第二十七話
パルパシアの双王、ナナビキを追跡し、この入り江にまで到達した二人。
二人がなぜ隠密行動を解き、パルパシア風の衣装で現れたのか。
鋼鉄船を購入しているのは推測の範囲内、外から眺めても新たな情報を手に入れられないと思ったこと。すでに情報は十分と、最後の詰めにナナビキを揺さぶりにかかろうとしたこと。
理由は様々言えるであろうが、端的に言えばこそこそ隠れるのに飽きたから、と言ってしまって間違いではないだろう。
「……なるほど、パルパシアの王か。ヤオガミのよからぬ動きを嗅ぎつけて参られたというわけか? どうもこの一月あまり、性急に動きすぎたとは思っていたが」
「そのような事はどうでも良い」
ナナビキの言葉を扇子で撃ち落とす。
「ただ今ひとつ分からぬだけじゃ。開国をするならするで、堂々と重鎮らと話し合って進めればよかろう」「船を買ったり老中株を売ろうとしたりと、なぜ既成事実ばかり積もうとする」
「老中株のこともご存知か……」
ナナビキは、なぜかひどく疲れたような顔をする。実際に疲れていたのだろう。少し肩を落としてから、体の中の澱を嘆息として吐き出す。
「のうナナビキよ、我らとこの船をかけて勝負せぬか」
「勝負……?」
ナナビキはあまり慌てていない。流水で洗われた野菜のようにしおれている。反応も一拍子遅い。
「我らはクマザネどのの暴走を抑えるために動いておる」「この船を我らが抑えればその一助となるじゃろう」「もちろん、この船にふさわしい額を皿に乗せての勝負としようぞ」
「ふむ……」
ナナビキはしばし考え、その実、あまり頭が働かないような様子で言った。
「これからしばらく海上に出ようと思っていた。双王も同行されるか。波を眺めつつ話をしよう」
「船旅かの? フツクニの近くに居らんでよいのか」
「そうしたいところだが……」
何かの匂いを嗅ぐように、遠くフツクニの方を眺める。
「あの都は……どれほどの混乱に堕ちるか分からぬからな」
※
「おい、いまポイントは何点だ!?」
「え、ええと、セレノウのユーヤが12点、米田村のタケゾウが14点だ」
「全部で30問だろ、こりゃ決まったか?」
「米田村のタケゾウ、その姿勢のままは疲れようが、休息の時は持たせられぬぞ」
「ああ構わねえ! 次行ってくれ!」
「……」
ユーヤは。この物静かで不気味な印象の男は、天狼の間のほぼ中央に座している。
(集中力を……)
(言語になった部分の捕獲では彼が上手だ)
(ならば、言語になる前の音を捕まえる……)
瞳孔がすぼまる。息が喉の奥に引っ込むような感覚。己の心音すらも抑えるような、自己を内側に圧縮するような集中。
「ユーヤさん、何か、様子が……」
その変化にズシオウは気づいたが、しかし何がおかしいのかは分からない。全身に力を入れてるようでもあるし、弛緩しているようでもある。
「ユーヤどの、何かを思い出しているようでござる」
声だけが響く。ズシオウはその声の主を探そうとするが、姿は見えない。
「思い出す……ユーヤさんの過去の経験でしょうか。それとも出会ってきた人でしょうか」
「ユーヤどのは、このようなクイズですら経験があるのでござろうか……」
「どうしたんだいセレノウのユーヤ。なんか息が荒いぜ」
天井に張り付いたままタケゾウが言う。その顔はユーヤの方は見ていない。この場の全員の息遣いすら感じ取ると言うのだろうか。
「集中……しているんだ」
「ふうん? けどあと4問だぜ、本気を出すってんなら、もちっと早く出すべきだったな」
「君は……素晴らしいクイズ戦士だ。若く才能に溢れ、自由な発想と、それを実現する身体能力かある」
ユーヤの様子がおかしいことは観客にも伝わり始めていた。呼吸は浅く速くなり、首を詰めるように身をこわばらせる。
「僕は……体力、ないからね、やれて、数問、なんだ」
