第四十六話
※
朝を告げる、鶏の長い長い声。
海を見据えるフツクニの町に、潮騒と綯い交ぜになったざわめきが届く。
最初にそれを見たのは昼夜を分けず手紙を届ける替飛脚。黎明のとばりの向こうから、岸をなめるように迫ってくる十の影。
帆柱はあるものの帆を展開せず、それでいて風起こしの妖精を使う気閘船より速い。
ハイアード製の鋼鉄船、その真っ黒な船影が居並ぶ姿。飛脚は腰を抜かして松の根元にへたり込む。
のちにこの飛脚は絵画を学び、十隻の船と松影の様子を屏風絵に仕上げた。その絵は国宝とも呼ばれるが、それはまた別の話である。
衝撃は一瞬にしてフツクニ全土を駆け巡る。すわハイアードが攻めてきたか、どこかの豪族の仕業か、あるいは幽霊船か海坊主かと。
騒ぐ間もなく、大通りを闊歩する一団が現れる。
先頭を歩くのはベニクギ。目にも鮮やかな緋色の着流し姿で、雅な牛車を先導している。
牛車は牛四頭に牽かせる大型のもので、隅々まで装飾の施された由緒正しいものに見えた。だが目の良いものなら、それが手漉き紙を貼り付けて装飾しただけのハリボテだと気づいただろうか。周囲には水軍衆らしき軽鎧の一団が囲んでいる。
フツクニの大通りが極めて広いのは防火のためであるが、噂を聞いて人々があっという間に集まってくる。周囲はすぐさま人の波である。
だが群衆の誰もが、この行列の意味を測りかねていた。
ベニクギが先導しているなら戦争ではないのだろうが、豪族の外遊にしては妙にぴりぴりと殺気立っている。水軍衆の誰一人、口を利くどころか視線を動かすこともせぬ。
市中警備の侍などが走ってくる。彼らはベニクギに何かを質問して、そして短い答えを受け取ると、それきり何もできずに佇むのみだった。
果たしてこの一団は何者なのか。
牛車に乗っているのは誰なのか。
沖合に浮かぶ十隻の船の意味は。
それらすべての疑問を背負い、一団は進む。
ゆるやかに進む矢のように、白桜の城へと向かう。
※
「最大の疑問はクロキバの思惑だ」
ナナビキの隠し港にて。
ユーヤが主だったメンバーを前に言う。いつものようにツチガマはいないが、他はほぼ勢揃いしていた。背後にはかがり火に照らされた鋼鉄船が船体を揺らしている。
「クロキバはどうやらクイズでカタをつけたがってるようだが、僕に直接会いたくないという意思を感じる。しかしクロキバは勝つ確信も持っている。それは実際正しいのだろう。僕の知る限りの技術はすでに向こうも知っているか、御前試合の中で学ばれたと見るべきだ」
「つまり、クイズ勝負以外ではユーヤ様に会いたくないということですか」
水軍衆の一人が言う。ユーヤは慎重な様子で「おそらく」と答えた。
「彼と話しているとき、苛立ちや怒りを抑えきれてない印象があった。彼との相性の悪さは、外見がクロキバになっても変わらないらしい。僕に会って、心を乱されるのを恐れているのか……」
かつて、ハイアードの王子を挑発したときと同じような反応を感じた。ユーヤの職能でもある交渉において、挑発も手段の一つではあるが、あまり積極的にはやりたがらない。
「それは以前からなんだ。クロキバは僕の周囲をうろうろしているが、極力僕に接触するまいとしている。この島に来た男は先代のクロキバらしいが、実働を彼に任せていた。彼自身は姿を変えつつ立ち回り、御前試合の間も僕を観察していたようだ」
改めて思えば、あの御前試合はさまざまな目的が織り込まれていた。
豪族たちを賭けに巻き込み、金品や刻刀を奪うため。
クマザネがユーヤの戦いを見るため。
そしてクロキバがユーヤの技術を学ぶためでもあったのだろうか。
「つまり……クロキバは僕を観察したかったが、その距離感は自分で慎重に決めている……。いざ会うのは、僕を殺すとはっきり決めている時だけ……そんな気はするんだが」
どこまでが計算だったのか。どこまでがクロキバの策略で、どの部分がクマザネの自由意思だったのか。そんなことを考えると泥沼にはまりそうだったので、思考を切り替える。
