくらはぎを揉む。先ほどふらついていたためだ。


「ズシオウ様は何も変わらぬでござるよ。やがて成人を迎えるとしても、これまで各国で見てきた経験が血となり骨となっているでござる」

「ありがとうございます、ベニクギ……」


ズシオウは。


この少年とも少女とも明かされていない、本来の名前すら秘された存在は、広大な空間の中で宙に浮くような心地になる。


どこにも足がついていない。自分を自分だと証明できるものは何もない。自己が霧散するような感覚。


「正体が」


しゃぼん玉を吐くように、言葉が浮上してくる。


「正体が明かされるとは、恐ろしいことですね……」

「……ズシオウ様」

「わ、私は、父上の本当の心を知ってしまった。この国の本当の形を。私という存在の卑小さを。そしてユーヤさんは、もう、あのクロキバに勝てないことも、分かってしまった」

「ズシオウ様、よからぬ言葉を放てば、それはよからぬ未来の呼び水となるでござる」

「わ、私は、すべてを失う。そうなればベニクギ、あなたの主人である資格もない。だから、あなたは、好きに生きてください。この国のために命をなげうつなど、考えずに」


すべては露見してしまった。


あらゆるものが暴かれてしまった。この国はすでにウズミたちに支配されている。つまりはハイアードの王子に。


「私は、父上の心を知りたかった。開国論を唱え始めたことの真意を。なぜ知ろうとしたのでしょう。知らぬままでいれば、この国はもう少し永らえた。い、いえ、違います。正体はいずれ暴かれる。不確定な夜はいつか明ける。それこそが・・・・・絶望なのでしょうか。人生が死という正体を暴かれて終わるように、私の体が、いつかは男か女かに分化して、二度と元には戻らぬように……」

「ズシオウ様……!」


おのが体をかぶせ、ひしと抱きしめる。

この小さな体を己は守ってやれない。ズシオウの抱える絶望に何もしてやれない。あるいは何かしようとあがくことが、さらなる悲劇への扉を開く。


正体が暴かれる。


それは宇宙の真理のごとく、どうにもならない事なのか。ロニである己の力をもってしても……。


「ベニクギ……」

「ズシオウ様、どうか、どうか拙者に最後まで付き従う許しを。何があろうと、最後まであなたのために戦えという命令を……」


「ベニクギ、炎が……」


じり、と畳の焦げる音。


はっと振り向く、まさか行灯が倒れでもしたのか。


だが、それどころではなかった。蛇畳の間で炎が踊っている。


「な……!」


あらゆる動物の描かれた衾絵が燃え、畳が燃え、天井も燃えている。だが熱はない。


炎は生き物のように這い、ズシオウの白装束へ、ベニクギの緋色の裳裾へと這い上がる。払いのけようとしても消えない。


そして、これほどの事象なのにろしくない・・・・・


「これは、何ごと……」


本能的に分かる、この事象には敵意がない。そよ風に敵意を感じないのと同じこと。


「ベニクギ、あれは……」


炎の奥に、何かが。


それは全長10メーキあまりの巨体。


その体毛のあかは炎のごとく。


漏らす吐息は鉄錆の匂い。


だが、老いている。

落ちくぼんだ目、苔むしたようにまばらに伸びた体毛。足取りは弱々しく、足先はハの字に開き、背中側の肉がだぶついて見える。


かつては猛々しい獣であったはずが、全盛期からは見る影もないほど老いさらばえ、この世ならぬ存在だけが持つ高貴さをかろうじて残す。


ヤオガミのふるき神。


「ヒクラノオオカミ……」


 



懐中時計を開く。


「あと5分で再開とする」


場外からは潮騒のごとき歓声。城壁を囲むように民衆が集まっている。


しかし、円形の観客席を埋める人々はあまり賑わってるとは言えなかった。勝負がはっきりと傾いているためだ。


「やっぱりクロキバで決まりかねえ」

「そうだなあ、外国人に雷問は厳しかったかもしれんねえ」

「おいおい若いの、あいつは御前試合の優勝者だぞ」

「そうかも知れんが、見ろよ、とても最後まで戦い抜ける様子じゃない……」


セレノウのユーヤは用意された椅子に腰掛けている。当初はその場に座り込もうとしたところを、小姓が椅子を用意したものだ。


一方、クロキバは毛ひとすじの疲れも見せない。彫像のように解答台に立ち尽くす。


「一人、耳を」


つぶやく、水滴が落ちるほどの小声だが、近くにいた侍装束の男が近づく。


「ここに」

「貴賓席にいるパルパシアの双王に気をつけなさい。セレノウのユーヤの奪還をたくらんでいる」


侍装束の男はむろんウズミである。貴賓席へうっかり視線を向けるような真似はしない。


「警戒いたします」

「豪族たちにも見張りを、有力者は離れた場所に置いていますね」

「はい」

「それと、ツチガマはどこにいますか」

「ナナビキの鋼鉄船に乗っているのを確認しました」

「タケゾウという若者は」

「は……それも確か、船に」

「あれはまだ未熟だが伸び代は大きい。男子三日会わざればという言葉もある。戦闘になれば遠巻きにして吹き矢を使いなさい」

「はい」


面倒なことだ、とハイアードの王子の部分が思う。

どれほど策を巡らせても、圧倒的な強者というのは常に不確定要素となる。たとえロニに並ぶ実力者が10人いようと仕留められる備えをしているが、それでも警戒してし過ぎることはない。


