第三十四話
「こやつ……ツチガマ!」
埋の一人がつぶやき、その動揺が周りに広がる。黒装束の男たちが後退する。
「ひ、ひ、埋どもかよ、一度ぶった斬ってみたいと思うておったのう。どおれ腸まで黒いか見てやろうかのお」
ゆらりと立ち上がる、だぶついた緑の裳裾は足さばきが分かりにくくなっている。ツチガマは風に揺れる木のような動きでクロキバの前に立つ。
「ツチガマか……お前はナナビキどのに引き渡されたはず」
「引き渡す? わしを盆栽か何かと間違えておるのかのお」
ざん、と天井に斬線が走る。クロキバの手元で火花が散る。
信じがたい速度の振り下ろし、クロキバは忍者刀でいなしたようだが、誰一人として刀身を目視できない。気づけば刀はまたツチガマの背に戻っている。
「くかか、聞いたかのお今の刃鳴りを、銀でできた鐘のようじゃあ。埋ごときがなかなかの刀を持つものじゃのお」
「四人、私の周囲につきなさい」
言葉に応じて埋たちが集まってくる。そしてクロキバはと言えば、がらん、と九角形の鏡を放り投げた。
「ズシオウはあなたが確保しなさい」
「はい」
はっとユーヤが目を向ければ、忍者の一人がズシオウを捕らえている。ズシオウはまだ状況の変化についてこられないのか、息を荒げながら目を震わせている。
「ひ、ひ……」
ツチガマはゆらりと下がってユーヤに並ぶ。
「……セレノウのユーヤ、どれか一つ選べえよ」
「一つ……?」
ほとんど口を動かさず、頬の中で生まれて消えるほどの声でツチガマが告げる。
「あやつ鏡を捨てた。あれは「一つなら奪わせてやる」と言うておるのお。見たところ目標は四つじゃなあ。ズシオウ、妖精の鏡、ベニクギ、そしてクマザネよ。クロキバは一つなら奪わせるつもりでおる。そういう駆け引きをすでに仕掛けておるのお」
「……」
ツチガマはロニの座に迫った人物である。クロキバがどれほどの実力を持とうと、けして油断のできぬ相手だろう。あえて譲歩を示した形か。
そして打てる手はクロキバの方が多い。無理に場を制圧しようとすれば、鏡を投げ落とすなり、あるいはズシオウを人質に取るなりいくらでも考えられる。
「クロキバに勝てるか」
「あやつ、ハイアードの短剣術らしき太刀筋じゃったのお。乱戦ではなかなか厄介なシロモノよ。埋どもの吹き矢も油断はできん、五分五分じゃのお」
ユーヤはごくりと唾を飲む。このツチガマが五分五分と言うなら、かなり分が悪いと見るべきか。
「どれか、一つ……」
「いや、二つだぜ」
ぽん、とユーヤの肩を叩く人物。
胴丸鎧を着物の代わりに着て、左右の腰に刀を差した若者。
「君は……タケゾウ、なぜここに」
「そこのおっさんに誘われた」
反対側から現れる影。綿のように白い髪と、骨と皮ばかりに細った体の老人。
「拾えるものは三つだな、ユーヤどの」
「イシフネ……」
「延州の殿より依頼を受けている。フツクニに禍つ企みあらばこれを祓えと」
彼は刀を差していない。無手である。だが腰を落として開手の腕を差し出すさまに、忍者たちがじりじりと後退する。
「仔細は分からねど、今はユーヤどの、おぬしに助力することが最善手と見た」
彼らはどうやって天狼の間まで来たのか。階段は押さえられているから、城内にいる忍者たちをなぎ倒してきたはずはない。
ではまさか、城壁を登ってきたのか。齢88だという高齢のイシフネが。
「だが……この場で埋どもとは戦えぬな。城内にはやつらの手先となった侍がいるのだ、時間はかけられぬ」
「俺はまあ命令してくれりゃ何でもやるよ、あとでメシ食わせてくれよ」
「ひ、ひ、まさかイシフネが来るとはのう。さあユーヤ、拾えるもんが増えたのう、早う選べえよ」
「……」
拾えるものは三つ。
ズシオウか、鏡か、ベニクギか、あるいはクマザネか。
ズシオウを見る。白装束と木彫りの面。忍者に押さえられているその人物の目が、ユーヤへと。
「……以外を」
「ひひ、そうかあ」
「それと、できれば忍者たちを殺さないでほしい」
「かかっ、お優しいのお、まあそれはナナビキどのからも言われておるわ、分かったわいのう」
がし、と肩を掴まれる。ツチガマとタケゾウに、左右から。
「え」
「そんじゃあ」
「邪魔じゃあのお!」
