第三十一話
※
夜が沸騰している。
この御前試合にそこまで関心を持たなかった者も、寝静まっていた子供や飼い犬すらも起き出して、遠く白桜城を見上げている。そこに生まれる真紅の炎と青の炎、そのせめぎあいに何か凄絶なものを見る。
「おい! 情報が入ったぞ! 青がセレノウの男! 赤が月羅塾のランゼツだ!」
「ああ聞いてる。だが月羅塾なんて塾はないらしい。噂だが埋の人間が変装して参加していたとか」
あらゆる場所でそのような会話が交わされ、爆薬が燃焼するさまを低速で見るかのように近くの人間へ、またその隣へと情報が伝播していく。
「外国人と埋なのか!? ど、どんな戦いが行われてるんだ」
「いやあ素晴らしい、喜ばしい事じゃないですか。本戦にはどこぞで合戦を終えたばかりの若武者もいたらしいですよ。若い力だとか外国人だとか、あるいは日陰者だった埋の人々、そういう新しい風がフツクニには必要なんです」
そのような言葉には同意する人間もいたが、やや渋い顔の者もいる。
「よしてくれよ、そりゃお侍さまをないがしろにしてるよ、あれで結構うまくやってるじゃないか」
「そうだねえ、それに新しい風なんて不安だよ。外国は恐ろしい所だって聞くからねえ」
「お若いお方、学者の言う開国論とかにかぶれてるのかい? あれは世を乱す考えですよ。クマザネ様は認めないでしょう。あの御方は保守的というか、安定を求める方と聞いてますからねえ」
クイズの話から社会の話へ、そして政治や世界の話へ、話はさまざまに分岐していき、またクイズへと戻る。
あまりにも大きなうねりとなっているこの御前試合に、何かしら大きな変化を感じる者は少なくなかった。
だが、なぜクマザネの治世で。
戦乱から遠ざかっていたフツクニの地でそんなうねりが生まれているのか。それは誰にも分からなかった。
※
「正解! セレノウのユーヤどのに得点を」
(この二人は、虎か龍か……)
町奉行のトウドウ、見方によってはフツクニ最大の実力者である彼ですら、その押しは理解できない、あまりにも常軌を逸している。
「問題、旅路の/果てに」
ぴんぽん
「く、クロキバ」
「流本・柳枕」
「正解!」
どよめきはもはや止むことがない。
あるいはこれが一般的な強者の試合であったなら、何かしらの不正を疑われたかも知れぬ。
だが、この二人はそれとは違う。観客の追いつけぬ世界で、二人だけのゲームを成立させている。それを理解させる凄みがある。
ユーヤは顎に手を当てつつ思考する。
(今のは読ませ押し……)
(旅路の、の後に「果て」と続くのか「長いことを」と続くのかで分岐する。しかし問題文がアレンジされる贅月、分かっていてもそのタイミングで押すのは並大抵のことじゃない)
(あるいは、それは……)
「回答を、クロキバ」
「閃緑岩」
「正解、得点を」
(僕の真似なのか、クロキバ)
試合が進むごとに部屋の外に気配が増える。風が強くなっているため、かがり火の監視に大勢の侍が屋根に登っているためだ。
時おり若い侍がトウドウに駆け寄り、何かしらの指示を受ける。
「セレノウのユーヤ、どうやら大勢は決したようだな」
クマザネが二人の近くまで来ていた。ユーヤに近い位置に立ち、何かに満足するように見下ろす。
「クロキバには知りうる限りのお前の戦いを学ばせている。お前にできることはすべてクロキバにもできる。ならばこの世界の知識があるぶんクロキバが有利、勝てる道理はない」
他の豪族には聞こえぬ声量であったが、トウドウなどには届いている。彼は異世界人のことを知らないのか、怪訝な顔で主君を見ていた。
ユーヤは視線を向けず、ただ疑問だけを目の端に浮かべる。
(なぜ、そんなに挑戦的なんだ)
(僕を言葉で踏みつけて勝利を確信したいのか、それともクロキバの強さに酔いたいのか……)
(わからない……何なんだ、この人物は……)
「お前が負けたなら私の手足になるという約束だったな。私は思うままに開国を進めよう。ロニの制度も廃止する。ズシオウは……」
ぴく、とユーヤの耳が動くのを見て、クマザネの顔が歪む。声に喜悦の気配が混じるのが分かる。