(それはあの男もだ、セレノウのユーヤ)


油断を強くいましめる。


もはや逆転の目などありえず、どんな隠し玉を使ってこようと自分なら模倣できる自信はある。


それでも、なお警戒する。


(技術と知識で凌駕していても、十全とは言えない)


(やはり、心も折っておかなければ……)


「まもなく試合再開だ!」


トウドウが言い、小姓や他の侍たちが舞台から距離を取る。無料の屋台を利用している客などすでに一人もいない。


全員が固唾を飲んで見守っている。果たして、ここからの逆転などあるのか。


完璧とすら思えるクロキバの押しに、セレノウのユーヤはどこまで食い下がるのか――。







「う……」


ズシオウは身を起こして震える。

理解できた、己の体が重く感じる理由。この神の放つ強烈な気配のためだ。周囲が燃え上がって見えるのは神の御業みわざなのだろうか。


「べ、ベニクギ、ヒクラノオオカミは太陽の神なのでは」

「いえ……ズシオウ様もご存知かと思われるでござるが、ヒクラノオオカミの権能は広く、大地の神だとか、鉄の神だとか、かまどと火の神だとか……」



――我は、熱を持つものすべて。



「!」


頭の中に声が響く。声というよりは、空中に巨大な文字が浮かんでいるような。



――我は大地の熱、鉄の熱、かまどの熱、陽帝の熱。



だが直感として分かる、やはり神は老いている。

その声とも図形ともつかないメッセージにしわがれた印象がある。文字がぼろぼろに風化しているような。


「ヒクラノオオカミ……な、なぜここへ」



――王よ。



呼ばれて、ズシオウは動揺を見せるも、神の気配はズシオウの揺らぎすら抑える何かがあった。ごくりと唾を呑んで答える。


「わ、私に、どんな御用なのですか」



――我に示せ、我は、何をするべきか。



「何をするべきか……?」


呟くのはベニクギ。



――我は老いを与えられた。忌まわしき妖精の王によって我の思考は鈍麻どんまし、大地の隅々にまで広がった目と耳も失われた。我は何をするべきかを失った。



「やはり妖精の王に……。し、しかし、なぜ私に尋ねるのです」



――ヤオガミの王は我が写し身。



「写し身……?」



――我の身に危難迫りしとき、我が目と耳を失いしとき、身を潜めるべき炉の見張り手、それを炉人ろにという。ヤオガミの王は我が炉人である。



「聞いたことがござる……ロニとはもともともは戦乱の際、陣幕の中に焚いた火の見張り手のこと……」

「神にとっての……非常時の意思決定者。それが、ヤオガミの王である……というのですか」



――神と王は一つである。卑俗なる意思が、妖精の王がそれを切り離した。



「切り離した……」



――王よ、我は千剣の熱を吸ってわずかに自我を得た。だがほんの一瞬の目醒め、我は何をすればいい。



「何、を……」


何でも可能なのか。


たとえば、誰か、特定の人物を。



――できぬ。



びくりと背骨がすくむ。この神にはズシオウの思考が見えている。


いや、それ以前に、自分はいま何を考えたのか。何とおぞましいことを。



――神が人を手にかけるは大いなる禁忌。犯せば我は人のくらいへとする。我らは人の世の営みとは隔絶せねばならぬ。王のみが・・・・我らと通じ合うことを許される。



「ご……ごめんなさい。変なことを思い浮かべて……」


では何を願えばいいのか。


神の力、それでどう事態を変えうるのか。



――我の思考は濁っている。もはや一刻の猶予もない。



「……ベニクギ、ユーヤさんが勝つための、特別な技があるとか」

「「消える手」という技にござる。し、しかし、いかに神の力とはいえ、実在するかどうかも分からぬ技を」



――わかった。



その答えに二人ははっとなる。まさか、そんなことが。



――我は人の世の熱、ヤオガミの熱、この世すべての熱である。不可能はない。だが。



言いよどむ気配。ズシオウは控えめに問いかける。


「……何でしょうか、神さま」




――その技には、この世ならざる熱が匂う。



――それを見せた王とは、何者であるのか……。



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