第四十一話
「次が最後の問題となりそうだな」
ナナビキが双方を見て言う。
「念のためルールを厳密に定めよう。お手つき誤答は相手側の勝利、パネルは側面から手を差し入れ、弾くように一気にひっくり返す。弾く前にボタンが押された場合は動作を中断して手を離す」
「ひ、ひ、しびれるのお」
テーブルの端に手をかけ、のしかかるように構えるのはツチガマ。その目は喜悦の色に歪む。
「さすがは音に聞く双王じゃのお。じゃが、最後の最後はわしの勝ちよ。わしの早押しは剣の極みに通じておるからのお」
(そうじゃ、思い出せる)
(出題の可能性のある残り9城のうち、6つの城から白妙山が見える。それを構図に収めるのが定番じゃ)
(わしならば、真のクイズ戦士ならば、白妙山の大きさと山体の見え方から城が分かる)
(双子もそのぐらいは気づいとるじゃろう。じゃが、純粋な早押しになればわしの勝ちよ)
「……考えうる限りの最速ならば、理論値ならば、必ず勝てる」
「……ああん?」
「我らもそう思っておった。最初の一音で答えが見極められるなら、絶対に負けることはないとな。だが違った。我らが極めつくしたと思っていた場所は、入り口に過ぎなかった」
「ユゼ……」
「何じゃ……? 何の話をしておるかのお……?」
「クイズの道のりは遠く果てしなく、そこを旅する者は求道者のごとくじゃ。それは人の世の全てに通じる。問いかけを受けてそれに答える。こんな単純なことが、あるいは一生をかけても極めきれぬ。お前はどうじゃツチガマ。その若さで何かを極めたなどと傲慢なことじゃな! 天が笑うておるぞ!」
「はっ! 剣士など傲慢で当たり前よ! 天もやがて斬り伏せてくれようかのお!」
「では行くぞ、最後の問題だ」
敷き詰められる25枚のパネル。ツチガマから見れば右上スミのものに水軍衆が手のひらを差し込み、弾くようにひっくり返す。
青い空。
宝石のように青い空である。わずかにスジ状の雲が見切れている。
「ひ、ひ……」
「ツチガマとやら、少し落ち着け」
ぽん、と投げてよこすのはトランプの箱に似た小箱である。中には白い紙が入っている。
「あん? なんじゃあ……?」
「パルパシア製の化粧紙というものじゃ。ヤオガミのちり紙よりもキメが細かくて汗をよく吸うぞ」
「ふん、要らぬ世話じゃが、まあ貰っておこうかのお」
と、裳裾の袖にそれを仕舞う。
(緊張を乱そうとしておるのお、双王もぎりぎりの戦いと見たわ)
二枚目。右端上から二段目。
かたんと返せば、やはり青。濃い青から白っぽい藍へのグラデーションが見て取れる。
そして三枚目、座標で言うなら右端、真ん中の段。
(来るとすれば、このあたり)
全身に気を込める。
力みではない。例えるなら熱湯が全身を循環し、その速度を早めていくような感覚。
もし刀を握れば、熊すら震え上がるほどの気迫が。
水軍衆の手が、弾かれる。
極限の集中がもたらす世界で、パネルはゆっくりと動くかに思える。
縦になり、そして返される瞬間。その表面に。
山体、が。
手が動く。右腕が大蛇に変じたかのように。真下にある早押しボタンを目掛けて。
――違
「ぐうっ!」
瞬時の筋肉の剛直。振り下ろされる腕が強引に方向を変えられ、テーブルの端を直撃する。
ぴんぽん
「! しまっ」
「策に溺れたのう、ツチガマよ」
押したのは双王。
そしてひっくり返されたパネルには、下の端に山体がわずかに写っている。
白妙山ではない。複数の山が並んだような姿。その姿が壁にかけられた蹄鉄の並びに喩えられる山。
「この山は連蹄山。この距離に見えているということは、答えは八千灘城じゃ!」
空白の一瞬。
ナナビキが、羽織をぶわりと跳ね上げつつ片手を上げた。
「正解だ! この勝負、双王の勝利である!」
歓声が噴き上がる。
周囲の水軍衆たちが、部屋の外で待機していたメイドたちが喝采の叫びを上げ、喝采と拍手が船の中に満ちていく。
「ぐうっ……ぬかったわ……!」
あの時。
見えた山が「白妙山ではない」と意識された瞬間、とっさに手を外してしまった。
だが別に白妙山である必然はない。他の山であろうと自分なら思い出せたはずだ。特に連蹄山が見える城は八千灘城しかないのだから。
「わしがこがあな抜けた真似を……無念じゃ」
「いいや」
と、頬杖をつくユゼ。
「おぬしはとっくの昔に負けておった。たとえ今のパネルで押せていたとしてもな」
「何じゃと……?」
