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第四十九話





ヤオガミに数多あまたある孤島の一つ。ナナビキの隠し港にて。


「クロキバとは、我らウズミ衆の頭目に与えられる称号だ」


やや年かさの、精悍な顔つきの忍者。気絶から目覚めたとき、その体は革帯で拘束されており、座敷牢に収容されていた。格子の向こうにはユーヤがいる。


男は身を揺すってみたが、見える範囲にツチガマがいるのを見て抵抗を諦める。


ユーヤは特に強く尋問はしなかった。ただクロキバを名乗る人物について聞きたいと告げると、男は訥々とつとつと話し出す。


「俺は15年ほどクロキバを名乗ったが、先代将軍の嫡男、つまりクマザネが生まれた頃、里に天稟てんぴんを持つ者が生まれた。あれは幼い頃から何にでも化けられた。絶世の美女にも頑健なる益荒男ますらおにも、大人にも老人にも赤ん坊にも化けた。井戸や松の木に化けたこともある」

「井戸に……?」

「里の女が水汲みに行くと、井戸が二つあったという。女は首を傾げながらも、本来の井戸の位置を覚えていたので水は汲めた。あとになって、片方の井戸は今のクロキバが化けたものだと分かった」

「……」

「荒唐無稽な話だろう。だがあれ・・なら可能だと思える。あれの変装術はもはや人間業ではないのだ。7歳にして俺からクロキバの称号を奪い、クマザネの身辺警護を任されたのだからな」


話し方が少し粗野になったと感じる。男の目は狼のような鋭さを宿し、妙に晴れ晴れと、何も背負うもののない身軽さが感じられた。今の姿が誰の真似もしていない、この忍者の本来の姿だと感じる。


ユーヤは少し考えてから問いかける。


「彼には……今のクロキバには野心があったのだろうか。たとえば、将軍を傀儡として操り、いつかは己がヤオガミの将軍になりたいとか」

「聞いたことはない。だが野心を持っていたとしても、あれ・・ならば完璧に隠し通すだろう」

「……」


この人物、先代のクロキバであっても今の頭目のことは分からないらしい。それほど人間離れした存在なのか。人間とは隔絶した精神性を持つのか。


「……そうは思わない」

「何だ?」

「クロキバだって人間だ。人間らしい感情を持っているはずだ。クマザネという人物は繊細で、傷つきやすかった。そんな人物に野心を悟られぬまま、何年も側仕えができるだろうか」

「できるとも。それが今のクロキバだ。完全無欠の忍びだ」

「僕はできれば見極めたいと思う。彼は果たして人間なのか怪物なのか」


話しながら、ユーヤは自分の心を張り詰めさせる。

緊張と興奮で心の感度を上げていく。


それはまるで、竜と交渉する騎士のような心境か。


「黎明の光の中で、彼の本音を聞きたい」





銀色リボンのメイド、カル・キが白桜城へやってきたのは6時間後である。大きめの行李こうりに食料や着替えなどを詰めていた。


「ユーヤさま、また無茶をされたようですね」

「申し訳ない」


圧縮されたサンドイッチのようなパンを渡す。金属製の水筒に入った飲み物もあった。毒を盛られる可能性はそこまで高くもないだろうが、最大限の用心で臨んでいる。


「それと贅月と、いくつかの副読本です」

「ありがとう」

「他にご入用なものはありますか」

「いや、今のところは」

「では私は船に戻ります、また明日、決闘の前にお伺いしますね」


カル・キは城の滞在が許されていない。無理に居座ることはできなくもないが、彼女はそうすべきでないと判断したようだ。ユーヤはベニクギが守っているし、自分がいては弱点を増やすようなものだろう。


「それと、双王様がおかんむりでしたよ」

「そうか……よろしく言っておいてくれ」

「船から船へと飛び回りながら怒ってました」

「牛若丸かな?」


カル・キは退出し、部屋には三人のみ残される。


ベニクギは部屋の入り口、ふすまを睨みつける形で立ち、あらゆる気配に耳を澄ます。


ズシオウはずっと読書をしており、今はユーヤがそばについていた。ユーヤも同じ文章を読みつつ、時おり質問を行う。


「この白橋ましろばしというのは?」

「意図的にもろく作ってある橋です。およそ二十貫目(約75キロ)以上の人間が歩くと崩れるようにできています。米などの密輸が出来ないように関所の近くに作られる橋です」

「なるほど……でもすごい技術だな、橋は経年劣化するだろうに」

「ええ、そのためにこまめな補修が欠かせなくて……」


それが終われば贅月の検討を行う。ズシオウが問題文をアレンジして書き写し、ユーヤはその回答ポイントに朱を入れていく。


「この場合はここだ。「正式な話名を/」で切れる。息継ぎがあれば「井戸長屋」無ければ「天秤棒売り」だ」

「分かります……正式な話名を、で始まる問題は砂州さす話芸に関するもので二問ありますが、息継ぎがあると正式な題名が長いもののはずなので、「井戸長屋」になるんですね」