「あれは私とは考えが違いすぎるな。出家させて寺社にでも預けるか。平穏の祈りに一生を捧げるのが似合っておるだろう。なあ、そうは思わんか」
「本気で言っているのか」
「私は冗談は好まんよ。何もかも本気だとも」
「……」
ユーヤは、そこで初めてクマザネのほうに顔を向ける。
いびつな快楽の張り付いた顔。雑然とした脅し文句を並べる様子は、最初に謁見の間で出会ったクマザネとは少し違う。
あのときの彼は豪放磊落として大人物の風情を備えていた。少なくともそのように振る舞っていた。
今は違う。隠しきれない素顔のようなものが、大きくうねる感情の中に見え隠れしている。
それは一言で言えば小人物。
大胆さはなく、目立つことを好まず、世の中のあらゆることを漠然と恐れるかのような落ち着かない目。それが見える。
自分を大物に見せる技術で、本来の自分を覆い隠している。それがなぜか解けかけている。なぜ解けかけているのかは分からない。
「……試合を続けさせてくれ」
「おお、そうだな。ではトウドウ、続けよ」
「……は」
クマザネは不自然なほどの大股で上座に戻り、他の豪族たちは何の会話を交わしていたのか訝しむが、ともかく試合はまた動き出す。
「さあ、どうするセレノウのユーヤ」
クロキバが言う、鍋が泡だつようにふつふつと笑っている。
「当代のロニも、白無粧どのもすべてお前が背負っておるのだ、責任は重いな」
「……」
(手はある)
(クロキバと僕が押すタイミングはほとんど同じ、平均すればおよそ半文字ほどクロキバが早い)
(一文字ぶん、上回れば勝てる)
(やれるだろうか、彼女の押しを)
(いや、やらねばならない……)
(あの技を、今ここに……)
「早押しクイズとは、極めて特殊なクイズだ」
つぶやく、それはクロキバに届かせる気があるのかどうか、針が落ちるほどの声である。
試合は進行している、両者が極限の集中の中で早押しをやり合う中で言葉が流れる。
「いわゆる知識人では勝てない。早押しはどうしても、早押し問題だけをひたすらに練習する必要がある」
かがり火は増えていき、豪族たちが発破をかける声も増える。
「出題されうる知識の世界は極めて広大だが、やはり限定的なものだ。そのために早押しだけを極める行為は、時にカルタに例えられる。クイズ戦士はその言葉にいつも懊悩する」
「ふむ……我々は割り切っている。贅月はカルタであるからこそ良い。少しでも深く研究している方が勝つ」
「割り切っている人々もいた。だが、早押しを極めたクイズ戦士たちもまた悩んでいた。自分たちのやっていることは本当にクイズなのか。クイズとは違うゲームなのではないか。我々は本当に考えているのか」
「何が言いたい……?」
「見ていてくれ」
ボタンにかけられたユーヤの手が震える。
紙一枚ほどの余裕を残して押し込まれた手、ボタンの反応するぎりぎりの位置で力をかけ続ける。
「問題」
トウドウの声、ふいに数段階大きくなったように感じられる。
「色の名前において岩/を」
ぴんぽん
「――!」
「セレノウのユーヤどの、答えを」
「冠尾色」
「正解!」
わっと、周囲が沸き立つ。早押しの理屈は分からないが、今の問題、確かにクロキバに競り勝ったのが分かった。
「馬鹿な……」
今の問題、贅月の問題文からかなりアレンジされていた。「岩を」の段階で絞り込める答えは確かに冠尾色のみだが、回答を思いつくまでに必ず0.5秒はかかる。
だが押している。「岩を」の前段階で押すことは不可能のはず。回答可能になった瞬間、時間を止めて考えたかのような不自然さ。それを感じ取れるのはクロキバのみ。
すなわち今の押しは、クロキバの理解を超えている。
「なぜだ……」
「ボールを投げられたとき」
ユーヤはうつむいて片膝を立てている。ぶつぶつと独り言のように喋っているのはクロキバへの説明なのか、それとも極限の集中の中でうわごとが生まれているのか。
「僕たちはそれがボールだと理解する前に腕を出し、防ぐか受け止めるかする。脳で思考していたのでは間に合わないからだ」
「反射であろう。我々にもその知識はある。だがクイズに応用できるわけがない。クイズを思考せず解けるわけがない」
「問題、人体の中で最も/」
