第三十八話 +コラムその21
※
板張りの間である。
島に設けられた練武場、壁には使い込まれた道着や防具が並び、木剣はかなり年季が入っている。この島は造船も行う隠れ港でもあり、ナナビキの拠点の一つとして兵士を養成する島でもある。
その中に佇むのは赤い着流しのような裳裾。髪は先端に行くにつれて赤味を帯びる独特の染め方。その座す姿に糸ひとすじほどの隙もない。ただ一心に瞑想し、己の深みに潜ろうとする。
「ベニクギー」
声をかけるのは蒼と翠、タイトワンピースで固めた二人が、先程から何度も呼びかけている。
「べーにーくーぎ、こら聞いとるのかおぬし」
「おーい、脱がすぞー、揉むぞー」
「許されよ、双王」
ベニクギは頑なな意思を示すかのように、前を向いたまま応える。
「拙者は白桜の城にて不覚をとったばかり。不甲斐ないことには剣の技でも数の力でもなく、薬を盛られての醜態にござる。本来なら今すぐ腹を切らねばならぬ身。わずかでもこの汚名を雪ぐために、今は剣のみに一意専心せねばならぬ時」
「切腹はユーヤに止められたんじゃろ、聞いておるぞ」
それはそれで大騒ぎであった。
ベニクギが目覚め、状況を理解した瞬間、女中のかんざしをもぎとって首を突こうとしたのだ。
だが叶わなかった。ユーヤの指示によってかんざしが柔らかい樹脂製のものに変えられていたのだ。
どこかに刃物を探しに行くことも出来なかった。目覚めた場所が座敷牢だったためである。
その後、ユーヤがやってきて小一時間ほど話をして、どうにか自害は思いとどまらせたらしい。
「ユーヤどのは、ズシオウ様を奪還するまで死ぬことは許さないと申された。拙者は責任を取るためにも剣に明け暮れねばならぬでござる」
「ふむ……弱みを握られた可憐なメイド……みたいなことじゃな」
「違うでござる」
まあともかく、と羽扇子を広げる二人。
「そのユーヤについてじゃ。あやつが落ち込んでいるので元気づけたいのじゃ」
「む、左様でござるか……」
ユーヤという言葉に逆らえない状態になってるのは確からしい。ベニクギは双王へと体を向ける。
「それにあまり気にするでないぞ」「クロキバはハイアードの王子の力を身に着けておる」「人を超えた力と言うものじゃ。そなたでもどうしようもない」
「……今でも理解できぬのでござる」
薬を盛られた経緯はこうである。
白桜の城にてズシオウの警護についていたベニクギであるが、物理的に一瞬も目を離さないというのは難しいため、信用のおける数人の侍の助力を得ていた。
御前試合決勝戦の直前。その侍の一人が、家族が持たせてくれた薬湯であると言って飲み物を差し出した。
つまりはその侍が変装したクロキバであり、ひそかに入れ替わっていたわけである。
だが何度思い出しても、なぜその薬湯を飲んでしまったのかが分からない。
長年の知り合いである人物に完璧に化ける技量、神経を張り詰めていたベニクギを油断させる話術、ロニである自分を眠らせる薬の配合、どれ一つとっても神業としか言いようがない。
知の怪物。
それをひしひしと感じる。ベニクギの剣の技、多少のクイズの実力など、あの王子の前では披露する機会すら無いのだ。
「あの王子は確かに人を超えたのかも知れぬ……拙者はあれと対峙することが恐ろしい、それは認めざるを得ぬでござる」
「ううむ……」
双王もまた眉をひそめる。ヤオガミにおいて伝説となるであろう当代のロニですら、赤子の手をひねるように敗北した事実に。
「つまり……催眠ものみたいなことじゃな」
「全然わからないでござるが違うでござる」
それはともかく、ユゼは腕を組んで物思いに沈む構えになる。
ユーヤもまた恐怖しているのか。ユーヤは己を特別な人間とは思っていないのに。あの怪物のような王子と戦わねばならないのか。
「そういえば……ユーヤどのは恐れてござった。シュネス赤蛇国の一件でも、先の御前試合でも、事態の裏に王子がいるのではないか、と何度も案じていたのでござる」
「……トラウマを抱えておるのじゃな」
「ユーヤどののためなら、励ますことに協力いたしたくござるが……」