「そう、問い読みの基本として作品名などは息継ぎをしないで一気に読む。極端に長い単語が出てくる問題の場合は……」


ユーヤは特にズシオウを慰めるでも、クマザネのことについて振り返ることもない。ただ二人で一緒の時間を過ごしているだけである。


それでいい、とベニクギは思う。ズシオウに降り掛かった出来事はあまりに重く、安易に言葉で解きほぐせるものではないのだ。

今なら分かる、双王が一度はズシオウを連れ出せた理由。ズシオウとはいわばクマザネの腫れものであり、気を配っていなかった。部屋のどこかにはあるだろうが、あまり目に入れたくない高価な置き物のような、奇妙な立場だったのだ。


それはすぐに解決できることではない。

今はただ誰かがそばにいる。それを精一杯とすべきなのか。


(……だが)


起きたことが、ズシオウの中から消えるわけではない。


それは何度も何度も思い返されるのだろう。月の昇るごとに、日の巡るごとに――。 





「なあトメさん、なんか城のほうが騒がしいんだが、何か聞いてるかい?」

「さあなあ、興行の弥斗屋みとやのほうも騒がしくしてるって話は聞いたが……」


フツクニの市中、耳の早い町人たちがすでに噂話を始めている。


ここは蕎麦を食べさせる蕎麦処。だが麺として出されることは少なく、そば粉を練って焼いたものや、蕎麦がきをパンのように柔らかく焼き上げているのがヤオガミ風である。


「城の閲兵広場にでっかい観覧席を作ってるらしいよ。1000人から入るってさ」

「なんだあ? また御前試合でもやるのかね」

「そういや御前試合って最後どうなったんだい? ユーヤってのが優勝したのは知ってるが、クマザネ様がご乱心を起こして有耶無耶になったとか……」

「静まれ、町人ども」


店に入ってくるのはパリッとした裃を着た侍たち。かなりの上級役人であることが紋付の意匠で分かる。

店の奥から亭主が慌てて出てきた。


「こ、こりゃおさむれえさま、こんなチンケな店にどんな御用で」

「聞け、明日の昼の四つ(午前10時)より雷問の御前試合を行う。戦うのはウズミ衆の頭目であるクロキバ、そして御前試合の優勝者、セレノウのユーヤである」


店内がざわめく。このように侍が庶民の店を訪れることはまずない。なぜそんなことをしらせに来たのだろうか。


「負けたほうはヤオガミを去ることになる。クロキバは前将軍の側近であった功績を買われ・・・、若様の後見役となっていたが、負ければそれも無くなる」


再度のざわめき。ウズミ衆の存在は知られており、知識のあるものは頭目がクロキバと名乗ることも知っているが、なぜ立場をかけた勝負を行うのか分からない。


「我々はいくつかの店を回ってこの事を告げる。大きな辻には高札も立てる。お前たちも大勢に知らせよ。ヤオガミの全土で知らぬ者のないほどに伝えよ」

「へ、へい」

「よし行くぞ」


そして侍の一団は店を出ていく。


ここ数十年で侍と庶民の距離は近くなっていたが、さすがにあり得ない一幕だった。誰もが、今の出来事を受け止められずにぽかんとする。


「な……何なんだ?」

「御前試合? 負けたほうがヤオガミを去るって、俺らがそんなこと知ってもなあ……」

「いえ、これは革命的なことです」


がたん、と店の隅の方で立ち上がる者がいた。度の強い眼鏡をかけた書生である。


「おそらくは白桜の城を二分するほどの勢力争いが起きてます。それを解決するために雷問という手段がられたのです。我々はいわば立会人になれと言われたのですよ!」

「し、しかし、ウズミ衆はともかくセレノウのユーヤってのは何者なんだ? 御前試合で勝ったのは知ってるが……」

「おそらく「馬」というやつでしょう。決闘の代理人です。クロキバを擁する勢力に対抗するため、御前試合の優勝者を雇い入れたのです」


書生はかなり興奮しているのか、だんだん声が大きくなっている。


「僕はこういう日を待っていました! 国を二分するほどの対立すらクイズで解决する! これこそが剣から賢なのです! 最も武力を有するフツクニが武力を用いない! まさにヤオガミの夜明け! 大陸にいまする妖精の王がもたらした新しい時代なのです!」


