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第三十五話



島の養生所(病院)は大陸の医術にも通じ、多くの医薬品を備えた盤石の施設であった。


その奥の部屋にて、高足の寝台に寝かされているのはクマザネ。輸血が行われ、複数の医師が対応にあたっている。


広い部屋ではあるが大勢で押しかける場とも言えない。ユーヤとナナビキ、そして双王が入室する。


「容態はどうだ」


ナナビキの問いに、医師は重めに首をふる。


穏脈おんみゃく(鎮静)と痛み止めの薬が効いて落ち着いております。しかし、おそらく今晩のうちには……」

「分かった、お前たちは15分ほど部屋を出ておけ、治療に差し障りがあるか?」

「いえ、もし容態が急変いたしましたら、その時にお呼びいただければ」


医師たちは部屋を出ていく。


ユーヤは鏡を取り出す。真珠色に輝く九角形の鏡。それを枕元に置いた。


「セレノウのユーヤどの、本当にやるのだな」

「それ以外に、彼を助ける方法はない」


葛藤はある。


かのラウ=カンの仙虎、その言葉はずっと渦巻いている。



――あれは、あと一度使えば砕ける。



「ユーヤよ、ヒクラノオオカミのことを考えておるのじゃな」


ユゼが寝台の脇に出てきて、ユーヤと肩を触れ合わせる。ユギもそのすぐ後ろにつく。


「心配はいらぬ……あれは刻刀を捧げられたことで安定しておるそうではないか」

「そうじゃぞ。ハイアードの鏡に至っては少なくとも6回使われておる、神の命がそうそうついえることもなかろう」

「そうだね……」


だが、やはり重大なリスクには違いない。


神が死ねばどうなるのか。ヤオガミに何かの影響が出るのか。他の神はそれを察するだろうか。


そして妖精の王は。


ヤオガミの地で妖精が力を出せないのは神の威光のためだという。それも変化するのだろうか。


妖精の支配がさらに進むのか、それによって人の生活はどう変わるのか。


そもそも、老いを与えられたヒクラノオオカミはどのぐらい生きられるのか。もし明日をも知れぬ命と言うなら、いっそ――。


考え出すと終わりはなく、推測に推測が重なり、不安が不安を呼ぶ。


だが、クマザネにはもう時間が無い。

それはユーヤが現代人だからであろうか。眼の前で失われる命に耐えられない、助けられるものなら助けたい。そんなどこかから借りてきたような言葉が彼の中にもある。


――神の命を危ぶませてまで?


ユーヤは一度強く目をつぶってから、病床の将軍に話しかける。


「……将軍、聞こえるかどうか分からないが、聞いてくれ」


わずかにまぶたが動く、薬が効いているとの話だったが、意識があるのかどうかは分からない。


「これからあなたを妖精の世界に送る。妖精があなたの傷を治してくれることを期待しての賭けだ。向こうには、誰かが……いるかも、しれないが」

「――」


その僅かなつぶやきを、ユゼの耳が聞き取る。


「ユーヤ、なにか言っておる」

「え……」


かすかに目が開いている。この島に渡るまでの数時間で何十歳も年を取ったような、皺だらけの目。彼が訓練によって築いていた将軍の鎧を脱ぎ捨て、心労の多い、気弱な人物が現れたような気がした。


その唇が、藁のように細い言葉をつむぐ。


「やめてくれ……すべて、私の自業自得なのだ……。神の命を奪ってまで、生き、られない……」

「将軍、ヒクラノオオカミが死ぬと決まったわけじゃない。だがあなたは確実に死ぬんだ」

「わ、私は」


薬の効能ゆえか、クマザネの語り口は不自然に明瞭であり、半ば無理矢理に意識を保っているように見える。

その息にはすえたような匂いが混ざり、目元には濃い影が降りている。これが死相なのかと、ユーヤですらそう感じた。


「将軍の器などではなかった。多くのものを期待されたが、勉学も武芸も冴えたものはなく、次第に私は、自分が飾り物に成っていくのを感じていた。周りもそれで良しとした。将軍という恵まれた立場にあって、己の境遇を嘆くことなど許されるはずもない。それもまた耐え難かった」

「わかるとも……どんな人間でも自分だけの苦悩を持っている。人の苦悩を笑うことは許されないことだ。あなたにも、あなただけの理由があったんだ、分かっているとも」


短い咳を二回、クマザネは焦点の定まらぬ目で続ける。


「私は、特別な人間になりたかった。分不相応な将軍ではなく、己の器よりも大きなことを成し遂げられる人間になりたかった。だが、その想念はねじ曲がり、開国論などという方向に向かってしまった。ズシオウ……あの子への攻撃性すら芽生えてしまったのだ」

