第四十八話
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「うーむ、ユーヤは大丈夫かのう」
フツクニより沖合、白桜城が僅かに見える海上にて、鋼鉄船の舷側にもたれかかるユゼ王女である。
フツクニ側はすでに小舟を出して役人らしき者たちを寄越しているが、ナナビキはすべて無視している。この船団の目的は鋼鉄船の存在を知らしめること、そしてフツクニへの威嚇である。下手な行動を取れば船団がどう動くか分からない、そう示している。
ユギ王女は双子の片割れに肩を寄せる。
「遠眼鏡で見たところ天守閣まで乗り込んだようじゃぞ。あとは交渉じゃ、ユーヤなら上手くやるじゃろう」
「うむ……だといいのじゃが」
ユゼはまだ気が塞いでいるようだ。それはユーヤに引きずられてのことだと感じる。
いつも陰鬱な印象のあるユーヤだが、ヤオガミに来てからはその傾向が増している。どうすればユーヤを元気づけられるのか、そもそも元気とか快活な瞬間があの人物にあるのか。それにユゼまでが引きずられている。
「考えておるのじゃ」
ユゼが言う。二人は扇子で口元を隠しつつ顔を寄せる。
「何をじゃ?」
「ユーヤは言った。今にして思えばズシオウを無理やりさらってしまうのが正解であったと。国外に連れて行くべきだったと。では、ユーヤもそうなのではないか、と考えておる」
「ふむ……無理にでもパルパシアに連れて行くべき、ということじゃな」
「あるいはユーヤはクイズなどに関わるべきではないのかも知れぬ。あやつがそう思っておるだけで、クイズ以外の生き方もあるのではないか、そう考えずにはおれぬ」
「ユーヤが同意せんじゃろう……」
「じゃが……クイズに関わり続ければ、いつかあれはすり減って、摩滅して、無くなってしまうのではないか、そう思えてしまうのじゃ」
それは一面の真実に思えた。
ユーヤはただならぬ能力の持ち主だが、人よりも頑丈であるとかタフという印象はない。苦難の連続のような人生に精神の力で耐えているのだ。
それは一生続けられるのだろうか。
どこかで体を壊して、精神を病んでもおかしくない。それを、彼の生き方だから、という言葉で済ませていいのか。
「……捕まえておくことじゃな」
「ユギ?」
「大事なものがあるならしっかり握っておくのじゃ。ユゼがそうしたいなら協力する。是が非でもパルパシアに連れて行こうぞ。我らの愛玩物として飼ってやるのじゃ。豪華な食事と温かい寝床に閉じ込めてやろうぞ」
「うむ、そうじゃな」
双子は互いに笑ってみせる。それは相方を気遣ってか、それとも楽天的に笑っている方が気性に合うのか。
「思えば我らもユーヤにさんざん振り回されたからのう。我らが少しぐらい振り回してもあいこと言うもんじゃろ」
「うむ、その意気じゃぞ」
ユギ王女は広く周囲を見て、ずらりと並ぶ鋼鉄船を示して言う。
「こうして船で見張っておるのじゃ、向こうも無茶はするまい。ベニクギもついておるからのう」
「うむ……」
そしてユゼは、しばらく考えてからこう言った。
「無茶なことしなければ大丈夫じゃよな?」
「うむ、おそらくはな」
「なんかやらかしそうな予感がするのじゃが、気のせいじゃよな?」
「だ、だだ、だいじょう……」
※
「100マル100バツ……」
クロキバは口中でつぶやくように静かに言う。周囲の埋や侍たちも顔を見合わせる。
「僕のいた土地では7マル3バツというルールの試合がよく行われた。7問正解で勝利、お手付き誤答が3回で失格というルールだ。この場合、誤答それ自体にペナルティはない」
「当たり前に考えれば……勝利ノルマは100問正解。お手つきと誤答は99回まで許容し、100回目で失格となる、そういうことですか」
「そうだ。100回までなら何度間違ってもいい」
「なるほど……」
クロキバの表情が消える。石仏のように静かな顔になって、思考を外に漏らすまいとする。
(そのルールで二人が戦う場合、読み上げられる問題の最大数は397問)
(贅月は6400問……そのうち397問となると、カルタで言うところの「字切れ」が無視できなくなってくる)
(例えば贅月には山岳法、編笠、銀細工に関する問題が二つずつある。一つが出題されていれば、これらの問題の確定ポイントはずっと早くなる)
(つまりこの勝負、より贅月を研究している側が勝つ)
