第四話
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ヤオガミが大陸との関わりを持ち始めて百年余り。現在では安定した交易が持たれ、双方を数多くの人が行き交っている。
それでいながらヤオガミを訪れる純粋な旅行者というのは少なく、年間で百人ほどであろうか。
そのため外国人はまだ珍しく、特にパルパシアの双子はこの上なく注目を引いた。馬が引く大八車のような馬車に揺られていると、子供たちが後をついてきたり、大人たちは銀写精をそっと向けたりする。
「ふーむ、フツクニは人口50万人と聞いておったが、もう少しおるかもしれんのう」
「うむ、高い建物は少ないが市街地がとてつもなく広いぞ」
確かに、半鐘を構える火の見台があるぐらいで、三階建て以上の建物はまったくないが、それでいて建物でびっしりと埋め尽くされた印象がどこまでも続いている。その中央にあるのが白桜の城である。
馬車は三台。徒歩でついてくるパルパシア側の使用人などもいて、ちょっとした大名行列の眺めである。家財道具や大き目のトランクはかなり後方、牛に括り付けて運んでいる。
「カル・キ、そこに古本屋が……」
「はい、人を遣わせておきます」
ユーヤは何やら指示を出している。馬車はゆるゆると歩き、白桜城を仰ぎ見る程度の距離で宿に入る。
高い白壁に囲まれた宿、遠方から有力者が来たときや、国外からの賓客が逗留する宿であるという。壁の内部はちょっとした村のようになっていて、複数の建屋がまばらに配置されている。ユーヤの言葉で言うなら戸建て旅館か。
その一室。
「なんじゃユーヤ、この山のような紙は」
「ふむ、これは鎖摺というものかの。ヤオガミの新聞に相当するものじゃ」
「おお、そういえば聞いたことあるのう。ドラム式の印刷機で細長い紙に印刷して、それを鎖のように胴体に巻いて運んだから鎖摺というのじゃ」
話してる間にも人がやってきて、抱えた藁半紙を置いていく。若い一般メイドたちがそれを日付順に整理する。
「言っただろ。僕はこの国に調査に来たんだ。ヤオガミでの妖精の鏡が今どうなっているのか」
それは数日前、ラウ=カンでのこと。
ユーヤの前にラウ=カンの古き神である華彩虎が現れ、警告を与えた。
――ヤオガミの鏡は、あと一度の使用で砕ける。
「うむ、それは聞いておるが……さすがに実感がないのう」
「ラウ=カンの神は正気を失っておったのじゃろ? どこまで信じられたものか……」
妖精の鏡
かつて妖精の王が、人間との契約の証として与えた器物。王の身柄を10年預かるのと引き換えに、さまざまに天変地異のごとき事象を引き起こす鏡である。ユーヤもまた、セレノウの鏡の力によってこの世界に呼ばれた人間だった。
仙虎の言葉を信じるとすればだが、鏡には真の目的があった。
それは、神の力を削ること。
妖精の鏡はただの便利なアイテムというだけではなく、神の力を削ぐための呪いでもあるという。
過分に推測も混ざるが、ユーヤの知る範囲では鏡の力は以下のようなものだ。
・セレノウの鏡
異世界から人間を呼び寄せる
・ハイアードの鏡
人間を守護霊に変える
・フォゾスの鏡
土地を生み出す
・パルパシアの鏡
死者を蘇らせる(推測)
・シュネスの鏡
不明
・ラウ=カンの鏡
不明
・ヤオガミの鏡
不明
そして大陸の旧支配者たる神々にも、それぞれ固有の力があった。
・セレノウの旧神、棺の蝶
死を与える
・ハイアードの旧神、霧の獅子
距離を無視して物を運ぶ
・フォゾスの旧神、白猿神
新しい何かを与える、過去を創造する(詳細不明)
・パルパシアの旧神、樹霊王
神木、あらゆるものが二つ実る
・シュネスの旧神、泥濘竜
泥を生み出し、あらゆるものを作る
・ラウ=カンの旧神、華彩虎
魂を束ねて高位の存在を生む
・ヤオガミの旧神
不明
大陸の旧支配者である神々はさまざまな力を有していた。鏡はそれを部分的に引き出すために、本来の神の力とは少し違う事象になるという。