「それはクロキバにそそのかされたからだ。それも分かっている。彼は特殊な人格を宿している。この世界を崩壊せしめるほどの怪物の人格を」

「ハイアードの王子、だな、クロキバもまた操られていたとは……」


熱心な信仰について語るように、クマザネの声は独り言に近くなっていく。


「確かに、ある時を境にクロキバの言葉が妙な色を帯びた。話していると、この世への怒りを、嘆きを、際限なく肥大させられるようだった。それが不思議と心地よくもあった。あれを魔性の囁きと言うのかも知れぬ」

「だったら……」

「だが」


空に。


空に伸ばされるクマザネの手、誰かの手を握ろうとするかのように、何度も宙を引っ掻く。


脇で聞いていたナナビキも、双王もやや緊張を示すが、その腕のあまりの白さ。血色を失っている青白さに止めるのを躊躇ためらってしまう。


「それだけではない……わ、私の中に、消えぬ情念の火があった。そ、それが私を変えた。そうありたいと思った。だ、だが信じてくれ……なぜズシオウを射ったのか分からぬ。なぜ私は開国論など。クロキバは利用したのだ、私の中に眠る炎を、けして消えない憧れの火に油をくべたのだ……」


傍目にも、クマザネが錯乱しているのは明らかだった。薬のためか、衰弱のためか、だが彼が懸命に言葉を振り絞っているのは分かる。何かを伝えようとしている。


「わ、私は、成りたかったのだ、あれに触れてから、おかしくなってしまったのか、なぜズシオウを……」

「あれに……?」

「ユーヤよ」


ユギ王女が肩に手を置く。


ウズミの一人から聞き出した情報がある。クマザネ氏はある時期を境に変貌したらしい。それは、「この世ならぬもの」に触れたからであると」

「うむ……確かに聞いたのう。じゃが、この世ならぬもの……とは何のことじゃ?」


ユーヤは思考する。


クマザネはヒクラノオオカミのことも、妖精の鏡のことも昔から知っていた。


ハイアードの王子はどうか、だがクロキバの中に彼がいることに気づいてなかった。


では一体、何が。

全員の頭にその疑問が浮かぶ。


「それ、は」


双王の声に反応してか、うわ言のように口を開く。

その真っ白に乾いた唇が、言葉を。



「お前だ、ユーヤ」



瞬間、ユーヤは何を言われたのか分からない。


「え……」

「私は……クロキバの報告によりお前のことを知った。異世界よりの来訪者、この世界の知識が無いにも関わらず、世に名を馳せるクイズの達人たちと渡り合った話を聞いた。そしてお前が、神を殺すと言ってのけたことを」



――その時は僕が、妖精の王を殺してやる



「あ――」



――しかし白桜城はむしろ文門に力を入れてござる。城ではかつて武道場だった広間で雷問の教練を。


――僕はこの国でまだほとんど行動してない。やったことと言えばクマザネ氏に会ったぐらい。


――こんな大規模な御前試合なんか例がないんだろう? それが僕のせいで無いはずがない。



それは、この世とあの世の境目から響くような言葉。

錯乱ゆえの意味のない言葉か。それとも死の境で見せた彼自身の魂の形か。


「異世界で……クイズで戦う、お前の偉業に、比類なき異形に憧れた。お前は一人で戦っている。誰もお前の艱難辛苦を分かってやれない中で戦っている。お前が何重もの技術の鎧で自分を飾っていることが分かった。私と……同じだからだ。私とお前は同じなのだ、同じであろうとしたのだ」



――クイズだと……馬鹿な! ことはヤオガミの未来を左右すること! クイズで決めていいわけがござらぬ!


――いかにお前が町人やら野武士を圧倒できても、クロキバには到底及ばん。それでも戦うのか。



「お前の戦いが見たかった。あらゆるものを賭けの火にくべて、お前を本気にさせようとした。これが私の成す最後の仕事のように感じていた」



――お前が負けたなら私の手足になるという約束だったな。私は思うままに開国を進めよう。ロニの制度も廃止する。ズシオウは……



「異世界のクイズ王よ」


その目はユーヤを見ていない。

もはや顔面は蝋のように白く、その体から生命が湯気のように抜けていくのが分かる。


「お前も、そうなのだろう」


ユゼがわずかにユーヤを盗み見れば、彼の顔もまた、蒼白に。


「異形は人に霊感を与えるのだ。お前もまた、この世のものとも思えぬクイズ王と出会ったのだろう? 分かるぞ。憧れこそが毒、憧れこそが不死の霊薬。何をしても消すことのできぬ、情念の火をともす神秘的な体験なのだ。お前もまた火を受け継いだのだろう? 異世界のクイズ王から……」