「最初のパネル」
と、ユゼが一枚目のパネルを手に取る。青空にすじ雲が見えているだけのパネル。部屋になだれ込んで来ていたパルパシアの使用人たちも足を止める。
「この一枚で見えておった。白みのない濃密な青。これは大気に不純物が少ない証拠。海風が吹き付ける沿岸部から海の上を写した空じゃ。この雲は廻楼雲、秋ごろに海から吹きつける風が作り出す雲じゃ。残っておった城の中で、海の近くにあるのは八千灘城のみ」
「馬鹿な! ありえんわいのお!」
だん、とテーブルを打ち付ける。
「勝負はわしの負けでええわいのお、じゃが、そがあな世迷言を」
「ツチガマよ、先ほど渡した化粧紙を出してみよ」
言われて、ツチガマは目を点にして。
数秒後、はっと何かに気づいてその箱を取り出す。
小箱を開け、紙をすべて取り出せば。
箱の底に、おそらく口紅の小筆か何かで書いたと思われる文字が。
――八千灘城
「なっ……」
「空の青さもまた均一ではない。知ろうとする心が果てをなくす……そういう事じゃ」
からん、と小箱が落とされる。
がっくりと項垂れるツチガマ、そのような動作はこの人物には珍しいものだった。周りの水軍衆も驚きの表情となる。
「ひ……ひっひ、完敗じゃのお。パネルクイズでわしがここまで打ちのめされるとは、世の中は広いという事かのお」
「ツチガマよ、そなたは我らのものじゃ。我とともに来て力を貸すが良いぞ」
「ひっひ、ええわいのお。帰れと言われても帰ってやらんわ。覚悟しておくがええのお……」
「うむ……」
ナナビキが体を揺する。その目には先程までの気だるさは少し遠ざかり、目に光が指すように思えた。
「ツチガマを渡す以上、私も腹をくくらねばならぬな。南方に帰るつもりだったが、もうしばらく、ヤオガミの行く末に付き合うとしよう」
その言葉に、双王が顔を向ける。
「ナナビキどの、何か知っておるなら話して欲しい。ヤオガミで……いや、フツクニで何が起きておる? 御前試合とやらが関係しておるのか?」
「うむ、あれは豪族から刻刀とカネを集めるための賭場だ。だがどうやらクマザネは、この機会に豪族を一掃しようとしている。あまりにも性急なことだ。それは当人の考えなのか、それとも……」
※
「あとはユーヤが知っておろう。我らは御前試合の決勝で何かが起こると踏んで、小型飛行船で駆けつけた。目立たぬように超低空で飛んでおったら、あのイシフネとタケゾウとかいう二人が乗り込んできおったのじゃ」
「見事だ……」
背中越しのユーヤの声。
ユゼははっと我に返る。己の語り口に没頭していたような感覚がある。ユーヤがあまりにも熱心に聞いているので、つい熱が入ってしまったのか。
「ま、まあそういう流れじゃ、ツチガマというのはかなりの達人じゃの。あの手の人間は簡単には従わぬからのう。一手間加えて驚かせてやったのじゃ」
「いや、本当にすごい話だったよ。空の青さで城を当てる、か。僕の世界でも実践できた人がいたかどうか……ところでユゼ」
「な、なんじゃ?」
「手品は使ってないよね?」
「うっ」
意識の隙間からするりと入り込むような指摘。あまりにも自然な問いかけに、ついポーカーフェイスを忘れてしまった。
「例えば、テーブルの裏に貼っておく」
「うぐっ」
「髪の毛に仕込んでおく。パネルの下にそっと入れておく、湿気で溶けない紙に包んで口の中に入れておく……」
「あうう」
「可能性の有りそうな城をすべて書き出して、色々な方法で隠しておく。そして答えが明らかになってから、どこそこを見てみろ、と指摘する……」
「ほ、本当にわかっておったのじゃ」
ユゼは涙目になっていた。こんなに一瞬で何もかも見抜かれるとは。
「一枚目で十中八九、八千灘城じゃと思った。じゃ、じゃが、ちょっとだけ不安になって、その、保険を……」
それは本当のことだった。
後にして思えば手品じみたイカサマなど必要なかった。押して勝ったのは双王なのである。八千代灘城と分かっていたからといって、ことさらひけらかす必要はなかった。それが情けなくなってくる。
「余計なことしなきゃよかったのに……」
「うう、すまぬ、出来心じゃ」
ふうとユーヤは吐息を漏らして、湯船に肩まで沈む。
そこで思い出した、自分はユーヤを元気づけようとして温泉を作ったことを。
「ユーヤ……元気出してくれ。お主がつらそうにしてると我もつらい」
「え……?」
ユーヤはきょとんとする。