「やる……? 何をだい?」
「ある、技を」
(音は聞こえている)
(聞こえているが、言語として認識できていない部分が多すぎる)
(だが抑揚、間のとり方、そして熟語の部分で音が強くなる)
(あの時と、同じ……)
視界が暗くなる。極限の集中の中で虚血が起きているのか。それとも視界が過去の何処かの風景と混ざっているのか。
薔薇の香りが漂う洋館。
世界から隔絶したような寂しさ。
暗がりの中、館のあちこちに赤い気配。
「―――おえ、――い、―――うあん――」
手元の紙に答えを描く。ほとんど聞き取れない。だが言葉だけは在ると分かる。
ほんの戯れのような試みだったのだろう。一階にいる人物が読み上げるクイズを、二階にいる自分か答える。
小さく、そして白い手だ。声を聞き取って鉛筆を操る。
「聞こえる……」
現在のユーヤの言葉か、それとも過去の誰かの言葉か。
「……言葉は文字じゃなくて、ありのままを聞き取る……」
音が言語であると認識されるのは無意識的な働きである。言葉として処理されなかった音は、音としてのみ認識される。
しかし、その音をもとに言語を推測することができたなら。
大気のふるえのような音階を、文字に戻すことができるなら。
そして耳を澄まし、極限の集中の中で音の匂いを嗅ぐ。
七沼遊也の声を追い求める。
「では参る、出題を!」
光信号のやり取りが、そして遥か遠くから、幅広い流れとなって届く音が。
「――うい、――えおあい、を」
ぴんぽん
「セレノウのユーヤ!」
「……」
――うい、――えおあい、を
――上位、――背の舞、を
「ユーヤどの、答えを」
「卍閣宵形舞」
「――正解!」
歓声が上がる。だがひそやかなものだ。
勝負が究極の領域に達していることを誰もが理解する。
湖に溶けた一滴の墨汁のような、微小な音を探していると分かる。我知らず、観客が息を止めるほどの迫力が。
「凄まじい……」
ズシオウの背後から、つぶやくような声。
「ベニクギ、今のは何か特別なことが?」
「ユーヤどの、押してから解答時間ギリギリまで思考しておられた。おそらく聞き取りが不完全なままで押し、押してから問題文を復元したのでござる」
「そんなことが……!」
「復元だけではないでござる。どのあたりまで聞けば解答が可能かを読み切っている。まさに技術の極致、どれほどの思考を行えば可能な技なのか」
その声は称賛するような、あるいは恐れるような響きを持っていた。
そして最後に、消え入るような声で呟く。
「あれが、異世界の技でござるか……」
「そこまで!」
司会のウブスナが、背骨から声を張り上げる。
「16対14! セレノウのユーヤどのの勝利である!」
あらん限りの拍手の重奏。緊張感の箱に閉じ込められていた観客が、ようやくの解放に歓喜するかのように飛び上がる。
追い詰められてからの奇跡的な逆転。この過酷なクイズで一問もお手つきを侵さなかった二人の技量。それだけではない。
自分たちは、間違いなく人の枠を超えるような闘いを見たのだと。同じルールであってもこれ以上の戦いは二度とはないと確信できるような、深い感動に震えていた。拍手を止められなかった。
「やー、まいったな、負けちまったよ」
タケゾウがひょいと降りてきて、ユーヤの前に座る。
「いやあ、セレノウのユーヤさん、あんた強いな。いつか剣でも戦ってみたい……おい、あんたどうした?」
ユーヤはまだ座り込んでいる。
顔は真っ赤に火照り、全身から蒸気が上がるかに思える。このような風通しのいい楼台で、なぜそのように汗だくになっているのか。
「風邪ひいてたのかい?」
「違うよ……少し、疲れただけだ」
のっそりと立ち上がる。間近にいた観客がなぜか一歩引いた。立つはずのないものが立ったような、そんな錯覚があったのだ。