「ふむ、こう整理してみると分からぬことが多いのう。フォゾスの白猿神は狩人の守り神であるとか、祖先の霊を守る神とか言われておるはずじゃが……」
「ヤオガミの旧神というのもよく分からぬからな。最高神は太陽神ヒクラノオオカミらしいが、月の神とか冥府の神も高位らしいのう」
「シュネスの鏡については、アテム王が調査すると言っていた。もう少しすれば何か分かるかもしれないが……」
鏡は紐づいた神と関係なくバラバラに配られた。そのため霧の獅子と呼応する力がセレノウの鏡に宿っている。それに加えて鏡の性質上、伝承が伝わりにくくなっている。
全容の掴みにくい構造、そこに妖精王の計算があったとするのは考えすぎだろうか。
「まず調査すべきは、ヤオガミは鏡を使用したのかどうか。その結果、どのような事象が生まれたのか」
ぽん、と扇子を手で打つユゼ。
「そういうことなら裏の人間に声をかけるかの? パルパシアのマフィアどもにはヤオガミと渡りをつけたものもおる。連絡はつくはずじゃ」
「いや、裏の情報を必要とするかもしれないけど、まず表の情報だ。市中情報の精査から始める」
ユーヤは鎖摺をつらつらと読む。一部は四つ折りであり拡げるとA3に近いサイズになる。それに表裏とびっしり印刷してあるので、一部でかなりの情報量である。内容は事件や事故、祭りや年中行事について、農産物の相場について、まれに海外事情についての記事もあり幅広い。
「うーむ地味な作業じゃ」
「ユーヤこういうの好きじゃのう」
「別に好きじゃないけど」
パルパシア側、セレノウ側の使用人も手伝い、10人以上で鎖摺を読みふける。その間も次々と新しいものが運ばれてくる。歴史や社会史についての書籍、ゴシップの本なども。
「こうしてみると結構いろいろ載ってるな。有力者の女性問題とか、不祥事を起こした侍が処分されたとかスキャンダル的なことまで……」
「いやだいぶ閉鎖的じゃろ。スキャンダルはあくまで噂だと断っておるし、身分の高い人間は実名が出ぬようにしておる」
「政策についての批判もないしの。パルパシアとは雲泥の差じゃ」
この世界ではユーヤの感覚のほうが非常識、そう分かっていてもなかなかしっくりこない。もっともパルパシアはさすがに開放的すぎる気もするが。
「ところでユーヤよ、何か食べぬか」
「そうじゃぞ、せっかくヤオガミに来たのじゃからその土地のものを食べねば」
「うん……作業しながら食べたいから、片手で食べられるものを……」
「用意ございます」
カル・キがそつなく言い、人に運ばせるのは冷ややっこと薬味の小皿である。
「ユーヤさまはパンがお好きとお聞きしましたので、ヤオガミふうの米粉パンをご用意しました」
「? いやこれ、どう見ても豆腐だけど、それに豆腐は作業しながらは食べにくい……」
「指で触れてみてください」
触れてみる。そして一瞬で理解した。この豆腐はパンである。あまりにもしっとりとして、きめ細かいために豆腐に見えたのか。
「ヤオガミでは近年、ご飯の形でなく米粉をパンにしたものが一般的になりつつあります。ユキヒカリや輝幡妙という米はきめの細かいパンが焼けるのです」
「でもこのパン、気泡がまったくない……パンというより麺類の生地のような……」
やや冷たいそれを手で持ち、薬味にそっとつけて食べる、何やら背徳的な面白さもある。
そして口に運べば、もっちりとかみ切れる固さ、意外にも濃厚な塩味、そして醤油に似たうま味が口腔を駆け巡る。この白一色のどこかに醤油が塗ってあるのだ。
「おおっ……」
「ほほう、これは美味いのう。噂に聞く米豆腐とはこれか」
「はい、余州の白醤油で味をつけております。濃厚な醤油を特殊な膜を使って色抜きしたものですね」
豆腐のようでパンであり、米のようで豆腐でもある。認知の混乱がまた楽しくもある。
「すごい……見た目は真っ白なのに、卵や魚の味もする」
「特別な餌で白く染めた卵黄や、白身魚の練り物を混ぜ込んでおります。こういうものを白化粧と言います。あらゆるものを白で統一する雅な料理と言われていますが、職人の腕自慢の側面も強いようです」