もはや、大半が聞き取れなかった。生来的に良い耳を持つ双王でさえも。


だがユーヤには聞こえる気がした。振り絞るような最後の一言までも。


「どうか、眠らせてくれ。私は、お前の夢を見て過ごしたい、あるいは、お前のように生きている、私の夢、を……」


そして静止が訪れる。


羽が地に落ちるように、器の水が枯れるように、静かな無への移行が。


ナナビキが脈を取って言う。


「……医師を呼べ、そして水葬の用意を」


部屋の外の小姓が駆け出す気配があり。


ユーヤの顔は、雪のように白く。







水葬は深夜にて行われた。


「ベニクギはまだ起きられんか」

「はい、かなり強い薬を使われております。わずかに反応は見せておりますが、まだ数時間は動かれぬと医師が」


島の港。一人乗りの小舟に飾りのような帆をつけた水葬船が用意される。

ナナビキが場を仕切る役のようだ。黒い羽織は弔意を表すものだろうか。


「セレノウのユーヤどの、この世界の葬儀は初めてか」

「ああ……」

「これは水葬だ。残念ながらクマザネは罪人として扱われねばならぬ。荼毘に付すことは許されず、船に乗せて流すのだ。だが死の境を超える時にその罪はすべてゆるされる。その魂は蝶の羽ばたきに変わり、来世への導きを得るだろう」


白布に包まれた遺骸が船に乗せられ、潮流によって少しづつ動き出す。やがて島を出て、遥かにヤオガミの東方、人跡未踏の海の果てまで流れて行くのだという。


双王と、幾人かの達人たち、船大工、村人など50人あまり、ただ神妙に船出を見送る。


「かの者、隈実くまざねの里に生まれ、実意じついに学び、心身健やかにして鍛錬に努め、多くの家臣に恵まれたる人。しかし心に空隙くうげきあり、豊かなるがゆえにそのあなは深く、我らみなそれを知らざるや。願わくば彼の痛みの語り継がれんことを、罪の一切は蝶の羽ばたきに変じ、波の泡となりて消え去らんことを」


ナナビキの弔辞がろうろうと響く。船は離岸の流れから潮流に乗り、岸壁の切れ目から島の外に出ていこうとしている。


蝶が。


雪のように白い蝶が舞っている。五羽か十羽か、あるいはもっと多く、水葬の船に集まっている。


「ほう……幸運なことじゃ、棺の蝶エイルコートの導きじゃのう」


ユギが言い、ユーヤはそちらに首を向ける。


「それは、セレノウの神様だったか……?」

「ん? いや、神そのものではない。遺体を焼かずに行う葬儀では、あのヒツギチョウと呼ばれる白い蝶が集まることがある。人間の体液に反応すると言われておるが、古来より稀有なこととされ、死者の転生を早めると言われておるのじゃ」

「転生の概念が、あるんだな……」

「当たり前じゃろ。この世に永遠なものはない。死ですら同じじゃ。死はいっときの幻、やがてどこかで生まれ変わる。セレノウの棺の蝶エイルコートはそれを象徴する神じゃが、ヤオガミにも同じ考えはあるはずじゃ」 

「うむ……ヤオガミでは天聞蝶てんもんちょうと呼ばれるな。島の葬儀で現れるのは極めて珍しい。クマザネは満たされぬ男だったが、天は哀れみを授けられたようだ」


そしてナナビキは裾を払い、船が消えるまで見送ることなく立ち去らんとする。他の者もみな、村の方へと。


「セレノウのユーヤどの、船が消えるまで見送らぬことがしきたりだ、あの世に連れて行かれるからな」

「ああ……」


荘厳で、神妙な葬儀ではあるが、それでもユーヤの知るそれとは少し違う。

祭儀は簡素であり、死に対する受け止め方は重くなりすぎず、からりとした爽やかさもある。異世界ならば、死生観もまたユーヤの故郷とは違うのだろうか。


しかし淡白であるがゆえに、皆が死者を思う時間を共有できた気もする。

ユーヤの知る葬儀は、ややもすれば儀式的に過ぎるのか、そんなことを思う。


「お前も来てくれたのか、感謝するぞ、ツチガマ」

「は、一度は仕えようと思うた相手じゃからのお」

「イシフネどの、そなたも……」

「いえ、当然のことでございますれば……」


永遠とわわかりゃああっとの間じゃと、振り返る人んかりせな、死出の船はあ船足かろく、沈む頃にゃあ黎明よあけの日、しらじらとまた明け染めようと」


誰かのつぶやき、それは船大工だろうか、老人が都々逸のような節回しで唄っている。


歩きながら、それをぼうっとした顔で見ている。黒い着物の男。



その異世界人の顔はやはり、血の気が失せたままだった。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] > 多くのものを期待されたが、勉学も部門も冴えたものはなく 誤字報告機能では対応できない箇所についてです。 最初は「武門」かと考えたのですが、辞書で確認してみたところ武芸的な意味は無…
[良い点] 凡人視点っていいですよね。 末期の潔さも、悲しさと、どこか腑に落ちる納得の両方がありました。 [一言] 妖精郷に送られた凡人将軍様が、先客のジウ王子に本家の洗脳を掛けられて精神が完全に…
[気になる点] まさかの将軍様死亡…でもオオカミ様生存なら、神様揃い踏みルートが残ったか…。 神格同士の戦いは詳細不明ながら、割りと元気な泥んこドラゴン、鏡を6回使われてもプライドが折れてないタイガ…
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