三人で額を突き合わせるものの、何も浮かんでこない。ユーヤが何に喜ぶのか、そもそも喜ぶとかハイになるという瞬間があるのか。
「映画でも見せるか? いろいろ持ってきておるが」
「気分転換に体を動かすという手もあるがのう……ユーヤにはいかにも向いてない……」
「気塞ぎがあるなら悩みを言語化するのはどうでござろう。ナナビキどのに同席を願って皆で悩みの相談を……」
沈黙が流れる。
どれもピンと来ないようだ。
「拙者の場合で言えば母上が……風呂に入れながらなぐさめてくれたでござるが」
「風呂か、しかし島じゃからのう。一人用の樽のような風呂か、船大工たちが入るカビ臭い大浴場しか……」
そこで、二人の王は顔を見合わせる。
「あっ」
その瞬間の表情。
にやりと何かを企む様子に猛烈に悪い予感がしたが、もはや逃れられぬベニクギであった。
※
夜半。
島に来訪者が訪れる。
滑るように港に入ってきたのはフツクニの高速舟艇、全面を黒く塗った隠密行動用のものだ。
降り立つのはやや年かさの男。御前試合にてユーヤと戦った埋である。
ナナビキとその側近、それにユーヤを加えての極少人数での会談が設けられる。剣士の臨席は拒否された。十数人の黒装束が取り囲む屋敷を、双王は小型の望遠鏡で眺める。
「やはり決闘で解決するのかのう」
「そうじゃろうな。ナナビキどのはクロキバの味方にはならんようじゃ。海軍力を敵に回せぬ以上、決闘を持ち出す可能性は高い」
「パルパシア王家としては付かず離れずの距離で見守っておこうぞ」
そして背後に声を飛ばす。
「おぬしら作業は進んでおるか、そろそろ作戦決行じゃぞ」
「な、なぜわしがこがあなこと……」
「お、俺は大工じゃねえのに……」
「うう、この刀はナナビキどのよりの借り物でござるのに……」
穴を掘って、石を運んで、材木を削る。
作っているのは露天風呂である。それと脱衣場と竹垣。双王が動かせる人間を総動員しての突貫工事であるが、大まかな造形はベニクギたちが、細かな装飾はパルパシア側の上級メイドたちが行い、ほんの数時間の作業とは思えぬほど立派な建物ができている。
妖精の力も使っている。重量を軽くする妖精。土を掘る妖精。光を放つ妖精などなど。
炎を吐く妖精によって大量に湯が沸かされ、温泉の少し上から鉄管によって流される。
どぼどぼと流れ始めた湯に手をあてて、タケゾウが言う。
「温泉を作るのはいいけどよ、こりゃただのお湯だぜ、温泉って硫黄くさいもんじゃねえのか?」
「大丈夫じゃ、パルパシア製の高級入浴剤を持参しておるからの。ボトル一本で3万ディスケットのやつを15本ほど使う。あと島にあった硫黄も購入しておる。肥料にも火薬にも使うからのう、ふんだんにあったぞ」
「すげー」
「これでユーヤを風呂へと誘い、混浴であると知らなかった風を装ってユゼが乱入するという流れじゃ」
「え」
目をむくのは当のユゼ。
「こ、混浴」
「ユゼよ、覚悟を決めよ」
その両肩を掴んで目を合わせる。
「ユーヤとてたぶん男じゃ、うら若きおなごと混浴していきり立たぬわけがあろうか。むしろ一気に押し倒してしまえばよい。そのままパルパシアに連れて帰る勢いで行くのじゃ」
「で、でもそんな、いきなり」
「あまり言いとうないが恋愛劇のノリが我らに合うわけない。今回で勝負を決めてしまえ」
「で、でも我、肌を見られるとか恥ずかしい……」
「両手に大ナタ持って「血なんか怖い」とか言ってる殺人鬼みてーだな……」
タケゾウの言葉に誰も彼もが目でうなずく。
「ユゼよ、そなたがやれぬなら、我がそなたに変装して入浴する」
「あう」
「ラウ=カンで我に化けておったことはネタがあがっておるぞ。そなただけ我のふりをするのは不公平とゆーもんじゃろ」
「う、うう……」
「ユゼよ、男に、ではなかった女になれ。その芽生えかけとる恥じらいを踏み越えて成長するのじゃ。それでこそパルパシアの王。この世すべての享楽をきわめ、あらゆる権謀術数を呑み干す怪物になるのじゃ」
「……う、うん、わかったのじゃ、やってみる。恥ずかしさを克服してみせる」
「なあ、ツチガマ師匠」
