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第四十三話





フツクニの都にて、西方に位置する絽台ろだいの市街。


松の葉を透かして月が見えている。夜の樹下に佇むのは緋色の傭兵、赤い着物に身を包んだベニクギ。


「行くのか」


そこに、現れる人物。

ゆるやかな寝間着は病人着のよう。長身ながら糸杉のようにやせ細った人物。目の奥には、かつてフツクニでも指折りの商人であった眼光がわずかに残る。


ベニクギの父、ベニヅキである。


「父上……拙者は」

「もう止めはせん、これを持っていけ」


差し出す。それは短刀のようだった。

鞘は黒い。総漆塗りで金蒔絵、螺鈿細工に似た装飾が施されている。


「刀ならば、ズシオウ様よりたまわった琉瑠るる景時かげときが……」

「この刀に銘はない。家に古くから伝わっているものだが、刻刀のような特別な刀ではないのだ。こしらえだけは職人に最高の仕事を頼んだがな。お前が生まれた時に、御守りとして造った刀だ」

「ああ……そういえば、拙者の部屋に吊ってあった刀にござるな」


持ってみる。ずしりと重いのは鍛造されていないためであり、ただの鉄板に近いからだ。刀身は象嵌で埋まっているが、どうやら刃がついていない。完全に装飾用の刀である。


「ベニクギ、お前は強い子だ。己のなりたいものになってみせた。鯉が龍に変わるとの話のようにな。お前はさらに高みへ登っていくだろう。雲にかすんで見えないほどの高みに行くかもしれん。私はそれが恐ろしい」

「……」

「その刀は目印だ。どうか持っていてくれ。お前が何になろうとも、私たちの娘であることまで失わないでくれ。分かるな、ベニクギ……」

「……承知いたしてござる、父上」





「持ってきた、蝋読精パラフィニアのラジオもここに……」


黒装束の忍者が部屋に戻ってきた時、室内は異様な緊張に満たされていた。


正座にて向かい合うのはベニクギと、名もなきウズミ


入ってきた忍者には、それ以外の人物が認識できない。急に足元が不確かになり、よろめくように端に座る。


「ご苦労、ラジオと記録体をこちらに」


セレノウのユーヤの声、声は分かるが、その姿が視界に入らない。この部屋はあまりにもクイズの気で満ちている。あるいはベニクギの放つ達人の剣気に満ちているのだ。


「では勝負を始める。双方、懐中時計を持って」


ベニクギが持つ懐中時計はユーヤのもの。

黒漆仕立てでありモーメントはセレノウ製。恐ろしく薄く、軽い。均一に伸ばされた真鍮のゼンマイと翡翠の調速機テンプが極小の音を奏でる。


名もなきウズミが持つのは純銀の土台に軟玉を散らした豪華な時計。モーメントはハイアード製であり、外装はラウ=カン風の趣味に仕立てた高価なもの。極めて多機能であり大小四つの文字盤を持つ。

大陸とも行き来する水軍衆の長、ナナビキの私物である。


「ルールを確認する。「ガラスの王冠」の楽曲の長さと思われるタイミングでストップウォッチを止める時間押しクイズ。正解となる時間に近いほうが勝ちだ。時間は文字盤を見ずに止めること」

「ユーヤどの、懐中時計に何らかの不具合があり、意図した時間を示しておらぬやも知れぬが、その場合は」

「文字盤の表示が優先だ。明らかに故障があった場合は仕切り直しとしよう」

「承知したでござる」


ユーヤはウズミにも視線を向けるが、そちらからの質問は無いようだ、確認を続ける。


「ベニクギが勝てば忍者たちの身柄を自由にする。ベニクギが負ければ……。その仮定は意味がないかも知れないが、やはり身柄を自由にさせるとしておこう」


ベニクギが負ければ、彼女はフツクニの侍すべてを斬る。


さすがに可能なこととは思われないが、誰もそれを軽んじることができない。ベニクギが負けたなら何が起きるのか、誰一人想像できないのだ。


「ベニクギが負けたなら、我々すべてが彼女に襲いかかる」


名もなきウズミが言う。


「見たところ短刀もただの飾り。彼女は身一つの状態。いかにロニといえど無傷では済まされない。そう心得ていただきたい」


皮肉げに笑い、ベニクギから流れ来る殺気を受け流そうとする。


「……では、二人とも、僕の合図で同時に」

「拙者は」


発言するのはベニクギ。殺気を舌先に乗せるような、低く鋭い声である。


「拙者はずっと考えていた。ロニとは何か。王に並ぶ個人、そのような制度がなぜ存在するのか」

「は、王と対等など本気で信じている者がおりましょうか。ロニなどせいぜい大げさに言っても王への意見役に過ぎない」


ユーヤは顔には出さないものの、その言葉を認めざるを得ない。


(……そうだろうな。ロニとは言わばダモクレスの剣。あくまでも王が主体となって与えられる称号……)