店内の全員が顔を見合わせ、二、三のことを囁きあって。


そして全員が、亭主までもが弾かれたように店を出ていく。


伝えなければ、一人でも多く。

走らなければ、一軒でも多く。


そんな人間たちが、フツクニにあふれようとしていた。





「城下が騒がしいみたいだけど」


腰より下にある小さな窓。そこから城下を見れば、無数の光がうろうろと動いているように見える。人の動きだけなら祭りか、あるいは舟にかき回される海ホタルのようだ。


「町民に試合のことが広く流布されてござる。門前広場の試合場もことさら大きく作っているとか」

「そうか……トウドウがそう判断したんだろうな」


城内は常に一触即発の状態だったらしく、あちこちでクロキバに属したものと、そうでないものが火花を散らしていたらしい。

今は城内を含めて、フツクニ全体が試合の方を向いてるように見えた。さすがの手腕と言うべきか。


「ユーヤさん」


ズシオウはすでに床に入っていた。ごく幼い小姓に体を拭いてもらい、髪を湯で溶かして、柔らかい襦袢に着替える。その際もズシオウには性差というものが見えない。寝床に入った今はすっかり落ち着いて、幼さだけが前面に出ている。


「今日はゆっくり眠れそうです。本当にありがとうございます」

「そうか……僕はまだ起きてるけど、先に休んでてくれ」

「ユーヤさん、その……」


寝入るさまを見られる気恥ずかしさゆえか、それとも心が幼い頃に戻っているのか、ズシオウは顔の下半分を布団で覆って言う。ちなみに言えば、顔の面は紙製の軽いものに変わっていた。


「何か、お話してくれませんか? ユーヤさんの生まれた国のこととか、過去のお仕事のこととか、ずっと聞きたかったんです」

「僕のことか……」


入り口に立っていたベニクギもわずかに耳朶じだを動かす。この傭兵であっても、気にならないと言えば嘘になるだろう。


「僕は、この世界に来る前はクイズの仕事をしていて……クイズ番組のアドバイザーとか、問題の作成と正誤判定とか……。それ以外だと、そう、クイズの世界を守る仕事をしていた。少なくとも自分ではそう自負していた」

「守る……」

「……クイズに答えるとき、考えずに押してる王を見つけてしまった。僕はそれが許せなかった。メディアの世界に入ってからは、不正を摘発する仕事を多く務めた。カンニングペーパーとか、番組スタッフと内通しているとか。それ以外にも特殊な技術とかね」

「技術……どういう技術なんですか?」

「たとえば……○×クイズで周囲の人間を見て多数決的に答えを導く。バラマキクイズで封筒を透かして中身を見る。そんな技をたくさん見てきた。技術的に可能なイカサマだと証明するために自分でも練習した。手品とか、スリ師の技だとか、心理学なんかも学んだ。そうやってたくさんのクイズ王を排除してきた。でも……」


ズシオウはまぶたが下がってきていた。ユーヤの話に興味は持ちつつも、肉体的な眠気に逆らいがたい状態らしい。


「でも……何ですか」

「ある時ふと考えてしまった。自分のやってきたことは正しかったのか。何がインチキで、何が素晴らしい技術なのかを僕が決めていいのか。クイズの世界はどう進むのが正しいのか。それは黎明の概念に似ていた」


ズシオウの反応はない。目は薄く開いていて、布団が静かに上下している。


「クイズ戦士たちには日陰者が多かった。ただ黙々と自分を磨き続ける人々。クイズサークルにも属さず、イベントにも出ない。そんな影の世界に生きている人々だ。僕の出会ってきた中で、真に優れた何人かも日陰者だった。闇夜の中でクイズと踊り続けていた」


「剣の世界にもその概念はござる」


ベニクギが小石を放るように言う。


「試合をせず、鍛錬を見せることもなく、ただ一人で黙々と剣を振り続ける。戦乱無くば生涯誰も斬ることはない。そのような剣士は大抵は弱い。しかしてそのような中に、時として真の剣豪が潜むのだと……」

「そうだね……そんな王の一人を知っている。誇らず競わず、ただ早押しの技を磨き続ける人だった。かつて、僕はその人に光を当てようとしたんだ。無理に誘って、イベントに連れ出した」

「活躍できたのでござるか?」

「うまく行かなかった……対戦相手が不正をしていたフシがあるし、僕が誘ったクイズ王は……自分の技を見せたくなかったかもしれない」

「見せたくない……」


ズシオウの瞼は落ちていた。ユーヤは布団を深くかけてやって、そっと立ち上がる。


「今でも分からない……。僕にも再現できない技。あの技が黎明の場に引きずり出されたとき、それはどう見えるのだろう。神秘的な技なのか、怪しげな魔術なのか……」

「それは……島で言っていた技でござるな、消える手、という……」

「僕たちは黎明を恐れる」


ユーヤは言う。


黎明は、やがてヤオガミにも訪れる。


ユーヤにも、クイズと妖精の支配する世界にも訪れる。夜明けという絶対の法則。


クマザネに訪れたもの。


彼の憐れむべき素性が、よこしまな動機が白日のもとに晒された。あの黎明のことを思い出す。


ユーヤは夜の市街を見つめ。


まだ日が昇っていないことに、少しだけ安堵を覚えた。




「黎明は、真実が暴かれる時刻だから」



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