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第四十四話(過日の6)





過日。


まばゆきクイズ黄金時代。クイズ王と呼ばれる人々はその数を増していた。

彼らはテレビの枠を超え、サークルを組織してクイズイベントを開いたり、独自にタレント活動を始める者もいた。草の根、とも呼ばれる時代の始まりの頃である。


現実としてはそれらは広く一般に膾炙することなく、独自の文化圏を形成するにとどまった。この頃はクイズブームが頂点を超え、クイズ界の落ち着く形を模索していた時代。


会場は人が詰めかけている。


それは市民球場を用いた大規模な蚤の市である。同時に物産展なども催されており、早押しクイズ大会は催事の一部であった。


会場の隅のほう。独特な気配を放つ人々がいる。


(強そうな人たち……)


七沼少年は直感的にそう思った。縁の太い眼鏡にやや肉のついた体型。口は固く引き結ばれて全てのものを厳しく見張るような視線。七沼少年の偏見ではあるが、クイズ戦士には似たような気配があると感じる。人を寄せ付けない孤高の気配だ。


むろん、普段は愛想よく社会性に溢れた人々なのだと思われるが、クイズの場においてはぴりぴりと張り詰めるような空気を放つ。決闘を前にした侍のよう、という言葉が浮かんだが、その比喩が適切かどうかは分からない。


テレビで見た顔もいる。この頃は素人参加型のクイズ番組がまだ多く、いくつもの番組を準レギュラーのように渡り歩くクイズ戦士もいた。有名な人ほどくつろいだ様子で、参考書を読んだり、仲間内で何かを話し込んだり自由に過ごしている。


「あのう、参加したいんですけど」


受付らしき場所があったので、そう問いかける。


「クイズ大会ですか? 今回はジュニアの部はないんですが……」

「いえ、僕じゃなくて、こっちの人」


袖を引かれているのは若い女性。その格好は周囲とはかなり異なっている。


赤のロングドレスと、柔らかい生地の赤い帽子。色の濃いサングラスの下には不安そうな表情があり、周囲を何度も見回している。


だが、彼女が浮いていたとか、周囲の注目を浴びていたかと言えばそうでもない。周りの人間はふと彼女を見るものの、次の瞬間には目をそらしてしまう。

この時代、コスプレという言葉はまだ一般的ではなかったが、彼女はそれとも違った。このような場所にドレスで来ていても、なぜか埋没してしまう。


「では予選のペーパーテストからですので、あちらのブースへどうぞ」

「ありがとうございます」


明らかに小学生程度と思われる少年と、それに袖を引かれる大人びた女性。

二人の関係は何なのだろうか、と受付の男は一瞬だけ小首をかしげたが、すぐまた手元の書類に戻ってしまった。


べにお姉さん、落ち着いて書けば大丈夫。解答欄がずれるとか無いように気を付けて」

「うん……大丈夫だよお」


ブースには長机とパイプ椅子があり、先に来ていた参加者がペーパーテストに取り組んでいた。このような光景はのちのちまで残っていくが、携帯端末はおろか、インターネットという言葉も一般的ではないこの時代はテストの見張りもない。

紅円べにまどかは七沼の手を離れ、一番端の椅子に座って問題を解き始める。


それなりに規模の大きい大会であるから、ペーパーテストもベタ問だけではないおそれがあった。時事問題などについては七沼が事前に対策を整え、紅円と練習を重ねていた。


イベントの雑然とした空気。これから大会を控えているクイズ戦士たちの匂い。そんなものに当てられて、七沼少年も少し高揚する。



――赤いものが見えない場所に行ってはいけない。そういう罰を受けたの。


――だからテレビには出られないの。ずっとこの館にいるしかないの。



ふと、その言葉を思い出す。

赤いものはこの会場にあるだろうか。紅円のドレスは赤いが、それでは駄目なのだろうか。


そんな考えが浮上するのに気づき、強く頭を振って打ち消す。


「そんな馬鹿な話が……」


紅円に何か事情があったとしても関係ない。クイズ大会に出る自由ぐらいあるはずだ。


クイズ戦士たちを見渡す。


彼らは誰も紅円を見ていなかった。

七沼は少し不満げな感情を抱く。なぜだろう、彼女はあんなにも目立つのに、この世のものではないほどに美しいのに――。





「えー、会場にお集まりの皆さま、お楽しみいただけておりますでしょうか。こちらメインステージではクイズサークル主催の早押しクイズ大会を開催しております」


ステージには5台の早押しボタン。予選はとどこおりなく行われている。


「問題、1840年に発表された熱化学の法則であり、化学反応における熱の出入りが/一定で」


ぴんぽん


「はい3番の方」

「ヘスの法則」

「正解です、お見事」


観客は子供が多く、親子連れもいる。それに混ざって学生のクイズ好きらしき集団や、マニア的な気配を放つ人も散らばっている。


「フィールズ賞」


「棋聖戦」


「メルカトル図法」


「いい感じだ……難しい問題は出てない」


いわゆるベタ問と呼ばれる定番問題ばかり。紅円が覚えている問題から外れているものはほとんどない。押しているタイミングはそれなりに早いが、それでもイメージの中の紅円よりは格段に遅いと見積もる。