ベニクギはウズミの言葉を受け、虚空に投げるようにつぶやく。


「拙者もそのように思っていた。拙者が今より遥かに強くなろうとも、真の意味で王と同じ力を持つとは言えぬ。だが何かが違う。それだけで収まらぬものがロニにはあるのだ。すなわち」


がし、と、懐中時計を掴む。


「ロニとは言わば、国の写し身」

「何……」

「ロニが強靭なれば国もまた栄える。ロニが心折れれば国もまた荒れ果てる。ロニとヤオガミは一心同体。この発想はどこから来ている。それはすなわちヒクラノオオカミ。己と大地が同一であるという、あの狼の権能。何らかの形で受け継がれていたその概念を、人に降ろしたものこそロニでござる」

「戯れ言を! もう良い! 我らはただクイズに己を投じるのみ!」


互いに懐中時計を構え。

そしてユーヤが腕を振り下ろすのに合わせて、左右からかちりという音が。


そこからは鏡合わせの動作のようだった。双方、文字盤を下にして懐中時計を伏せる。ユーヤは部屋の外縁部に移動。


「うむ……勝負開始か。果たしてどのような結果になるか」


ナナビキはそう言ったものの、このような形の近似値クイズは見たことがない。言葉を求めるようにユーヤの方を見る。


だがユーヤは何も解説はしない。審判役として、余計なことを言うまいとしているのか。


ウズミの男は手で口元を覆って思考する。


(……シングル曲の平均的な長さはものの本で読んだことがある。3分47秒だ)


ベニクギは背筋を伸ばして座したまま、石像のように動かない。


霧の楽団ミストルポルタの「ガラスの王冠」。壮大で王道的、それでいて軽妙洒脱な曲調でテンポは遅い。だが間延びした印象ではなかった。おそらく4分台前半)


畳に置かれた懐中時計に視線を落とす。


(なるほど、この勝負、時計を止める瞬間が相手に分かってしまう。時計を隠したり、止める瞬間に声を出しても無駄か。おそらくロニの耳はごまかせない)


だが、そうなれば必勝の策は見えてくる。


(最悪なのは、相手が回答となる時間の三秒前に止め、こちらが五秒遅れで止めるような事象)


(そう……ベニクギが時計を止めたなら、その直後にこちらも止める。どのようなタイミングでもそれが最善手)


(それは相手も同じはず。この勝負、どちらが先に時計を止めるかが勝負のカギとなる)


皮膚が。


はっと目をやる。手首に鳥肌が立っている。唇はかさかさに乾いて喉が張り付くかのようだ。


(く……)


直接的には何もされていない。

だが感じる。眼の前の剣客から放たれる凄まじい殺気。不用意に動けば、手足が積み木細工のようにばらばらに崩れそうな錯覚が。


(分かっているぞ、ロニめ……)


(緊張を帯びている人間は体感時間が長く感じる。おそらく常人ならば、想定している時間よりもずっと前に押す)


(セレノウのユーヤ……「文字盤を見ずに押す」というルールはこういうことか。私を殺気で追い込んで、勇み足をさせようと)


だが、甘い。

その言葉を意識して唇を噛む。


(私ならば分かる……調速機テンプの音が聞こえる。このハイアード製の機構モーメントはロービート、6回の往復運動で一秒を刻んでいる)


(4分ならば1440回の往復。大丈夫だ、ほぼ完全に数えられている。4分に大きく足りない時間で押すことはあり得ない)


(私をなめるなよロニめ……。この私、先代のクロキバであったこの私を……)


まぶたが重い。

重力が高まるかのようだ。ユーヤもナナビキも、他に部屋にいる幾人かの人々も遠ざかる。後ろにいるはずの黒装束の男たちの気配が感じられない。


ただ奥歯を噛み締め、調速機テンプの音をひたすらに数える。


(1000、1020、1040……)


ベニクギに押す様子はあるか、と、視線を前に向ければ。


さやが。


金蒔絵の鞘がベニクギの手からこぼれ、ゆっくりと、水中のように緩慢に畳へと落下していき。


ぎん。


黒漆塗りの懐中時計が火花を上げる。なまくらの刃が時計の金属部分と激しく触れ合った火花である。ものの見事に、懐中時計の裏板を短刀が打ち抜いている。


「何――」


ふいに世界に色が戻る。肺の空気が開放される。

名もなきウズミが、夢から覚めたように目をしばたたく。


(馬鹿な、まだ3分弱しか)