凄まじい力が両肩にかかり、ユーヤの体を木切れのように投げ飛ばす。人間の力で投げられたとは思えぬ滞空時間。視界の回転。
その中で見た。タケゾウの二刀流が忍者たちの刀を受け、ツチガマの長刃の峰が黒い影を打ち据え、イシフネに襲いかかる二人が、重力を無視した縦回転で放り投げられるさまを。
そして背中を強打、飛行船の屋根部分に落ちたのだ。
「ユーヤ様、大丈夫ですか」
銀色リボンのメイドが来た。助け起こされるのかと思ったが、地面にある留め具にベルトで固定される。小型飛行船を繋留塔に繋ぐための革ベルトである。
「三人がこちらに飛び乗り次第、最大速度で離脱いたします」
「ちょ、ちょっと待って、こんな固定の仕方」
見れば、周囲に妖精がいる。灰色の妖精。天候と気流を操る灰気精である。
そして来た。最初にイシフネ、そしてタケゾウとツチガマが距離を物ともせず飛び乗り、瞬間、豪風が吹き付ける。
「ほぐっ」
ユーヤがプラモデルであったなら1秒でバラバラになりそうな風。飛行船が反転し、押さえつけられるような、あるいは宙に放り投げられるような重力の混乱。がつん、と音がしたが、顔のそばに手裏剣が突き立った音だと分かったのは後のことだ。
そして船体が飛翔する。駆け上がるように一気に高空へ。
放たれる手裏剣や弓を弾き返しながら、明け初めるヤオガミの空へと。
ユーヤはとっくに気絶していた。
※
「さて……今後の検討をせねばならんな」
60がらみの恰幅の良い体型、雲と海を織り込んだ羽織を着て、紫の房飾りで羽織りを締めた姿は老練の落ち着きを示す。
ここはフツクニより50ダムミーキほど、群島国家であるヤオガミに数多くある小島の一つ。
中央に湾を抱える凹んだ形をしており、そこを港に改造している。湾の入口は狭く、外観は小舟も寄れぬ円錐型の岩山に見える。
だが内側は切り開かれて村が築かれている。立派な造船廠を抱え、百人規模の兵舎も持つ。ここは海の豪族、ナナビキが治める隠し港であるという。
「このようなものがフツクニの近海にあるとはな……ナナビキと結んでいるという噂はまことであったか」
「そうとも、来たるべき大戦に備えておったのだ」
イシフネの問いかけに、ナナビキはどうでも良さそうに答えた。
「だが、もうそのような段階ではないな。まさかクマザネが操られておったとは」
「うむ……」
広間にて、ユーヤたちを交えて車座に座る。
各国の王族、名だたる剣豪、ナナビキの配下も数人いる。10人ばかりの会議である。
ツチガマとタケゾウはいない、会議になど興味がないのだそうだ。
ユーヤは何かをずっと考えているような様子で固まっている。
その様子を見て、イシフネはまたナナビキ氏に問いかける。
「ナナビキどの……ツチガマは本当に言うことを聞くのか。あれはかつて、フツクニの侍を数十人も斬り捨てたと聞いている」
「心配はない」
長煙管をふかしつつ答える。
「あれのことは山賊だった頃から知っている。あれの勇名を聞いて会いに行き、ロニを目指すことを勧めたのは私なのだ」
「なんと……」
「あれは物言いこそ無骨だが、誇り高い人間だ。契りを結んだ君主を裏切ることはない」
「しかし」
「僕もそう思う」
頬杖をついたままユーヤが言う。声に存在感を乗せており、イシフネもそちらに意識を引かれる。
「彼女が頼りとするのは自分だけ、それは生き方を含めてだ。裏切りで目先の利益を得ても、それは彼女の名に傷を付けることになる。彼女はそのような自分の英名を下げる行為を何より嫌う。金銭や宝物で彼女は動かせない。それに思慮深く、自分は何をするべきか常に考えている。気まぐれに暴れるような事もないし、命令以外のことで勝手をやることもない」
「ふむ……」
イシフネは、どちらかと言えばユーヤの言葉に信を置いたようだ、納得した様子で居住まいを直す。
そのタイミングでふすまが開く、銀色リボンのメイドが座して控えていた。
「ご報告いたします。容態は思わしくなく、このままでは数時間と持たないとの事です」
その場の全員が視線を交わす。
「のうユーヤ、あえて言うが、なぜクマザネどのを連れ帰ったのじゃ?」