この異世界人の特徴として、自分の疲労や心労をあまり意識しない、という点がある。職業病でもあるし、生来からのものでもある。
自分はそんなに疲れた顔をしていたのかと、ばしゃばしゃと顔を湯でこする。
「大丈夫だよ。ごめん、疲れた顔だったかな」
「やはり悩んでおるのか? あのクロキバと戦うかどうか」
「いや……戦えない。彼には勝てない」
ユーヤは、それだけはずっと不動の答えと決めていたかのように言う。
「なぜじゃ?」
「もう手の内は見せきったんだ。それはすべてクロキバにコピーされただろう。それなら勝てる道理はない。策を仕掛ける余地もほとんどないし、生半可なイカサマを仕掛けても看破してくるだろう。何より、あの王子の力は僕なんかをはるかに超えるから……」
ユゼは大きな目をうるませて思う。この人物は、一度は王子に勝っているはずだ。
挑めないのは、ユーヤの中で王子の影が大きく育っているからだろうか。そんなふうに思う。
「じゃが……ユーヤなら知っておるのじゃろ? 早押しの技術……究極の早押しのようなものを」
「……知っている」
知らない、と答えれば会話を打ち切れたかも知れない。
だがそうとは答えられない。知らないと答えたなら、自分の中でその人物が消えてしまうような不安がある。
「おお、ではその技を使えば」
「無理なんだ……。僕はもちろん、その後に再現できた人は一人もいない。究極の早押し……誰もその高みに登れなかった。唯一無二の神業なんだよ」
唾を飲む。この人物がそこまで言ってのける技とは何なのか。それを極めたクイズ王が存在したのか。
いつしか二人は並んで、肩を触れ合わせる形になっていた。丘の上からは「いけ」とか「そこだ」とかの声が降ってきていたが、島に吹く海風の音に紛れてしまう。
「消えるんだ」
ユーヤは両手で、何かを包み込むような動作をする。
己の見たものは確かに存在したと。包み込むことで記憶を海風から守るかのように。
その実在を確かめるように、言葉を繰り返す。
幻の獣に言及するように、わずかな畏怖を込めて。
「消える手……それが究極の早押し……」
※
箱の中にいる、と感じる。
整然と畳が敷き詰められた広間。四角四面に整えられた柱と梁。ただ一つ異質なのは、すべての窓とふすまと、天井にすら厚さ二寸の杉柱が格子状に組まれていること。ここは広間を牢に改造した空間。
ふすまの外には数名の侍。彼らは明らかに戸惑っていた。牢の住人を気遣ってくれるが、己の意思で見張りを止めることはない。
広間の中央には、白装束の人物。
まだ幼く、手足は枯れ枝のように細く見える。正座のまま身じろぎもせず、書見台の上に置かれた本に視線を投じる。
人物の左右には本が積まれ、背後には一組の布団があるきり。過ごす時間の殆どは眠っているか、本を読んでいるかである。
ぽたり、と水音が。
書見台の上に雫が落ちる。ひとつ、ふたつ、そして頬を流れるものを拭い取る。
何かをしていなければ。
本を読んでいなければ、心がすべて流れ出てしまいそうだった。思い出すことは恐ろしく、考えることは恐慌を招く。震える手で書をめくりながら、浅く早い呼吸で気を静めようとする。
「父上……」
つぶやく、自分が何をつぶやいたのかよく分かっていない。針の上に立つような不安定さ。自分がどんな感情なのかも分からない。停滞すると部屋が回転を始め、やがて天地も分からなくなる。本に意識を集中して、かろうじて上下の感覚を保つ。
目で文字を追い、小筆で書き込みを行い、また書をめくろうと。
指が離れない。
紙をつまみはしたが、指の開き方を見失った。
倒れる。
座っていたはずなのに、なぜ倒れたか分からない。体に力が入らない。心は悲しみで満たされているが、悲しみの原因を思い出すのが怖い。
自分はどうなってしまうのか。
何が己の身に起きたのか。
そもそも己は何なのか。男なのか女なのか。大人なのか子供なのか。護り手なのか護られる者なのか。世界を変えたいのか維持したいのか。ヤオガミの人間なのかそれとも心は大陸にあるのか。
生きているのか、死んでいるのか。
何も分からない。何も考えたくはない。しかし何もしていないと恐ろしい何かが押し寄せてくる。
混乱の中で、ふと一つの言葉をつぶやく。
それは誰かの名前だった気がする。誰の名前だっただろうか。
分からない。何もかも。この小さな体には入り切らないのだと――。
「ユーヤ、さん……」