「勝負をするにも問題がある……向こうは鋼鉄船を欲しているが、これはチップにできない。万一にでも奪われれば終わりだ」
「うむ」
ナナビキがまず相槌を打つ。
「私は南方の4州と水軍衆を守らねばならぬし、十隻もの船を買うために金蔵をすべて吐き出したからな。賭けに使うわけにはいかん」
本来はフツクニから代金を受け取るはずだったが、それをナナビキが拒んだ形となっている。
船を得たならクロキバはどうするか。
東方に調査の船を出すと言っていたが、問題はそんなことではない。今のフツクニが圧倒的な軍事的優位を持てば、それだけで大戦の引き金になりかねない。
「もう一つ……クイズで勝負するなら、こちらは何を要求するか、だ」
場の全員が沈黙する。
幾人かの頭にはズシオウの名が浮かんだだろう。だがそれを発言していいものかと空気をうかがう気配がある。
クロキバがいずれフツクニを手中に握るつもりだとして、ズシオウは絶対に替えの効かない手札とまでは言えないようだ。ズシオウの身柄を手に入れることは、クロキバの野望を挫く剣とはならないかも知れない。
ベニクギはといえば、ユーヤの後方にて沈黙を守っている。発言を避けるというよりは、ユーヤの後ろに立つことで彼の発言権を高めているように見えた。
「それはやはり、クロキバの投獄じゃろ」
ユギ王女が提案する。
「事態の中枢におるのはあやつ、正確にはクロキバの中におるハイアードの王子かの。それさえ押さえれば解決じゃ。ズシオウもきっと取り戻せる」
「ユギよ、しかしそんな条件を呑むかのう。呑ませたとしても、いざとなれば勝負など無視して埋どもをけしかけるのではないか?」
「ユゼよ、ある程度のリスクは仕方なかろう。荒事を完全に避けるのは無理と……」
「荒事は駄目だ」
ユーヤはきっぱりと言う。
「忍者はもちろん、まだ白桜城にいる豪族も、他の侍たちも巻き込みたくない。すでに少なくない血が流れている。これ以上の混乱は豪族の間に禍根を生む」
それはユーヤとしても腰の引けた、いかにも平和に浴してきた人間の意見のように思われた。
だが、周囲には同意の気配が多く見られた。そのことに胸をなでおろす。
「なあユーヤの旦那、俺ちょっとわかんねえんだけど」
と、相変わらず胴丸鎧を着ているタケゾウが言う。
「クロキバって、あのクロキバだよな? フツクニ埋衆の頭目の。ハイアードの王子がその中に入ってるってどういうことだ? 狐憑きみたいなことか?」
「あの王子は人間を超えた力を持っていた。おそらく、催眠術のようなもので……」
と、はたと動きを止める。
「……人格を、ねじ込んだ。クロキバはそう表現していたが」
「ユーヤの旦那?」
「そう……だね。おかしなことだ。クロキバがハイアードの王子に乗っ取られているというのはまだ分かる。でも彼はベニクギにも化けられている。クロキバの技が使えるのはどういう理屈なんだろう。クロキバ本来の人格はどんな状態で存在しているのか……」
「そうなんだよ。そこ変だろ。ハイアードの王子様はクイズ王として有名だけどよ、変装の名人じゃないだろ?」
「うーむ、我ら双王は何度も会っておるが、あの怪物ならそのぐらいこなしそうではあるが……」
「ユービレイス宮の女装パーティでもそれじゃったな、それはそれは見事な……」
「……一つ、試せることが浮かんだ」
ふいに、会話を大幅に省略したかのようにそう言う。
「もし僕の考えが正しければ、クロキバの前に積めるチップが、たった一つ……」
※
大手門。
白桜城の顔とも言える16尺の大門。そこはさすがに素通りとはいかぬ。
ベニクギらの率いる一団を待ち受けるように、槍を掲げた門番が八名。その背後には鍔に指をかける侍たち。
着流しの雰囲気が違うものが数名いる。地方豪族たちの手兵である。彼らはこの数日、白桜城に留まっていた。
「ベニクギどの……」
彼女から並々ならぬ剣気が放たれている。侍たちはそれを鋭敏に感じ取り、手のひらを正面に突き出した。