「今日はクイズ王も来てるんだってな」

「そうそう、土曜のバラエティに出てる人。なんか今度は俳優もやるらしいよ」


観客の声。その人物は七沼も知っていた。いくつもの番組で優勝している有名人である。


舞台はあっという間に決勝戦。5台の早押し機が並び、クイズ王は右端に、紅円は左端に。


司会者はクイズ王に熱心にインタビューしているが、他の参加者は一言二言である。仕方ないことかも知れないが、七沼には歯がゆく感じられた。


大会はゆるやかに進行する。


七問先取で優勝となるルール。他の参加者が何問か答えたあと、エンジンをかけるとばかりにクイズ王が速度を上げる。


「ペディキュア」


「モンキー・パンチ」


「昇華」


「蟹工船」


クイズ王が押し、答える。派手な歓声はなく、拍手が上がるのみである。眼の前に七つ並んだ電球のランプ、そのうち四つを点灯させる。


「並んだ……!」


同じく四つを点灯させるのは紅円。彼女は緊張しているのか、いつもの半分の速度も出ていない。

だがそれは仕方ないと思われた。慣れている七沼の読みではないのだ。このような大会なら、誤答をしないよう慎重になるのは当然である。


それに、優勝はそこまで重要ではない。大会に出て、皆の前でクイズに答える、それに意味があると思っていたのだから。


「では次の問題です」


司会者が言う、七沼はそちらに意識を向ける。


「問題、世界で最も高い/」


ぴんぽん


「はい一番」

「カンチェンジュンガ」

「正解です、お見事」


「……?」


七沼はふと疑問に思う。今の問題はどうやって絞り込めたのか。


「問題、春の七草といえば、せり、なずな、ごぎょう、はこべら/」


ぴんぽん


「はい、一番の方どうぞ」

「カブです」

「正解です、お見事、これでリーチです」


その時。


風景のすべてが七沼から遠ざかるような感覚。360度すべてのことが認識されるような、瞬間的な超集中。


「あの人……!」


視界が歪む。

その事に気づくこと自体が強烈な苦痛を伴う。気づくまいと思っても止められない、蟻地獄のような思考の連鎖。


今のタイミングは早すぎる。一見すると十分に読まれたように見えるが、答えを一つに絞り込めないはずだ。


あのクイズ王は、考えて押していない。


そのことが七沼には分かってしまった。ビデオテープが擦り切れるほどに見続けた、何人かのクイズ王たちと同じことを。


「いやー、すごいなクイズ王って人たちは」

「なーに、あんなの答えを教えてもらってんだよ」


その話し声が、雑多な音の隙間を縫って紅円に届いたような気がした。総毛立つような恐れがある。

紅円までが似非えせ扱いされかねない、今のこの状況が耐えがたい。


テレビも来ていない、新聞などの取材もないクイズ大会。


それなのに、なぜずる・・をするのか。


紅円にとって一世一代の勝負というわけではない。賞金の10万円もそこまで大金とは言えない。


(でも、お姉さんには、今日しかないのに!)


