第三十七話
島の朝は早い。
男たちは薄暗いうちから造船や漁の仕事に出て、女たちもそれぞれ己の仕事に取り掛かる。
島には教育機関もあり、12歳までの島民は読み書きと武芸、船大工の技術、そしてクイズなどを教えられる。
島は山に囲まれているため、高い場所に行くと箱庭の中にいるような感覚になる。
双子の王、ユギとユゼが朝霧の中をふらふらと歩く。
蒼と翠のタイトワンピースを着こなして、潮風を受けてぶわりと広がる髪、ピンポイントに濃い色の置かれた化粧はこんな島であっても都会らしさを失わない。
しばらく歩くと砂の敷かれた広場があり、打ち込み用の巻藁の人形があって、木剣で打ち合っている二人がいる。ツチガマとタケゾウである。
「ユーヤが元気がないのじゃ」
ユゼが相談を持ちかけたのは、よりにもよってその二人だった。
「わしらあにどうせえと言うんじゃ」
約1.5メーキ、通常のものより遥かに長い木剣を片手で操り、タケゾウの打ち込みをいなしている。タケゾウは必死の形相、玉の汗を浮かべつつ腕を振る。
「おぬしら心配ではないのか! ここ数日ずっと元気ないんじゃぞ!」
「セレノウのユーヤが元気いっぱいの場面なんぞ見たことないが」
「それはまあそうじゃが」
この島に渡ってから4日が経過している。
その間にいろいろと変化は起きた。延州の武人、イシフネが祖国へと帰ったこともその一つ。
――私は延州の殿に事の次第を伝えねばなりませぬ。今はそれが第一の事。
延州とはフツクニと主従関係に近い、いわば支配領土である。真実を知ったとしても何が出来るというわけではないだろうが、イシフネは己の責務を果たすために舞台から退場していった。
フツクニでは大将軍クマザネの死が大々的に発表され、三日の大喪が行われたという。クマザネが死んだという根拠を得ていないはずだが、あの時の外傷からそう推測したのか、あるいは仮に生きていても問題ないとでも思っているのか、フツクニは事態をどんどんと前に進めていた。
「でも、もう四日目じゃぞ。親の喪でもそこまで悲しむやつはおらんじゃろ」
「それって俺たちの常識だろ? ユーヤの生まれた土地はすげー遠いって聞いたぞ、死ぬことの重みが違うんじゃねえか?」
言うのはタケゾウ、その二刀流は変幻自在ながら、ツチガマの木剣は蛇のようにうねってそれを防ぎ続ける。
「なぜに落ち込んでおるのかのお? クマザネのことなら自業自得じゃろうが、ユーヤが動機に関係しとったらしいが、知ったことではなかろうよ」
「あやつはそういうの抱え込んでしまうタイプなんじゃ。何年も付き合ってる我には分かる」
初対面から一月ほどのはずだが、誰もそこは突っ込まない。
「なんとか元気づけてやれんものか……」
と、その時。
近くにいた子供が数人、笹の葉で作った笛を吹いて遊んでいた。ピーという甲高い音が連続で響く。
「男なんぞ◯◯◯を◯◯◯して◯◯◯◯◯◯から◯◯◯◯すれば元気になるじゃろ」
言葉に合わせて笹笛が響く。
ユゼは少しうつむいて、両手を組み合わせて指をもじもじ動かす。
やがて鼻の頭から赤色が生まれ、やや化粧が濃いめの顔じゅうに広がり、耳のあたりから湯気が上がる。
「そ、そんなこと出来ない……」
そして。
ずっと後ろに立っていた蒼のタイトワンピース、ユギ第一王女は腰が砕けるように脱力して、その場に膝をついて重たい息を吐く。
「うう……情けない。◯◯◯して◯◯◯◯ぐらい勢いでやれるじゃろ……」
「わ、我らは一国の王じゃぞ。ユーヤだってもうセレノウ王室の人間じゃし……その、そういうえっちなことは、はしたないと言うか」
「はしたない!!」
目が頭を突き抜けるほどに見開く。
子供たちが笹笛を口に当てる。
「ユゼ! 我らは享楽と退廃の申し子と言われとる社交界の華じゃぞ! パルパシア王家たるもの◯◯◯なんて夜の◯◯◯◯としてじょーしきじゃ! 初心者向けみたいなもんじゃ! ◯◯◯◯◯◯から◯◯◯して◯◯◯なんてこといつも見てきたじゃろ!」
「わしも艶本で見たことあるぞ、◯◯◯に◯◯を合わせて◯◯◯◯から抜けていく◯◯が」
「そうじゃそうじゃ、いっそのこと◯◯◯◯とか◯◯◯を使って◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯な◯◯◯◯◯◯◯◯」