ぴんぽん
「セレノウのユーヤ」
「耳小骨」
「正解!」
「ぐうっ……」
クロキバが、初めて明確に動揺を見せる。
(今のは抑揚を見切っている)
(「最も小さな」という前振りなら答えは「大臀筋」あるいは「大腿骨」。「最も大きな」ならば「耳小骨」の一つしかない)
(だが「最も大きな」と「最も小さな」では「最も」の言い方が違うので先読みできる、そこまでは分かる)
(だが早すぎる、この私よりも……)
「理解している」
ユーヤは無我のようであった。体を揺らしながらもボタンにかける力は絶妙なものを保っている。
「思考に至る前、無意識の世界で肉体は問題を理解している。花を見て名を呼ぶごとく。それはおよそ0.2秒ほどの世界。言語化されない混沌の思考、それは「誰」なのか分からない。だが存在している。僕の人格ではない「誰か」が答えを思い浮かべた瞬間、それを肉体に反映させて押す」
「不可能だ、いや、そんなことが現実にありえるわけが……」
「あるさ」
ぴんぽん
「封香」
「正解!」
ぴんぽん
「わらだ稲」
「正解である!」
「この技術は実在する」
ユーヤの、暗黒の矢のような眼光が。
「けして、幻になどさせない」
「そこまで!」
トウドウが声を張る。
「セレノウのユーヤどの30問先取! 大将軍クマザネの名において執り行われし御前試合、その優勝者に認定いたす!」
歓声が。
すべての侍が、豪族があらんかぎりの声を張り上げる。
その声は白桜の城の全体へ、フツクニの都へ、そしてヤオガミという群島国家のすべてに響き渡るほどの勢い。それほどの歓喜の爆発が、賞賛の大波が。
「よかった……」
ズシオウはうっすらと涙を流し、心の底からの安堵を漏らした。
「さすがユーヤさんです……本当に、本当に勝っていただけたのですね」
「そうでござるな、最後の技は、あの速度は、もはや人智を超えたと言っても過言ではござらぬ」
姿の見えぬベニクギの声に、ズシオウは涙を拭いながら応じる。
「ええ、本当に、詳しくは分かりませんが確かに超人のような速さでした。きっと、ユーヤさんが修練の果てに身につけたものなんです」
「だが、それももう、私のものだが……」
「……ベニクギ?」
「クマザネどの! 約束は守っていただけるであろうな!」
多くの豪族が畳を踏み鳴らし、ぎらぎらと光る視線を一点に向ける。
それを受けたクマザネは、何かしら満足げな顔でほうと息をついたあと、いま存在に気づいたかのように豪族たちを見渡す。
「約束? 何の話かな」
「とぼけたことを! この勝負には莫大な金子が賭けられている! そなたは埋のクロキバに賭けた! 我々はセレノウのユーヤに賭けたのだ! そして今まさに勝負がついたところだろう!」
「それはどうだろうか。クロキバに勝ったと言えるのか?」
「何を妙なことを」
「なぜなら、そこの男はクロキバではないからだ」
黙。
一秒ほどの無音の波。
全員、その言葉の意味を理解できない。
顔を見合わせる事もない。思考が止まったような顔をする。
最初に沈黙を破るのはユーヤ。
「何を……言っているんだ」
「そもそも私が約束を守る意味があるのだろうか? めぼしい豪族が全員ここにいるのだ。人質に取るなり殺してしまうなりすれば、ヤオガミの統一もずっと早かろう」
全員が一斉に立ち上がる。
豪族たちの連れていた側近の侍たちは瞬時に殺気をみなぎらせ、刀に手をかけて周囲を警戒する。
「クマザネどの! その言葉、冗談では済まされぬぞ!」
「私は冗談は好まん」
「この場にはロニであるベニクギどのもいるはず! フツクニの君主とは互いの暴走を封じあう存在のはずだ! そのような暴言が許されると思うか!」
「おい、出てこい」
クマザネは鷹揚に言い、謁見の間の手前側から、影が。
緋色の影がするりと出てきて、空気に色がつくように形を持つ。刀を佩いた長身の傭兵。
「ベニクギ……?」
ズシオウは困惑の顔でつぶやき、その視線をクマザネへと伸ばせば。
そこには、この世のものとも思われぬ、酷薄な父の顔が。
「それがクロキバだ」
そして緋色の傭兵は。
造り物の顔に手をかけ、一気にばりばりと剥ぎ取った。