ならば、と眼の前の異世界人を見つめる。作り物のような無機質な顔、異世界人もまた感情を出すまいとしているのか。
「分かりました。そのルールで結構」
周囲の人間がざわめく。勝負が成立するとは思っていなかったのか、それとも誤答を極端に嫌うヤオガミにおいて、100マル100バツという形式が異常すぎるのか。
(贅月ならばこちらも十分に検討している。一ヶ月前にこの世界に来たばかりの異世界人に遅れはとらない)
「では勝負の仕切りはいかがいたしますか。民間の興行師に依頼するか、それとも侍たちに任せるか」
「トウドウだ」
ユーヤの言葉に、ほんの一瞬クロキバの眉根がこわばる。
「御前試合の決勝戦で司会を務めた人物。彼がすべてを仕切るように命じてくれ」
「……御目の高いことです。彼は町奉行であり、フツクニの市中すべてを管轄する役職にある。彼は私が干渉できない傑物の一人」
「勝負は24時間後。できれば市民を入れた会場を設営し、一般人の目がある場所で勝負したい」
「すべて承知しました」
周囲にいた侍たちのうち、何人かが刀を収める。
それはわざとらしい動作だった。どちらかといえばクロキバ側についている侍であっても、勝負が決まった以上は刃傷沙汰など無意味だと示すかに思える。
ベニクギは場の全員に十分な注意を向けつつ、ユーヤへと声を投げる。
「ユーヤどの、では退散いたそう。拙者のそばを離れずに一階まで」
「我々が先触れいたします」
侍たちの数人が階段を降りる。ユーヤは後に続き、ベニクギは最後に降りた。
「ユーヤどの、拙者から離れずに」
「わかってる」
後方からはクロキバも降りてきていた。いつ何どき、どこから槍が飛んでくるか分からぬ緊張。ユーヤはいくぶんゆっくりと歩を進める。
「下がれ、交渉は済んだ!」
「セレノウのユーヤどのとクロキバどのの決闘だ! あらゆる手出しは無用だ!」
先触れがそう呼ばわりつつ道を開く。
むろん城内すべての侍から注目を浴びているが、ベニクギの放つ剣呑な気配もあり、誰も近くに寄ろうとはしない。
「港の船は大丈夫かな」
「心配ござらぬ。天狼の間から目視にて確認いたした。十隻すべて揃ってござる」
「そうか、3キロ……3ダムミーキは離れてるけど、さすがベニクギ……」
どん、と廊下を踏んで。
ふいに周囲の景色が止まる。自分が足を止めたのだ、ということに数秒遅れて気づく。
「……?」
うなじの毛が逆立つ感覚。瞳孔が絞られて鼻筋の筋肉が固まるような全身の緊張。
体が何かに反応している。周囲の人間の表情か、交わされる言葉か、何かを嗅ぎ取っている。
ふと脇を見る。ガラスがなく、格子がはまっているだけの窓。民家には普通にガラス窓もあったが、城にはないのだろうか。
その窓枠が燃えている。
こぶし大の炎がぱちぱちと揺らめいて、その揺らめきがひどくゆっくりに見える。
燃えているなら周りの人間が気づかないはずはない。ではあれは幻なのだろうか。
自分は幻覚を見ているのか、クロキバとの交渉で神経を張り詰めていたからか、そんな思考が泡のように浮かんでは消えて。
そして回廊のすべてが炎に。
床と言わず天井と言わず火が踊り、女官の着物の裾が、侍たちの白足袋が燃えている。目の奥を焼くような強い光。炎によってかき回される乱気流。ベニクギが何かを話しかけているが、その声が聞き取れない。
「あっちだ」
ユーヤは体を回して歩き出す。急に方向を変えられて、数人の侍が慌てて避ける。
何人かは避けるだけだが、するどく叫ぶ者もいる。だがユーヤの耳には何も聞こえない。侍が刀を抜くのが見える。
「ベニクギ! 排除してくれ!」
反応は早かった。緋色の裳裾が前に躍り出て、侍たちの刀をはじき飛ばす。手の甲を打たれた侍は痛みに膝を屈する。ベニクギもまた炎を纏っている。
奥へ。小姓や女中がさっと脇によけ、侍たちはベニクギを恐れて動けないか、動こうとした瞬間に手を打たれて刀を落とす。
そして行き当たる、長き廊下の奥。
二人の侍が見張っている部屋。ユーヤは何かを叫んでいる侍たちを無視してふすまを開く。
そこにいたのは、白い着物の子供。
「――ズシオウ」
「え……」
赤子のように無垢な顔立ちは涙で濡れている。本が散らばっており、文机と行灯が見える。
ズシオウは脇にあった木彫りの面を慌ててつける。素顔をさらすのは禁忌という事らしい。