人が、早押しボタンを押す機会は人生に何度あるのだろう。毎日のように楽しむ人もいれば、人生で一度きりの人もいる。


その一度きりの勝負が、大きな意味を持つこともあるのに。


その一度のためだけに、生きてきた人も。


「お姉さん、がんばって……」


その紅円の顔は。蒼白だったろうか。

それとも火がついたように赤かっただろうか。


ステージの向こうに逆光が降り、表情は見えにくくなっている。彼女はおそらくクイズ王のやってることに気づいたはずだ。


ボタンを押す音、回答の音、積み上げられる正解と、観客のざわめき。すべての音が沖合いをゆく船のように遠くなる。


「さあ、いよいよリーチがかかりました。勝負を決めるかクイズ王、他の参加者も意地を見せるか」


淡々と進む司会者の、その脇で。


紅円が、大きく息を吸う。


「! お姉さん、「消える手」を……」


使うと分かった。あの技は大きな脱力と集中から始まる。

七沼ですら理解の及ばない神業、それを自分の読み上げではなく、公の場で見られる、ふいに歓喜の感情が芽生える。


「では参ります。問題、「ひまわり」を描いたのはゴッホで/すが」


ぴんぽん


と、その音は聞こえなかった。


右方からの衝撃。視界の右半分が真っ赤になり、体が傾くような衝撃が。


「!?」


はっとそちらを見れば、炎の巨人。


屋台で使われていたプロパンガスからの火柱。実際にはそれほど大きな爆発では無かったかも知れない。だが一瞬だけ、炎が大きく脹らむのが見えた。


両腕を振り上げ、怒りの形相で人間どもを踏み潰さんと迫る、炎の巨人が。


「あ――」


炎は消える。

数秒だが、炎の嵐が荒れ狂ったような錯覚。屋台の主人は尻餅をついていた、屋台そのものに火が残っており、消化器を持ったスタッフが駆けてくる。


「皆さん緊急事態です、プロパンガスが漏れたようですが……皆さん落ち着いて、火元から離れてください、慌てずに……」


どうやら大事故ではないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。

紅円のいるステージは火元から遠かったが、大丈夫だったろうかとそちらを見れば。


彼女はいない。


ステージ上で、彼女のいた部分だけ空白になっており、他の出演者もそのことに気づいて騒ぎになっている。


「お姉さん……?」


七沼は会場を探した。

出場者の控えスペース、物置き、蚤の市や他のイベントのスペース。駐車場までも。


だが紅円はおろか、それらしき人物を見かけたという人もいない。


煙のように、彼女は消えてしまった。





館にたどり着いた頃には日が落ちていた。

彼女は家に戻っているのだろうか。この薔薇の屋敷に。どこか非現実的な、鉄格子のような柵に囲まれた屋敷に。


キイ、という音がする。

門が薄く開いており、錆びついた鉄の門がきしんでいるのだ。


「お姉さん……やっぱり戻ってるのかな」


敷地に入れば、単一の品種が庭を埋め尽くした眺め。クイズ的な知識で知る蠱毒の概念を思い出す。鋭いトゲと毒々しい赤。庭を支配したこの薔薇は何を物語るのだろう。


花びらがいくらか散っており、踏み潰された花もあった。やはり戻っているようだと、少し安堵する。


「お姉さん」


屋敷に入れば、影が濃い。

残照が西の空に落ちようとしている。茜色が部屋の陰影を強く映し出す。


何かが。


いつもと違う。カーペットはめくり上がっており、古いクローゼットが開け放たれ、何も生けてない花瓶が床に転がっている。


違和感はあったが、それを意識しなかった。紅円を探していたこともあるし、そのような荒れ果てた眺めの方が正しい風景のようにも感じた。


天井を見上げる。


二階から音がする。固体のような空気の中で、わずかな振動を感じ取ったというべきか。

廊下に出て、幅広い階段を登って二階へ。この家は何もかもが大きく感じる。ずっといると、体が小さくなっていくような不安がつのる。


どん


重いものが床に落ちる音。のように聞こえた。


どん どん


なぜそんな音を出すのだろう。七沼は会場を探し回って疲れており、ほとんど思考できていない。

音に誘われる小動物のように、部屋の一つを開ければ。


そこには男が。

いくつもの衣装箱を床に放り投げている、髪を金色に染めた若い男が。


「え……」


とぼけた声を上げるのと、背後から頭を強く殴られたのは同時だった。





――気をつけろ、大声でも出されたらやばかったぞ


――なんなんだこのガキ


――知らねえよ、この屋敷で遊んでたんだろ


――それよりカネは見つかったのか


――大して残ってなかった、まあいい、逃げよう


――おい、火はどうすんだ、この子供は


――勝手に逃げるだろ、このガキが遊んでて火をつけたことになるかもな



熱を感じる。


喉を刺す煙、木材のばちばちとはぜる音、炎が空気を食らって身を膨らませる。


動けない。男たちが思っていたより打ちどころが悪かったのか、体全体が痺れるようで身動きが取れない。


(火事)


それを意識する。消防隊が駆けつけてくれるだろうか。


窓の外は夜の闇。視界にはわずかに炎の明かりが見えるが、火事の規模はよく分からない。

火が回り切る前に誰かが通報してくれるだろうか。炎や煙に気づいてくれるだろうか。


それは期待できない気がした。この屋敷の周囲で人を見たことはほとんどない。


この屋敷に誰も気づいていない。屋敷で咲き誇っていた薔薇にも、そこに住んでいた女性のことも、ここが詐欺グループの拠点となっていたことも。


体の感覚が戻らない。赤いカーペットに赤い染みが広がっている。自分自身の出血のようだ。


散発的に思い出す。あの男はハッカー集団の一人だった。被害にあったお金は戻ったと聞いたから、執行猶予とかいうやつになって早く出所したのか。


だが生活には困るようになったのだろう。紅円の持っていた金のことを思い出し、奪いに来たのか。


それはどうでもいいと感じる。あの男たちがなぜここに来たのかも、紅円の持っていたお金のことも。


肝心なのは、彼女の行方。


全身を痛みと痺れに支配されながらも安堵していた。紅円が戻っていないなら、彼女を巻き込まずに済んだ。


自分が逃げられずに焼け死んだとしても、それは仕方ない。


自分が悪いのだから。


この屋敷に光を当てようとしたから。


彼女を無理やり連れ出したから、罰が当たったのだ。


肺に煙が入り、まともに動けぬまま小さく咳き込む。目に痛みが走って涙がこぼれる。体はまだ動かない。


死ぬのだろうか。


七沼少年には、それはあまり大きな意味を持たなかった。


心に浮かぶのは、彼女のこと。



唯一無二の、あの早押しのことだけが――。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ぼかされていた元の世界のクイズ王の末路が遂に明らかになるのか、それとも単なる早業誘拐だったのか…。 あまりに神秘的な神隠しにしてしまうと、召喚時点のユーヤが紅円失踪事件を連想しなければ不自…
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