ウブスナが二人に歩み寄る。
「セレノウのユーヤどの。決勝戦は黎明の刻、月の南中をもって執り行う。今宵であれば暁の七つ(早朝の四時)である」
「分かりました、では……」
ユーヤはゆらゆらと歩き、左右から拍手を浴びながら階段を降りていく。拍手は階下からも聞こえてきた。きっと大勢の侍たちが今の戦いを察知していたのだろう。
「あいつ、変なやつだったなあ」
タケゾウは頬をかきつつ言う。
なぜだろうか、あれほどに強く、勝負強い男に見えたのに。
今にも壊れてしまいそうなほど、脆弱なものにも見えたのは。
※
「我々はヤオガミの南方にて、いくつかの島を根城とする海賊衆だった」
ナナビキが語る。すでに船は沖合にまで出ており、フツクニは水平線の彼方にある。
帆は展開されていない。火煉精の火力によって走る機構があるらしい。
「戦乱の世にあっては傭兵団として海戦を請け負っていた。主に付き合いがあったのはフツクニの大名。だから我らはフツクニと特に縁が深いのだよ。豪族と呼ばれ、南方のいくつかの州を統治するようになってもそれは変わらぬ」
鋼鉄船の甲板。揺り椅子の上で煙管をくゆらせるのはナナビキ。
双王は出された甘い飲み物を、特に警戒もせずがぶがぶと飲む。
「クマザネどのと通じておると推測しておったが、間違っておらなんだのう」
「隈実衆とは先々代からの付き合いだ。我らはヤオガミの海戦の要を握る一族。あえて中立を装い、豪族たちとのバランスを取っていた」
「バランスとは?」
「我らが表立ってフツクニに付けば、他の豪族たちも独自の水軍を持つだろう。我らは金で動く傭兵集団と認識させておく必要があった。いつか来るであろう大戦まで潮騒の奥に潜み、フツクニの港に馳せ参じる日を待っていた」
「なるほどのう」
双王は大胆に足を組みつつうなずく。
「で、クマザネどのについてどう思っておるのじゃ。見たところ開国論についていけぬ様子じゃが」
「あれは凡庸な子だと思っていたのだが……」
遠くを見て、己の記憶の海へと潜るような数秒が流れる。
「よくも悪くも人並み、父親に言われるまま勉学と鍛錬をこなす子だったが、誰が見ても突出した才覚は無かった。だがそれで良いとも思っていた。もう乱世の奸雄は必要ないのだ。優秀な家臣に多くの役割を任せ、フツクニを次代に受け継がせてくれれば良いとな」
「まるで後見人のようじゃの。ずいぶん色々と見ておるのじゃな」
「それで? 変わり始めたのはいつじゃ?」
双王の言葉を聞いているのかいないのか、海を見たままで答える。
「……一ヶ月ほど前、いきなり私に会いに来て、開国論を論じ始めた。政治を変え、経済を変え、多くの風習や因習を一変させる大事業だ。確かに市井の学者などでそんな考えを持つ者もいるらしいが、本流の思想とはとても言えぬ。それがクマザネから出てきたことに、私はたいそう驚いた。そしてハイアードに鋼鉄船を発注したいと頼まれ、私がとりあえず一隻調達しに行ったわけだ。これは注文船ではなく、ハイアード・キールサーフ社のドックにあった船だ。本来はハイアード王家の発注だったらしい」
「ほう……王家の」
「ハイアード王家は国難の最中にあるからな……この船も、引き渡しが一年延長となっていた。それならばと私が借り受けたのだ。今は操船技術を磨くとともに、我らの造船所で模造品を造らせている」
「では、クマザネの様子がおかしくなったのは一ヶ月前かの?」
「いや……」
再度、ナナビキは思考の海に潜る。
今度はさらに深く潜るようだった。呼吸を止め、深海の暗がりに落ちていくような、深い深い思索。
「最初は、そう、鏡の儀式だ」
鏡、という言葉に双王が眉を動かす。
「あの子……ズシオウが生まれて五年目。クマザネが身につけていた鏡を、ズシオウに渡すという儀式があったのだが……」