ユギが言う。聞くところによればクマザネは御前試合を放り出し、集まっていた豪族をすべて拘束して、ズシオウに矢を射ったという。
ユギの率直な見方では、自業自得というよりない。たとえ洗脳されていたとしても、責任が消えることはないと思える。
「ユギよ、ユーヤは優しいのじゃ、助かる命ならば助けようとしたのじゃろう」
「しかし、ならばズシオウも連れて帰るべきじゃろ……」
ユーヤが選んだ3つのもの。
それは妖精の鏡、ベニクギ、そしてクマザネである。
この選択を三人の達人たちは完璧にこなし、見事にその三つを奪って飛行船へ飛び乗った。特にベニクギを抱えて飛行船まで飛んだタケゾウには驚愕すべきか。
「ベニクギは残せない。確かにベニクギを倒したという示威行動のために一度は見せたが、彼女は拘束しておける人間じゃない。命を奪われる可能性が高かった」
ユーヤは場の全員を見てから続ける。
「ズシオウは少なくともすぐには殺されない、傀儡として利用するはずだ。おそらく今ごろはクマザネが乱心したという偽情報を流し、ズシオウが将軍の名代として立つこと。そしてクロキバが補佐役になること。これを城の重鎮たちと話し合っているはず」
「豪族たちはどうなると思われるか?」
ナナビキが問う。
彼はユーヤが異世界人であると知っている。おそらく彼が成してきたことも知っているのだろう。その言葉に一切のあなどりは無い。
「半数ほどは説得して味方につける。もう半数はそのまま返す。この交渉に一日ほどかかるはず」
「味方に……しかし豪族たちはいずれも長年の仇敵、そうやすやすと手は結べまい」
「クロキバが、もし三割ほどでもあの王子の力を身に着けているなら、可能だ」
ユーヤにはヤオガミの勢力図は分からず、数百年に渡る戦乱の歴史も知らない。贅月を通して表面だけを知るのみである。
だが、それでも。
よく知らぬ身であっても、あの王子ならば可能だと思える。
国一つを話術で掌握する、そんなことも成し遂げると――。
「……しかし残念なことだな。私もできるならばクマザネを助けたいが、どう見ても致命傷だった」
「妖精の治療はできないのか?」
その言葉に、ナナビキの配下を含めて数人が首を振る。
「無理だな。白亜癒精は傷を食らうが、その時に傷が生み出す「痛み」をすべて与える。おそらくクマザネには耐えられない。医師の見立てでも同じだった」
「酒などで抑えられるとも聞いたが……」
「問題はそれだけではない。あの矢傷は深く、臓物を傷つけており、内容物が腹腔に漏れ出ている。そうなれば感染症を起こして死ぬ。そのような症状には白亜癒精は効果がない」
場が沈む。
やはり無駄だったのかと、数人が歯噛みしそうになる瞬間。
「では、最後の手段しかない」
黒衣のユーヤがふところから取り出すのは、真珠色に輝く鏡。
「ユーヤよ、鏡で何をするんじゃ?」
「どうも引っかかっていた。記録上、鏡が使われた記録もなければ、姿を消した王族もいない。だがクロキバは言っていた。かつての将軍の一人が、若くして世を去らんとしていた王子を贄として鏡を使ったと」
「そんなことを言っとったのか?」
「この国で隠し子というのはあまり考えにくい。思うに、その王子は死ななかったんじゃないか? 病気だから静養するという理由で人前には現れず、静かに生涯を終えた」
「まさか……マツザネ公か」
イシフネが言う。
「該当する人物がいるのか?」
「うむ……拙者が若い頃の人物だ。幼少期に熱病にかかったとかで、青年期まで余州にて静養していた。成人してから将軍家を継いだが、やはり体は弱く数年で隠居してしまい、流行り病にかかって鬼籍に入ってしまった」
「ユーヤよ、つまりこういう事か」
双王が勢い込んで言う。
「妖精の世界に送られた人間は、10年後に帰ってくる。記憶を失い、10年ぶんの歳を取った姿で」「送られた人間は向こうで妖精に世話をされている可能性がある」「では死にかけた人間を送ればどうなるか、その傷も病気も治療される可能性がある、そういうことじゃな!」
「何もかも推測なんだ……はっきりしたことは何も言えない」
だが、と、ユーヤは声に力を乗せる。
それはあるいは、自分自身を奮い立たせるかのように。
「今はこれに、賭けるしかない」