「ゆ、ユギ、嫁入り前の我らがそういうことを口にするのは……」
「◯◯◯って何だ?」
「タケゾウは黙っておれ!」
ともかく調子を崩しっぱなしのユゼである。
子供たちは笹笛を吹き疲れてぐったりしていた。
「とにかくそういう……下ネタなことは抜きで元気づけたいのじゃ」
「下ネタとか言うでない! パルパシアにおいては生命の誉れじゃ! 男女の輝かしき偉業というもんじゃ!」
ツチガマもあきれた顔になって、眼を瞬いてから言う。
「なんじゃあ、惚れとるんかい」
「別に惚れてはおらんこれは何というか義務みたいなものでほらこれからフツクニの忍者たちを相手にせねばならんわけじゃし不完全な状態では困るみたいなそれと国際的なバランスとかズシオウのことだって心配じゃし栄養の偏りとか天気が崩れそうで濡れたら怖いなとかあって」
一気に120字ほど言い切ってから、はあはあと息を荒くするユゼ。
「そういう感じじゃ」
「…………まあ何でもええわ、ユーヤを元気づけたらええんじゃろうが」
からん、と木剣を投げ捨てて伸びをする。
「わしも世話になったと言えんこともないしのお、力ぐらい貸してやるわ」
「おおそうか、頼りにするぞ」
「ユゼ、ユゼ、さっきも言ったがほんとーにツチガマを頼るのか、こやつが男女の機微が分かるとは思えんぞ」
そんなやりとりをよそに、タケゾウは訓練の後片付けをする。散らばった木剣を集めて、打ち込み用の巻藁の人形を解体し、己の腕に巻いていた布をほどいて。
そこで、はてと首をひねる。
「けどほんとにユーヤのやつ調子悪いのか? 毎日ふつーに仕事してるみたいだけど」
「あやつは倒れる寸前まで疲れたとか辛いとか言わんのじゃ、そういうやつなんじゃ」
だから、と、ユゼは羽扇子を広げて口元を隠し、吐息に混ぜるような声でつぶやいた。
「せめて、心だけでも癒やしてやらねば……」
※
タケゾウの指摘する通り、ユーヤの振る舞いはあまり変化がない。
島には来客のためや軍備のためなど、備えとして用意されている一軒家がいくつかあり、ユーヤはその一つに逗留していた。
まず早朝より起き出して、堅パンを湯で戻したものと焼き魚、わずかな香の物という食事を取り、メイドの世話により洗髪と洗顔、着付けを済ませる。カル=キは上級メイドであるため、ユーヤがその仕事を奪うことは許されない。
そしてナナビキの屋敷に行き、数時間の会議を行う。島には日に何度か船が来て物資と情報をもたらすが、その検討が多い。
合間には各国版の新聞や、フツクニその他の鎖摺を読む。
造船所にも呼ばれる。これはナナビキの手引きであり、現場の人間に技術的な意見を与えて欲しいとの要請である。船の構造や漁具などについて大工たちが細かい説明を行い、ユーヤは自分にできる範囲で意見を述べる。
同じように島内の農場や家畜小屋、学問所なども見て回る。ユーヤにとってはすべて専門外ながらも、現場の人間との会話はいつも長引いた。
それらのことを終えて宿に戻るのが夜の9時、食事と入浴を済ませ襦袢の部屋着に着替えて。
そこからはずっと贅月の検討をする。多くの副読本を机に広げ、メイドや、島内の智者を交えて検討会をするようだ。
家から灯りが消えるのは、いつも深夜のことだった。
「ってのが、ナナビキのおっさんから聞いた一日の流れだな」
「マグロみたいな男じゃのお……」
丘の上、ユーヤが逗留している家を見下ろして話す四人。
「ユーヤはクイズ王かもしれんが、船のことなんぞ専門外じゃろお、何を話すんじゃ」
「船大工のおっさん達に聞いたけどよ、想像もしてなかった切り口の意見が出るんで、意外と重宝されてるらしいぜ」
「本来、あやつの役割はそういう感じなのじゃ」
ユギが場を引き受けるように言う。
セレノウの鏡は異世界から人材を呼ぶ。それによってセレノウは高度な職人を抱え、何度かの飢饉や天災などを乗り越えたと聞いている。切った張ったの繰り返しになってるユーヤが例外的な存在なのだ。
「で、もうすぐ昼飯を食いに家に戻ってくるらしい、どうする?」
「ほうじゃあのお」
少しばかり楽しんでいるツチガマが腕を組む。彼女の木彫りの面は常につけたままだが、その下で目元を歪めて言う。