そしてセオリーを思い出し、己の懐中時計に手を伸ばす。時計が2メーキも先にあるかのように感じられたが、何とか止めた。


「ぐ……せ、セレノウのユーヤ! ベニクギは時計を破壊した! これは勝負の放棄ではないのか!」

「……」


ユーヤは、少しだけ前ににじり出てベニクギを見る。


「……いや、放棄するなら、その意思を発言しているはず。これは、破壊するという形で時計の針を止めたということだ。公平に見てそう考えるのが妥当だろう」

「な、何の真似だ、そんなことに何の意味が」

「何の真似、という言葉をお主が言うでござるか」


ベニクギは落ち着き払って言う。


「その話し方。外見の精悍な印象とそぐわない。あの王子の真似ならばやめておくでござる。あれには近づいてはならぬ。近づけばその熱に羽根を溶かされる」

「勝手な言い草を……セレノウのユーヤ! 答え合わせを!」

「分かった。ではこれから「ガラスの王冠」の曲をかける。そちらのウズミも一人、計測してくれ。カル・キ、新しい懐中時計を」

「はい。それとユーヤ様、この楽曲の最後の部分はタララ・タ・ター・ランとなります。ランという音が最後です」

「わかった」


メイドが差し出した時計を持ち、楽曲の計測が始まる。


壮大にして幽玄。そしてどこかににじむ滑稽さ。

ガラスで作られた王冠はいつ砕けるとも知れない。虚飾の王冠をいただく王は、今日も自堕落な時間に耽溺する。


それは滅び去る王国の歌。

砕けたガラスと煤けた煉瓦に埋もれて、今はただ廃墟の虚しさを晒すのみ。


「ストップだ」


双方、ほぼ同時に曲を止める。最後の1音と思われる音は分かりやすかったため、迷いなく押せていた。


「こちらは4分18秒2」


ユーヤが懐中時計を示し、黒装束の一人が応じる。


「4分18秒3だ。勝負成立だな」

「はっ――」


名もなきウズミが、悪夢から目覚めてハイになった者のように、狂おしく目を見開く。


「私の勝ちだ! 時計はどう考えても3分弱で止めていた!」

「……確認しよう。そこの君、どのボタンにも触らぬように、そっと懐中時計を持ち上げて」

「わかった」


忍者の一人は言われた通りに動く。


「3分と……22秒だ」

「やはり……わ、私の」

「待ってくれ」


ユーヤが、懐中時計を見て言う。


「ベニクギ側……416・・だ」

「なっ……!?」


馬鹿な。


時計の故障。


だがそんな気配は。


時計に仕掛け。


そんな細工が簡単にできるわけが。


――止め方。


「まさか、刀で分針を動かし――」


瞬間。


ベニクギが畳から足を抜くように動く。

一歩、畳を踏みしめたかと思った瞬間。名もなきウズミに肉薄する間合いに。

腰だめに構えられた短刀が、弧月を描いて振り抜かれ。


おん。と、風を切る音が。

短刀の刃が男の影を突き抜け、その像が揺らぐ。ふすまが外側に押し付けられるようにがたがたと鳴る。


名もなきウズミは全身を剛直させ。ぎゅるりと眼球が真上を向き。

そして紙人形のように、その場にくず折れた。


斬った。


全員の目に確かにそう見えた。刃が20リズルミーキあまりも食い込んだと。


だが斬れていない。黒装束に糸ひとすじの乱れもない。


「全員、腕を後ろに回し、畳に伏せるでござる」

「う……」


ベニクギの眼光の前に、ウズミたちは成すすべなく伏せる。

ごくりと、ナナビキもようやく金縛りが解け、顎の下の汗を拭った。


「凄まじい……あのウズミもかなりの手練れだった。それに剣気を当てて気絶させるとは」


それも確かに驚異的であるが、真に恐るべきは懐中時計を斬った技だ、とユーヤは思う。


これはセレノウ製のムーブメント。ベニクギは今日初めて見たはずだ。その機構を見抜き、時計を止めると同時に分針をひと目盛りだけ動かした。押すタイミングに関わらず文字盤優先で判定する、という言質を得た上での作戦。


「ユーヤどの」


ベニクギは振り向く。

その目には凄絶さはなく、どこか穏やかなものが宿っていた。迷いや憂いをばっさりと斬り捨てたような。


「人とは鏡のようなものにござる。ユーヤどのが恐れるように、かの王子もまたユーヤどのを恐れている。このような半端者を遣いに寄越したことが何よりの証拠」

「そう……だろうか」

「ユーヤどのは戦わねばならぬ。かの王子にクイズで打ち勝てるとすれば、ユーヤどのしかおらぬ。王子に至るまでの障害は」


この剣神のごとき女性は。

ヤオガミの写し身であると名乗った達人はユーヤへと向き直り。


深々と、敬意を込めて頭を下げた。



「拙者がすべて斬り伏せるゆえ」



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― 新着の感想 ―
[良い点] べ、ベニクギさん……! 肝心な時にいいとこないなぁとか感想欄で言われててなんとも言えない笑いで見てたが、良いシーン貰ったじゃないですかベニクギさん! この作品、一番キマってるのは基本的には…
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