「止まれ! 今現在! 白桜の城は許可なき者の侵入を禁じている! ベニクギどのであっても例外ではない!」
「例外ではない?」
ベニクギが一歩、侍との距離を詰める。間合いはおよそ5メーキ。だが先頭にいた侍はすとんと片膝を落とす。彼女が踏み込んだ瞬間、体のどこかに刃が通ったような錯覚がある。
水軍衆は数名が牛車に取り付き、牛の引き綱を外したり、何やらがちゃがちゃと音を立てていた。その周囲を軽鎧の集団が守っている。
「ロニに行けぬ場所はない。それに、なにゆえ外様衆の侍が大手門を警護している」
「こ、答える必要は」
「現在、クロキバどのが豪族との交渉を行っている」
さっと、横手から出てくる別の侍。彼は他の者が止める前に言葉を重ねる。
「現在まで七つの豪族がフツクニとの和議を成した。だが全てではない。幾世代も怨毒塗り込められし豪族たちはそうはいかない。彼らは国元に戻れば戦に打って出るつもりのようだ。城内はヤオガミ統一のために槍を取れと叫ぶものと、このような性急な和議など捨てて緊張状態を解くべきとの論陣に分かれている」
「おい……それはロニどのに伝えるなと」
「ロニどのは知っておくべきだ。クロキバは確かに常人の域にはない。ヤオガミの統一も実現するやも知れぬ。だがやはり相応の大戦を経ねばならない。城内では埋たちが政談の座を乗っ取っている。老中はおろか文官の多数が締め出されて……」
牛車がまた動き出し、侍たちは左右に分かれる。
「感謝いたす」
がらがらと、牛車が進む。
門を通り過ぎ、城を目の前にして止まったそれに、ベニクギが声高に呼びかけた。
「ユーヤどの、このまま一気に天狼の間まで行くでござる」
「わかった」
「ベニクギどの! 城内は危うい!」
それはすでに門番たちにも感じられている。城内から発せられる殺気。いかなる手段を持ってもベニクギを止めるという意思が少なくない。
埋だけではないだろう。クロキバに感化されたか、あるいはずっと昔から支配下にあった人間が動きだしているのか。
――そのすべてを、斬り捨てていくのか。
侍たちがそう覚悟したとき。
ベニクギが、牛車に乗り込む。
「え……ベニクギどの、どちらへ……」
そして中から投げ捨てられる鉄塊。造船所から持ってきた厚さ三寸の鉄板である。
それを捨てたとき、牛車がふわりと浮き上がった。
「は……?」
二つ、三つと鉄板が投げ捨てられ、牛車が浮力を持って地を離れる。
「よ……妖術!?」
「いや……これは重量を軽くする妖精か。たしか翅嶽黒精とかいう……」
ブラックオパールで呼び出す妖精。宝石として価値の高い石を使えば重量の軽減率が増し、岩を浮かせることもできる。そのような石は極めて貴重である。
どう
その牛車に、矢が突き刺さる。
長さ1メーキ。固く重い木に鋼鉄の鏃を付けた貫通性の高い弓。
「! 誰だ! 射ったのは!」
「第4天守だ! 誰か止めろ!」
「待て! あっちの屋根にも人が登っているぞ!」
次から次と矢が飛来する。
鉄の矢、毒矢、火矢に棒手裏剣まで。
牛車は内部が分厚く補強されてでもいるのか、重い音を響かせるのみで矢が深く刺さらない。広場に残してきた牛たちがながながと鳴く。
水軍衆と、ベニクギに味方せんとする侍たちが八方に散る。そして城のあちこちから弓が。
「ベニクギどの……直接行かれるのか、無用の争いを避けるために……」
「ベニクギどのには殺気が感じられた。やはり斬るのか、クロキバを」
「推測は後だ! あっちの見張り台から矢が飛んだのが見えたぞ!」
城下は混乱の渦となる。
白桜城の側面を浮かんでいく牛車。そこに剛弓の矢が次々と突き刺さる。
天守閣の上層からは重量物も落下する。鎧が兜とともに投げ落とされ、牛車にぶち当たって落下していく。その行為を止めようと、数人がもみ合いになっている。
牛車は天守を目指す。
目指すは白桜城の天頂部、天狼の間。
そこには人影がある。
暗い羽織を着たクロキバが、苛立ちのこもった顔で佇んでいた。