タケゾウが、なぜか師匠呼びしているらしいツチガマに囁く。
「そのやり取り全員に聞かれてんのは恥ずかしくねーのかな……」
「あの双子はわしもよおわからん……」
コラムその21 七沼遊也の出会いと別れ
草森葵「ここでは異世界のクイズ王、ユーヤこと七沼遊也の出会いと別れ、その人生について少し解説するわ」
AD「どうも、テレビ局時代に部下だったADです。こんなパターンもあるんですね」
草森葵「過去に出会ってきたクイズ王は数多いけど、その中でも特に印象深い人たちがいるようね」
・七沼遊也、略年表
草森葵「それぞれの時代の様子と、出会ってきたクイズ王たちはこんな感じよ」
小学生時代:クイズ番組にのめり込む、紅円と出会う。
高校生時代:クイズ研究会に所属、氷見川水守と出会う。
大学時代:クイズ研究会に所属、イベント運営などで実績を積む。草森葵と出会う。
社会人時代初期:テレビ局のクイズアドバイザーとしての職を得る。結婚を経験する。約半年で離婚。
社会人時代後期:クイズに関わる傍ら、クイズ番組の不正などを追及、棚黒葛と出会う。
草森葵「紅円さんはまだわかんないけど、いずれもロクな別れ方になってないわね、別れた後にわずかでも付き合いがあったのは私ぐらいかしら」
AD「女運の悪さが尋常じゃない……」
・クイズアドバイザーとは?
草森葵「大学を出た七沼くんはクイズを仕事にしようとしてテレビの道を目指すの。クイズに関するアドバイザーとしての職を得たようね。こういう人は実際にいて、クイズ番組の問題制作、企画立案、番組の運営なんかを行うのよ」
AD「テレビ局での七沼さんは少しだらしない格好なんですよね、いつもジャージとTシャツでした」
草森葵「問題制作の専門家はたくさんの裏取り先のようなものを持っていて、独自の電話帳を用意しているのね、ネットのない時代には朝から晩まで電話をかけてたらしいわ。この辺の苦労もいつか語られることがあるかしら」
AD「特に大変なのが一問多答なんですよね。問題のリストは持ってるんですが、どの問題を出すかが司会者の裁量だったりするので、七沼さんはどれを読まれても正誤判定できるように、すべての問題を頭に叩き込んでました」
草森葵「正誤判定は大事な仕事の一つね。ひとえにクイズの答えと言っても色々な言い方があったりするから」
AD「他の局の正誤判定ミスには匿名で指摘の電話入れてました」
草森葵「たちがわるい」
・それぞれのクイズ王たち
草森葵「出会ってきたクイズ王にはそれぞれ個性があるみたいね。あえて言うなら棚黒葛は「感覚の王」氷見川水守は「技術の王」私こと草森葵は「知識の王」そして紅円は「早押しの王」ってところかしら」
AD「他には社会人時代に出会った「イントロの王」なんかもいますね。イントロが始まる前のノイズで当ててくる、いわゆる第四深度の使い手でした」
草森葵「第四深度が実在するのかはともかく、似たような逸話はいくつかあるのよ。ビートルズのイントロクイズ大会において、曲が流れ始めるタイミングなのに何も聞こえなかった。フェードインの曲だと考えて、「Eight Days a Week」は既出だから、おそらく「グッド・ナイト」だと答えて正解という話とかね」
AD「すばらしい駆け引きですね」
草森葵「イントロクイズも掘り下げるとまだまだ奥が深いんだけど、イントロの王とはその後に交流とかあったのかしらね」
AD「ところで一度結婚されてるそうですが、どんな相手だったんでしょうね」
草森葵「どうせ怪物じみたクイズ王に決まってるわね。傲慢な女に振り回されるのが好きな性格だから」
AD「矢印が自分にも向いてますけど」
・おわりに
草森葵「いろいろひどい目に遭ってきてるけど、それでもクイズ王を求めてやまない理由は何なのかしらね」
AD「おそらく最初に出会ったクイズ王、紅円さんに理由があるんでしょうか」
草森葵「その情熱を何十年も持ち続けるんだから、色濃い出会いだったのね……」
草森葵「ところで山伏の話ってホントなの?」
AD「本当に本当だそうです、今でもはっきり覚えてるとか……」