視界から炎は消えていた。薄暗く、窓の小さい部屋。壁と天井は厚さ二寸の杉柱で補強された部屋。
「ゆ、ユーヤさん……なぜここに」
「君に会いに来た」
それは正しい言葉だと感じる。自分はまさにズシオウに会いに来たのだと。今の数十秒の行軍をそのように解釈する。
後から入ってきたベニクギは、その部屋の異様さを見て声を張る。
「これは……このような座敷牢じみた部屋にズシオウ様を」
「当然の配慮でしょう」
後方にいたクロキバは、なぜユーヤがこの部屋にたどり着けたのか分からなかった。おそらくユーヤ自身にも分かっていない。だがともかくも体面を整えて言う。
「不埒にもズシオウ様を拐かさんとする人間がいないとも限らない。この部屋は補強してあるだけで牢ではない。書を含めて待遇も安穏に整えてある。抗議される謂れはない」
「だからと言って……」
「クロキバ、僕は勝負の時間までこの部屋にいる」
ユーヤが言い、その言葉が周りの人間に染み通るまで数秒かかる。
「……何だと」
「けしてズシオウから離れない。連れ出そうというわけじゃない。部屋の外で見張っているなら問題ないはずだ。ベニクギ、君も残ってくれるか」
「――承知いたしてござる」
どかり、とベニクギは部屋の入り口に座り込む。
「クロキバ、拙者もこの部屋を動かぬ。勝負の刻限が来たなら呼びに来るがいい」
「馬鹿な……ここは白桜の城の中枢……」
一見すると突拍子もない要求。だが居座るとはっきり宣言されたなら、それを拒む理屈を出すのは難しかった。ズシオウは名目上は将軍の名代であり、傀儡になるとはいえ将軍職を継ぐ身分。そしてロニであるベニクギは侍の指揮系統から隔絶した存在。
クロキバは奥歯を噛む。
勘が働く。
この不気味な異世界人を、この城に居座らせるべきではないと本能が告げる。彼が純粋にズシオウの身を案じていただけだとしても。
「ぐ……」
いっそのこと、この場で3人とも排除してしまうべきなのか。そんな考えすら浮かぶ。
だが、かのハイアードの王子。
その人格が、冷静な計算を行ってしまう。
本気で争った場合にベニクギが斬り捨てるであろう人数、沖合にいて示威行動を取っている十隻の鋼鉄船。
それらと衝突したとき、予想できる犠牲があと一桁少ないならば、あるいは力押しこそ最善と判断したかも知れない。
「……勝手にするがいい」
それだけを言うのが精一杯という様子で、クロキバは退出する。
廊下にはまだ混乱の余韻が残っていた。ベニクギはふすまをぴしゃりと閉めて、外部から部屋を切り離す。
「ふむ……布団はある。食料は外部から届けさせた上で、拙者が毒見いたそう。かわやはふすま一枚隔てたこちらの部屋でござるな」
ベニクギは部屋をあれこれと調べている。その間、ユーヤはずっとズシオウの手を握っていた。
「あ、あの、ユーヤさん……」
「ズシオウ、僕はクロキバと勝負することになった。その時間までこの部屋にいさせてくれ」
「な、なぜです。なぜ私がこの部屋にいると。いえ、そんなことより、なぜ私などのために」
「声が聞こえたんだ」
言葉が喉から出てきて、ユーヤ自身もそうだったのかと思う。自分は声が聞こえたからこの部屋に来たのだと。
「君の声が聞こえた。助けを求める声だ。誰かがそばにいるべきだと思った。僕でよければそばに居させてくれ」
「ユーヤさん……」
ズシオウは、絶えずこみ上げていた涙が乾いていることに気づく。不定形な不安がわずかに遠ざかっていると。
横隔膜が上がりきるような胸のつかえが収まって、ズシオウはようやく深い息をついた。
「あ……ありがとうございます、ユーヤさん。私、い、色々なことがあって、不安でたまらなくて……」
「いいんだ、今は何も言わなくていい。本でも読みながら静かに過ごそう」
(ユーヤどの……)
ベニクギもまた、今のユーヤの行動は説明できない。
何らかの五感の冴えと見たものか、妖のごとき霊感と見たものか。どんな奇行でも受け入れると決めてはいるが、ユーヤという人物への理解は遠ざかるばかり。
(ユーヤどのには、何が見えているのか……)
この人物は、常人と違う世界を生きている。
それは果たして幸福なことか、それとも――。
(……拙者がお守りいたす)
ベニクギはただ、それだけを誓った。
(ユーヤどのは、ただ心の赴くままに……)