さらりと言っているが、どれ一つとっても並の技術ではない。
この世界は大規模な内燃機関や演算機械こそないものの、ある一点ではユーヤのいた世界を超えてるとすら思える。たった一皿で文化の成熟を感じさせる、そんな力があった。
「食べやすく棒状にした野菜もございます、こちらもどうぞ」
「野菜スティックだね。洗練されてるというか、お洒落だよねほんと……この米豆腐というのも青山のカフェで出しても売れそうな……まあほんとの豆腐食べたかったとかちょっと思わなくもないけど……」
まるで最新の分子料理のようである。野菜スティックにしても緑色のスティックは果物の味がするし、柑橘類のようなオレンジ色のスティックからは青じそのような味がする。素材をあらゆる技術で加工しているのか。
やりすぎ、という言葉が背後を素早く走っていったが、それは無視してともかく胃に詰め込むユーヤであった。
ゆるゆると食べつつ、また資料のほうに集中する。
「やはり将軍家の周辺はゴシップも少ないな……ズシオウのこともほとんど記事になってない……」
「ヤオガミが鏡を使っておる気配などないぞ。あれは天変地異にも似た事象を引き起こす。そんなに何度も使っておれば噂ぐらい流れるはずじゃ」
「そうじゃぞ、死んだ人間が生き返ったり、土地がいきなり広がったりすれば大ニュースじゃろ」
「……」
もちろん、あの仙虎の思い違いという結末ならそれが最良であろう。
だがユーヤとしては考えざるを得なかった。自分はこれまで、何を見てきたのか。
「……考えてみればおかしかった。おかしいことばかりだ」
「何がじゃ?」
「ヤオガミの鏡だけが、他の鏡と大きさが違う」
ヤオガミの国主代理、ズシオウのことを思い出す。
ヤオガミに伝わるとされる鏡は、ズシオウが常に肩にくくりつけていた。
銀散花釉紋袖飾。そう呼ばれる鏡だ。
「九角形の鏡だった。妖精の鏡の複雑玄妙な輝きはこの世のものでは再現できない。見れば一発で本物と分かる。あれは確かに本物だが……」
「うむ、確かに他の鏡より少し小さかったのう。他の鏡が鍋のふたぐらいあるのに対して、手のひらほどしかなかった」
「そうじゃな。それに考えてみれば、国主代理とはいえズシオウがそれを持ち歩いているのも妙な話じゃ。なぜ大将軍クマザネどのの手元にないのじゃ」
「ズシオウはこう言っていた。ある朝、先代か、あるいは先々代の将軍家の夢枕に名も知らぬ神が現れ、鏡を授けた。しかし受け取った者は夢枕について仔細を語らず、ただ後代に、将軍家の至宝として伝えるように言ったと。ヤオガミにはこれと同じ輝きのものが存在しないため、将軍家の身分を証立てるものとして、身につけることとされていた……」
少し無理があると感じる。
身分を証明するものとして持つなら、その存在がもっと周知されているべきではないのか。
「鏡を常に持ち歩けば、紛失や強奪の危険性もある。最強の傭兵であるベニクギに守られているから、持ち歩くのが最善という考え方もできるが……」
「ふーむ、もしかしてヤオガミの鏡には「本体」のようなものがあるのかのう」
「そうじゃな。ラジオで言うと七彩謡精と蝋読精の関係ではないか?」
双王は察しがいいというべきか、核心を突くような意見をぽんと出してくる。
(そうだ、やはりそれが自然な考え方だろうか)
(ズシオウが持っているのはいわば「子機」であり、「親機」がどこかにある?)
(ズシオウが子機を持ち運ぶことに意味がある……? いったい、ヤオガミの鏡の効果とは何だ)
そしてヤオガミは鏡を濫用しているという。あと一度の使用で砕けるほどに。
考えれば考えるほど、悪い予感がつのる。
この事態における、最悪の結末とは何なのか。
そしておそらく、本当の最悪はユーヤの想像すら超えるだろう。
ユーヤは内心で不安を噛み潰しながら、鎖摺を読み続ける。
矮小な自分を自覚しつつ、神と人との物語に挑み続ける――。