「男は胃袋を捕まえるのが定石じゃろお。飯でも作ってやればええわいな」
「うむ、ユーヤのやつパンに目がないからの。ユゼよ、パルパシアのパン料理でもこしらえてやれ」
そのように提案のバトンが回されて、ユゼは少し拳を固める。
「う、うむ、すぐ作れて美味いもの……トゥーカーブはどうじゃ」
「あれは温かいから気力が湧いてきそうじゃな、それで行くか」
トゥーカーブとはパルパシア料理であり、一言で言えばパンのタバコである。
「火蜜」と呼ばれる可燃性の蜂蜜がある。まずは生食用のパンを薄くそぎ切りにして、木槌などで叩いて紙のように薄くする。この時にハーブのみじん切りやひき肉などを撒いておくと風味が良くなる。
それを円筒形に丸め、全体にまず水飴を塗って、次に火蜜を重ね塗りする。
そして先端に火をつける。
成分の関係でオレンジ色の煙が立ち上るが、火はパンの表面にうぶ毛のように起きるのみである。この炎は白金懐炉のような低温燃焼であり150度ほどしかなく、水飴が溶けるまでにタバコのように喫煙することができる。
そして20秒ほど吸引を楽しんだあと、水飴が溶けて全体に馴染んでいるパンをばりばりと食する。
火蜜が高価なために、パルパシアでは貴族の食べ物として珍重されている。双王はもちろん持参していた。
「メイド! 蜂蜜を持つのじゃ!」
「ここに」
と、三つ編みのメイドがいつの間にか背後に立っていて、蜂蜜の瓶を差し出す。他に材料となる上等のパン、ハーブと瓶入りのひき肉、パルパシア側のメイドもやはり優秀なようだ。
「よ、よし、行ってくるぞ」
「よいかユゼよ」
両肩を持ち、瓜二つの顔を鼻が触れるほど近づける。
「ユーヤは魚の干物みたいに固くてしなびた男じゃが、弱っておるならチャンスというものじゃ。料理で心を開かせたらてきとーに抱きついてあれやこれやすればたぶん落ちる」
「ユギ、なんかめんどくさくなっておらんか」
「そんなことはない、おーえんしておるのじゃ」
ともあれ、ユゼは丘をざざざと滑り降りて一軒家へ。
「うう、パルパシアの王たるものがあんな初心な娘のように。こんなこと雑誌記者にスクープされたら何と書かれるか」
「よくわかんねーけど色恋沙汰ってやつか、あの難物そうなユーヤが相手だと大変だなあ」
知り合って間もないタケゾウまでそんな意見である。双子の片割れは想像以上にイバラの道に踏み込んだのかも知れない、とユギは憐憫の情まで湧いてくる。
と、道の向こうからユーヤがとてとてと歩いてきた。メイドを連れていたが、買い物でも頼んだのか、家に戻る直前で別れる。
そしてユーヤが家に入ろうと引き戸を。
開けた瞬間に中に引っ張りこまれる。
「よし、もう早いとこ押し倒してしまえ、ユーヤなんぞ全裸にリボン巻いて私をプレゼントとかやれば一発で落ちるわ」
「料理はどーなったんだよ」
丘の上でしばし待つ。
すると、台所のあたりからすいとオレンジ色の煙が上がってきた。
「うむ、トゥーカーブの煙じゃ、ちゃんと作ったようじゃの」
「おお、いい匂いだなー、甘ったるくないのに濃厚な感じで」
「ほいじゃあ終わるまで寝とくかいのお」
ツチガマはごろんと横になって、タケゾウは手近な木に登る。
この日は海風のほとんどない穏やかな日であった。家から出る煙は一本、二本と増えて、ゆっくりと天に向かって伸びていく。あたりには春の猫を連想するような豊かな香りが漂う。
煙は増えていく。壁のちょっとした隙間であるとか屋根の端から。三本、五本。一気に増えて十五本。
「なんか……すげー煙出てないか? こういうもんなのか?」
「え、いや、そんなに大量に出るものではないが」
と、今度は段々と少なくなっていく。
煙の筋が数本になり、一本になり、そして消えて。
がらがらと家の戸が開いて、翠のタイトワンピースが出てくる。何やらしょんぼりとした様子で蜂蜜の入った桶を抱え、のそのそ丘を登ってきた。
「うう、ユギい」
「どうしたんじゃ?」
「その……ユーヤは美味しいって言ってくれたのじゃが、香木のように焚いたら楽しいかなって思って、家中に置いたら息苦しくなってきて、ユーヤが気絶してしもうたから全部消して戻ってきた……」
…………
……
「ゆぎいいぃ……」
「泣くなあああああああああ!!!」




